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プロフィール


 

  

      井上 陽平 

 

  自己紹介

  生年月日:1979年10月11日

  出身地:兵庫県芦屋市

自己紹介


大学院にて臨床心理学コースを修了後、児童養護施設でのボランティア活動を通じて、子どもたちの心のケアに携わりました。また、情緒障害児短期治療施設では、子どもたちの日常生活を支援しながら、彼らの悩みや問題に対する相談業務を担当しました。

 

その後、精神科クリニックにて精神分析の研修を積み、深い心理的理解を深める経験を重ねました。現在は、トラウマケアに特化した『こころのえ相談室』を個人開業し、心の痛みと向き合う方々のサポートを行っています。

 

公認心理師としての資格を有し、日本心理臨床学会および日本精神分析学会の会員として活動しています。

心理臨床家を目指したきっかけ


メディア社会の華やかな表舞台の裏には、しばしば目を背けたくなるような暗い現実が潜んでいます。特にエンターテインメント業界では、ジャニーズ事務所に代表されるような巨大な組織の力が、少年たちに対する性的搾取やセクハラ、パワハラ、さらには法外な暴力にまで及ぶケースが報告されています。こうした暴力的な構造は、表面上の輝かしさとは裏腹に、変えがたい現実として存在し続けており、私はその問題に長らく関心を抱いてきました。トラウマを負った当事者たちから直接体験を聞く機会があったとき、その言葉の重みと現実の厳しさに、深い衝撃を受けました。

 

アイドル業界は、その特有の輝きと熱狂的なファン文化により、さらに複雑な問題を内包しています。アイドルと交際する恋人たちは、多くのファンから嫉妬や羨望の対象となり、それが脅迫や暴力、待ち伏せ、嫌がらせといった形で現れることがあります。時には、レイプのような深刻な危険に晒されることさえあります。ある時期、私はそのような状況に直面していた女性と恋に落ち、彼女を守りたいという強い思いを抱くようになりました。彼女は過去の経験から、世界全体が敵であるかのように感じるほどの深刻なトラウマを抱えており、その関係を維持するためには、彼女の親友の助けが必要不可欠でした。

 

この親友もまた、過去に性的虐待の被害を受けた経験があり、彼女を守ることに対して強い使命感を持っていました。親友は、私と彼女の関係にも強い影響を与え、彼女と私の間に介入する形で異常なまでの執念を見せていました。その結果、私は彼女の親友に精神的にも肉体的にも影響を受け、支配されるような感覚に苛まれることもありましたが、同時にそれが一種の絆のように感じられたことも事実です。彼女たちとの日々は、混乱と不安の中にエキサイティングさをもたらしていたのです。

 

この一連の経験を通して、私は彼女たちが抱えるトラウマの深淵に引き込まれ、次第に現実と非現実の狭間を彷徨うような感覚を覚えました。彼女たちの言動や反応は、しばしば常識から外れた異常なものでしたが、同時にその親友は、トラウマの世界と現実世界を繋ぐ不可欠な存在として、私に強い影響を与えました。彼女たちとの関わりは、私にとって人生の中でも極めて重要な出来事であり、その体験を通して、人間の深い闇と対峙することになりました。

 

 

トラウマによる心の麻痺や過剰な警戒心が引き起こす多様な反応を、私は様々な場面で目の当たりにしてきました。それらの瞬間は、感情や行動に刻み込まれたトラウマの痕跡が、どれほど深く人を支配するのかを痛感させるものでした。

 

一つ目の経験は、彼女が自分を見失いそうになる狂気の中にいる時のことです。彼女は、心の奥で何かに突き動かされるように、じっとしていることができませんでした。常に何かをしていなければ落ち着かず、ほとんど寝ることもなく、休息を拒否しているかのような状態でした。彼女と一緒に過ごした長い時間の中で、その異常なまでの警戒心や落ち着きのなさを目の当たりにし、彼女が書いた交換日記の一言が特に印象に残っています。

 

「自分が自分で無くなりそうで怖い…だから自分を守る」

 

この一言には、彼女の心の中で繰り広げられる激しい葛藤が表れていました。自分自身を守るために、心を麻痺させ、常に行動し続けることで、自分の存在を保とうとしているかのように感じられたのです。その言葉と行動の結びつきを理解しようと、私は精神医学や解離、トラウマに関する専門書や当事者の手記を読み漁りました。何万ページにも及ぶ文献を通して、トラウマがどのように人の心を変容させるのかを深く理解するに至り、その知識を基に現在は自分のホームページで持論を展開しています。

