精神分析の世界では、ヒステリーを患った女性の多くが、子どもの頃に体験した性的な出来事が関与しているとされてきました。現代の精神分析においても、幼少期の母親との愛着関係がうまく築かれなかった場合、父親に対して愛情や安心感を求めます。しかし、父親との関係において性愛的な情緒が刺激されると、これがヒステリーの原因となり得ると考えられています。
ヒステリーの病因については、神経の発達に問題があるか、あるいは幼少期の愛着形成に困難があったかどうかが大きな影響を与えるとされています。また、家庭環境も重要な要素で、特に夫婦関係が不仲であったり、子どもが常に「良い子」でいなければならない家庭や、機能不全の家庭で育つ場合、その影響は深刻です。これらの要因に加え、性的外傷やトラウマ体験が重なることで、恐怖や不安に怯え、心と身体が凍りつくような感覚を引き起こし、ヒステリーを発症しやすくなると考えられています。
ヒステリーに罹る人々は、幼少期の愛着形成や家庭環境の影響、さらに性的外傷が複合的に絡み合い、トラウマが心に深い傷を残すことで、心理的な苦痛に悩まされ続けることが多いです。こうした背景を理解することで、治療やケアの重要性が見えてくるのです。
フロイトとブロイラーのヒステリー研究では、象徴的な症例としてアンナ・Oが登場します。彼女は身体の衰弱に加え、頭痛や視覚障害、感覚の喪失、麻痺、意識の途絶、幻覚、言語障害など、さまざまなトラウマ症状に苦しんでいました。彼女の最も特徴的な症状は、二つの異なる意識状態を持ち、それらが突然切り替わることでした。一方の人格は、教養があり悲しげで不安そうなものの、外見上は正常に見える状態です。もう一方の人格は、幻覚を伴い、下品で卑猥な発言を繰り返す病的な人格であり、これらが交互に表れるものでした。
現代の精神医学では、このような症状を持つ人々は、解離性障害(解離性同一性障害や特定不能の解離性障害)や境界性パーソナリティ障害と診断されることが多いです。アンナ・Oのように、病的な人格を内に抱える人は、その人格が支配的になると、自分の意志に反した行動を取られ、日常的な幸福を手にすることが難しくなります。このような人格はしばしば、サディスティックに本来の人格を攻撃し、本来の人格は次第にマゾヒスティックな状態へと追い込まれていきます。
ヒステリーを患う女性は、虐待や暴力、レイプといった過去のトラウマから逃れようとしながらも、心と身体の中に未解決の闘争・逃走反応や性愛のトラウマを抱えています。彼女たちは、表面上は他者に合わせて取り繕い、相手に合わせることが多いですが、内側では強い恐怖や無力感にさいなまれています。特に、ほんの些細な出来事がきっかけで、突然の恐怖や絶望感に飲み込まれ、身体は闘争や逃避の反応を引き起こします。
ヒステリー性の癇癪や感情の爆発は、交感神経系が過剰に興奮したときに現れます。この状態では、他者からの些細な刺激が神経を逆撫でし、感情が爆発してしまうのです。彼女たちは理性でこの情動を抑えようと試みるものの、頭と身体が別々の行動を取ろうとしてしまい、深いストレスを感じます。その結果、心と身体が一致しない不快感に苦しむことになります。
さらに、心と身体が一致してしまうと、内側からゾワゾワとした不快な感覚が湧き上がり、それが彼女たちをさらに苦しめます。これにより、日常生活で強いストレスを感じながらも、それを表に出すことなく耐え続けるという悪循環に陥ってしまうのです。
さらに、不快な状況で闘争・逃走反応が機能せず、身体が凍りつく瞬間には、頭痛、吐き気、耳鳴り、発作などの身体的な症状が急激に現れます。そして、最悪の出来事が頭をよぎり、嫌な記憶が鮮明に蘇ってきます。この嫌悪感に耐えられなくなると、気が狂いそうになり、じっとしていられなくなり、自暴自棄な行動を引き起こすことがよくあります。
