解離性障害とは、逃げ場がなく、圧倒される感情に押しつぶされる中で、心と体がバラバラになり、自分自身を感じられなくなる状態と言えます。これは、極限の状況で耐えるしかない場面が引き金となり、心が現実から離れてしまうことで起こります。
解離性障害を抱える人は、子どもの頃から、どうすることもできないほどの恐怖や不快感を感じながら、家や学校といった逃げられない環境で、毎日を苦しみの中で過ごしてきました。日々の生活がまるで逆境の連続であり、その中で耐えがたい痛みを感じながら、恐怖や怒りの感情を心の奥に隠し、安全な空間に逃げ込んでいました。
やがて年を重ねるにつれ、次第に自分の本音や感情を表に出さなくなり、息を潜めてじっとしている時間が増え、現実の世界よりも空想の世界に閉じこもるようになります。その一方で、体は次の脅威に備え、無意識のうちに過緊張や凍りついた状態が続き、頭痛や腹痛、便秘、下痢、睡眠障害、過呼吸といった身体的な症状が頻発するようになります。
解離は、命の危険から身を守るために起こる自然な反応です。しかし、危険が過ぎ去った後でも、脳と体がまだその危機が続いていると誤判断することがあります。その結果、神経は過敏になり、意識は外の世界に向けられ、頭であらゆる情報を処理しようとします。次々に起こる出来事に追いつけず、些細なことでも驚き、動けなくなり、恐怖にとらわれて体はどんどん緊張し、固まっていきます。
このような慢性的な体の収縮が続くと、心と体が分離し、体の感覚が麻痺してしまいます。特に神経が繊細な人は、複雑なトラウマを抱えることで、持続的な過緊張や凍りつき、さらには「死んだふり」の状態に陥ります。ストレスを感じるたびに、心臓が激しく鼓動し、息苦しさや吐き気、寒気、血の気が引くような感覚、体が動かなくなるといった発作が起きます。
解離性障害においては、体が凍りついたり「死んだふり」をした状態が続き、神経に痛みが走り、生理的な反応が混乱します。結果として、体の感覚が鈍くなり、ぼんやりしたり、意識が朦朧としたり、周囲が理解できなくなることもあります。さらには、気を失ったり、陶酔感に浸ったり、注意力や集中力が低下するなど、さまざまな症状が現れます。
解離は、差し迫った危険に対する防衛反応であり、体の痛みを切り離して生体を守り、現実の困難を乗り越えるための手段として機能します。しかし、この反応が長く続くことで、心と体のつながりが失われ、日常生活にさまざまな支障をきたすことがあるのです。
外界からの精神的なショックを受けると、体が凍りつき、致命的なダメージを避けるために頭の中の世界に逃げ込むことがあります。具体的には、空間や時間の感覚が変わったり、意識が飛んでしまったり、眠りに落ちたり、人格が交代したりすることがあります。これらは、苦しみや痛みから自分を守り、生体を保護するための防衛反応です。
しかし、この防衛反応が過剰になると、体が痛みによって凍りつき、半分眠ったような「低覚醒状態」に陥ります。この状態では、脳がストレスを自動的に避けるようになり、ストレスに対して反応しづらくなります。その結果、自分が生きているという実感が薄れ、体の感覚が麻痺し、感情も鈍くなり、時間感覚が失われます。思考の働きも鈍くなり、例えば、勉強しようとしても頭が回らず、本を読んでも感情や記憶に残りません。
日常生活の中では、過去のトラウマや解離された感情がフラッシュバックし、被害妄想にとらわれることがあります。これに伴い、興奮や激しい動悸が起こり、胸が締めつけられるような痛みや息苦しさを感じ、声も出せなくなります。頭の中が真っ白になり、体が凍りつき、虚脱状態になって動けなくなることもあります。
解離性障害を抱える人は、幼い頃から安心できる居場所がなく、常に孤独を感じてきました。彼らは体力が少なく、病気がちで、過緊張の状態で育つことが多く、不運な環境の中で心身の負担が大きくなっています。性格は真面目で自己主張せず、辛抱強く不満を抑えて耐え続けてきましたが、その結果、心身が限界を迎えることも少なくありません。
普段から、生活全般にわたるストレスや緊張に晒されており、ストレスが積み重なり、日々の生活がますます困難になっていきます。この不快なストレスによって身体が硬直し、関節が痛み、眠れなくなることもあります。生きること自体がつらくなり、思うようにいかない自分に自信を失い、深い落ち込みに陥ります。
現実世界への恐怖が増すにつれ、常に警戒し続け、身体が痛みに凍りつくような感覚を覚えるようになります。この状態が続くと、原始的な神経の働きが過剰になり、身体に生理的な混乱が生じます。しかし、日常生活を送るために、その混乱を無理やり抑えながら生活していくと、心と体が次第に分離していきます。
