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自己愛性パーソナリティ障害の特徴


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自己愛の病理と人格形成


自己愛性人格障害が形成されていく要因は、大まかに分けると、一方は、子どもの頃からの逆境体験(トラウマ)により、身体内部はストレスフルで、脳と身体を繋ぐ神経系が繊細に反応し、安心感がなく、人の目を気にして、ポジション取りのために、闘争・逃走の防衛か、凍りつき・死んだふりの防衛が過剰になっているタイプです。もう一方は、軽度の発達障害の傾向があり、遺伝的要因が強く、生まれ持った資質の弱さから、神経の繋がり方が繊細で、凍りつきやパニックになりやすいタイプです。彼らは、トラウマや発達障害という宿命を持ち、脅かされ続ける状況にいて、等身大の自分は無力だからこそ、優位に立って、生存を高めるための生き方を選びました。

 

自己愛性人格障害の人は、トラウマ的な環境のなか、ほど良い親のもとで育っていないことが多く、警戒心や防衛本能、攻撃性が強くて、自分を落ち着かせる場所がありませんでした。そのため、人と繋がりながら、安心して過ごすことが難しく、自然に身体はリラックスしていかなくて、気分の波の激しさから、真ん中の状態がありませんでした。子どもの頃から、親の顔色を伺い、先回りをして、先手をうつ行動を取るため、本来の自分がしたかった行動が取れなくて、鬱屈しています。そんな自分を元気にする方法がすごい自分になり、頭の中でそう思い込むことでした。また、人の顔色を伺って、一生懸命頑張り、周りが自分を評価してくれたり、自分だけが特別扱いされたり、自分の色合いに染まってくれたりすると、より元気になり、身体が軽くなって、もの凄く動けるようになります。

 

子どもの頃から、身体の中にトラウマを抱えているハンディがあり、不快感が強くなる場面に直面すると、ソワソワして落ち着かなくなり、どうしようと思い悩み、自意識過剰になります。不快な場面を自分で解決できないと、筋肉が硬直して、手足が震えたり、汗をかいたり、顔が真っ赤になったり、周りが見えなくなったり、考えがまとまらなかったり、ネガティブな感情をコントロールできなかったりなど、自分自身が脅かされてしまう無力さを抱えているため、肥大化した万能な自分で生きるしかありませんでした。そのため、すごい自分でいられなくなると、何も満足できなくなり、体調も悪くなり、無力でダメな自分になって、何も出来なくなります。彼らの特徴の一つとして、次の脅威に備えた人生になり、身体は身構えていて、頭の中で論理的思考を展開します。現実世界の良いことも悪いこともどちらにしても、心の状態がそのまま過剰に身体に反映されてしまうため、傷つきやすく、両極端な自己像になります。すごい自分を空想するか、どうやったら優位なポジションに立てるかを考えて、自分の土俵に変えて、新しいルールを作ることが自己防衛になります。

 

トラウマの影響により、環境の変化に目をこらすか、耳を澄ましており、人の気配や表情、態度、視線、言葉、物音、匂いなどを敏感に察知します。身体はいつも緊張して、警戒心が強く、頭の中でアセスメントしますが、物事がうまくいかず、不快感が強くなると、胸が痛み、動悸が激しくなり、拳やお腹に力が入り、体温が下がり、全身が縮まって、本来のリズムを刻めなくなります。そのため、無意識下のうちに、縮んでいる部分を広げようと、どう行動するべきかを考えて、問題解決を試みます。しかし、他者の批判や拒絶に遭うと、身体が過剰に反応して、不快感や嫌悪感になり、激怒したり、苦痛を感じたり、落ち込んだりします。また、他者との関係でどうしようもない場合は、相手を説得するか、投げやりな態度を取るか、その場から退避するか、感覚を麻痺させるか、すごい自分を想像するか、相手のせいにするか、自分の中のルールに従うかなど、その人独自の習慣が出来ます。また、敏感で傷つきやすい身体を切り離して、頭の中で自分の都合の良い論理的思考を展開して、万能的な自己イメージを持つことで自分を安定させる人もいます。彼らは、万能的なイメージ通りの自分になりきり、人に良く思われていると思い込むことで、本来の自己の欠損や不全感を埋めてしまいます。

 

自己愛性人格障害の特徴をさらに細かく分けていくと7つあります。

 

