解離性障害(健忘・離人感・現実感喪失)の特徴
解離性障害は、

 

解離性障害は、通常まとまっているはずの自分が自分であるという感覚がバラバラになっているような状態を指します。解離性障害の人は、さまざまな症状がありますが、これらの症状は、日常生活の耐えがたい心の痛みや不安から自分を切り離そうとする一種の防衛反応であると考えられています。しかし、この防衛が過剰になると、脳が自動的にストレスを避けたり、ストレスに対して脳が活性化しづらくなります。そのため、勉強しようとしても頭が働かなくなるとか、本を読んでも感情や記憶として残らないので、日常生活に支障が出てくるため障害となります。

 

解離性障害の特徴は、

 

①ネガティブな情報を選択しがち

②感覚や思考、感情の動きが鈍くなる

③同時に裏では複雑な感情を抱えがち

④自分の意志が自分に届かない状態であったり

⑤自分が誰なのかという感覚の土台が崩れていたり

⑥意識がボーッとして視界がぼやけたり

⑦悪夢にうなされたり

⑧不眠に悩まされたり

⑨身体への不安から過呼吸が起きたり

⑩身体がこわばって凍りついたり

⑪時間感覚の喪失等の記憶に障害が起きたり

⑫集団で生活することが苦手で

⑬人の視線や声が怖く感じてしまう

 

一般的に、否定的な状況認識や自己・他者イメージを持っており、現実検討能力が低下しています。人から傷つけられる恐怖があるため、周囲の人や気配に対して過敏で過剰に働いています。また、危険な状況に遭遇した時の対処能力が高く、過剰な情報処理努力をされています。過去のトラウマの感覚や感情が身体に残されているので、自分の身体の中の気配を感じています。

 

外界の他者からの精神的干渉(言葉の暴力など)により、精神状態が不安定になると、注意を向ける外界の対象の範囲を狭め、視野を狭くして、自己意識や体内の気配についての意識が過剰に高まります。そして、「どうして私だけが?」などと解けない疑問をぐるぐると考えることで、内部世界への集中力が高まり、それと同時に、現実世界に膜がかかる現実感喪失や、自分が自分の身体から抜け出た状態になる離人症が起こります。さらに、外界や内部世界の情報が遮断されると、身体に力が入らず頭がぼーっとする低覚醒状態に入り、解離性健忘、人格交代、幻覚などの典型的な解離症状がみられるようになります

 

存在者としての私/眼差しとしての私
存在者としての私とは

 

解離性障害の人は、空間と時間を変容させ、現実の世界と夢の世界、現実の世界と過去の世界、また、その中間の世界を渡り歩くことができます。現実世界では「存在者としての私」 として生活しています。柴山雅俊先生の概念である「存在者としての私」とは、「この世界の中に身体をもって、空間・時間的な制約のもとに存在している私である。いわばこの世の中に縛りつけられたような身体を持ち、逃避することができない当事者としての私である。」と述べています。

 

眼差しとしての私とは

 

解離性障害の人は、現実の世界と夢の世界の境目がわからなくなり、全ての物事を感じている「存在者としての私」ではなくて、外から眺めている「眼差しとしての私」に変わることがあります。柴山雅俊先生の概念である「眼差しとしての私」とは、「この世界・身体から離れたところに位置し、そこから自己と世界を眺めている私である。ただ漠然と『離れている』ということもあれば、身体から離れて自らの背後や上方に浮遊していると訴えることもある。それが顕著になると空間的あるいは時間的にも異なった場所から私とこの世界を見ていると体験する。自分や世界を他人事のように冷静に見ていることが多い。」と述べています。

 

解離性障害の人は、本来は一つだったものが、見る自分と見られる自分の二つに割れてしまっています。通常の健康な人は、このような二つに分かれた私が意識されたことはありません。ただし、健康な人でも、例えば、身体が拘束されることで、「存在者としての私」を切り離し、「眼差しとしての私」の視点に偏って体験することがあります。

 

参考文献

柴山雅俊:『解離への眼差し』臨床心理学 第12巻第4号 2012年