> > オシリスとイシス

オシリスとイシス|死と再生の象徴


発達の早い段階に、無情な親からの虐待やネグレクト、またはぞっとするような事件や事故に巻き込まれるような外傷体験を負うと、過去と現在の時間感覚が捻じ曲がり、自分の体や情緒が分断されていきます。このように自分自身が分断されるようなトラウマを持つ人は、嫌な過去を思い出されると、息が止まって、気を失いそうになり、足はガクガク震えて、倒れ込んでしまいます。普段から、考えがまとまらなくて、自分の手足や頭が胴体と繋がっているように感じられず、自分のことがよく分からなくなり、他者に取り込まれて、バラバラな感覚やねじれていく感覚になります。脅威が常にあり、トラウマの生きるか死ぬかモードが慢性化していくと、身体がガチガチに凍りついて、ボディイメージは消えていき、バシャと崩れ落ちます。手のパーツや足のパーツがバラバラになって固まり、どれが自分なのか、どの自分が自分なのか、どうやって元に戻っていいのか、自分が何をして生きているのか分からなくなります。身体がバラバラになるイメージは、自分の右手が消えたり、自分の全身もどこかに消えたように感じます。

 

このような痛みの身体は、オシリス、イシスおよび、セト、ホルスを巡るエジプト神話に見られます。神話学の観点からは、オシリスは死と再生を象徴としていると言われます。邪悪な弟セトは、光の側面を表すオシリスの絶大な人気に嫉妬して、棺に閉じ込めてナイル川に流してしまいます。オシリスの妹であり妻イシスは、暗闇に閉じ込めらたオシリスを探し出します。しかし、セトに見つかってしまい、バラバラに切断されます。イシスは、バラバラにされたオシリスの断片を集めて、つなぎ合わせて、生命の息吹を吹き込み、神の癒しのなかで目覚めさせました。

ピーター・ラヴィーン「トラウマと記憶」から、オシリスとイシスについて


トラウマを理解し処理していくうえでの、記憶の役割とは何だろうか?これについては、長く伝えられてきた神話の叡智から解を導き出すことができる。古代エジプトのイシスとオシリスの伝説は、深遠な教えを示している。

 

この示唆に富む伝説によると、偉大なるオシリス王は、敵に殺され切り刻まれてしまう。切り刻まれた体の各部位は、王国の果てのあちこちで埋められた。しかし、オシリスの妻イシスはオシリスへの深い愛に突き動かされ、バラバラにされた遺体をすべて探し出し、それらの「部分」を元通りにした。この復活において、イシスはオシリスを「再びつなぎ合わせ、思い出した」のである。

 

トラウマを受けた人々が示すまったく異なるように見える症状、散り散りになっている断片、兆候および症候群を観察すると、治癒を引き起こすための手がかりが見えてくる。さらに、恐怖に凍りついたときに身体および脳に何が起こるのかがわかってくると、こうした症状を理解できるようになる。これらの症状は、分断され散り散りなった体験の塊なのだ。それは未完了の身体感覚であり、過去にはその人を圧倒した。あたかも、惨殺され、切り裂かれたオシリスの身体が、はるかに離れた違なる場所にバラバラに埋められたように、これらは解離し、意味不明の状態にある。こうしたバラバラな身体感覚を「元通りに戻す」治療方法は、エジプト神話の女神イシスが夫オシリスに施した治療に酷似している。敵に切り刻まれ、はるか彼方にバラバラに埋められ、隠されてしまったオシリスの身体を、イシスは掘り起こしていった。そして、イシスは象徴的に、オシリスの身体の断片を整合性のある有機体としてつなぎ合わせた。こうしてイシスはオシリスを「つなぎ合わせ、思い出した」のである。トラウマの治療においてこれを行うには、クライエントを穏やかに誘導して、かつて圧倒されてしまった感覚を再び感じ、次第にそれに耐えられるように導くことである。これによって、トラウマの記憶は合体し、再結合し変容していく。

 

参考文献

ピーター・A・ラヴィーン『トラウマと記憶』(花丘ちぐさ 訳 )春秋社

D・カルシェッド「トラウマの内なる世界」から、オシリスとイシスについて


三位一体のダイナミズムは、エジプトの神話にも見られ、オシリスはセルフの肯定的な、光の側面を表し、弟のセトは、邪悪な、暗黒の側面を表し、そしてイシスは、高遠な女性原理なのだが、息子のホルスとともに、仲介してつなぐ者である。イシスはまた、ばらばらに切断されたオシリスの癒し手でもあった。彼女はちりぢりになった彼の断片を集めると、それらをつなぎ合わせて、自分自身に受精させ、ホルスはこの結合により生まれることになった。

 

参考文献 
D・カルシェッド:(豊田園子,千野美和子,高田夏子 訳)『トラウマの内なる世界』新曜社 2005年

 

トラウマケア専門こころのえ相談室

論考 井上陽平

関連記事