もともとの私とトラウマを負ったあとの私
学校や家族という名の強制収容所

 

虐待やいじめの被害者は、一般的に自分が悪いと自分を責めがちです。周りの子は、友達がいて、親から愛されているのに対して、自分は、友達がいなくて、親からも愛されていないので、そんな自分のことが大嫌いです。また、いじめ被害者であれば、恥をかかされても自分が戦う意志を見せなかったことでひどい自己批判に陥ることがあります。虐待やいじめの長年に渡る犠牲者は、家族や学校という名の強制収容所に拘束されていて、生活全般の耐えがたい痛みから、自分を切り離すため、何も考えないように、何も感じないようにして自分を守ります。そして、離人症のようになり、恐怖や不安を麻痺させ、あたかも観察者の立場にたって物事を冷静に眺めたり、空想や夢の中だけが自分で自分を慰めることができる唯一の場所となることもあります。その一方で、苦痛な出来事をまるで無かったかのように忘れることで、日常生活を営みやすくしますが、それには代償を伴います。例えば、環境が改善した後に、自分の状態を変えようと思っても、何も考えられない、何も感じられないままなので、この状態を本人は非常に苦痛に思います。

 

虐待やいじめの被害者は、生まれてきたことの暴力、変えようのない親を持つことの暴力、学校に行くことの暴力により、まともな生活が送れません。そして、生活全般の困難が大きくなると、人生の出来事を意味あるものとして積み上げることができなくなります。出生直後から連続体を形成していた「自分が自分である」という身体感覚や時間感覚、感情、思考が薄れていきます。長年にわたるトラウマの犠牲者の中には、記憶なく、魂なく、抜け殻のように生きている人や、生きながら死んでいるような苦しい感覚が付きまとう人がいます。こうした人々は、解離や離人症状が過剰になっているので、自分が自分でいられる力が弱まり、生き生きとした世界が枯渇して動けなくなり、歩く屍のようになっています。

 

鏡を見ても自分だと認識できないこと

 

もともとの「私」と、生命が脅かされるような出来事を体験したあとの「私」とでは、生物学的な脳や身体の仕組みが改変され、今ままでとは違う神経系でこの世界と関わり、過去に汚染されています。また、人格構造の断層に裂け目が生じて、今ここで使える心的エネルギーの量も低下していますが、それでもなんとか日常生活に適応しようと努力します。オノ・ヴァンデアハートの構造的解離理論では、こうしたトラウマを負った人のことを「ANP(あたかも正常にみえる人格部分)」と呼んでおり、正常な生活を続けようと努力することに固着しており、日常生活のための活動システム(たとえば、探索、世話、愛着、など)に導かれていると述べています。

 

長年にわたるトラウマの犠牲者は、もともとの「私」の身体から切り離され、身体機能や感情が麻痺していくため、鏡に映る自分の姿がどうしても自分だと認識できないことが起こります。最も分かりやすい例としては、攻撃的な異性人格たちであり、最初、自分の顔と身体が反対の性別になっていることに驚愕します。この自己認識(身体イメージ)の障害は、トラウマの犠牲者に多く、解離性障害や摂食障害、身体醜形障害の人たちに見られます。