解離性同一性障害(DID)の主人格は、オリジナルの人格が現実の厳しい変化に対応できなくなった結果、枝分かれした交代人格の中で、日常生活を担う存在です。主人格の役割は、日常の嫌なことや辛いことを切り離し、あたかも正常に生活できているように見せることです。もともとのオリジナル人格が恐怖や混乱、痛みに圧倒され、動けなくなると、主人格が主導権を握り、日常をこなしていきます。
オリジナル人格は心の奥深くに閉じ込められ、自らの意志が通じない檻の中に囚われてしまいます。この時、主人格は周囲の期待や環境に迅速に対応するために、臨戦態勢を取りながら生活を切り抜けていくのです。周囲との関係が改善し、表面的には生活が楽になることもあります。
しかし、予想外の出来事や急な変化が訪れると、主人格はフリーズしてしまい、頭が真っ白になり、動けなくなります。また、主人格が危険な状況に直面した場合、意識や記憶が飛び、闘争・逃走反応を示す人格や仕事をする人格、さらには子どもの人格に交代することがあります。これにより、本人が経験した出来事の記憶が途切れ、どの人格が日常生活に現れるかが予測できなくなります。
このように、主人格は解離によって形成された防衛システムの中で、過酷な環境に適応しながら、複数の人格と共存し、現実を生き抜くために必死に戦っているのです。
主人格は、自分自身ではなく「別の私」が担っており、体はまるで接着されていないパズルのように脆弱です。少しの刺激で過敏に反応し、驚きやすく、考えがまとまらなくなることもしばしば。現実世界の強い刺激に晒されると、体が固まって動けなくなったり、崩れ落ちたりしてしまいます。このため、過去のトラウマや不快な感覚に気づくと、頭がフリーズし、石のように固まってしまい、普通の人のように日常生活をこなすのが困難です。こうした場面では、人格交代が頻繁に起こります。
闘争・逃走反応に基づく人格部分が現れると、彼らは強気な態度を取りますが、殴る、罵るといった攻撃的な表現しか知らないため、周囲とトラブルを起こすことが多く、非常に非効率です。人格が交代している間に、自分が何をしていたか、誰かに取り返しのつかないことをしてしまったのではないかという不安が募り、常に恐怖と共存しています。
仕事する人格部分は、口達者で強く明るく、表面的には優秀に見え、時には仕事で高い成果を上げることがあります。この人格は非常に便利で、主人格に代わり仕事をこなしますが、性格が異なるため、主人格が職場に戻ると、同僚との接し方が分からず困惑します。さらに、交代中は意識がないことが多いため、職場での報告や連絡に食い違いが生じることもあります。
一方、子どもの人格部分は、心身が限界に達したときに身体を回復させる役割を担いますが、その行動は年齢にそぐわず、恥ずかしい思いをすることもしばしばです。このように、解離性同一性障害の主人格と交代人格は、それぞれ異なる役割を果たしつつも、現実との折り合いをつけるために必死に戦っています。しかし、人格交代による影響は、周囲との関係に複雑な問題を引き起こし、彼らにとって大きな負担となっているのです。
解離性同一性障害の主人格は、外傷体験を思い出すと、恐怖や悲しみに圧倒され、まるで石のように固まり、身動きが取れなくなります。このため、日常生活に支障が出ないよう、無意識に視野を狭くし、表面的な生き方を選ぶことが多いです。例えば、大きな借金や性暴力被害といった深刻な問題も、見て見ぬふりをして過ごすことができ、実際にはそれを忘れてしまっているかもしれません。
彼らは、過酷な環境に適応するために外傷体験を無意識に解離させ、その記憶を思い出すことができません。しかし、その記憶は意識の外側に生々しい形で残り続けており、心の中には漠然とした不安が漂っています。過去の体験が無意識に押し込められているため、日常生活に潜在的な影響を及ぼし続けます。
また、解離性同一性障害の主人格は、別の人格に交代した際の記憶が失われることが多く、自分が何をしたのか、何が起こったのかをすべて把握できません。このような状態は、彼らと親密に関わる人々にとって大きなもどかしさを生じさせます。主人格が重要な出来事を覚えていなかったり、すぐに忘れてしまうため、二人にとって大切なことを共有することが難しく、関係が歪んでしまうこともあります。
この記憶の断絶は、彼らにとって生存のための防衛手段でありながら、周囲との関係を複雑にし、相互理解を阻む大きな障害となります。
解離性同一性障害の主人格は、子どもの頃から次々と訪れる辛い出来事に対処するうちに、感情をどこかで失っていきます。悲しみや喜び、辛さや楽しさといった感情が次第に薄れ、最終的には消えてしまうのです。また、恐怖や痛み、不快感、さらには暑さや寒さ、空腹感や疲労感といった体の感覚までも感じられなくなり、他者と深い人間関係を築くことが困難になっていきます。
