二重の自己とは、生活全般の困難のなかで生きていくために、偽りの自分が出てきて、本当の自分との間に分裂が起きます。二重に分裂する前から、深刻な外傷体験を負っていることが多く、本来の自分は、慢性的な凍りつき状態だったり、固まり捻じれていることがあります。本来の自分と偽りの自分は、同時に存在したり、融合したり、全く別々だったりします。偽りの自分から本当の自分に戻ると、記憶を忘れてしまう人もいれば、覚えている人がいます。偽りの自分は 解離してしまった自分であり、あまり何も感じなく、作り笑いをして演じます。本当の自分は解離していない自分であり、感覚が繊細であまりに多くのことや情報を察知して感じすぎるために、感情的になりやすく泣き虫な一面もあり、嫌なことや困難なことは避けようとします。
痛みが体の刻まれていて、異常な状態で生活しています。
痛みにより、脳内物質の作用から、自分の身体から切り離されたような感覚のなかで生活しています。
自分がいて、目の前に小さな自分を見ています。
小さいときに外傷体験を被った人は、環境の絶え間ない新しい変化についていけなくなり、動けなくなっていきます。そして、外傷体験を負う前の本来の自分(解離する前の自分)は、どこにもいなくなります。外傷体験後に現実生活を送る部分は、解離した後の自分であり、体の感覚を無くして、あたかも正常かのように過ごします。さらに、学校や社会人生活など、その役割に沿った自分になりきり、偽りの自分が生活するようになります。社会が期待することや、押し付けられた役割に嫌と言えなくて、ずっと我慢してきて、解離させながら生きています。
本当の自分はこんなはずじゃなかったと現実世界に絶望して、この世界が崩れ落ちます。崩壊した後の世界は、現実を受け止められず、別の世界であるパラレルワールドがあって、あちら側の世界で生きています。一方、トラウマ後に作られた自分は、この世界で演技するしかなく生活します。作られた自分には、自分が無いために、体調が悪く、自分の感情をコントロールできません。主体性が無く、自分はここにいないような感覚で、焦り、不安、緊張、苛立ち、孤独な人生になります。人の真似をしたり、他者が自分のことをどう見るかが気になり、皆に気に入られないといけません。
一つの身体に二つの自己状態があるというのは、身体を支配している自己と身体から少し離れている自己の分離になります。身体の中にトラウマという爆弾を抱えている人は、現実世界が苦しいことだらけで、すぐに身体から離れて空想の世界に行きます。本来の自分が空想世界にいるとき、偽りの自分が現実世界にいて、自分の意志がなく、作り笑いをして、周りの言いなりになり、合わせるだけの人生になります。そして、偽りの自分(体を支配している自己)は、現実世界で生活していますが、本来の自分は身体が離れて、空想世界で過ごすようになります。本当の自分は、たまに身体を支配して現実世界に戻ってくることはありますが、次第に現実と空想の区別がつかなくなります。
身体を支配している自己は現実世界を生きていますが、本当の部分は身体から離れて、空想の世界で生きていきます。本当の部分は、次第に現実と空想の区別がつかなくなり、現実感が失われていきます。本当の部分が現実世界で生活しはじめると、自分が空想の世界で生きてきた時代の人達のことを忘れます。そのときには、自分の身体の所有者ではなくなり、自分を遠くから見ているようで、全体像を見て動いています。 外から自分を眺めている私としての生活になります。
▶解離性障害の人々の幼少期
幼児期の頃にPTSDになると、人格構造が断裂してしまうことがあります。本当の自分(解離する前の自分)と日常を過ごす自分(解離した後の自分)に分裂します。本当の自分は、外傷体験のショックで、体が動けなくなり、日常を過ごす自分が周りに合わせて活動するようになります。
とても辛い環境にいる子どもは、小さいときから、心地よい世界に飛んで、誰かと喋って過ごします。そうでもしないと生きてこられませんでした。親や大人に怒られたときは、ガチガチに固まり、怖くて、別の世界に行っていました。日常生活を送るモードと仕事モードの自分がいて、二つの間を行き来ます。現実と夢の間を行き来し、現実と過去が入り交じっています。夢の世界は、自分だけの安心できる場所に逃げて、心地よい場所でした。嫌な世界に引きずり込まれそうになったり、嫌なことが目の前で起こっているからそこから逃げるための手段となりました。
そのため、小さい頃の本当の自分は、体の中心にいて固まっていたりします。本来の自分は体から離れて、眼差しの視点で、いろいろ見てきました。ただ、自分の体というものがないので、心の中は空っぽで、人と直接関わっている感じが薄く、実感がわきません。
小さい自分とそれを見ている自分に分かれるとか
助けられずに見ている自分と、散々な目に遭っている自分に分かれるとか、
逃げられない自分は固まってしまって、感情が無くなり、その場で何も抵抗せずに、立ち尽くします。
二重の自己がある人は、感情の起伏が物凄く、体調が悪くなりやすく、顔つきが変わります。幼児に返るごとに目はまん丸で可愛い表情になりますが、冷静にこの世界を眺めている時は、目が細く鋭くなります。怒っている時は、瞳孔が開き、目は見開いています。怒っている自分や元気な自分、泣いている自分、空っぽな自分がいた
