低覚醒状態で、植物のような生き方をしている人というのは、常に息を潜めて、周囲を警戒しており、心拍数や体温、血圧や呼吸数も少なくなっていきます。日常では、息が浅く、呼吸の回数も少なく、酸素をあまり必要としなくて、心拍数が低いです。心臓や気管支の状態が、顔の表情にも出てきて、植物のような生き方になります。日常を生きていくうえで、自身が持っているエネルギーや気力が低いために、体力がなく、ウィルスや菌に弱く、すぐに疲れたり、風邪を引いたり、体調を崩したりして、活動性が低下しています。そのために、精神的負担を減らすことに注意を向けて、できるだけストレスのない空間で過ごしたいと思っています。人間関係を深く結ぶことが出来ず、性格は内向的になり、自分の世界に入り、引っ込み思案で、体力を消耗するような他人との揉め事や争いを避けて生きていくことを望みます。
このような生き方の人は、幼少期に問題があることが多く、両親の仲が悪かったり、親が子どもの見ている前で暴れたりなど、子どもは親の顔色を伺いながら、冷たい空気のなかで生活してきました。小さい頃から、病気がちで、PTSDやトラウマを負いながらも、ひっそり生きており、物静かで、不思議なことがあるような人生になります。人間関係のなかで外傷体験を反復して、交感神経がすぐにシャットダウンするようになり、背側迷走神経に支配される生き方になります。
生きるか死ぬかのギリギリな状況で生きてきた人は、皆の生きているペースに合わせることができず、体力を使うことをしたくありません。人間関係を増やせば増やすほど、体力や時間、お金を使います。人間関係を維持するためには、もの凄いエネルギーを使うので、マイナスを断ち切って、人よりも低いエネルギーで生きている自分の心身を守ろうとします。誰とも争いをせずに、静かにして、目立たないようにしたいと望むようになります。動物ではなく、植物のような生き方になり、問題を嫌い、静寂を求めます。
また、そのような弱者にとって、世の中は残酷で、安心感を得られないので、体をこわばらせ、人間への不信感を募らせ、身を潜めています。問題や争いごとを起こしたくなくて、事なきように自分を守っていきるうちに、そっと生きてるために呼吸も心拍も少なくなっていきます。死んだふりや体を凍りつかせながら、息を止めて生きている人は、酸素を必要とせずに、低覚醒状態になります。
出すエネルギーも、取り入れるエネルギーも少なく、食べ物も酸素も多くを必要とせず、エコフレンドリーみたいな生き方をする一方で、植物のようにそっと生きていくために、周りに自身をアピールしたり、影響を与えたりすることは少ないです。心は植物に似ていて、環境にかなり依存しているために、心が折れるような辛い体験ばかりだと、パニックか鬱になって、体の中から枯れます。しかし、環境が自分に合っていれば、息を吹き返して、機嫌が良くなり、青々と茂ります。植物は水だけど、人間は安心がなければ枯れていき、安心があれば青々と茂ります。
トラウマケア専門こころのえ相談室
更新:2019-11-07
論考 井上陽平