障害となる解離症状は、人間の最も洗練された神経系のシステムが遮断されて、痛ましい出来事に対する原始的な防衛システムが作動するときに生じます。原始的な防衛システムが作動しているとき、人は外界の脅威に対して、過敏に反応し、戦うか逃げるか凍りつくか死んだふりの防衛行動を取るので、暴力に満たされて興奮するか、脅威が過ぎ去るのをただ待つか、頭の中が真っ白になって、恐怖や戦慄に凍りつきます。そして、その人の耐性領域を超えてしまうと、息ができず、その場で動けなくなり、脳がシャットダウンしたり、意識が朦朧としたり、吐き気や下痢になったり、気を失いかけて崩れ落ちていく人もいます。また、変性意識状態の憑依現象により、怒りが制御できなくなり、己が血と快楽に飢えた化け物に変貌することもあれば、落ち着かなくて動き回ったり、身体から抜け出して外から眺めている自分になったり、夢の中にいて懐かしい風景が現れたり、心の奥の方に行って隠れたり、意識が消えそうになったりします。人が解離するときは、頭が痛くなったり、後から引っ張られたり、押し出されたり、眠くなったり、感覚が鈍くなったり、現実と夢の境目がわからなくなったりと様々あるようです。
幼少期の頃から、複数の交代人格がいて、人格たちの言葉や感覚が錯綜するなかで、現実の世界とあちら側の世界を行き来してきた人は、危険で生々しい感覚を簡単に自分から切り離することができます。そして、狂気の側に連れ去られまいとあがくこともなく、眠りに誘うかのような時のなかで、なめらかなものに包まれながら、夢の国(あちら側の世界)に続いていくような体験をしています。例えば、夢の国への扉は、雲の中のお母さんのお腹の中を旅行しているように感じたり、なめらかな空気が包み込んで熔けていくような熱い酔いのように感じたり、キラキラとした泡の中に包まれて、あちら側の世界に運ばれているように感じたりします。彼らにとって、あちら側の世界は、恐怖ではなく、子どもの頃から一人で安心して閉じこもることができる場所として存在します。そして、ストレスのかかる場面では、身体が勝手にやってくれて、自分は心や身体の中に深く入り込んで、閉じ込められていた方が便利だと思っています。
一方で、子どもの頃から通常の世界にいた人は、体が大きくなり見下ろす離人症とか、息が止まって凍りつくとか、意識が飛んで気を失うとか、すっぽりと吸い込まれた世界に入っていくとか、身体の中に引っ張り込まれる現象を恐れます。解離とは、原始的な神経の働きにより、強固な力で自分をひどい感覚に引きずり込んだり、つかんで閉じ込めてしまおうとする生き物のような力のことであり、この力に相対する人は、自分が狂ったのではないかという狂気を感じます。昔から、この狂気(黒い渦に吸い込まれそうな恐怖と、それを恐れる不安や衝動)を外の世界に投影する人は、夜の気配に怯えて、得たいの知れない影を怖がるようになるので、精神分裂病や統合失調症の診断が付けられてきました。彼らは、解離という強靭な力の作用に対して、無力化させられるとか、バラバラにさせられるとか、捻じれてしまうとか、握りつぶされてしまうとか、消されてしまうという凶悪な死の追っ手が迫っているように感じています。そして、この強靭な力の作用を感じると、動悸は激しくなり、身体は重くて、恐怖で動けなくなって、息は止まりかけて、声を出せず、絶望や無力感に打ちのめされていきます。この強いショックで、血の気がサ――と引いていき、頭の中が白くなって、意識が遠のいて倒れるか、うずくまりながら、頭痛や嘔吐、下痢になります。また、この強靭な力の作用は、その人の力を挫き、顔を青白くさせ、身体は凍りつくか、崩れ落ちて、パニックを引き起こします。そして、このような感覚が日常を襲うようになると、彼らは身近に死が迫っているように感じ、いつも絶滅させられる不安を恐れていて、あらゆる恐怖症に発展していきます。また、外の世界の人々との繋がりを断ち切り、夢の中では凶悪な人物として現れますが、その人の体の中では、原始的な背側迷走神経が主導権を握ろうとしています。このような悪魔の力に取り憑かれた人は、きわめて危うい状態に置かれ、悪夢や身体症状に悩まされて、死神が取り憑き、頭が真っ白になって、狂気や暴力(他害・自害)に至る危険性があります。
