愛着システムと過覚醒(闘争)システムの関係
愛着システムと過覚醒システムの関係

 

愛着システムに作動された日常の大部分を過ごす人格部分と、外傷を負って過覚醒システムの駆動された力やスリルを求め支配的な人格部分との間の関係は複雑で、想像を絶する関係に発展することがあります。例えば、バリントの提唱したオクノフィリア(空間は危険を孕んでおり、対象と片時とも離れたくない心性)/フィロバティズム(対象は危険な存在であり、対象なき空間で己のスキルを高める心性)の概念や、メンタライゼーションのよそ者自己(自己の部分でありながら、自己に属しているとは感じられない思考や感情からなり、自己の一貫性の感覚を内側から崩壊させる存在)が参考になります。

 

愛着システムに作動された日常の大部分を過ごす人格部分

 

様々な見方ができると思いますが、愛着システムに作動された日常を過ごす人格部分は、力は弱いけど、眼と身体を与えてもらったことでこの現実世界と繋がりを持てます。根底には寂しさや人間不信を抱えていますが、心は子どものままで、皆と仲良く過ごしたいというスキーマが形成されており、仲間を探したり、愛する人や仲間がいるのが特徴です。また、周囲の気配に過敏に反応したり、自分の身体の中に何者かの気配を感じていたりします。それは子どもの頃に同調した過覚醒に駆動された力やスリルを求める人格部分を自分の内側に閉じ込めているからであり、自分が自分であるという一貫性を内側から崩壊させる危険な存在と共存していくしかありません。一般的に、生活全般の疲労感があって、抑うつ症状、失感情症、身体症状に苦しんでいます。そして、日常生活を困難にすることに対して、意識を変容させ、あいまいにしたり忘れやすくしたりすることで自分を楽にしていますが、生活全般の困難さが増大すると引きこもるようになります。

 

過覚醒システムに駆動された力やスリルを求め支配的な人格部分

 

過覚醒システムに駆動された力やスリルを求め支配的な人格部分は、愛着対象は危険な存在であり、強くあること、そして、他者に近づくなというスキーマが形成されており、殺伐とした世界に住んでいて、孤独なところが特徴です。過覚醒システムに駆動された力やスリルを求め支配的な人格部分は、愛着システムに作動された日常の大部分を過ごす人格部分の身体の中に閉じ込められており、ここから出せと暴れたり、悪い奴は倒そうと己を磨いたりしています。また、身体を乗っ取ろうと目論み、幻聴や夢のなかに現れ、無慈悲な自己批判や虐待をすることがあります。さらに、愛着システムに作動された日常の大部分を過ごす人格部分が何も感じないようにしたり、もう何も知ろうとしない態度に対して、腹を立て、心と身体に痛みを与えます。そして、最悪の事態としては、最も大切にしている存在を傷つけることに興奮を覚え、自殺すら安楽すぎる刑であって、少しの失敗も己の大量なる罪とし無慈悲な罰を与えるようなことが起こります。最終的には、愛着システムに作動された日常の大部分を過ごす人格部分がこうした内的懲罰者(トラウマを思い出すトリガーに遭遇すると表の世界に出ることもある)からの解放を望み、自殺こそ救いだと思うようなことも起こります。

 

ヴァン・デア・コルクの著書『身体はトラウマを記憶する』から、「脳幹と大脳辺縁系の基本的な自己システムは、人が生命を脅かされると著しく活性化し、強烈な生理的覚醒を伴う、圧倒的な恐れや身がすくむような思いを引き起こす。トラウマを追体験している人には、何一つ理解できない。彼らは生きるか死ぬかという状況にはまり込んでいる。それは、身動きをとれなくするような恐れや、見境のない憤激の状態だ。心も体も、まるで危機が差し迫っているかのように、しきりに覚醒させられる。ほんのかすかな音が聞こえてもはっと驚き、些細なことで苛立つ。絶えず眠りを妨げられ、食べ物は官能的な快楽をもたらさなくなることが多い。すると今度は、凍りついたり解離したりして不快な感情を抑えようとする必死の試みが引き起こされかねない。 」と述べています。虐待が行われていた家庭で育った子どもは、戦場で戦う兵士ととても似た脳の構造を持つようになると言われます。そして、生きるか死ぬかという状況にはまりこんでいる人格部分は、交感神経が活発に働き、恐怖や激しい怒りのような情動で溢れています。この人格部分は、あらゆる障害を身体ひとつで魅せる曲芸師のようであり、型破りな行動を取りながら、力やスリルを求めて危険を顧みません。