 

二つ目の経験は、外傷体験をした後、彼女に会いに行った時のことです。その時の彼女はまるで別人でした。表情、言葉、歩き方の全てが、まるで子どもに戻ってしまったかのようでした。彼女は目を大きく見開き、まばたき一つしないまん丸な瞳で私を見つめていました。その無防備で幼い姿に、彼女の中に存在する傷ついた内面を垣間見たように感じました。

 

その時の彼女の声や姿は、今でも心に深く焼き付いています。彼女がフラッシュバックを起こしたときのことなど忘れることができません。次に彼女に会った時には、いつものキツネ顔の大人の女性に戻っていましたが、私はふと、あのまん丸な目をした少女は今どこにいるのだろう?今、何を感じ、何を思っているのだろう?と考えることがあります。

 

彼女の心の中にあるトラウマの深さは、時折そのように表面化し、彼女自身の存在や行動に強い影響を及ぼしていました。トラウマは、時間が経っても容易に癒えるものではなく、その痛みと恐怖が何度も彼女を襲うことを、これらの経験を通じて実感しました。

 

 

トラウマを抱えた人々の中には、深い悲しみや絶望を抱えながらも、無意識のうちに自分自身や周囲との関係を壊してしまうことがあります。その傷ついた心を守ろうとするあまり、彼らは自己破壊的な行動に走り、時にはその行動の記憶さえ失うこともあります。被害者でありながら加害者にもなってしまい、他人を傷つけたり、裏切ったりする姿を目にして、私もその現実に強い衝撃を受けました。

 

私自身も、そのような負の連鎖に巻き込まれた経験があります。特に忘れられないのは、当時付き合っていた恋人に何度もお金を盗まれたことです。確実にお金が無くなっているのに、彼女はその記憶が全くないと言います。気づけばお金だけが消えているという状況が繰り返され、信頼していた相手に裏切られたことで、どうやって信じ続ければいいのかもわからなくなりました。それについて話すことが難しく、私はただ途方に暮れるしかありませんでした。

 

このような不可解な行動は、彼女が付き合ってきた男性たちとの間でも繰り返されており、彼女が被害者となり裁判を起こしていました。彼女の中に根深く残るトラウマが、記憶が曖昧なままに彼女を被害者役と加害者役の役割へと駆り立て、結果として大切な人間関係を壊しているように思いました。彼女と関わった人は、予測不能な彼女の行動に振り回され、どうしようもない無力感と深い失望感に打ちのめされていったでしょう。

 

トラウマの影響は、時にその人の行動や判断力に大きな歪みをもたらし、深い人間関係にすら暗い影を落とします。その影響がいかに強力で、どれほど根深いものであるかを、私自身の経験を通して痛感しました。

 

一般的に、トラウマの犠牲者は孤立し、見捨てられたと感じたとき、あるいは強烈な恐怖に直面したときに、過去の痛ましい体験や感覚、感情が再び蘇ります。その瞬間、交感神経系が活性化され、心と体が強いストレス反応に支配されてしまい、自分ではコントロールできない状態に陥ることがあります。このような状況では、冷静な判断が難しくなり、不適応な行動に走ってしまうことがしばしばあります。その結果、トラウマを抱えた人は再び被害者となるだけでなく、時には加害者としての行動に転じてしまうことさえあるのです。

 

特に、重いトラウマを抱えた人ほど、「真面目で良い子」としての自分と、内に秘めた怒りや憎しみといった感情の間で激しい葛藤を抱えることがあります。この内面の葛藤が激化すると、やがて心が分裂し、自分の「悪い側面」が表面化し始めます。最初は小さな反抗や自己破壊的な行動として現れるかもしれませんが、それがエスカレートすると、加害者として他者を傷つける行動に発展してしまうことがあります。そして最悪の場合、その行動が司法に抵触し、社会的にも法的にも裁かれる結果を招くこともあります。

 

こうした現実を目の当たりにし、私は強い危機感と使命感を覚えました。トラウマによる負の連鎖を断ち切り、人々が再び自分や他者を傷つけないようにするためには、専門的な知識と支援が必要だと痛感したのです。その思いが、私が専門家としての道を志す決定的な理由となりました。トラウマを抱える人々が、孤立することなく、安全な環境で癒され、再び自己を取り戻す手助けができるように、私はこの道を選びました。

 

