子どもの頃に早い段階で痛ましい外傷体験に曝されたり、親から虐待を受けたりした場合、特に母親からの温もりを十分に感じられなかった子どもは、自分の幼少期の記憶がほとんど曖昧であることが少なくありません。そうした子どもたちは、自分の居場所を感じられず、孤独な時間を過ごす中で、過酷な人生を強いられることが多いです。その過程で、嫌な記憶や感情を切り離し、自分の身体感覚が徐々に麻痺していくことがあります。
この「身体感覚の麻痺」とは、皮膚、筋肉、内臓、腱、関節などの感覚が鈍くなり、自分の身体の感覚を感じられなくなる状態を指します。このような感覚を持つ人は、心が空っぽになり、内面に向き合うことが難しくなります。たとえ自分から内面に向き合おうとしても、思考がまとまらなかったり、イメージが浮かばなかったり、感情を感じ取れなかったりすることがよくあります。その結果として、激しい眠気や不快感、寒気に襲われることもあります。
1.身体と心のつながりの喪失
人間の心は、身体の生理的な状態を土台にして成り立っています。そのため、身体感覚が麻痺している人は、心の存在を感じられなくなります。身体感覚が空っぽになっている状態では、自分自身の軸を失い、思考が同じパターンを繰り返したり、他者の基準に依存して生活するようになります。外部からの視覚や聴覚情報を集めて頭で考えることはできても、物事を批判的に捉えたり、自分自身を深く見つめ直したりすることが難しく、思考が表面的なレベルにとどまってしまうのです。
こうした状態に陥っている人は、感情を感じないように無意識に抑え込んでしまうため、無表情で無感情な姿勢を取ることが多くなります。その結果、生きている実感が薄れ、人生がただの時間潰しのように感じられることがあります。これは、心と体のつながりが失われたことで、自己の存在や価値を感じられなくなってしまうからです。このような状況では、深い内省や本質的な感情へのアクセスが困難となり、日々の生活が空虚なものに感じられることが少なくありません。
2.身体に刻まれたトラウマの影響
体性感覚が失われている人は、幼少期から恐ろしい体験を繰り返し、身体がガチガチに固まり、凍りついたような状態でトラウマを抱えて生きてきました。長年にわたって、親や兄弟から虐げられてきたことで、胸が圧迫されるような痛みや喉の違和感、首や肩の緊張、心臓の激しい鼓動、激しい怒り、ムズムズする不快感、ピリピリとした痛み、そして身を切るような痛みに耐えてきたのです。これらの恐ろしい感覚や感情に対処するために、身体を麻痺させるしかありませんでした。
しかし、これ以上ダメージを受けることに耐えられないと感じたとき、自分の感情や感覚が表に出ないよう、心を空っぽにしてしまうか、思考で頭の中を埋め尽くすようになります。こうして、心と体のつながりが断たれ、自分自身を守るために感情を感じないようにし、結果として内面の豊かさを失ってしまうのです。これは、生きるための防衛反応であり、外界の刺激に対する反応を鈍らせることで、自分を守る手段として働いているのです。しかし、その代償として、感情や感覚へのアクセスが閉ざされ、心が空虚に感じられるようになります。
3.自律神経と心身の崩壊
身体と心を切り離して、頭の中だけで生活していると、身体は凍りついたようにガチガチになり、時には「死んだふり」の状態に陥ります。その結果、自律神経のバランスが崩れ、体調が悪化し、戦うためのエネルギーが枯渇してしまいます。危機的な状況にありながらも、周囲の空気を気にして自分が目立たないように息を潜め、じっと耐え続けるのです。
自分を守るために、石のように固まって受動的な防衛スタイルを取っても、さらなる攻撃が続けば、最終的にはその防衛の殻が壊れてしまいます。その時、身体は虚脱状態に陥り、息が吸えなくなって酸欠状態に陥ったり、血の気が引いて倒れたりと、心臓が落ちるような死の恐怖を体験します。
こうした虚脱するようなトラウマが繰り返されると、人は虚血性ショックに陥り、本当に命を失う危険があります。そこで生き残るために、一瞬で離人症や解離、機能停止といった方法で対応しようとします。日常生活でも、このような辛い状況が続くと、身体を凍りつかせて危険を感じた時には離人や解離を使って切り抜けるようになり、本来感じるべき感覚や感情を封じ込めてしまいます。
その結果、体内の感覚を感じることがなくなり、心と身体が完全に分離してしまいます。こうして、ただ動くだけの身体になり、生きている実感や感情が失われてしまうのです。この状態は、深刻な心身の分離を引き起こし、日々の生活に深刻な影響を及ぼします。
トラウマケア専門こころのえ相談室
論考 井上陽平