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境界の神トリックスター


トラウマの内なる世界において、トリックスター元型がどのように内的に作用するのか、ドナルド・カルシェッドの文章を引用しながら記述しています。

 

幼少期にトラウマや虐待など受けた子どもは、恐怖の戦慄により、身体が凍りついて動けなくなる経験をしています。トラウマを負った後は、家庭や学校、社会の中で、逃げられなくなる状況を恐れており、何かに拘束されることが苦手です。彼らは、社会の役割を背負いたくなく、変幻自在になれると思っていないと苦しくなる性質があり、両価的なトリックスター元型がこころの防衛のために、内的世界に棲みつくことがあります。例えば、世話をするはずの養育者から酷い懲罰を受けて、しんどくなると、この現実世界から逃避して、身代わり天使に任せます。その身代わり天使でさえも養育者の機嫌を損なう場合には、天使と悪魔の間を仲介する第三の存在トリックスターに代わって、様々な障害を変幻自在に乗り越えようとします。しかし、そのトリックスターでさえも対処しきれない場合には、無垢な権利が奪われて、魂が悪魔化します。

 

トリックスターというのは、無情な親や学校社会が用意するあらゆる障害(ハードル)を身体ひとつで乗り越える曲芸師であり、熟練したアクロバット師であり、ときどきマジジャンであり、道化師としての役割を担います。このトリックスター元型に憑りつかれた人は、フワフワと地に足がついておらず、ボヤボヤした夢と現実の中を生きています。彼らは、過度にストレスや緊張がかかる場面では、全身が縮んで、その限界を超えると、フリーズして、交感神経系に乗っ取られます。このとき、変なテンションになり、大げさな行動を取ったり、芝居がかった仕草をしますが、その理由として、彼らは自分だけの安全な場所がなく、周りとの関係においてしか自分を成り立たせることしかできません。彼らは、踊ったり、ピエロになっておちゃらけたりして、人から注目されることで、自分の価値を感じて、本来の自分を取り戻します。

 

彼らは、過覚醒と低覚醒の間を行ったり来たりして、興奮したり、警戒したり、退屈しのぎしたり、感覚を麻痺させたりして、変幻自在に自分の姿を変えます。そして、スリルを求めて、危険を楽しみ、ありとあらゆる色を纏う多面的な性格を持っています。基本的に、人を憎んでいるけど、平気なふりをして、いたずら好きで、逃げ足が速いのが特徴です。発達早期のトラウマの影響から、自分の軸がないために、他者の思いやりや慈悲の心、身勝手さ、攻撃性、欲深さなどに反応して、善と悪、賢者と愚者などの二面性を持つようになりますが、トリックスターはその間の仲介を担う元型的な内的人物像です。

トリックスター元型が作用している人の例


子どもの頃のトラウマの経験が、他者との関り、特に異性との恋愛において影響を及ぼして、人と繋がることが苦しくなります。トリックスター元型が作用している人は、例えば、両親との関係に問題があり、家族のために一生懸命やってきましたが、何度頼ろうとしても、裏切られ続けて、心が壊れてしまいます。親に対して、本当は愛されたかったとか、分かってもらいたかったという部分が真黒になり、叶うことがありませんでした。彼らは、対象と距離を置き、自分のスキルを磨きますが、異性と親密な関係になっていくと、どうしても壊したくなります。その結果、相手からしたら、もて遊ばれているように感じてしまいます。

 

子どもの頃から、トラウマティックな生きるか死ぬかモード(過剰な自己防衛)に固着し、心身が限界に達して、自分の居場所が無くなり、安心感が全くありませんでした。一人になると、心寂しくて、落ち着きがなくなり、じっとしていられない衝動から、誰でもいいからと利用して、普通の人が踏み入れない領域まで平気で行います。本当は、自分のことを分かってほしいと思って、大切な人との関係をやり直したいのですが、大切な人ほど、その人の言動で一喜一憂してしまって、しんどくなります。

 

愛情を得るのは諦めて、元気がなく、本来の自分を遮断させて、生きる屍のような状態にあります。そんな自分を元気にするために、どうでもいい人との関係で気分を紛らし、暇つぶしの人生になります。また、自分なりに生き延びる術が、興奮を得て、エネルギーを取り戻そうしており、食を満たす、お金を手に入れる、異性との身体的な関りをもつ、ギャンブルをして勝負に勝つ、買い物などの物質的な満足を得るなどになります。自分の容姿を気に入ってくれる人と関わることになり、人から注目されたり、チヤホヤされたり、話しかけてくれることに心地よさを感じます。しかし、そのような人たちと話して、ハグをしてもらっても、ただ今を楽しみたいという感情に貫かれているだけなので、実際にはその人たちの気持ちなどはどうでもよくて、自分の欲求を満たすことのみに関心があり、他人のことに全く関心がありません。トリックスターに憑りつかれた人と関わる人は、相手の真意を理解できないまま、狐につままれたような居心地悪さを感じ、いいように利用されるだけされて終わります。

ドナルド・カルシェッドのトリックスター


ユング派のドナルド・カルシェッドは、トリックスターについて述べています。『トリックスターは、未開文化では良く知られている人物像で、そしておそらく神話にみられるもっとも太古的な神のイメージである。彼は物事の最初の始まりから存在し、そのためしばしば老人の姿で描かれる。彼の本質的な特徴は、ヘルメス/メルクリウス(彼の人格化のひとつである)のように、ドンキホーテのような空想性と、両価性である。一方で彼は、殺人者で、道徳規範をもたず、邪悪で、しばしば地下世界の力のあるダイモンや動物と同一化している。彼はエデンのような楽園的世界に傷みや死をもたらすことに与っている。しかし彼はまた偉大なる善も為し得る。よく知られていることだが、彼は神と人間を仲介する霊魂の導き手であり、しばしば彼の悪魔的な性質は、新しい始まりを先導するのに必要なものである。』

 

トリックスターの悪魔的側面は、二つに分裂させたり(解離)、トランス状態にしたり、また体験の要素間のつながり(関係)を攻撃したり、そして一般的に自己破壊的な退行をさせたりする能力がある。しかしながら注目されるのは、境界の神であるトリックスターはまた同様に、パラドックスの両側を仲介することにも関わっており、一種の力動的な人格化と考えられるかもしれないということである。二律背反的に、彼は対立するものをともに含み、欠けている「第三」のものとなる。そのため彼はトラウマ後にこころを圧倒するような、敵対する元型的力動のあいだを仲介するという仕事に理想的に適しているのである。

 

簡単にいうと、彼はその機能として、悪魔的(分離する)でもあり、象徴的(統合する)でもあるのだ。その悪魔的かたちでは、耐えられないことを体験するのを避けるために内的世界での結びつきを切断する。その象徴的かたちでは、以前に断片化されたものを、全体にまとめるのであり、象徴を通して無意識と自我を関係づけることによって、それをなすのである。もしも以前に外傷を負った自我が、その体験の全衝撃を「精神(心)で耐え」られるほどにいまは強いのだということになるならば、トリックスターは、悪魔的なばらばらに切り離す役割から自由になり、いまや個性化と創造的な生に貢献するのである。

 

参考文献

D・カルシェッド:(豊田園子,千野美和子,高田夏子 訳)『トラウマの内なる世界』新曜社 2005年

 

トラウマケア専門こころのえ相談室

論考 井上陽平

 

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