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良い子でいることの苦しみ


1. トラウマと発達障害がもたらす影響

 

トラウマや発達障害の影響で神経発達が阻害されている子どもは、幼少期から親の態度が豹変することに恐怖を抱き、常に親の顔色をうかがいながら生活することが多くなります。その結果、自分の感情や欲求を抑え込み、"良い子"でいることを選んでしまうことがよくあります。こうした子どもたちは、自己表現ができず、内面に不安を抱えたまま成長していきます。

 

一方で、ほど良い環境で育つ子どもは、自然に自分を表現し、安心して過ごせることが多いです。しかし、幼少期に頻繁に親から怒られる経験をした子どもは、常に親の反応を恐れ、小さなことでもビクビクした態度を取るようになります。理不尽な怒りにさらされても、子どもはそれを受け入れるしかなく、不快な気持ちや嫌なことも我慢することが習慣化していきます。その結果、自分の正直な感情を表に出すことができなくなり、自己表現がますます難しくなっていきます。

 

特に、親が自分の要求を子どもに押し付ける場合、子どもは自分の意志で物事を選択する力を失いがちです。親の判断に従うしかなく、自分の判断で行動することが困難になります。また、親に厳しく怒られることを恐れている子どもほど、自己判断や自己決定がますます難しくなり、親の影響下で生きることを余儀なくされるのです。

 

2. 条件付きの愛情と自己犠牲

 

親から条件付きの愛情しか与えられない子どもは、「ありのままの自分ではダメだ」と感じてしまいます。親の要求に従わないと怒られたり無視されたりする状況では、子どもは親の望む"良い子"でいるしかありません。そうした環境では、自己主張をすることや自分の感情を表に出すことがリスクと感じられ、やがて子どもは自分の感情に蓋をして生きるようになります。自分を守るために、感情を抑え込むことが日常化し、心の中にある本当の自分を表現できなくなっていくのです。

 

このような子どもたちは、幼少期から"良い子"でいることが強く求められ、その期待に応えようと必死になります。彼らは周りの大人たちから言われた言葉を真面目に受け止め、心に深く刻み込むことが多いです。例えば、「わがままを言ったらお天道様から罰が下るよ」「良い子でいれば神様が褒めてくれるよ」「しっかりしていたら皆が助かるよ」などといった言葉を信じ、行動の指針とするようになります。

 

"良い子"でいようとする子どもは、自己防衛の手段としてその役割を演じ続けますが、同時に"良い親"であろうとする親の期待にも応えたいと考えます。こうした子どもは家族に幻想を抱き、家族のために自己犠牲を払ってでも、家族の幸福を最優先にするようになります。例えば、両親が不仲であることに心を痛め、なんとかその関係を支えようと奮闘します。母親が父親のことで心を痛めていると感じれば、子どもはその母親を支えるために全力を尽くします。しかし、どれだけ努力しても報われることはなく、むしろ「余計なことをするな」と理不尽に叱られることもあるでしょう。その結果、子どもは本当の自分を抑え込むようになり、自分を捩じ曲げてでも家族の要求に従うようになります。

 

このように、"良い子"でいることが求められる環境では、子どもは自分を失い、感情を抑え込み、家族の期待に応えることに全てを捧げるようになります。その結果、自己表現ができず、自己肯定感を持てないまま成長してしまうことが多いのです。

 

3. 良い子の罠と生きづらさの連鎖

 

ありのままの自分でいられず、自分を押し殺して親の要求に従う子どもは、生理学的な防衛反応である「服従」の状態にあると言えます。これは、態度を豹変させる親から身を守るための手段でもあります。子どもは、親が激怒したり落ち込んだりしないように常に親の顔色をうかがい、正解を探して「良い子」でいようと努めます。このように、親との関係においてトラウマという「爆弾」を抱えている子どもは、常に危険に備える必要があり、最悪の事態が起きないように先を読み、周囲に気を配り続けます。気を抜くことができず、常に緊張した状態で過ごさざるを得ません。

 

こうした子どもたちは、親に良く思われることを最大の防衛手段とし、真面目で従順な「良い子」でいようと必死に努力します。自己主張をせず、親を喜ばせようと頑張ることで、自分を守ろうとするのです。

 

しかし、子どもが「良い子」として頑張れば頑張るほど、親は「この子は大丈夫だから」と安心してしまい、かえってその子に対する関心が薄れてしまうことがあります。親は子どもの本当の気持ちを理解しようとせず、子どもができることを当たり前だと思うため、子どもが嫌だという意思を伝えられなくなることもあります。

 

学校などの集団場面では、子どもは周りの雰囲気が悪くならないように気を遣い、常に「イエス」としか言わない優等生になっていきます。周りの人と上手くやろうと努力するあまり、良い人を演じ、尊敬されたり慕われたりすることもあるでしょう。しかし、その一方で、意地悪をされたり嫉妬されたりすることもあります。さらに、育ちの良い子どもほど、悪意を持つ人々の標的にされやすく、そこから抜け出せなくなることもあるのです。その結果、辛く苦しい日々を過ごすことになるかもしれません。

 

4. 大人になってからの生きづらさ

 