この心と体の分離が進むと、自分自身の主体性を失い、自分が自分でなくなる感覚に襲われます。具体的な症状としては、注意力や知覚が変化し、自分の内面に深く入り込んだり、現実と夢の境界が曖昧になったり、過去の出来事を思い出せなくなることがあります。また、恐怖を感じないよう自分を麻痺させると、体の感覚が鈍り、楽しみを感じることができなくなり、視界がぼやけて曇りガラス越しに見ているような感覚に陥ります。
さらに、記憶が途切れたり、喉が詰まった感じや息苦しさ、体の揺れ、不安定さ、やる気の喪失、エネルギーの枯渇といった症状が現れます。このような状態が続くと、日常生活が困難になり、引きこもりや動けなくなること、人間関係の断絶、そして死への執着が強まり、日常生活に大きな支障をきたすことから、障害として認識されるのです。
このような多岐にわたる症状は、解離性障害の典型的な特徴です。自分自身の意識や体の感覚が分離し、現実とのつながりが弱まるため、日常生活に大きな支障をきたすことがあります。
解離性障害を持つ人は、一般的に否定的な状況認識や自己・他者に対する否定的なイメージを抱いており、現実を冷静に判断する能力が低下しています。人から傷つけられることを恐れ、体は過度の緊張で凍りついています。限界を超えると、体の感覚が分からなくなり、自分が自分ではなくなってしまいます。
その結果、相手と同一化し、頭の中は自分自身よりも、周囲の人やその場の雰囲気に対して過敏に反応します。彼らは、危険な状況に直面したときの対処能力が高く、過剰に情報を処理しようと努力してしまいます。人への恐怖心が強いため、相手を怒らせたくない、嫌われたくないという思いから、抵抗や反撃をする代わりに、相手に気に入られるよう振る舞います。猫をかぶり、相手にひたすら合わせるのですが、心の中ではそれが大きな苦痛となります。本来の自分でいられないことが、彼らにとっての大きな悩みです。
外部からの精神的なストレスが加わると、精神状態が不安定になり、神経の働きが変化します。このとき、私たちの体は「闘争・逃走反応」を引き起こし、視野が狭まり、現実から少しずつ離れていきます。身体には過去のトラウマの痕跡が残っており、その影響で自己意識や体内の感覚に敏感になり、不快感を強く感じることがあります。
痛みを感じる身体が切り離され、頭の中だけで生活するようになり、自分の内なる声にとらわれます。「なぜ私だけがこんな目に?」や「あのときこうしていれば…」といった解けない疑問が頭の中でぐるぐる回り、思考に飲み込まれてしまいます。
その結果、半分眠っているような低覚醒状態に陥り、現実感が失われてしまいます。現実世界が遠く感じたり、膜がかかっているような「現実感喪失」や、身体から自分が抜け出たように感じる「離人症」が生じることもあります。
さらに、外部や内部の情報が遮断されると、身体に力が入らず、頭も働かなくなる不動状態に入ります。この状態が続くと、解離性健忘、人格交代、幻覚などの典型的な解離症状が現れるようになります。
解離性障害の人は、空間や時間の感覚を変えることで、現実から離れたり、戻ったりすることができます。このため、現実の世界と夢の世界、現実と空想、さらにはその中間の世界を自由に行き来することが可能です。
現実世界では、私たちは「存在者としての私」として生きています。この「存在者としての私」という概念は、柴山雅俊先生によって提唱されました。彼の説明によれば、「存在者としての私」とは、「身体を持ち、この世界の中で空間や時間の制約を受けながら存在している私」のことを指します。私たちは、この世に縛られ、逃げることのできない当事者として生きているのです。
解離性障害の人は、現実と夢の境界が曖昧になり、自分を感じる「存在者としての私」ではなく、外から自分を眺める「眼差しとしての私」に変わることがあります。柴山雅俊先生が提唱する「眼差しとしての私」とは、現実や身体から離れた場所に位置し、そこから自己や世界を眺める視点を持つ私のことです。この状態では、身体から離れて自分を背後や上方から浮遊して見ている感覚になることもあります。時には、空間や時間の異なる場所から自分や世界を冷静に眺めるような体験をすることもあるのです。
「眼差しとしての私」でいるとき、人は自分を一歩引いて見つめ、内面的な思索にふけります。普段、健康な人はこうした二重の自己を意識することはありませんが、極端な状況に置かれると、「存在者としての私」から切り離され、「眼差しとしての私」の視点に偏ることもあります。
解離性障害の人は、このように自己が「見る私」と「見られる私」の二つに分裂しています。過去の辛い経験により、感覚として記憶している部分と、知識として記憶している部分に分かれています。日常生活の中で、多くの場合、過去を知識として覚えてはいても、体感としては思い出さないため、表面的な生き方に終始しがちです。
参考文献
柴山雅俊:『解離への眼差し』臨床心理学 第12巻第4号 2012年
トラウマケア専門こころのえ相談室
論考 井上陽平