機能不全家庭、家族トラウマ


どんなにひどい親でも信じたくなってしまうのが子どもです。信じやすい子どもが、ずっと耐えて、耐えきって、きっといつか優しくしてくれると家族に幻想を抱いた分だけ、どれだけひどい目にあわされたかを自覚し、受け入れてしまったとき、自分の心が崩れていきます。家族というものをずっと大切にしてきて憧れてきた人が、その家族に対する幻想が消えたときに、実体が見えて、絶望します。

 

幼少期は、家庭に癖や偏りがあっても、自分の家庭のことしかわからないため、そのようなものとして過ごします。子どもは、自分を脅かしてくる親から優しさがほしいので、必死に良い子でいて、親を美化し、親に優しさを与えようとします。しかし、ある程度成長してくると、家庭を客観的にみるようになり親のことも自分の視点から判断します。次第に、自分の家庭におかしなところがあることなどに気づきます。

 

家族トラウマは、このように親に問題がある場合と、または、子どもの心身が繊細すぎて、人一倍敏感なところがあるために、親や家庭の問題や雑音を気にしすぎて問題を起こしていく場合があげられます。

 

トラウマや発達障害があり、身体が弱く、敏感すぎる人は、家族の目が気になり、自分自身を捩じらせ、自分を犠牲にして、周りに合わせようとします。家族の幸せや、愛情がほしくて頑張ってきましたが、自分の本音や本当の気持ちを出せなくなるうち、自分が傷ついていき、そんな自分を感じることができなくなり、心も身体もおかしくなります。

 

とくに虐待を受けてきた人は、小さいときから、家族と過ごすときもガチコチに身体を凍りつかせてきました。自分の意思で物事を決めることなく、受動的な存在になり、親の行動や反応に常に警戒し恐れる毎日を過ごしてきました。恐れや痛み、怒りなどの感情が常にある状態で心身も極度の緊張状態で生きてきました。

 

家族の人に脅かされるたびに、身体が委縮して、ちょっとしたことでも神経が痛んで、心が傷つきます。家の中では、親の気配や物音に注意が集中し、次に何か起きないかと神経を張りつめて、ビクビクしています。耳を澄ませて、周りの気配を伺いながら、何かに追い立てられるような感覚のなかで生活しています。家が牢獄という感覚で、安心できないために縛り付けられて、閉じ込められて、精神的に辛い状況が続きます。親が帰ってきたら、部屋にこもり、音楽を聴いたり、勉強したりして、自分を守ります。親がヒステリックに怒ると、胸が痛くなったり、息が吸えなかったり、命の危険を感じます。

 

どうしようもない親を持ち、どうすることもできないことがもの凄いストレスになり、身動きが取れなくなっていきます。家庭という私的な空間で、毒親とともに暮らすことは、 うまくいかないことが続くため、人生に疲れてしまい、精神的、身体的な不調を引き起こします。子どもは、親の言動に耐え忍ぶしかないなか、親は身勝手に振る舞い続け、優しさがありません。

 

家庭の中で苦手な人に出くわさないようにとか、悲惨な出来事が起きないようにするため、神経が研ぎ澄まされます。脳が危機状態で、過緊張や警戒が続いて、人の気配や音、声に注意を向け、集中していくと、体が凍りつきます。過覚醒で、夜は眠れず、十分な睡眠時間が確保できず、心身にストレスが蓄積され、息切れして、体の節々が痛み、手足は冷え、体力は奪われていき、元気がなくなります。疲労が抜けなくなり、強迫観念や過敏症が出て、自分の殻に閉じこもりたくなります。

 

家族トラウマになる一つの理由は、父親が怖くて、母は父を止めれずに、自分が父を止めようとするような場合があげられます。暴力のなかにいて、強く育つように教育され、一番でいるように頑張ったり、家族の要求に応えているのに、家族が自分に共感してくれないようなことに傷ついていきます。また、可哀想な母親のために、喜ばせようと一生懸命になりますが、その母親に踏みにじられて、人生が悲惨なものになります。さらに、親が優しいこともあれば、すぐに態度が豹変して、手の平を返されたりする経験から、自分のことを受け入れてもらっている感覚がもてず、拒絶されてきたように感じてきました。

 

夫婦の仲が悪く、面前DVを見てきた子どもの場合は、親の怒りを和らげようとか、居心地のいい家を作ろう奮闘し、なんとか親と良い関係を持とうと努めますが、どう働きかけても、関係を良い方向に向けることが出来ず、家族といても災いしかなく、降り積もったものは、嫌な気持ちや痛みばかりです。次第に、家族にひたすら合わせてたけども、自分への配慮は全くなかったことに気づきます。