幼少期に親の顔色を伺い、「良い子」であろうと必死に頑張ってきた経験は、成長して社会に出た後も影響を与え続けます。社会の中でも、人々の期待に応えようと愛想をよくし、相手の顔色をうかがうことが習慣化してしまうのです。内面が空っぽの自分を隠し、理想的な自分を演じることで、人に好かれなければならない、しっかりした自分を見せなければならない、皆から愛されなければならないと感じるようになります。他者からの承認を通じてしか、自己肯定感を得られなくなり、自分自身を評価する基準が外部に依存するようになります。

 

幼少期には「良い子」でいることが自分を守る最善の方法だったかもしれません。しかし、年を重ねるにつれて、その「良い子」でいることが次第に重荷となり、やがて生きづらさを感じるようになります。無理をしてまで良い子でい続けることがリスクになり、ついにはその役割を放棄する日が訪れるのです。大人になってからも「良い子」であろうと頑張り続け、自分を偽り続けることで、やがて自分を見失い、深い苦しみを抱えるようになります。

 

その結果、「良い子」であった自分が崩れ落ちてしまうと、体が重く怠くなり、何をするにも力が入らなくなります。自分をうまくやれないと責める気持ちが強まり、やがてうつ症状に陥ることもあるでしょう。最終的には、すべてに投げやりな気分が支配し、「嫌われてもいいや」と感じるようになるかもしれません。

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こころとからだの限界がくると


1.トラウマを持つ子どもと親の理解の欠如

 

親がトラウマを抱えた子どもの扱い方を理解していれば、大きな問題は起こりにくいでしょう。しかし、そうでない場合には、親子関係の溝が深まり、特に思春期や青年期において、その影響がさらに複雑化していきます。例えば、親が子どものトラウマを理解できず、機能不全家庭で「良い子」であることを強いられた場合、その子どもは内面が空っぽになってしまいます。辛い経験が積み重なる中で、やがて何も感じなくなり、感情が麻痺してしまうことがあります。

 

このような状況では、他者との共通感覚を育むことが難しくなり、感じ方や考え方に大きなズレが生じてきます。その結果、対人関係でのトラブルが頻発しやすくなり、人間関係における困難がさらに増していくのです。

 

2. 良い子でいることの代償

 

親の期待に応えたり、家族を幸せにしたいという思いから、必要以上に「良い子」であろうとする人は、他者を幸せにすることはできても、自分自身を幸せにすることが難しいと感じることがあります。家族のために必死に頑張ることで、当初はその努力が報われるかもしれませんが、やがて限界が訪れるのです。

 

このような人たちは、人の気持ちを敏感に察知する力を持っていますが、その分、自分の感情を押し殺してきた結果、自分らしさを失い、周りに合わせた「作られた自分」で生きるようになります。「良い子」でい続けることは、ありのままの自分を受け入れられず、自信を持てなくなる原因ともなります。自分の意見や感情を相手に伝えることができず、常に相手に合わせる生活を続けるうちに、次第に心が疲れ果て、ストレスが積み重なります。その結果、感情が抑えきれなくなり、突然爆発してしまうこともあるのです。

 

このように、自分を犠牲にして他者を喜ばせることは、長期的には自分自身を傷つける結果を招きかねません。自分を大切にし、ありのままの自分を受け入れることが、真の幸福への第一歩となるでしょう。

 

3. 理想の自分とのギャップ

 

「良い子」であろうとする人が、理想的な自分を追い求めれば求めるほど、現実の自分とのギャップに苦しみ、次第に落ち込んでいきます。常に「良い子」でいるためにがむしゃらに頑張り続けるものの、その努力が限界に達すると、突然エネルギーが尽き、心が折れてしまうのです。周りの期待に応えようと必死になっても、理想の自分には届かず、疲弊していきます。

 

「良い子」であろうとするあまり、完璧を目指して歯を食いしばり、どんどん自分を追い詰めていくうちに、やがてエネルギーが枯渇してしまいます。努力を重ねるほど、自分の意志は薄れ、魂は遠くへと離れ、ただそこに存在しているだけのような感覚に陥ることがあります。結果として、理想と現実の狭間で苦しみ、自己の本質を見失いかけるのです。

 

4. 現実への絶望と自己喪失

 

物分かりの良い人として、いつか自分の人生を取り戻そうと懸命に生きてきたけれど、心の奥底では「これが本当の自分じゃない」「これは自分の人生ではない」と感じ続け、現実に対する絶望感が募ります。やがて、その現実が崩壊してしまうかのように感じる瞬間が訪れるのです。

 

もともと、厳しい両親の態度や、身体が弱かったことが原因で、良い子でいることを選ばざるを得なかったのかもしれません。いつも愛想を振りまき、周囲に合わせることで、数々の苦難を乗り越えてきました。嫌なことがあっても、ただ我慢して耐え続けることが習慣化し、自分の感情を抑え込んできたのです。

 

しかし、その我慢にも限界があります。耐え続けた先には、心身が限界に達し、もうこれ以上耐えられなくなる瞬間がやってきます。いつも「良い子」であろうと努めることが、やがて自分自身を蝕み、ついには崩れ落ちてしまうのです。

 

トラウマケア専門こころのえ相談室

公開:2022-07-15

論考 井上陽平

 

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