イマジナリーフレンド(イマジナリーコンパニオン)は、現実世界に存在しない空想の友人で、特に幼少期の子どもや感受性の強い人々にとって身近な存在です。この空想上の友人は、敏感な心を持つ人や、親から十分な愛情を受け取れなかった人、生命の危機に直面した人、孤立を経験した人など、特に解離傾向が強い人々の心に現れることが多いです。イマジナリーフレンドは、こうした繊細な心を持つ人々が、自分を守り、孤独を癒すために無意識に創り出す存在といえます。彼らは、現実では得られない安心感や慰めをこの空想の友から得ることで、心のバランスを保とうとします。このように、イマジナリーフレンドは単なる空想ではなく、繊細な心を持つ人々にとって、重要な心理的役割を果たしているのです。
イマジナリーフレンドが生まれる背景には、外傷的な体験や深い孤独感が大きな影響を与えています。幼少期に虐待やネグレクト、家庭内暴力(DV)を経験したり、学校でいじめを受け、孤立して過ごす時間が長かった子どもたちは、心に抱えた恐怖や怒り、悲しみといった激しい感情を一人では処理しきれないことがあります。このような場合、子どもは「悲しいのは私ではない」「怒っているのは私ではない」と、感情を自分から切り離し、もう一人の自分としてイマジナリーフレンドを作り出します。
さらに、親との関係が悪く、話すこともなく放置されているような状況では、子どもは現実の親から心を離し、脳内で空想の友達と遊ぶようになります。また、親が家に不在で一人の時間が長く、孤独を感じる子どもは、脳内で自ら友達を作り、その友達と対話することで、自分を慰めようとします。こうした空想の友人は、子どもたちが孤独や痛みを乗り越えるための心理的な支えとなり、心のバランスを保つための重要な役割を果たしているのです。
現実の世界は、辛くて苦しい日々が続き、心も体も限界に達してしまうことがあります。私自身もその一人で、小学校時代から内気で恥ずかしがり屋、人見知りが激しい性格でした。クラスメイトの前で発表する際には、心臓が激しく鼓動し、顔は真っ赤になり、言葉が詰まってしまうことがよくありました。現実に向き合うのが難しく、どこか夢見がちな自分が周りとは違う場所を見つめて育ってきたように感じます。
皆が幸せそうに見える中で、私だけが元気を失い、人と関わるたびに心が疲れ果ててしまいました。そんな時、私に安らぎを与えてくれたのは、木々や花、草、動物、昆虫といった自然の存在でした。親や世間の目を気にしながらも、心の逃避先を求めて、絵や小説、本、アニメ、ぬいぐるみ、図鑑、音楽、自然、宇宙など、さまざまなものに没頭していきました。やがて、現実では手に入らないものを空想の中で埋めるために、自分とは異なるキャラクターを作り出し、空想の世界にどんどんのめり込んでいきました。
ファンタジーの世界では、想像上の両親が私を優しく愛し、理解してくれるという心地良さを感じることができました。現実では到底手に入らないものが、空想の世界では簡単に実現できるという魅力に取り憑かれ、私は次第にその世界にのめり込んでいったのです。欠けていたものや手に入らなかったものを埋めるために、私は自然とイマジナリーフレンドを作り出し、その存在に支えられながら、自分を守り続けてきました。
幼い子どもは、ぬいぐるみや人形などに自らの想像力を注ぎ込み、まるでそれらが本当に生きているかのように名前をつけて大切にします。たとえば、「音楽を弾きます」と言いながら、一人で楽器を奏で、ぬいぐるみを観客に見立てて、その演奏に対する感想を自分で語り、ぬいぐるみになり切ってその感想を話すこともあります。さらに、その返答を再び自分が行うことで、一人でありながらも、まるで二人の会話が成立しているかのような遊びを続けていきます。こうした一人遊びは、寂しさを和らげるだけでなく、心を満たし、精神的な安らぎを与える「心の食事」として機能します。
また、夜が怖くて不安なときには、ぬいぐるみを抱きしめて眠りについたり、外出するときにも大切なぬいぐるみを持ち歩いたりします。これにより、子どもは安心感を得て、ぬいぐるみを通じて心の支えを感じることができます。こうした幼少期の一人遊びやぬいぐるみとの関わりは、子どもの心にとって大切な安らぎの源となり、現実の不安や孤独を乗り越える力を育んでいくのです。
イマジナリーフレンドを自ら作り出して話しかける子どもがいる一方で、トラウマを経験し、心の深淵に堕ちた人々は、無意識のうちに内的な世界でイマジナリーフレンドと出会うことがあります。これらのイマジナリーフレンドは、本人が意識的に作り出したものではなく、突然向こうから現れる存在です。例えば、実際に頭の中で誰かが話しかけてきたり、夢の中に何度も登場したりします。また、木や草、花、自然、宇宙、精霊、さらにはぬいぐるみと対話するような感覚を持つこともあります。
このような状況では、頭の中で誰かと一緒にいる空想に浸ったり、誰かが話しかけてくる感覚が現実的に感じられることがあります。これらのイマジナリーフレンドは、実際にそこにいるかのような存在感を持ち、両親や周囲との関係がうまくいかないときに、心の中で保護者の役割を果たしてくれます。子どもが悲しいとき、寂しいとき、イライラしているときだけでなく、嬉しいときにもこの友人たちと話すことがあります。時には、否定的な言葉を投げかける存在であることもありますが、逆に肯定的で、常にそばにいてくれる心強い友人となることもあり、その結果、良い神話が心の中で紡がれていきます。
生活が困難になると、この内的な友人たちは、現実生活での負担を軽減する役割を担い、自分の代わりに生活をサポートしてくれるようになることがあります。これらの交代人格たちは、自分の話を聞いてくれたり、良くないことをしようとすると止めてくれたり、孤立や窮地に立たされたときに救ってくれる存在として、内的世界での交流を深めていきます。こうして、パラレルワールドのような内的世界が広がり、現実の苦しさを乗り越えるための支えとなるのです。
イマジナリーフレンドを持つ人々は、自分の内側に存在する、自分とは異なる他者と意識を交わすことで、心のバランスを保つことがあります。彼らの内的世界には、自らとは別の人格が存在し、その結果として解離性障害の特徴を持つことが少なくありません。解離性障害を抱える人々は、身体感覚が麻痺し、自分自身が誰であるかという感覚が希薄になることがあります。そのため、イマジナリーフレンドを通じて、自分の軸を見つけ出し、自己を確立しようとするのです。
しかし、もしそのイマジナリーフレンドが突然消えてしまい、孤独感に苛まれると、自分が何者であるかがわからなくなり、自己の軸が失われてしまう恐れがあります。身体感覚が麻痺し、自分自身の軸が不確かな人々は、イマジナリーフレンドや外部の対象物(信頼できる人、木や草、花、自然、宇宙、精霊、ぬいぐるみ)、あるいは仕事の役割を通じて、かろうじて自己を支えていることが多いのです。
これらの外部の対象や役割を通して、彼らは自分自身を成り立たせ、内的な不安定さを補おうとします。このようにして、イマジナリーフレンドは彼らの内的世界の重要な存在となり、自分を支える柱として機能しているのです。