 

親との関係をうまく築けなかった人は、子ども時代の家庭内で感じていた居心地悪さを大人になっても再体験します。そのため、社会にでて他者との関りを持つときに、居心地悪さを感じやすく、他者との共同身体性や共通感覚に問題が出てきます。家族のことにずっと捕らわれた状態にあり、頭の中で同じ考えが、グルグル回っています。こうあってほしかったという家族への理想と現実が全然違うことへのギャップに苦しみ続けます。家庭内で感じていた居心地悪さを、別の場面でも再体験していくために、

 

家族の問題にとらわれているため、内面は空虚、表情は無表情で、感情も凍りついて、生気がありません。小さい頃から、とても苦しい、とても辛い毎日を送っており、子ども時代の記憶をうっすらしか覚えていなくて、それが本当に正しい記憶かどうかも分かりません。子どもの時代のことを思い出そうとしても、感情がなくて、出来事しか思い出せません。彼らは、私は私であるという一貫した自己の連続的な物語が無くて、その代わりに、こうありたいという自分の妄想で埋め合わせしています。

 

親との関係に悩んできた時間が長くて、親の言動を理解できず、普段から親の顔色伺いながら、ビクビクし、怒らせないように良い子でいることが癖づいてきました。幼少期には、親に好かれたいという思いから、親に期待して近づき、自分の本音や本当の感情を伝えると、親の拒絶に遭いました。親への依存感情は、ことごとく拒否されて、自分を責めるという状態を繰り返します。裏切られたことに腹が立ち、怒りが膨らんで、その感情を伝えても倍返しにされました。長年に渡ってこのようなやり方をしてきて、家族といても一度も満たされることがありません。

 

毒親や毒兄弟をもつ子どもは、親や兄弟の正常ではない言動に日々悩むのみでなく、それらが、自分の考え方や感じ方に影響し、価値観や自己に浸透してくることに怯えます。親のDNAや価値観、行動が自分の一部となり、彼らの血が自分に流れていることを嫌悪し、自分の存在すらも拒絶したくなります。

 

目に見える暴力がなくても夫婦の仲が悪いと子どもはその奇妙さを肌で感じて、夫婦関係がうまくいかなくてピリピリしているか、冷めているか、喧嘩が多く、無意識のうちに影が反映されて、暗さが内面化されています。世の中を見る目が悲しみや虚しさになります。

毒親の状態と理不尽な目に遭う


トラウマを持つ親は、配偶者や子どもにも警戒し、緊張していて、過剰に情報処理を行います。神経は張りつめて、ちょっとした変化にも気づいてしまうので、嫌なことがあるとしんどくなり、八つ当たりします。トラウマを持つ親は、疲労が蓄積されていて、心に余裕がなく、イライラして怒鳴る時と、自分を責め、罪悪感に苛まれて、落ち込んでいる時の間が両極端なために、子どもは振り回されることになります。

 

親子関係の不条理なところは、態度が悪い子というのは親の考えや感じ方を基準に価値づけをしただけの可能性があります。その子どもが親のことを嫌がり、避ける理由には、親が普通から外れたこともあるかもしれないのに、親の価値基準に当てはめて、子どもの性質を決めつけてしまうことが問題です。

家族をトラウマを抱える人はその後、家庭をどうとらえるか


親は、わが子の面倒をみて育ててきたのだから、子どもは親に感謝するべきというよくある考えは、良い家庭のみに当てはまります。

 

機能不全家庭で育ち、親子関係がこじれてきた人は、家族を持つことに憧れて幻想を抱くか、子どもを作ることに抵抗が出て、家族制度に疑問を持つことがあります。親子だから無償の愛を与えるべきという考えや、愛情や家族について考え、錯覚、妄想、被害感情、劣等感などが渦巻きます。ほど良い親のもとで育った人は、子どもを作ることに抵抗がなく、家族に対しても何の疑問も持たない傾向があります。

 

自分のことで精一杯な状態のために、子どもを責任もって生み育てられるか自信がありません。自分が幸せでなかったので、子どもがいる家庭が幸せには思えません。何も考えずに子どもを作ることを前提にしている人達の気持ちが分かりません。

 

家族にトラウマがある人は、家族へのイメージが寒々しく、寂しいもので、一般的に言われる仲の良い家族について批判的に考える傾向があります。彼らは、仲の良い家族とか、家族とはこうあるべきとか、よく言われるそういう言葉やそのような通説に敏感に反応します。そして、根本的に家族というものは何なのかということを考えるようになり、そzういうものに批判したくなるかもしれません。

  

トラウマケア専門こころのえ相談室

公開:2020-05-18

論考 井上陽平

 

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