ヒステリックな場面では、金切り声をあげて走り回り、壁や自分の頭を叩いたり、身体を傷つけたり、薬を過剰に摂取したりすることがあります。また、外に飛び出したり、相手を激しく罵倒するなど、コントロール不能な行動が見られます。こうしたヒステリー発作は、その人のわがままで起こっているわけではなく、トラウマに起因する自律神経の過覚醒や凍りつきのメカニズムによって引き起こされるものです。
過覚醒や凍りつきの状態を生きる人々は、嫌悪刺激に非常に敏感であり、不快な状況が続くと、次第に自分が自分でなくなるような狂気や混乱、絶望、錯乱状態に陥ることがあります。彼らは、フラッシュバックやパニック、悪夢に疲れ果て、日常生活で適応的な行動ができなくなり、社会生活を送るための技能やエネルギーを失ってしまうのです。このような背景から、彼らが取る不適切な行動や無力感は、決して意図的なものではなく、トラウマに深く根ざした苦しみの表れなのです。
ヒステリーの女性は、極度に繊細な神経を持ち、ストレスに対する耐性が非常に低い特徴があります。わずかな刺激にも敏感に反応し、感情が急激に昂ぶったり、逆に落ち込んだりと、激しい感情の起伏に翻弄されます。その結果、自分自身で感情をコントロールすることが難しくなり、気分の振れ幅が日常的に大きくなっていきます。
特に、感情が過剰に昂ぶったり、深く落ち込んだりすると、自分の身体が自分のものでなくなったような感覚に襲われることがあります。こうした感情の激変に対処するために、無理に自分の中の不快な感覚や感情を抑え込もうとすると、ますます状態が悪化し、自分が何者であるかが分からなくなることも少なくありません。この過程で、身体的にも精神的にも混乱し、自己喪失の感覚に苛まれるようになります。
警戒心が過剰になると、心と身体が過緊張状態に陥り、視野が狭まり、危険な行動を取ることがあります。この過緊張は、神経の働きが幼少期の段階に戻るような感覚を引き起こし、声が幼くなるなどの変化も見られます。特に、人と会う予定が近づくと、その緊張感はますます高まり、身体に顕著な影響を及ぼします。たとえば、痙攣や手足の痺れ、運動麻痺が起こり、約束の場所に行けなくなることがしばしばあります。
このような状態では、異常な行動をとった際の記憶が健忘により抜け落ちてしまい、後から何が起こったのか分からなくなることがあります。苦痛やストレスから逃れるために、お酒や薬物に頼ることもあり、依存症のリスクが高まる危険も潜んでいます。
子どもの頃から、親や人の気配に怯え、暗い場所に隠れ続けてきたことで、生きる希望を持てず、「生まれてこなければ良かった」と感じている人がいます。過酷な環境に長い間身を置くと、明るい未来を思い描くことができなくなり、逃げ場も選択肢もなくなると、心と体が限界を迎え、闘争・逃走反応が中断され、頭が真っ白になり、身体が凍りついてしまいます。この時、自分の中に「病的な産物」が生まれ、それが成長し、やがて本来の自分に取って代わってしまうのです。
この病的な産物は、痛みによって成長し、自らを満たそうとせず、むしろ自分を傷つけ、他者から軽蔑されるような行動を取ります。そして、喜びや幸福を感じることができず、明るい世界を見ることが辛くなり、手に入れた幸せを自ら壊そうとします。
一般的に、心の中に情動的な人格部分を抱えている人は、表面的には正常に日常生活を送ろうと努力していても、外部からの精神的ストレスにより、自分らしさを保つことが難しくなります。最初は周囲に合わせようと無理を重ねますが、次第にその無理が限界に達し、相手の自己中心的な態度によりストレスが増大します。その結果、交感神経が過剰に働き、内側に蓄積された激しい怒りの感情が制御不能になってしまいます。
怒りが抑えきれなくなると、攻撃的な言動に変わり、自分の意志に反して四肢が勝手に動いてしまうこともあります。このように、感情のコントロールが効かなくなることで、次々と人間関係が壊れていきます。最終的に、よくない状況に陥る方がむしろ安心だと感じてしまい、幸せになれないという結末に自らを導いてしまうのです。