①母親の不在や共感不全による自己不全感

母子等の人間関係のこじれによる劣等感や無力感、孤独感、恥辱感など、自己愛的傷つきの深さから、自意識が過剰になる心理学的要因になります。彼らは、世の中の不条理な在り様の犠牲者であり、相手の要求に不満を持ちながらも、我慢しますが、それと同時に、反発する力も育っていて、自分の言い分が正しいと固執していくか、絶望のなかで、ある対象を理想化し、嗜癖化していくことで、本来の痛みから遠ざかろうとします。特に、母親の不在や共感不全により、自分は素晴らしい存在であることを映し出してくれる鏡がない子どもは、感情や自己調整機能に障害が出ます。そして、人と穏やかに過ごすことが難しく、気分の浮き沈みも激しくて、優越感にのめり込んで尊大に振る舞う時と、劣等感や無力感に苦しんでいる時の間を行ったり来たりして、極端な行動を取っていくため、自己愛性人格障害が形成されます。

 

②自己愛性人格障害の交感神経優位型(過覚醒)

子ども時代のトラウマの影響から、交感神経の働きが活発になり、過覚醒の症状によって、前頭葉(前頭前皮質)の実行機能が鈍くなるとか、扁桃体が過剰に働きます。過覚醒の時は、興奮していて、自分の能力の限界に対する認識を欠き、理性的な判断が難しくなっているため、リスクを考えずに無計画に行動し、こころの発達が未熟で自己中心性が高くなります。このような人は、落ち着いて、のんびりゆっくりすることができない環境で育ち、腹側迷走神経複合体の働きが弱くて、社会交流システムがうまく働きません。生活上の些細なことでも、不安や動揺を感じて、身体の緊張が強まり、トラウマのトリガーになっているかもしれません。調子が良い時は、他人に好意を持ち、たくさんのアイデアが浮かんで、活発な思考と行動を取り、他人のことはお構いなしに突き進みます。一方、不快な状況では、闘争本能を剥き出しになり、自分の主張を振りかざして、相手を打ち倒し、自分の身体を元気にします。また、自律神経系がうまく調節できず、覚醒度の振れ幅が大きくなり、気分の浮き沈みが激しいため、安定した状態を得ようとして、周りに気を遣いすぎることもあります。自分の状態を安定させるために、強圧的な態度を取ってしまったり、自分が一番でないと気が済まなかったり、お金や欲にまみれたり、自分のことをしか考えられないなど極端な行動を取ります。また、親に脅かされてきた子どもは、対象との皮膚の接触が危険と感じ、対象との距離を置いて、対象なき世界で己の力とスキルを磨き、自分を強くすることで安全感を保障します。このタイプは、人を愛するというよりも、自己満足や自己陶酔に陥り、自分の技能を高めようとします。

 

③自己愛性人格障害の過敏型(自意識過剰)

発達早期のトラウマに曝されたとき、自分では対処することが出来なくて、心の容量を超えてしまい、身体の凍りつきや死んだふり、解離、虚脱状態に陥り、衝撃的な体験をしている人です。一方は、過去の外傷体験の衝撃や恐怖に圧倒されていて、恥や敗北、無力化した自己の部分です。他方は、もう二度と同じ目に遭いたくないから、警戒心を強めて、周りを注意深く観察し、恥をかいたり、傷ついたりすることを避けるために、頭の中で戦略を巡らし、なんでもしようとする部分があります。自分が優位に立つとか、理想的な対象と同一化するためなら、躊躇せずに行動したり、媚びた態度を取ったりします。また、理想的な対象との同一化を望み、自分のライバルになりそうな相手を敵視して、じわじわとターゲットを攻撃します。このときは、非常に陰湿で、自己中心的な行動を取り、周りを操作することもあります。そして、理想的な対象から、自分が必要とされることで、自分の価値が高まり、自分を元気にすることができます。彼らの心は、繊細で傷つきやすく、すぐ自律神経系が乱れてしまうため、自意識過剰になります。日頃から、リスクや危険な目に遭うことを恐れており、自分の正体を隠し、自分の恥ずかしい部分がバレないようにするため、自分の身を潜めます。また、不確実な要素や外部の雑音に耐えることが苦手で、予期せぬ出来事が急に起きないように、あらゆる先のリスクまで考えてしまって、どうしていいか分からなくなります。酷いときには、自分では何も選択できなくなり、他者から良いものを差し出されても拒んでしまい、自己中心的な世界をグルグル回るだけになります。生活全般の困難が続くと、自分の身体の感覚や感情を感じられなくなり、自分でいられる感覚も乏しくなって、自分で自分を満たせなくなるために、頭の中で自分は凄いという妄想に耽るか、対象に求める質が病的になります。

 

