破壊的自己の精神力動

▶破壊的自己の精神力動

 

破壊的自己とは、一つのまとまりとしての自己があったとして、その内側に対極にある二つの力動が働いていて、そのうちの一つは、より自分自身を高い次元へと成長していく欲望、そして他方は、その成長を妨げようとしていく力があります。破壊的自己とはつまり二つの側面が攻撃しあったり、影響しあったりすることによって形成されます。そのような力動をここでは取り上げていきます。

 

▶対極し合う二つの力がどのように形成されるか

 

それが形成されるのに、最も影響を及ぼすのは、幼少期の経験と言えます。その頃に、過酷な環境いることは、子供にとってあまりにも辛くて、生きようとすることを諦めるか、本当の自己が破壊されます。過酷な環境に長く留まり、激しい情動の経験を続けていくうちに、人は動けなくなり、バラバラになってしまって、人格構造は荒廃していきます。

 

トラウマが契機となって、内側に破壊的自己を宿すことになった場合、その内なる世界では、否定的な感情とか、考え、思いなどの自分の憂鬱な沈んだ部分が、トラウマの経験とともに足を引っ張っていきます。実際の生活の中で光輝いて成長していきたいという前向きな気持ちを、暗闇の影の部分が引きずりおろします。トラウマとなっている過去の嫌な思い出が自分自身の中の記憶として残っているのではなくて、その経験を覚えておくことが辛すぎるために、心がその記憶を切り離して、別の自己がその記憶を保持するようになります。そのような嫌な感情を切り離していくと、もともとの自分から遠いものになって、自分自身も自分から消えていくようになります。来る日来る日もそのように自分自身がないような感覚が続くと、何も感じなくなって、自分が消えてしまいます。何か物事を経験したときに、自分がないから、自分のために成長できなくなります。

 

とても辛い毎日のなかで、自分という存在が消え去っても、身体のほうは、現実世界の要求に応えていきます。過酷な環境のなかで、脅威から自分を守ろうとして、そのような状況に反発する力が育って、悪魔的な面が育ちます。それに加えて、そのような状況に置いても、柔軟に適応して合わせるという肯定的な面も育つことになり、両側面が育まれるようになります。

 

▶トラウマの内なる世界の精神力動

 

現実世界では、美しい対象を求めて、人を助けたり、社会の役に立ち、光輝きたいという思いと、理想には辿り着けず、自分は無理なんだ塞ぎ込んで閉じこもる側面があります。このように一方では、理想を追い求めて頑張っていく自分がいて、もう一方では、そこには辿り着けないと諦めて、絶望する自分という相対する自己が二極に分裂して、自分の中に存在するようになります。そのような状況が精神病理に繋がります。

 

理想を追い求める自己は、身体に刻み込まれた痛みや記憶を極力排除しようと試み、美しくなりたい、太陽のように輝いて魅力的になりたいという思いで満ちています。そのような光を追い求めているのとは裏腹に、そこには同時に、影も存在して、理想には辿り着けない絶望が渦巻いています。

 

そのような絶望の期間が長く続くと、次第にその自分の理想化された部分が、治癒されずに放置されており、成長できずにいる身体的な部分に対して、責めたり、攻撃をしたりするようになります。より良い「生」を目指していく側面と、それを引きずり落とす「死」「トラウマ」がせめぎ合います。例えば、前者(理想を求めて成長していく部分)が後者(身体に刻まれたトラウマゆえに成長できない部分)に対して、うまくいかない鬱憤を晴らす場合、「お前さえ居なければ、私は光輝けていたのに、私はお前が大嫌いだ。」と攻撃します。前者は後者を抹殺しようとして、何度も殺そうと傷つけます。しかし、身体は簡単には死ぬことはなくて、「痛い、疲れた、しんどい、やめてほしい、死んでいたい」と悲鳴を上げます。そして、前者は後者に対して、いつも「死にたい」というにも関わらず、なかなか死なないことに対して非難します。また、前者は、「お前がいるからみんなは迷惑しているんだ、さっさと死んでくれ」と責め立てます。後者は、「いつ死んだっていいけども、僕が死んだら、皆が困るよ」と、人が生きていく上で、身体がないと生きていけないことを強調しています。前者は、「何を言ってるんだ。お前がいるから困っている。」と言います。後者は、「それは本当かな、僕がいなければ、君はきらきらになれるだろう。でもそれは、すぐに消えてしまう。光は光だけでは存在できない。闇があるからこそ存在意義があるんじゃないだろうか。闇が深ければ深いほど光はきらきらと輝くんじゃないか。だから僕は君のために真っ黒な闇でいるんだ。どうだい私がいなければ君は困るだろう?」と言います。

 

両者のやりとりから言えることは、トラウマを負っている人が、より良い「生」を生きようとするなかで、身体の中に閉じ込められたトラウマの部分が、足を引っ張るために、前者が後者を消してしまおうと試みていることが分かります。しかし、後者は、人間が生きていくためには、身体の抱えている痛みや闇の部分でさえも、自己を成り立たせている要素として、取り込んでいかなければ、生きていけないということを強調します。すなわち、心と身体、光と闇は、表裏一体の関係にあって、どちらか一方を切り離しては、存続が不可能ということが分かります。

 

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