また、解離性同一性障害において、「闘争」の人格として存在する側面が、瞬間ごとに生を賭けて生き抜こうとする様子は、私自身の人生とも深く重なる部分があります。その人格は、まさに「生きるか死ぬか」という極限の世界で、自己の半身を必死に守ろうとする姿勢を貫いています。そうした生き方は、私が長年接してきたトラウマを抱えた人々の姿と重なり、強い親近感を抱かせます。

 

私も、かつて「自分が自分でなくなる」という狂気に襲われた彼女と深く関わっていた時期がありました。彼女を失いたくないという強い気持ちに支えられながらも、無力感と疲労感が重なり、心身ともに限界に近づいていました。仕事では週5日の忙しい日々をこなしつつ、プライベートでは彼女のトラウマに寄り添い続け、次第に自分も追い詰められていったのです。疲れ果てた状態で彼女を支えることは、私自身の精神的なバランスを崩す一因となり、やがて自分も限界に達していくのを感じていました。

 

特に、切迫した状況が続いていたある日、数日間ほとんど眠れないまま長時間の車の運転をしていたとき、体力的にも精神的にも完全に疲弊していました。運転中、突然呼吸が浅く速くなり、背筋が丸まり、視界が白んでいく感覚に襲われました。「何かがヤバイ」と直感的に感じ、ハンドルを強く握りながら速度を落とそうとしましたが、視界はどんどん白くぼやけ、意識が遠ざかるような感覚が次第に強まっていきました。焦る気持ちを抑えつつ、何とか車を路肩に停めることができたものの、その瞬間、視界は完全に真っ白に覆われ、思考も凍りついてしまったのです。

 

隣にいた彼女は、私の異変にすぐ気づき、何も言わずにそっと優しく抱きしめてくれました。彼女の温もり、ふんわりと漂う香水の香り、そして首元に触れる彼女の唇の感覚が、遠のきかけていた私を現実に引き戻しました。その瞬間、私の中に抑え込んでいた感情が一気に溢れ出し、気づけば大粒の涙が頬を伝い、鼻水が止まらないほど泣き崩れていました。凍りついていた体は小刻みに震え、白い霧に包まれていた視界がゆっくりと溶けていき、現実の感覚が再び戻ってきたのを感じました。もし、あの瞬間に彼女が何もしていなければ、私は真っ白な空間に飲み込まれ、完全に環境との接触を断たれてしまっていたかもしれません。

 

彼女の抱擁があったおかげで、私はトラウマ化せずに済みました。もしあのまま放置されていたら、現実感を失い、自分が全く異なる世界に引き込まれていたかもしれません。彼女の温かさが私を現実に繋ぎとめてくれたからこそ、私はその場で踏みとどまることができました。

 

 

20代の頃から、私は自分の目と耳を通して、直接的にトラウマと向き合う経験をしてきました。過覚醒状態にある人々の鋭い怒りや、救いようのない悲しみの痕跡を何度も目にしてきました。彼らの心が次第に固まり、閉ざされていく様子は、まるで内なる苦しみが結晶化していくかのようで、その光景は深く私の心に焼きついています。そんな過酷な現実を生き延びてきた人々が、互いに助け合いながら何とか生き続ける姿を見るたびに、私は彼らの持つ生命力と人間の強さに、深い畏怖を覚えました。

 

しかし、長年人間や社会システムの暗い側面ばかりを見続けていると、次第に自分が日常の世界からずれていく感覚に襲われました。まるで、自分が本来属しているはずの現実から遠ざかっていくかのような感覚です。周囲の人々が普通に感じる日常と、私が目にしてきた重く暗い現実との間にギャップが生まれ、自分がそのギャップに取り残されていくような感覚に陥りました。

 

それと同時に、私の中で「分からないこと」が増えていきました。どうして人はこうも傷つき、苦しみ、そしてそれでもなお正常なふりをして日常を生きるのか。その答えを知りたいという欲求が強まり、自分自身にしっくりくる言葉や理解を探し求めるようになったのです。日常とずれていく感覚の中で、私は人間の内面や社会の構造について、より深く考えざるを得なくなりました。それは一方で、私自身の探求心を駆り立て、私を成長させる大きな原動力となりました。

 

 

支援者としての私の旅路は、最初から完璧な準備や十分な配慮を持って始まったわけではありませんでした。トラウマを抱える人々の苦しみの深さを理解しようと模索する中で、私の学びは徐々に深まっていきました。最初は、当事者研究を通じてトラウマの実態に触れましたが、それだけでは十分に理解しきれない現実があることを痛感しました。そのため、ブログや専門書を読み進めるだけでなく、実際に解離性同一性障害や境界性パーソナリティ障害を抱える方々とのフィールドワークにも取り組みました。直接関わることで、その複雑さや、表面的には見えにくい内面の苦しみを実感することができたのです。