④自己愛性人格障害の演技型

悲惨な家庭で育った人は、生き残るために、親の機嫌を取ったり、親の望む人間になる必要があり、観察力を使いながら、本当の自己とは違う、いくつかの仮面を被る人生になります。本当の自分の姿は無力ですが、自分のなりたいイメージが大きく、本来の姿とのギャップが大きいのが特徴です。日常では、自分の弱さをさらけ出せず、劣等感が強くて、恥をかくことや批判されることに耐えられない一面があります。本当の自分という感覚やアイデンティティが希薄で、自分で自分を満たすことができないので、自分の見栄えを過剰に気にして、規則正しく振る舞い、素晴らしい自分を演じることで、人から良い反応を引き出し、自分を満たしてきました。また、自己存在の希薄さを埋めるように、相手と比べて自分が凄いと思い込むことで、自己の病理的な部分が誇大化されます。表と裏の顔を使い分けて、最初は謙虚さや誠実性を示しながらも、肉体を求めて、口達者で、演技上手で、作り話もすらすら言えて、快楽主義的な欲望に耽っていく人もいます。

 

⑤親のモデリングの影響

自己愛の強い親の顔色を伺いながら育ってきてるために、親の言動や信念、強迫性の症状(一番になれとか、強く育てとか、良い子など)をモデリングしていることがあります。自己愛の強い親は、わがままで、身勝手で、DVがあり、自分の価値観が絶対で、その価値観を子どもに押し付けます。子どもは親の顔色を伺って、親の正解を探し、自分の価値を高めるために、一生懸命頑張り、特別扱いされることを望む人生になります。

 

⑥社会や文化的要因

今日では、女性も社会に出て働く人も増えていますが、男尊女卑が根底に残っているために、男性は女性に対して偉そうな態度をとったり、言葉を投げかける場合がみられます。また、体育関係的な世界で育った人は、上下関係が厳しく、先輩が言うことが規律となり、秩序が画一化されていくため、そういう価値観を鵜呑みにして生きるようになると、自覚なくモラハラ、DVに発展することが多くあります。彼らは、自分の価値観と合わないことを嫌うため、身近な人には、自分の価値観を押し付けて、正しく躾しようとします。また、社会や家族の変化により、皆のこころが自由になり、以前より多様性がずっと認められるようになりました。その反面、皆が利益ばかりを追求して、損得勘定が世間一般の価値観になってしまったので、法律に反していなければ何をしても良いとか、正しさよりも快楽や欲求を充足させることを優先する人がいます。さらに、利益ばかりを追求する格差社会のなかで不条理な立場にいる子どもは、他人と同じことをしたくても出来ないので、辛さ、不満、悲しさ、悔しさ、やり切れなさ、劣等感になります。自分の優越感を取り戻すためにエネルギーを使って、自己中心的で浅ましい人間になりがちです。トラウマを負っている人のなかには、学校教育や行事などの集団場面において、ルールや規則に縛られることが不快で、脳や身体が再外傷化のサインとして受け取っていく場合には、無規範で自由を追い求めます。その一方で、トラウマを負っている人は、不確実な要素を嫌うので、論理的で、ルールや規則に従う場合もあります。

 

⑦神経系の発達の問題

自己愛性人格障害と見える人の中には、生得的な発達障害(軽度の自閉傾向、他者の表情を読み取るのが苦手、抽象的な言葉や比喩を理解できない、感覚過敏、こだわり、視覚優位、体質の弱さ、自他の区別があいまい、二つのことが同時に出来ない、恥の体験をうまく処理できないなど)を基盤に持っており、能力のアンバランスが大きいとか、世間一般の常識と自分の認識に歪みがあるかもしれません。また、生まれ持った身体の弱さや、生まれつき神経の働きが繊細な人は、この都市型生活に疲弊していき、対象を求める質が異質になります。

 

これらの要素が複雑に絡み合いながら、トラウマという不条理な有り様のなかで育ち、過去の被害にあったことに敏感になりすぎたために、人と繋がることが難しくなり、対象との関係にもがき苦しんで、対象を求める質が極端になります。彼らは、自律神経系や覚醒度の調整不全ゆえに自己不全感のある本来の自分と、完璧な自分との間の不一致が大きく、相手への共感性や罪悪感よりも、自分の欲求が満たされるか、または将来において報酬が期待されるときに活発に行動し、自己愛性人格障害を形成していきます。自己愛性人格障害の人は、利己的で他罰的で、自分の欠点を否定し、他者の意見を素直に受け入れられなくなり、他者と競争し、自分の目的のためなら他者を操作する自己中心的な行動を取ります。

