オーストリアの精神科医ヴィクトール・フランクルは、心の病を癒し、人生を前向きに生きるためには、人が自らの「生の意味」を見出すことが不可欠であると論じています。彼の理論によれば、人間は困難や苦しみに直面しても、人生に意味を感じられるならば、それを乗り越える力を発揮できるのです。フランクルは、セラピーの主な目的を「クライエントが自分自身の生きる意味を見つける手助けをすること」に置いており、これを通じて、人々がより充実した、希望に満ちた人生を送れるよう支援してきました。彼のアプローチは、絶望感や虚無感にとらわれた人々が、再び自分の人生に意義を感じ、前に進む力を得るための鍵となるとされています。
人が自分の人生における「生きる意味」を見出すことは、普段から簡単なことではありません。ましてや、過去に深く傷ついた経験を持つトラウマを抱えた人にとって、その意味を見つけることは、さらに難しい挑戦となります。多くの場合、トラウマを経験した人は、その出来事が人生全体に影響を与え、未来への希望を持つことさえ困難になることがあります。
トラウマ的な経験は、完全に消し去ることはできず、また、その傷を完全に癒すことも簡単ではありません。しかし、現在の自分にとって、それは「過去に起こったこと」として受け止め、過ぎ去った出来事と認識することができます。現在の自分が、何かに情熱を注ぎ、必死に生きる意味を見出そうとして取り組んでいる時、トラウマはその影響力を弱めていくことがよくあります。
これは、トラウマが再び浮上するのは、安心感や安全が失われ、危険や脅威を感じた時だからです。反対に、人が自分の能力を高めたり、何かに夢中になったりしている時、トラウマは表面化しにくくなります。トラウマの痛みや不安は、危険を感じた瞬間に再び現れ、心身に影響を与えますが、そうでない時には、その影響力は小さくなります。
従って、過去の傷を持ちながらも、現在の自分が生きる意味を模索し、前向きに行動している時、トラウマの力は徐々に薄れ、自己成長の過程において、それは乗り越えられるものとなっていきます。
トラウマを抱えている人だけでなく、通常の人生を送っている人にとっても、日常の現実は決して思い通りにはいきません。仕事や家事などのルーティーンに追われ、自分の健康や人間関係も時にうまくいかないことが多いのです。100%楽しく、充実した生活を送ることは、現実的にはとても難しいと言えるでしょう。人生には楽しい瞬間だけでなく、辛いことや乗り越えなければならない課題が常に存在します。つまり、誰にとっても生きるということは多くの苦労を伴うものです。
こうした辛さや生きづらさは、すべての人に共通するものです。しかし、そこから「生きる意味」を見出し、ポジティブに生きる人もいれば、過去のトラウマに囚われて前に進むのが難しいと感じる人もいます。この二者の違いはどこにあるのでしょうか?
まず、トラウマを抱える人は、過去の傷が未解決のまま残っており、その影響で現在の出来事にも過敏に反応してしまうことが多いです。トラウマの経験は、脳と体に深い影響を与え、ストレスの耐性を低下させ、日常の些細な出来事でも強い不安や恐怖を感じることがあります。このため、困難に直面した時に「また同じ苦しみが訪れる」という感覚に囚われ、乗り越える力を失ってしまうことがあります。
一方、トラウマを抱えていない人や、トラウマがあってもそれを乗り越えた人は、困難な状況でもポジティブな意味を見出しやすい傾向があります。彼らは、苦しみや困難を自分の成長の一部と捉え、それを乗り越えることで自分が強くなれると感じることができるのです。この違いは、自己効力感やレジリエンス(心理的な回復力)の強さに表れます。
1.過去の経験との結びつき
トラウマを抱える人は、過去に受けた傷が現在の困難に重なり、心理的な負担が大きくなりがちです。過去の痛みが癒えていないと、その傷は新しい問題に直面した時に再び現れ、現在の出来事に対処することがさらに難しくなります。過去の出来事が影のように付きまとい、今この瞬間に集中することが難しくなるのです。一方、トラウマを抱えていない人、または過去のトラウマを乗り越えた人は、過去に囚われることなく、現在の問題に対処する力を持ちやすく、過去の影響が少ないため、今に集中できる傾向があります。
2.回復力(レジリエンス)の違い
トラウマを抱える人は、ストレスに対する耐性が低くなっているため、困難な状況に直面すると、その影響を大きく受けてしまいます。過去のトラウマは、回復力を弱め、問題に対処する力を奪いがちです。たとえ小さな問題であっても、大きな負担として感じてしまうことが多いのです。一方で、トラウマを乗り越えた人は、その経験から学び、心理的な回復力を強化しています。彼らは過去の痛みを「乗り越えた証」として捉え、これにより逆境に対して強い精神力を発揮しやすく、困難を自分の成長のための糧と捉えることができます。