 

また、病院の臨床現場や児童養護施設、さらには情緒障害児短期治療施設での仕事やボランティア活動を通じて、子どもたちの日常生活に直に触れる機会を得ました。彼らの生活の場面を間近で見ることで、教科書では得られない実践的な知識や理解を深めていきました。子どもたちが置かれている環境や、そこでの困難にどう対処しているのかを観察することで、支援者としての視点が大きく広がりました。

 

こうした経験を通じて、私は「自分が自分でなくなる」不安を抱える人々や、内なる子どもや保護者人格といった変性意識状態に直面する人々の現実に触れる機会がありました。彼らは、自分の中に存在する複数の人格や役割に引き裂かれるような感覚に悩まされ、時には自分が誰なのかさえわからなくなるほど深い混乱の中に生きています。また、私はしばしば、彼らが抱える「内なる敵」とも言える存在と向き合うことになりました。それは、まるで監獄の牢番のように残酷で攻撃的な存在であり、絶えず苦痛を与え続ける、サディスティックな超自我です。どんなに夢を追い求めても、病気を克服しようとしても、幸福や喜びを手に入れようとしても、この「内なる敵」が絶えず足を引っ張り、自己破壊や悲惨へと引き戻そうとするのです。

 

この「内なる敵」は、人間の心の奥底に潜む、教育不能で危険な存在です。ときに復讐や殺意を抱き、その破壊的な力で自分自身を攻撃し続けます。その正体は、子ども時代に苦しみと絶望を抱えた自分自身の一部、世界に拒絶されたと感じて病状の中に閉じ込められた人格の断片であることが多いのです。私はこうした存在に強い興味を持ち、ジャネの解離論やフェアバーンの対象関係論に深く惹かれるようになりました。これらの理論は、人の心がどのように分裂し、防衛的に働くかを理解する助けとなり、トラウマと心の複雑な関係性を探る道を開いてくれました。

 

特に大学院では、カルシェッドの『トラウマの内なる世界』を繰り返し読み、内なる世界に潜む複雑な葛藤や、自己防衛のために心がどのように構造化されるのかをさらに深く理解することができました。

 

現在、私は過酷な人生を一人で戦い続ける人々のために、トラウマケアの心理相談室を立ち上げました。彼らが抱える苦しみに少しでも手を差し伸べ、内なる戦いに苦しむ人々の力になりたいという思いから、この活動を続けています。

 

興味のある研究


トラウマによって心と体が引き裂かれると、人は自分の肉体を所有する感覚を失い、時に極端な情動的な人格が現れることがあります。私は長い間、この瞬間的な存在が何を感じ、何を思っているのかを深く考えてきました。特に、変性意識状態における憑依現象や、悲しみや怒りが悪魔的な存在、子どもや別の人格へと変化するプロセスに興味を持ち、その後の情動と理性、そして第三の力としてのダイナミズムがどのように精神に働きかけるのかを研究しています。

 

さらに、慢性的なトラウマが身体症状や恐怖症を引き起こすことで、解離傾向が強まり、「自分が自分でなくなる」という深い不安を抱くプロセスにも注目しています。こうした状況下では、生きるか死ぬかという極限状態で発動される原始的な防衛システムが働き、自分を守ろうとする心の働きが人生に深く影響を与えます。この防衛機能がその後の人生にどのように影響するのかを探求することが、私の大きなテーマとなっています。

 

「人間とは何か?」という問いを中心に、私は現代社会の諸問題に強い関心を持っています。特に、社会の暗い側面や弱い立場に置かれた人々に寄り添うことを大切にしながら、支援活動に取り組んでいます。ただし、その活動が矛盾や偽善に満ちていないか、自分自身に問い続けることも重要だと感じています。支援者としての役割を果たす一方で、自問自答を繰り返しながら、誠実に取り組む姿勢を常に心がけています。

 

加えて、私は先住民のシャーマニズムや自然崇拝を研究する人々と協力し、これらの在来知を現代の心理療法に融合させる試みにも取り組んでいます。先人たちの知恵や精神的な実践を現代の治療に生かすことで、より深い癒しの形を探求し、新たな心理療法の道を模索しています。このように、多様な視点を取り入れながら、人間の心の回復に向けた新しいアプローチを追求することが、私の活動の中心です。