 

▶自己愛の病理とは

 

自己愛の病理は、ありのままの自分を愛せない病気とも言えます。例えば、虐待やネグレクトする親を持つことの絶望とか、性被害に遭うことで変えようのない体を持つことの絶望とか、ギャンブルやアルコール依存にはまる親を持つどうしようもなさとか、いじめられていても戦うこともできない無力さとか、父親から暴力を振るわれる母親を見ている無力さとか、様々なことを負わされることで自分のことを愛せなくなります。また、深く傷つけられた体験をした人が自分は汚らわしい存在であるとか、恥をかかされたのに怒ることもできず自分は無力な存在であると自己規定してしまうと、良い自分(他者との関係で承認された良い部分)のほうが悪い部分(他者から必要とされない悪い部分)を批判したり、なんとか追い出そうとしたりするので、高められた自己像と低められた自己像の間で分裂が起きます。

 

この二つに分裂した自己像を統合することは難しく、ありのままの自分を愛することは出来なくなります。別の言葉を使えば、痛ましいトラウマに曝されて、尊厳が踏みにじられることで自己を構成する各部分がスペクトルの両極に分裂してしまい、一瞬にしてありのままの自己像(等身大の自己)と他者像が粉々に崩壊してしまうことがあります。一部、例を挙げると、快か不快か、万能感か無力感、善か罪悪か、純潔さか不潔か、優越感か劣等感、理性か本能か、亢進した部分か退行した部分か、サディズムかマゾヒズムかに引き裂かれることにより、極端に違う自分が同時に存在する状態になり、その間を行ったり来たりすることで自己イメージは混乱して、極端な行動をとるようになります。

 

一方で、発達早期のトラウマの場合、ありのままの自分は、現実ではあまりに小さくて無力なため、生き残れなかったと言える場合もあります。例えば、大人から侮辱され、恥をかかされ、理不尽な目に合わされてきた子どもは、酷く傷つき、弱くて小さい存在です。しかし、弱くて小さいありのままの自分では生きては行けないので、生き残るための一つの方法として、強くなって、冷酷になって、加害者の大人側に回ることがあります。また、大きいふりしたり、明るいふりしたり、まともな人間のふりをしたりと自分の本当の感情を見せないで、無意識のうちに強く明るく元気があるように振る舞ってる人がいます。さらに、狼のようになって周囲を過剰に警戒したり、攻撃したりして生きている人もいます。その他にも、困難な日常生活を切り離しながら、夢の中で生きている人もいます。こうした子ども時代の親子間、学校社会のトラウマにより、子どもは自己を極端に分裂させてしまうため、将来の人格形成に大きな影響を与えてしまいます。

 

▶自己愛性パーソナリティ障害の原因

 

自己愛性パーソナリティ障害はどのような原因でなってしまうのか、その流れを記述していきます。自己愛性パーソナリティ障害の人は、養育者からのネグレクトや虐待、過干渉、厳しい躾など受けて、子どもの頃から不条理な環境で育ち、とても傷つきやすいにため、表面を取り繕うようになります。彼らは、子ども時代の家庭環境で感じていた居心地悪さを、大人になっても家庭や職場の中で再体験していきます。そして、人間関係で辛くなり、極端に落ち込んだり、周りには理解できないくらい傲慢になったり、尊大に振る舞わざるを得ない歪んだ世界で生きていくようになります。

 

子どもは、母親(養育者)との関わりのなかで、自分を意識し、自己概念を発達させます。つまり、子どもは、どんな時でも母親(養育者)を必要としており、自分が自分であるというのは母親があって成り立ちます。そして、子どもは母親の眼差しを見ており、母親から暖かく優しい眼差しを感じると、自分に価値があるように思います。母親から愛情をたっぷり貰うことで、自己のまとまりはしっかりしていき、こころは豊かになって、心響き合う人間関係の土台が作られます。しかし、母親の不在やネグレクトなどの虐待、過干渉、厳しい躾のもとで育った人は、他者への信頼感が育たず、自分が素晴らしい存在であるということを確信できず、自己像が歪んだ形であらわれて、こころや身体が病的になります。

 