日常生活では、実際にはとても苦しく辛いはずなのに、嫌な感覚や感情を切り離していくうちに、自分の身体がぼやけて感じられなくなり、周囲の世界さえも曖昧に見え始めます。まるで心を失った人形のように、自分の身体が自分のものではないと感じ、自分の内面を見つめても、そこには何も見えません。かつて大切だったものも失われ、人間らしささえも感じなくなってしまうのです。
麻痺が酷くなるにつれて、感情も感覚も完全に消え、自分が何を考えているのか、どう感じているのかが全く分からなくなります。こうして、心が空洞になり、存在そのものが曖昧になっていく。自分自身の存在意義さえも見失ってしまい、何も感じられないまま生きているような感覚に囚われてしまうのです。
解離性同一性障害の主人格は、幼少期から複雑なトラウマを抱えながらも、その記憶や感情を切り離して生きています。彼らは、表面的にはあたかも正常に見える防衛システムを構築し、日常生活をこなすことに焦点を当てていますが、内面は虚ろで感情の表現が乏しいのが特徴です。子ども時代の記憶を思い出そうとしても、まるで他人事のように感じてしまい、痛みや感情が遠く切り離された存在になっています。
常に何かを考えている彼らですが、痛みが大きくなるほど、自分自身と向き合うことを避け、自分を守るために内面を掘り下げることはありません。あえて感情に触れず、その場その場を機械的に、マニュアルに従うかのようにシンプルに生き続けます。そのため、外から見ると冷静に振る舞っているように見えますが、内側では過去の記憶や感情が遮断され、自分自身の存在さえ曖昧に感じているのです。
解離性同一性障害の人々は、いくつかの人格に枝分かれしているため、過去や未来を明確に思い描くことが難しいのが特徴です。昨日の出来事すら思い出せず、1〜2週間経てば前のことはすっかり忘れてしまうこともあります。特に主人格は、交代人格が表に出ている時の記憶を保持していないことが多く、「私」という一貫した物語を築くことができません。そのため、自分が誰であったのか、どのように生きてきたのかを繋げることが難しいのです。
子ども時代の記憶も曖昧で、過去の出来事が正確だったかどうか確信が持てません。時には、自分が望む理想の物語を思い描き、それを現実の記憶として受け入れることがあります。作られた物語と現実の境界が曖昧になることで、彼らは自分の人生に対する一貫性や確かさを感じられず、孤立した存在として日常を生きていくのです。
主人格は、大人になっても自分自身を理解することができません。自分がどんな人間なのかが曖昧で、「自分」という感覚が欠如しています。時間はまるで止まったかのように感じられ、実際の年齢や役割に追いつかないまま、無理に大人として振る舞わざるを得ません。現実に対しても実感がなく、まるで夢の中を漂っているかのような感覚が続きます。
すべての出来事は、まるで薄い膜を隔てて感じているようで、物事に深く関与することができず、外からただ眺めているだけのような気がします。この現実感の欠如は、日常生活をますます困難にし、心の中に空虚さと孤独感を抱えながら、生き続けなければならないという苦しみを伴います。
解離性同一性障害を抱える人は、長年にわたって安心感を感じたことがありません。彼らはトラウマによるストレスに常にさらされており、自律神経のバランスが崩れて、背側迷走神経や交感神経が過剰に働き続けています。その結果、胃腸や皮膚に炎症が生じ、下痢や便秘、頭痛、腹痛、吐き気といった身体不調が絶えず続いています。精神疾患や心身症も深刻でありながら、自分が何に困っているのかを認識できない、つまり病識に欠けていることもよくあります。
身体内部には膨大なエネルギーが滞り、まるで瀕死状態にあるかのようですが、身体感覚が麻痺しているため、自分の体の状態や感覚がわからなくなります。ボディイメージ(筋肉や皮膚、内臓の感覚)が乏しいため、自分自身がどう感じているのかを認識できず、外側の環境や周囲の人々に合わせて行動するしかありません。日常生活では、仕事や他者に従いながら、自分の行動や動作を無意識に移していく姿が、孤立感と無力感を深めていきます。
主人格は、その場その場で「こうすればいい」と体に染みついたマニュアル通りに動くため、常に周囲の主張に適合して自分を守る生き方をしています。自分自身の明確な軸がなく、何らかの対象や役割がないと、存在が不安定になり、自分を見失ってしまうのです。一人でいると、役割を失い、自分がどう振る舞ってよいか分からなくなり、時には自分が誰であるかすら分からなくなることもあります。
主人格は、良いパートナーを見つけることで一時的に安定を得ることができますが、身体の不調や精神的な苦痛と戦い続けることになります。また、幼少期から管理者人格により適切な教育を受けてきた場合、他者に思いやりを持ち、精神的に豊かな生活を送ることができる場合もあります。しかし、このバランスが崩れると、自己を見失い、外部への過剰な依存が生じやすくなるのです。
トラウマケア専門こころのえ相談室
論考 井上陽平