こころのえ指南所

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発達早期にトラウマがある人は、恐怖により身体が麻痺しているため、私は人間であるという体験が欠如している場合があります。このような人は、心と身体が離れ離れになっていて、身体の中は空洞で、無感覚で、凍りついているかもしれません。私は人間であるという体験を感じるには、心と身体が一体化している必要があります。身体があるからこそは、私たちは人間であることができます。例えば、心が傷ついているといのも、身体の胸の潰れるような思いからきています。トラウマを負って、あたかも正常に生きているかのように見える人たちは、身体を取り戻すことです。身体こそが、私は人間であるという体験に繋がる。トラウマによって不連続で断片化した自己から、形を取り戻していきます。身体の中に精神が再び宿るように

長い間、分離されていた身体と精神が再び結び付けられて、身体を持つようになります。生き生きとした感覚が戻り、身体の緊張が緩み、

 

天界や冥界への旅 霊的存在に出会い、助言をもらう

 

薄暗い地下への旅と気分の高揚する天への旅

 

ある一つの領域に注意が集中され、周囲に向ける意識が弱くなる

 

 

 

罪もなく、迫害されて、それでも諦めず、居場所を見つけるために、必死にもがいて生きて、苦しんで、でも、自分の居場所にたどり着けない。それでも諦めない。

 

トラウマは見て見ぬふりをされる。社会システムのなかでは、偽りに自己で入っていくので、本当の自己で

 

トラウマを見るということは、今まで見えなかったことが見えるようになるということです。この見えるようになったことを受け入れるのか、あるいは排除するのか。トラウマを見ないことにして生活全般、そして、社会が回っている。目の前の不条理にたいして、まともな日常を夢見て、いくら頑張っても、何もできない、何も変わらない悲しみや怒りで苦しみます。そして、深い闇に落ちて、

 また、自分のことをしっかり考え、苦しみを乗り越えたさきに明るい明日が開けてきます。精神分析には、真実ではなく、美を求めて、この姿でない姿を求めるという一面があります。鏡の映る自分の姿は、ほど遠いほどの深い闇が隠れているかもしれませんが、その深い闇に落ちることで、その深さが分かり、救いがあるかもしれません。先の見えない世界の中で 不安に

 

家庭、学校社会で傷つけられてきた人は、被害者でありますが、まともな人間であれば、自分を被害者面することはできません。まともなふり、健康なふりをして生きていかなければなりません。しかし、何かのふりをして生きていても中身は空虚なので、それを世間の人は無意識のうち見通してしまいます。社会の中では、中身が空虚な人より、健康的で明るい人を好みます。トラウマを負ってきた人は、自分の胸のうちを隠して生きていきますが、社会システムの大きな壁にぶち当たりことが多いです。

 

トラウマによって犠牲になった

半身・片割れを踏み台にしてこの世に生まれた罪を背負う

 トラウマによって本来の一体性を失い、幼い意識が互いに分化し、異質なものになっていく 

片割れを取り戻すことが

混乱こそが子どもが育つ 自力でたちあがるしかない。

絶望した人間は、それでもこの世界で生き残るため、ある種の躁的防衛が起こり、一時的にいろんなアイデアが思い浮かぶ、それを実行に移すことができれば、社会のなかで成功を収めることができる可能性がある。絶望した状況に立たされて、憤慨させられることが、生きる糧となる。絶望し、極地に立たされるからこそ、社会が良くなると依存して 自分が自分のなかに内なる光を灯すしかなかった 逆境は大チャンス

 

私たちの健康に害を与えるものは実際に起こったそのものと、それに対する私たちのこころや身体の反応が原因になります。

 

トラウマを負っている人は、困難な状況から逃げ出したいので、そんなことは起こっていないかのようなふりをして過ごしています。

 

型が美しいものほど価値が高くなり、権力になりうる。そして、美しいものにみんなが群れる。どんなに美しいものであれ、そこには現実の生活がある。

 

愛されているとかロマンティックな時とかは、複雑な気持ちになり、爆発しそうになるのかもしれないね。何も感じないようにして、自分の感情や欲求や思いも全てを飲み込むしかなかったのかもしれない。それが習慣化されて、愛されてるってかんじがわからない。

 

 

▶言葉とは

 

人は言葉を遣えるのに、一生のうちに、あなたはどれだけたくさんの愛や感謝の言葉を使っているでしょうか。言葉は心も体も傷つける暴力になりえますが、伝え方、使い方によって、愛情を育んだり、人間がより人間らしくする道具になります。

 

▶感情とは

 

人には嬉しいとか楽しいとか様々な感情があり、とても大切なものです。しかし、時に感情を無くした方が楽なこともあります。 

 

自分のイメージを保つために、自分のみたいようにしか見ない。現実を歪めて捉えていく。一方で、自分をイメージを変えていこうする意欲のある人は、様々な見方をしようと努力して、現実の正しく見るために、学術に興味を持つ。