3.視点の違い
ポジティブに生きる人は、どんなに辛い状況でもそれを「成長のチャンス」と捉えることができます。困難な現実を受け入れ、それを自分の成長や学びのためのステップだと考え、前向きな視点を持つことで、問題を乗り越えやすくなります。このような視点を持つことができる人は、たとえどんなに辛い状況でも、自己成長や自己発見の道を歩むことができます。それに対して、トラウマを抱えている人は、過去の傷が現在の行動や考え方に影響を与え、前向きな視点を持つことが難しくなります。過去の痛みが現在の自分を縛り、未来への希望を見失いやすくなります。
4.回復力と自己効力感
ポジティブな人は、困難に直面しても「自分はできる」という自己効力感を持っており、逆境に対して積極的に挑戦する姿勢を取ります。自己効力感が強いことで、自分を信じて行動し、前向きな結果を引き寄せることができるのです。これに対し、トラウマを抱える人は、自分の力を信じることが難しく、挑戦する前から諦めてしまったり、未来への希望を見失いがちです。この自己効力感の欠如が、困難に対処する力をさらに弱めてしまいます。
5.サポートシステムの違い
ポジティブに生きる人は、困難な時期にも周囲からのサポートを受け入れる力を持っています。友人や家族、職場の同僚などとのつながりが、彼らの支えとなり、困難な状況を乗り越える助けとなるのです。彼らは、必要な時に助けを求めることができ、周囲からの支援によって自分の力をさらに引き出すことができます。一方、トラウマを抱える人は、他者との関係で過去の傷が再燃することを恐れ、周囲の支援を受け入れるのが難しくなります。そのため孤立しやすく、困難に立ち向かう力がさらに弱まってしまいます。
6.生きる意味の探求
最も大きな違いは、生きる意味を見出せるかどうかです。ポジティブに生きる人は、自分の人生に価値や目的を見出し、その意味を糧に日々を過ごしています。どんなに困難な状況でも、それを成長のプロセスとして捉えることができるため、生きること自体に喜びを感じることができます。それに対し、トラウマを抱える人は、過去の痛みが未解決のままであることが多く、生きる意味や目的を見失いがちです。このため、日々の生活に虚無感や生きづらさを感じることが多く、希望を持てないまま日常に追われてしまうことがあります。
7.まとめ
人生には誰しも困難が伴いますが、その中で「自分は何のために生きているのか」を見出すことが、困難を乗り越える力となります。トラウマを抱えている人は、その痛みに縛られてしまうことが多いですが、ポジティブに生きる人は、自分の人生に意味を見出し、困難な状況でも前進する力を持っています。この違いを理解し、トラウマに囚われることなく、自分自身の生きる意味を見つけることが、人生をより豊かにするための鍵となるのです。
生きる意味を見出すためには、平凡で時には辛いことに満ちた現実の中でも、そこに美や意味を見つけ、想像し、創造しながら生きる姿勢が必要です。人生には喜びだけでなく、悲しみや困難もつきものですが、そうした暗い側面にのみ目を向け、周囲の人や環境に恨みを抱いて過ごすのではなく、視点を変えてその中に価値や意義を見出すことが重要です。
どんなに厳しい状況でも、自分の視点を少し変えるだけで、新たな可能性や美しさに気づくことができます。たとえば、何気ない日常の瞬間の中にある小さな喜びや、人との関わり合いの中で感じる温かさは、見過ごされがちですが、それらは人生に深い意味を与えてくれるものです。自分が目を向ける場所を意識して変えることで、ただの「辛い現実」から、新しい創造のきっかけを得ることができるのです。
人間には本来、創造性という強力な力が備わっています。この創造性を活かすことで、人生の暗い側面や痛みのある出来事に新しい意味を与え、解放感を得ることができます。アート、音楽、文章など、自分を表現する手段を通じて、自分の内側にある感情や体験を形にし、他者と共有することが、心の癒しや前向きなエネルギーの源となります。創造性を発揮することで、困難な経験も乗り越えるための力に変わり、自分自身の人生に深い意味を与えることができるのです。
生きる意味を見出すためには、辛く感じる現実の中にも価値や美を見つけ、創造的に生きることが鍵となります。現実に目を背けるのではなく、その中に自分自身の意味を見つけ出し、創造性を持って日々を過ごすことで、人生はより豊かで充実したものになります。創造性が、人生の苦しみや困難を解放し、新たな意味を付与する力を持っているのです。
トラウマケア専門こころのえ相談室
論考 井上陽平