自分は周囲から嫌われていると感じ、どんな状況でも否定的で悲観的なシナリオが頭に浮かんでしまいます。例えば、恋人が他の女性に目を向けただけで、強い嫉妬心が湧き上がり、自分が捨てられるのではないかという不安に駆られます。また、恋人が一人でテレビを見たり、趣味に没頭しているときには「自分なんて必要とされていない」と思い込んでしまい、その感情が怒りに変わります。自分が常に相手にとって一番でなければならないという強い欲求が、心に負担をかけ続け、些細なことでも感情が揺さぶられる日々が続くのです。
他者を思いやる心の余裕がなく、相手との違いを脅威に感じてしまい、自分と他者の境界線が曖昧になっていることがあります。相手が自分を理解していないと感じると、まるで軽んじられているように思い、怒りをぶつけることもあります。特に、相手が自分の期待に応えてくれないとイライラし、苛立ちが募ります。その一方で、内心では誰かに助けてほしい、話を聞いてもらいたいという強い欲求を抱えています。自分の気持ちを理解してもらえると、その瞬間に安心感が得られ、心が少し楽になるのです。しかし、思い通りにいかない現実と、理解されたいという渇望の間で揺れ動く日々が続いています。
子どもの頃から大人の嫌な部分を目の当たりにしてきた経験から、自分の中にそうした嫌な部分を取り込まないよう、必死に自分を守ろうとしているのです。その結果、自分の嫌な部分を消し去り、汚れから身を守るために徹底的に努力し、何事にも完璧を求めるようになります。自己防衛のために、完全無欠な自分を目指して、あらゆることに全力を尽くし、他者からの影響を受けないようにする。しかし、その過程で、自分を追い詰めすぎてしまい、常に高みを目指さなければというプレッシャーに苛まれることもあります。理想の自分に近づこうとする一方で、時折その過程で生じる苦しさや葛藤に気づくことができなくなってしまうのです。
性行為に対する衝動に圧倒されると、心と体は複雑な対立に直面します。一方では、恥ずかしさや抵抗感、嫌悪感を抱きながらも、もう一方では、抑えきれない動物的な性衝動に突き動かされ、自分自身がコントロールできなくなってしまいます。この状況では、まるで自分が自分でないかのように感じられ、無意識のうちに衝動に従ってしまうこともあります。理性で抑えたいという思いと、衝動に突き動かされる身体との間で、深い葛藤が生まれ、これが自己分裂を引き起こす原因となります。
自分であって自分でない部分が時折顔を出し、衝動や本能に突き動かされてしまうことがあります。理性的に振る舞おうとする一方で、内側から湧き上がる怒りや強い感情に飲み込まれ、思わず誰かを傷つけたいという衝動が走ることもあるでしょう。その結果、気づかないうちに手が動いたり、口調が荒くなったりして、内面の衝動をコントロールできなくなります。このような状況では、自分の意思とは無関係に行動が引き起こされ、後から後悔や戸惑いを感じることが少なくありません。理性と感情、抑制と衝動の狭間で揺れる心は、自己の一貫性を保つことが難しい状況に追い込まれます。
体内にトラウマが蓄積されていると、感情のコントロールや自己調整機能がうまく働かず、日常生活に大きな影響を及ぼします。些細な嫌悪刺激にも過敏に反応し、自分の思い通りにならない状況では、苛立ちやストレスを強く感じます。周囲と協調しようと無理をして嫌なことを我慢していると、心だけでなく体にも悪影響が現れます。身体が硬直し、不安や恐怖に襲われたり、痛みや不快感が増し、体調もどんどん悪化していきます。このような悪循環から抜け出すためには、トラウマに向き合い、自己調整力を取り戻すプロセスが必要です。
幼い頃は、親の期待に応えようと、親にとって都合の良い子として育つことがよくあります。しかし、成長するにつれて、親の欠点や矛盾に気づき始め、次第に反発心が芽生えてきます。思春期を迎える頃には、その反発はより顕著になり、成人して家を出る頃には、親との関係が心の大きな悩みとなります。親とべったりと離れられなくなったり、逆に関係を完全に断ち切ろうとしたり、距離を置きたいと感じたりするなど、親子の関係は複雑なものになります。
トラウマケア専門こころのえ相談室
論考 井上陽平