ここでは、幼少期から解離(自己の感覚が麻痺し、分離し、自分が自分でなくなる病理的防衛)を使うことで、複数の人格間に問題が生じ、その中の一つが「悪魔」としてトラウマを再現する現象について説明します。レイプ被害者や虐待を受けた子どもたちは、解離が高じて自分の行動を制御できなくなるため、似たような被害に繰り返し巻き込まれることがあります。このような人々は、解離によって感覚や意識が遮断され、自分の行動に対する自覚が薄れるのです。過去のトラウマを抱え続ける彼らは、不安定な状況に直面すると、足がすくんで動けなくなったり、意識が朦朧として現実から逃避したりすることがよくあります。
物心ついた頃から、彼らは不穏な場面に遭遇すると「違う自分」を作り、自己の都合の悪い部分を切り離してきました。この痛みを押し付ける生活パターンが年々繰り返されるうちに、自分とは関係ない「何か」が、強い意志を持つようになり、独自の行動を取るようになります。その「何か」は徐々に成長し、やがて独立した人格として表立ってくるのです。こうして、被害者は自らの内部で人格の分裂を経験し、その一部がトラウマを再演する存在として、悪魔のように振る舞うことになります。
日常生活を送る主人格は、自分が人生を生きてきたつもりでいますが、実際には痛みや不都合を押し付けてきたに過ぎません。最初のうちは、死に瀕するような被害に遭っても、代わりに苦しむ別の人格が強烈な痛みや感情を引き受けることで、主人格は命をつないできました。この過程で、主人格は被害の記憶や感情が欠落し、痛みや恐怖、怒りが自分のものではなくなります。これは、痛みに向き合うと身体が耐えられなくなり、日常生活が維持できなくなるため、あたかも正常に生きているかのように振る舞うために必要な防衛機制です。
脅かされる場面で自分の痛みや感情を切り離す行為は一見逃避のように見えますが、防衛的な別の人格が巧みに立ち回ることで、生存の可能性を高め、生活の困難を乗り越えてきました。しかし、繰り返される死に直面するような被害によって、身代わりになる犠牲的な人格は、表の世界に出るたびに恐ろしい状況にさらされます。そのため、次第に痛みや怒りを溜め込み、恐怖に満ちた考えしかできなくなり、主人格を苦しめる存在へと変わっていくことがあります。このように、分裂した人格は、かつて生存を助けた防衛手段でありながら、後に大きな苦痛を引き起こすことになります。
主人格が被害から立ち直り、何事もなかったかのように生活を送っている間は、犠牲者となった別人格との間に大きな問題は生じません。しかし、時間が経ち、痛みの経験が遠のくにつれて、主人格と犠牲者人格の間に亀裂が広がっていきます。主人格は、トラウマを忘れたかのように過ごし、過去の苦しみを振り返ることなく、友人や恋人との関係に忙しくなり、幸福を追い求めます。
一方で、犠牲者人格は違います。彼らは、主人格に押し付けられた痛みや不都合な感情を抱え続け、主人格がそれを忘れようとしていることに怒りを覚えるようになります。犠牲者人格は、自分の苦しみを無視し、幸せを追いかける主人格に対して次第に反感を抱き、同じ苦痛を主人格に与えたいという強い思いを抱くようになります。
この感情が募るにつれ、犠牲者人格は次第に悪魔のような存在へと変わり、自分が受けた苦痛を主人格にも再現させたいという欲望に支配されるようになります。こうして、かつての自己防衛が、主人格を苦しめる内なる敵へと変わっていくのです。
日常を送る主人格は、性暴力などの被害を受けた経験を抱えながら生きています。しかし、心の中には、悪魔のように成り果てた別の存在が棲みつき、幾つもの罪を押し付けられ、自分の一部でありながらも、主人格を憎むようになります。
この悪魔化した存在は、主人格の夢の中や現実の世界に現れ、抑えきれない怒りと破壊的な感情で暴れ回ります。主人格は、自分が生きる希望を失い、心身ともに疲れ切って「もう死にたい」と思うほど追い詰められます。しかし、悪魔はそれすら許さず、「簡単には死なせない。生き地獄の中でもがき、苦しみ続けろ」と、冷酷な呪いの言葉を浴びせかけます。
その結果、主人格は日々の生活の中で、絶え間ない苦しみと自分自身との闘いに立ち向かわざるを得なくなります。この悪魔化した存在との葛藤は、ただの内面的な問題ではなく、生きることそのものに対する激しい挑戦となり、希望を見失い、絶望の中で自分自身を追い詰めていくのです。
悪魔のような存在は、主人格が無防備で心が弱っているとき、あるいは幸せを感じようとしている瞬間に突然現れます。この悪魔は、生きる希望を打ち砕き、「幸せを求めるのは愚かなことだ」と嘲笑します。そして、主人格が過去に受けた痛みを倍返しにする計画を立て、トラウマを何度も再現させるのです。