臨床家としての姿勢


日常生活の中で、私は当事者の言葉に何万と目を通し、トラウマや人間の苦しみに対する理解を深める努力を続けています。専門家としての基盤となっている理論は、心的外傷(トラウマ)理論や精神分析学理論です。トラウマ理論では、ヴァン・デア・ハートの構造的解離理論や、ドナルド・カルシェッドのセルフ・ケア・システム、さらにはヴァン・デア・コルクやピーター・ラヴィーンが提唱する、こころと脳と身体をつなぐトラウマ臨床が中心となっています。精神分析学理論においては、フェアバーンの対象関係論、フロイトの自我心理学、コフートの自己心理学を基盤としています。

 

さらに、私は社会学、哲学、政治学、経済学、脳科学、進化生物学、神経生物学、文化人類学、動物行動学など、心理学以外の分野にも強い関心を抱き、幅広い領域に目を通して知識を深めています。

 

私が基盤としている技法は、解離を伴うトラウマを抱える方々に対して、ロジャーズの来談者中心療法を基本に据えています。これに加えて、マインドフルネス、身体志向アプローチ、呼吸法、イメージ療法、自由連想法を組み合わせることで、自己調整機能の回復を目指しています。トラウマによる思考の混乱や自己理解の喪失に苦しむ人々には、外傷理論に基づいた心理教育が必要だと感じています。また、環境や生活のサポートを行いながら、自然の中で身体や神経系を癒すとともに、社会的交流を通じて扁桃体を刺激する現実体験療法という新しいアプローチも開発しています。

 

精神分析的技法については、慎重に用いるようにしていますが、日常生活の困難から抜け出し、恐怖を克服した後、さらに美しく創造的に変化していきたいという意欲のある方には、精神分析的なアプローチが有効だと考えています。

尊敬している臨床家


ドナルド・カルシェッド
ドナルド・カルシェッドは、ユング派分析家であり、トラウマ治療の分野において高い評価を受けています。彼の代表的な理論である「セルフ・ケア・システム」は、心的外傷(トラウマ)を抱える人々が、自分を守るために無意識に発動する心理的防御メカニズムに焦点を当てています。カルシェッドは、特にトラウマを負った人が、内なる世界でどのように自己保護のためのシステムを構築するかに注目し、それがどのようにして心身の統合を阻害するかを探求しています。彼の理論は、トラウマケアの分野で画期的な視点を提供しており、多くの臨床家に影響を与えています。


フェレンツィ・シャーンドル
フェレンツィ・シャーンドルは、精神分析医としてフロイトに学びながらも、独自の革新的なアプローチを展開したことで知られています。彼の代表的な理論「フェレンツィの大実験」は、トラウマを経験した患者との治療関係における大胆な試みを指します。彼は、患者が心的外傷を処理する過程で、治療者との関係をどのように利用し、治療における双方向の感情交流が治癒に与える影響を重要視しました。彼の理論と実践は、精神分析の枠を超え、現在のトラウマ治療の基盤にも大きな影響を与えています。


ピーター・ラヴィーン
ピーター・ラヴィーンは、神経生理学者として「ソマティック・エクスペリエンシング(SE)」というトラウマ治療法を開発しました。SEは、トラウマが身体にどのように蓄積され、解放されるかに注目し、身体感覚を通じてトラウマの解消を目指すアプローチです。ラヴィーンの理論では、トラウマは心だけでなく身体にも深く影響を及ぼすため、身体を使った治療が不可欠とされています。彼は、自然の中に存在する自己治癒力を引き出すことを目標に、身体的な緊張やエネルギーの解放を促す技法を提唱しており、多くのトラウマ治療専門家がこのアプローチを取り入れています。


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カウンセリングルーム


兵庫県神戸市東灘区岡本6-4-16  アルシェ岡本101号室

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当相談室は、阪急電車岡本駅北口から徒歩8分、またはJR摂津本山駅から徒歩13分の場所にございます。

【阪急岡本駅からの道順】
岡本駅北口を出て、まっすぐ進んでください。突き当りを左に曲がり、しばらく進むと川が見えてきます。川にかかる橋を渡って右に曲がり、一つ目のやや広めの道を左に曲がります。そのまま道沿いを歩いていくと、赤レンガのマンション「岡本エクセル」が見えてきます。当相談室は、そのマンション内にあります。

 

迷われた場合は、どうぞお気軽にお問い合わせください。