解離性同一性障害の主人格
▶解離性同一性障害の主人格

 

解離性同一性障害の主人格というのは、一つの身体の中に、たくさんの人格部分が存在するようになり、そのなかで日常生活の大部分を担う存在のことです。主人格は、日常生活の嫌なことや辛いことを切り離すことで、あたかも正常かのように見せて日常生活をこなすことに焦点付けています。主人格は、オリジナル人格(もともとの人格)が現実の辛さを耐えるのはあまりにも辛すぎるから、その代わりになり、新しく作られた人格として日常生活を送ります。彼らは、生きる手段として、あたかも正常かのように見せて、周りに同調していくため、以前より生きやすくなり、周りとの関係も良くなるかもしれません。その一方、急なことや想定外の出来事が起きると、頭の中がフリーズして、固まって動けなくなります。また、主人格が危険な状況に遭遇すると、意識や記憶が飛んでしまって、闘争・逃走の情動的な人格部分に交代するかもしれません。

 

主人格は、過去の出来事や不快な感覚、感情、現実の問題点に気づいてしまうと、石のように固まって動けなくなるという弱点があるために、日常生活を正常にこなすことが大変です。一方、闘争・逃走の情動的な人格部分は、気が強いために、表の世界に出てこられると、周りとトラブルになるばかりで非効率です。主人格は、恐怖や怒り、悲しみなど、外傷体験を想起すると、すぐ石のように固まって、日常生活で機能しなくなるから、無意識のうちに表面的な生き方になります。

 

主人格は、本当に辛い状況を紛らわすように出来ており、痛みを切り離すことができますが、喜びや細かい感情の動きに鈍感で 、他者と人間的な深い繋がりを築くことが難しいです。日常生活では、とてもくるしい、とてもつらい毎日なのにも関わらず、痛みを切り離していくうちに、自分のことが分からなくなり、自分がどう思っているか、何かを考えているかなど想像できなくなります。

 

このように解離性同一性障害の主人格は、小さい時から、複雑なトラウマを抱えていて、トラウマ記憶や感情を切り離し、あたかも正常かのように見える人格が日常生活をこなします。彼らは、子ども時代のことを思い出そうとしても思い出せなくて、他人事のように生きており、感情表現が乏しく、病気への自覚がなく、内面が虚ろです。痛みが大きいことほど、自分のことを知ろうとしないし、自分の中のことを見ないようにして、自分のことを深く掘り下げずに、その場その場をシンプルに生きています。

 

解離性同一性障害の人は、いくつか人格に分裂しているために、過去も未来も想像しづらく、1,2週間経てば、前のことはすっかり忘れているかもしれません。主人格は、交代人格に切り替わった時のことは、自分の記憶の中にはなく、私が私であるという連続した一貫性のある物語を築くことができません。子供の頃の記憶をうっすらとしか覚えていなくて、本当にその記憶が正しかどうかがわかりません。自分がそうあってほしいという理想の物語を思い描いて、作話することもあります。

 

主人格は、大人になっても、自分を理解できません。自分のことが分からずに、自分がありません。時間は止まったままで、大人の役割を演じなければなりません。何をしても現実感がなく、夢の中にいるような感じで、膜を通してすべてを感じて、物事を外から眺めています。

 

解離性同一性障害の人は、長年に渡り、トラウマティックなストレスに曝されており、炎症を起こしやすく、下痢や便秘、頭痛、腹痛、吐き気など体調不良がありながらも、自分がなにに困っているか分からないなど病識に欠けています。体の内部は、瀕死状態かのようで、ボディイメージ(筋肉、皮膚、内臓感覚)を切り離すために、自分のことがよく分からなくなり、外側を基準にして周りを合わせます。日常では、仕事の役割や他者に従って、自分の行動や動作に移します。

 

主人格は、その場その場で生きていて、自分が危害が加えられないように、周りに合わせています。主人格というのは、自分という軸がなく、何らかの対象や役割がないと、自分が自分で無くなってしまいます。一人になると自分の役割がなくなり、一人になると自分がどうしていいか分からなくなり、自分が誰だか分からなくなります。主人格は、良いパートナーを見つけることで安定していきます。

 

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