心の中にこの悪魔が宿っている人は、悪魔に憑りつかれると、言葉遣いが荒々しく不吉なものに変わり、周囲の空気を一瞬で最悪にしてしまいます。その結果、周囲の信用を失い、孤立してしまうのです。希望はすぐに絶望に変わり、どん底へと突き落とされます。人間関係を築くことが次第に絶望的になり、やがて孤独に苛まれるようになります。
さらに、常に何かに追い立てられているかのような焦燥感が消えることはなく、自分で自分をコントロールできないほどの混乱が続きます。この混乱から逃れるために「死んでしまいたい」という考えが浮かび、やがて慢性的な自殺志向が心に根付きます。悪魔の囁きは、幸せを望むたびに再び蘇り、死への誘惑を繰り返し、心を支配し続けるのです。
このような症状に苦しむ患者は、多くの場合、解離性同一性障害や境界性人格障害、または解離症状を伴う統合失調症など、複雑なトラウマを抱えています。心の中に棲む「悪魔」は、主人格に向かって「死ね」「殺す」といった毒のような言葉を投げかけ、さらに周りの人々の声を真似て主人格を混乱させます。これは、主人格の正気を失わせるための巧妙な妨害工作であり、周囲の声や言葉を利用して、主人格の人間関係や信頼を巧みに壊していくのです。
さらに、インターネットでのなりすましや、大切な人とのコミュニケーションを勝手にブロックするなど、悪魔は外の世界にもその手を伸ばし、主人格が築き上げてきた絆を壊そうとします。特に性暴力の被害者においては、この「悪魔」はさらに陰湿な手段を使い、周囲を挑発して再び被害を招くよう仕向けることもあります。援助交際や性風俗での働き、暴力的な人間に近づくような行動が無意識のうちに引き起こされ、主人格はその混乱に巻き込まれていきます。
このように、もう一人の自分が暴れるたびに、本来の自分は周囲に誤解され、悪魔が作り出した印象だけが残ります。その結果、自分の居場所を失い、孤立し、何も言えなくなる状態に陥ってしまうのです。
心の中に悪魔を抱えている人々は、自殺や他害のリスクがあるため、社会に出ることが非常に困難です。外の世界での生活が成り立たず、家族からも見放されると、彼らは精神科の閉鎖病棟で暮らすようになります。閉鎖病棟は、社会で報われない人々の苦悩が集約された場所であり、病院によってその環境や対応は異なりますが、基本的に厳重な管理が行われています。この場所では、自由を失い、逃げ出すことができず、問題行動を起こすと身体拘束や隔離措置が取られます。
特に複雑なトラウマを抱えた人々にとって、身体拘束や隔離は過去のトラウマを再体験させる恐れがあり、精神的にも身体的にも極度の苦痛をもたらします。この繰り返しにより、彼らは闘争や逃走の失敗を何度も繰り返し、最終的に身体が凍りつき、虚脱状態に陥ります。この慢性的な不動状態に陥ると、もはや自分の意志で動けなくなり、受動的に取らされた姿勢を保ち続けるしかありません。
彼らの中では、悪魔たちが裏切者として自分を責め続け、冷たい世界に凍りついているかのような感覚が支配します。閉鎖病棟という場所は、まさに生き地獄であり、まともに動くことすらできない状態で、自分自身の心と身体が完全に麻痺してしまうのです。
解離性同一性障害や境界性人格障害、または解離症状を持つ統合失調症の人にとって、閉鎖病棟はまるで巨大な洞穴の奥底に降りていくような感覚です。そこでは徹底的に管理され、自由を奪われた心は、暗闇の中で凍りつきます。最下層の地獄ともいえるその世界は、無限の冷たさと絶望に満ち、失われた心が永遠に閉じ込められているかのようです。周囲には鎖に繋がれた怪物がうごめき、罪人のように寝かされた者は、怪物に囲まれ、終わりのない拷問を受け続けます。
その中で、自分の心に巣食う悪魔が幻聴として現れ、今まで苦しんできた分、同じ痛みを与えると脅してきます。「目をくり抜いてやる」「燃やしてやる」「指を切り落としてやる」と、冷酷な言葉で脅迫してくるのです。さらには、食事を取ろうと手を動かしても、巨大な悪魔的存在がそれを阻み、口に運ぶことさえできなくなります。
悪魔を心に宿している人は、この囚われた世界で、絶叫し、すすり泣きながら、表の世界に戻ることができず、闇の中で苦しみ続けます。彼らは自分の意思でこの暗黒から抜け出すことができず、閉鎖された場所で永遠のように感じる孤独と痛みに苛まれるのです。この地獄のような現実は、彼らの精神と身体を完全に支配してしまいます。
トラウマケア専門こころのえ相談室
論考 井上陽平