そして、そのように二重の自己を行き来するようになると、普段は自分ですが、仕事は別の自分が行っていたりして、その時の仕事の記憶を覚えていません。仕事にいっているときは、別の自分であり、本当の自分は、現実を生きておらず、考え事や妄想に耽ったり、寝ていたりします。自分がコロコロ変わって、感情も思考も歪んで、分からなくなります。
二つの世界を行き来するようになると、時間軸の経験にも影響を及ぼします。本来の自分は、過去の時間を生きるようになり、別の自分が現実の時間軸にいます。本来の生きていたはずの自分が無くなって、それまでの私がどこかに行ってしまいます。解離している私は、相手に合わせすぎて疲れてきて、その関係を切り離し、恨みつらみになります。人に見られることや、どう思われているか気にしています。特に、人に悪意を向けられたり、嫌われることに耐えられません。解離や離人がある人は、人の視線が怖くて、集団場面が苦手で、この都市型生活のなかでは、自分の身体で存在することが難しい状態にあります。脅威を感じると、この現実世界の身体から離れて、真っ暗な部屋のなかで体育座りをして我慢しています。
本来、人間は心と身体を繋げて、自分の身体の中に存在しています。しかし、自分の思うように過ごせずに、トラウマにより、心のバリアが壊されると、苦手な人の視線、気配、感情を感じると、心は苦痛だらけになります。神経が繊細になり、感覚過敏に悩まされ、身体の感覚はシャットダウンされます。
恐怖に怯えて、周りを警戒している、嫌と言えずに我慢して解離してしまう。
恐怖に怯むことなく、なんかやれそうな気がすると感覚を麻痺させている。
本当の自分に近い自分は、自分の身体を取り戻していく状態で、本当の自分は、心と身体が合致しています。一方、本当の自分が身体から離れていくごとに、本当の自分と偽りの自分が分離していきます。
解離性障害の人は、体には幼い人格がいて、日常を過ごす私が、生活をどうにしかしていこうと悪戦苦闘しています。日常生活で、トラブルが起きた時には、日常を過ごす私が一歩引いたところから見るようになります。日常を過ごす私は、都合が悪い時にはさらに後ろのほうに行き、この世界を観察します。都合が悪い時は、身体の中に閉じ込められている幼い人格が痛みや苦しみを負います。
他者とかかわると背後にいる監視の目は消えて、一人になると、自分を監視する目が働く。
二重の自己を持つ人は、身体感覚が不穏で耐えづらいです。そのため、身体感覚を消すために、頭の中の空想世界に逃げ込んだり、イメージや思考で埋め尽くしたり、役割に没頭したりします。
恐怖が人格を取って代わって
元の人格は無くて、その人の人格を妄想が
傷つく前の自分は、
心と身体がバラバラで別々に動きます。気持ちの面と、体の神経が分裂しています。
現実に起きた出来事に対する 現実から離れた自分
真面目に生きてきた私 実際には被害にあってきた、性欲旺盛、嫌なことに
現代社会は、身体への重要度が減り、効率性が求められる社会です。幼少期の頃にトラウマを負った子どもは、体がガチガチに凍りつくため、手際良く何かをこなすことができません。そのため、自分の身体性を無くして、物事を効率的に処理できるように
偽りの自己が日常生活を過ごすようになり、本当の自分は、現実世界が億劫で、怖がりで、人が苦手です。
身体の部分は藁で作った人形が
身体から離れた眼差しの視点の自分は、身体に命令して、動かしにくい身体を動かします。
眼差しの視点の自分は、身体から離れているために、足元がフワフワしています。
眼差しの視点の自分は、楽しいことがあったりすると、背後から自分の身体に戻ってきます。そして、自分の好きな時間は、自分の身体を動かし、自分の身体になります。
頭だけあって、胴体がないような
相手に合わせて、同調すると安心
とても辛く、とても苦しい毎日の繰り返しだったので、不快な感覚、感情で生み出す体を切り離して、頭の中で生活するようになります。そして、いつしか体から離れて、無感情・無感覚になり、時間や空間感覚さえも変容させて、眼差しの視点から、冷静にこの世界を観察するようになります。
自分は、眼差しの視点からこの世界を眺めていますが、生活していくのに、様々な人との関りが必要になります。職場や家庭のなかの立場や役割、関係性によって、いろいろな別の自分が人前に出てきます。人前に自分の分身が出てこなかったら、生活がうまく回らなくなります。また、仕事に行かないといけないのに、別の自分が出てこないと仕事に行けなくなくなり、いろんな人との関りが出来なくなります。社会的役割や関係性によって、体を支配する人格が違っています。
自分の体の中に2つ、3つの自分がいて、欲深くて、自分に注意が向いてほしくて人間関係を上手にやれる自分や性的な奔放な自分がいます。もう一方は、人に注目されることが嫌で、本当の自分は閉じこもっています。
体の中心には、泣いている私は、無反応・無感情な私がいます。
人が嫌いで、大事に扱われることを望んでいる自分がいます。
身体的自己は、人から触れるのを拒否し、気持ち悪く思っています。
外側で生きている自己は、相手で合わせて、粗末に扱われる自分と、
偽りの自分は、あたかも正常かのように過ごして、人間関係を求めていきます。一方、本当の自分は、地獄の世界で生きており、心の中はぽっかり大きな穴があります。日常生活をこなすなかで、偽りの自分が崩壊すると、自分を自分でコントロールできなくなって、暴走します。お酒や薬物、ギャンブル、買い物、人間関係でことごとくトラブルを起こすようになります。
混乱したとき、本当の自分は、心の奥の檻に入れられてしまって、意志が通じなくなります。
そして、自分の代わりが体を支配します。