人は原始的な防衛システムに閉じ込められると、個の自治権は剥奪されて、自分が自分で無くなる恐怖から自分を守ろうとしますが、井戸の底のような真っ黒な闇に吸い込まれそうな、または、断崖を背に立たされているような状況に追い込まれます。そして、狂気の側は、ほんの一瞬、うつろなときに取り憑き、境界の彼方へ連れていこうとします。通常の人は、境界の向こう側の世界を知らないので、底なしのブラックホールとか、人が人で無くなってしまうかもしれないとか、もしかするともう二度と戻って来られなくなるかもしれないという恐怖を感じます。このように解離させる強靭な力を受ける人は、狂気に怯え、自分が自分で無くなることを恐れており、毎日が崖っぷちの人生になります。彼らは、正気か狂気の間を綱渡りしており、細いワイヤーの上を慎重に歩いているときの正気の世界は脆く、一歩間違えれば、細いワイヤーから落ちて狂気にとりつかれます。
大きな衝撃により、過去に受けた傷が蘇って、狂気が取り憑き、身動きが取れなくなった後の吸い込まれた先にある世界は、何もない小さな死の世界か、または熔けるような暖かい感じか、もしくはやさしい風の吹いてる場所です。そこは、波動や風があり、息遣いを感じるだけの場所で、お腹の中の心地良い波に身を任せてしまうといった得も言われない至福の安らぎがあると言われます。人はあちら側の世界の畏怖と魅惑を知ると、狂気も魔力への恍惚に変容していきます。狂気の世界は、通常の世界で生きている人からすれば了解困難な現象のため、統合失調症のように思われるかもしれませんが、背側迷走神経の働きと痛ましいトラウマによる恐怖や痛みの解離現象である程度説明できるのではないかと思います。
▶トラウマの治療には
トラウマを負っている人は、警戒心過剰で恐怖症状が中心にあり、また圧倒的な外傷体験を受けると、身体の麻痺、痛み、凍りつき、崩れ落ちるなどの体験をもたらします。恐怖は、汎化という現象によって、さまざまな刺激が過去の外傷体験時のひどい感覚に引きずり込まれる恐怖、身体感覚、生理的反応、無力感、光景、音、臭いなどと無意識に結びつけられていき、想像上の脅威まで脳が危険だと認識して、身体中にストレスホルモンを充満させます。そして、怒り、戦慄、無力感を引き起こす恐怖が更なる恐怖をもたらし、より重いトラウマ症状になるため、生活全般が困難になります。
トラウマ治療では、恐怖や無力感、怒り、悲しみ、孤独という難しい情動体験を耐えてやり過ごすことができるように、マインドフルネス、呼吸法、身体志向アプローチ、イメージ療法を用いて、不快な身体感覚とそれに伴う思考、情動、信念を分離させていきます。身体志向アプローチでは、十分に身体感覚を伴わせたまま、凍りつきや不動状態に自らが能動的に入っていき、そこから、神々のイメージや母親に抱きしめてもらうイメージ、恐ろしい動物から逃げるイメージの力を借りて、不動状態から抜け出し、自分の力に変えていく方法があります。また、不動状態とは、望みがなく、もう死んでいるような状態になりますが、そのときの肉体感覚に意識を向け続けると、全身が拡がります。そして、内臓感覚に安心感を得ることで、収縮と拡張のリズムに変わって、トラウマが変容していきます。
イメージ療法では、発達早期にトラウマを負い、解離性症状がある人は、絶望や悲しみを頭の中で思い浮かべることで、現実の世界とあちら側の世界の間を行き来したりします。悲しみや恐怖に圧倒されると、身体内部の空洞に入りこむか、無になってしまうか、解離してフワッとした世界に飛びます。そして、身体の中心の何も無い世界(小さな死)で、息を吸って吐くというリズムに合わせて、息遣いを感じながら、心地良い波の中を漂います。また、熔けるような暖かい感じやふるさとに帰ってきたような温もりのなかで、スピリチュアリティや宇宙的な体験をしてもらって、イメージの力でトラウマを克服させます。というような治療法ができればベストですが、そんな簡単なものではなく、自発的にトラウマ体験に近づくことは難しく、恐怖に向き合いながら、立ち往生してしまうかもしれません。しかし、長い時間をかけて、完全にやり抜くことが出来れば、身体の不動状態から、神の愛の中で目覚めて、真の変容や覚醒が待っています。
トラウマケア専門こころのえ相談室
論考 井上陽平