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心の中の天使と悪魔の戦い


被虐待児のなかには、別人のようになる天使と悪魔を持っている人がいます。例えば、解離した人格部分を心の中に複数を持っており、「心の中には、天使と悪魔がいて、今まさに戦っている。」と表現する人がいます。また、「私の中には、怒っている私と悲しんでいる私がいる。」と表現する人や、「身体の左右に恐怖で怯えている部分と憎しみの部分を感じる。」と表現する人がいます。天使と悪魔といった二面性を持つ内的な人物像は、ユングが元型論でトリックスター元型として取り上げられたものに近いと思われます。また、天使の部分は、フェレンツィの述べた知性や優しさそのものである守護天使のようであり、悪魔の部分は、フロイトが強調した過酷な超自我、クラインの悪い乳房、フェアバーンの内的破壊活動家のようなイメージに近いと思われます。天使や悪魔的な内的人物像は、過酷な状況下にいて、基本人格(主人格)がピンチの時に、聞こえてくる声であり、あるいは基本人格の代わりに頑張って表面に出てきて、その場の生活に対処するために人格化したものです。

老いゆく賢い子どもと身代わり天使になる子ども


この内的人物像は、子どもが更なる虐待(理不尽な躾や罰による拘束状態)により、長期に渡り、強制的に自由を奪われる環境に置かれて、逃げられる場所がないと、解離を引き起こします。過酷な環境で、精神や肉体が耐えれなくなると、ある種の変性意識状態を通じて老いゆく賢い子どもや身代わり天使になる子どもに人格化します。そして、その場面にふさわしい人物が出てきて役割をこなします。老いゆく賢い子どもは、本人の困り事に対して、教え導き支えとなる存在です。どっしりと腰を据え、世話する大人に対して先見的な助言をするなど、子どもながら賢く、成熟しています。ただし、苦労してきているのか、聡明さの代わりに表情は疲れ切っており、老化しています。役割としては、解離性の交代人格システムの切り替えの連なりをコントロールしているという説もあります。その老いゆく賢い子どもとペアを成すのが、身代わり天使になる子どもです。天使のようなニコニコした表情をし、世話をする大人に対して、何かを懇願する目、まばたき一つしない真正直な目をしていて、従順な良い子、優等生でいます。この天使のような人物像は、日常を過ごしている私が出来ないような過剰奉仕が出来るので、愛想で困難を乗り切ろうとし、ペナルティやお仕置きを自らが引き受けます。そして、虐待者の攻撃や精神的ストレスが逃れられない場面でも、戦うことはせず、言いなりになって、一時的に収まるまでやり過ごします。

トリックスターな子どもと悪魔的な子ども


しかし、自分自身を守護する天使でさえもこの苦難を乗り越えられず、見捨てられたりした場合は、落ち着きがなくなり、居ても立っても居られなくなり、善でも悪でもない無秩序な状態に置かれて、予測不能な動きを見せます。先ほどまでの優しい顔から、おどけた顔に一変し、先見的な助言も虚言であると言い張り、トリックスター(ペテン師)な子どもに変わります。半ば面白半分、半ば悪意のある狡猾な悪戯をし、周りを引っかき回すのは、相手に注意を向けてもらうことを目的としています。そして、相手を誘い出したら、自分の言い分を通そうと取り引きを始めます。しかし、その取り引きに世話をする大人が応じないと、ストレスホルモンの高まりとともに、悪魔的な子どもが姿を現します。この子どもは、支配的かつ反抗的で、嘲笑うかのように破壊的な振る舞いを行い、大人に掴みかかるか、物に当たり散らします。しかし、子どもは大人の力に敵わないので、さらなる拒絶や処罰を呼び込みます。こうした悪循環を繰り返すことで、もともとの基本人格の力は弱まり、天使と悪魔の部分が成長していきます。また、基本人格は、天使と悪魔といった自己部分の存在を感じながら生活しており、大人になると、人を傷つけてきたことを後悔し、自責の念に駆られます。なお、トリックスター的な子どもの部分は、破壊的にもなりますが、世話をする大人に思いやりがあると天使にも変わると言われています。

第ニの心的グループのまとめ


トラウマがある子どもは、強制的に自由を奪われる環境に置かれて、逃げる場所が無くなると、その状況に耐えられなくなり、身体の中に固まり閉じ込められるような機能停止や破綻を迎えます。第二のグループに属する人格たちは、この状況に対処するために交代します。ストレス値が低いときは、大人に対して従順で良い子のふりをする「身代わり天使」が代わりを担います。この部分は、周囲に敏感に反応して、その場の空気を読んで対応することで危機から逃れようとします。中間の状態では、あらゆる障害を身体ひとつで曲芸飛行で乗り切ろうとする「トリックスター」が代わりを担います。この部分は、大人の注目を集めようとして、おどけてみせて笑わしたり、悪戯や意地悪して驚かしたり、挑戦的な態度を取ることもあります。最終的に、状況を変えることが出来ず、ストレス値が高まると「悪魔的な人物像」が姿を現します。この部分は、生理的機能の限界に達していて、感情を爆発させることで危機から逃れようとします。これら第二グループを管理している人格が知的な「老賢者のような人物像」であり、この人物は、最初に現れること多く、世話をする大人に対して、自分たちの子どもを救うためのヒントや助言を出すことがあります。

 

トラウマケア専門こころのえ相談室

論考 井上陽平

 

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