例えば、母親に甘えようとしても、絶望の気分にさせられる場合には、感情の揺れ動きに疲れ切り、気分が落ち込んでいくなかで、自分は完全無欠の高みを目指していく光の側面と、もう一方、貪欲に何かを蝕んでいく毛むくじゃらの野獣の暗黒面を理想化していくことがあります。また、母親から愛情を一つも貰えなかった子どもは、自分の心を落ち着かせて支えてくれる体験が不足しています。そして、母親に見捨てられないように、必死にしがみついて、良い子を演じるか、母親の愛情を勝ち取るために、誰よりも努力して、力や支配性を理想化していくことがあります。さらに、母親の嫌なところを見てきて子どもは、そういう側面が嫌になり、自分はピュアで真っ白でいたいと思って、汚れた部分を嫌います。また、生まれ持った資質の弱さや不幸な生い立ちの子どもは、自分の恥じている部分が周りにバレないようするために、人の目ばかりを気にするようになり、万能な自分を見せていたら、いつの間にか、自分の弱さを見せれなくて、ハードな人生になります。あとは、脅かされつづける環境のなかを生き抜くために、恐怖や怒り、怯え、痛みなどが麻痺していくようになると、自分の感覚も人の気持ちも分からずに育ちます。

 

その一方で、ある時、大人から愛情を貰うとか、クラスメイトの子よりも勝っているという優越感に浸る体験をするとか、周りの子から羨ましがられることがあると、今まで欲しかったものが手に入り、その快感に取り憑かれるようになります。その後も、そのときの快感が忘れられず、自分の中に強く残ってしまうので、人と比較するようになり、人に認められるための行動を取るようになって、自分だけが特別扱いされたいと対人関係の取り方が極端になります。そして、人に認められるために、良い人になり、リーダー役になっていくとか、異性にモテるために、ひたすら理想を追い求めるようになります。その結果、すごい自分になっていけば、思い上がって人を見下し、他人を一人前の人間として扱わなくなるかもしれません。

 

母親の世話(肌を包んで安心させてもらうぬくもり)が過度に不足し、虐待やDVを受けて育った子どもは、脅威に備える人生になり、両親の顔色を伺いながら、気持ちを先取りして、期待に添えようと、規律を守り、行動の順序を考えて、良い子として頑張ります。しかし、親の正解を探り、頑張り続けても、その頑張りを無視されて、尊厳を踏みにじられていく場合には、ガラガラと崩れ落ちる絶望感の中にいて、身体を休めることができず、体調を崩します。次第に、生活全般の困難に圧倒されて、自分が自分でいられる感覚が麻痺していくと、太古的な情動や攻撃性に身体が蝕まれ、焦りや不安、緊張で苛立ちます。脅かされる環境にいて、過覚醒が慢性的に活性化することで、過剰なエネルギーが流れ込んで、身体や感情を司る神経系の調整不全が起きます。そして、脅かすものに対抗しようとしたり、自己調整機能や覚醒度のコントロールの不全感に陥らないようにするため、思考や行為を強迫的に反復し、細部にこだわり、自己の完全性を維持しようとして、自己中心的な性格に変形していきます。その結果、自己不全感のある本来の自分と完璧な自分との間の不一致が大きくなります。

 

常に脅威に反応しなければならない状況が続けば、警戒心が過剰になり、身体は過緊張状態から、全身が闘争・逃走の過覚醒にすっかり染まっていきます。そして、外の世界に注意が向き、神経が繊細に反応して、急な出来事や予測できない事態を恐れるようになり、危険があるかどうかを細かいところまで探り、あらゆる先のリスクまで考えるようになります。その一方、あらゆる問題が出てきて、その問題を解決できないと不安や動揺が高まり、焦燥感が出て、居ても立っても居られないイライラに繋がります。不快な状況で、問題解決できないことが苦痛になるので、物事を白黒はっきりさせて、その場の最適な方法で行動を取ります。また、不快なことは避けて、興味のある刺激を好んで、好奇心が人一倍強くなって、こだわりが強くなるかもしれません。現実が辛い場合には、頭の中の万能的な空想の世界に退却し、自分の状態を安定させます。さらに、危険から自分の身を守るためとか、恥をかかないようにするために、人に良く思われることが習慣化していって、周囲の反応や評価を気にしています。

 

発達早期のトラウマの衝撃度合いが高い場合は、一瞬にしてその人の力を奪い取り、バラバラにするために、感覚情報が視床と皮質で統合されずに断片化されてしまって、意識や認識過程の領域を狭めてしまい、こころの成長を止めてしまうことがあります。また、トラウマの影響から、日常のなかで不快感を感じることが多く、それを発散するための行動になります。彼らは、無意識の本能的衝動や生理的欲求との境界が開放されていて、自我意識(自分の感情や欲求を抑えて、欲求の充足を先に延ばし、長期的な目標に従う)よりも、衝動のままに行動して目先の欲求を満たそうとする快原則に支配されます。大人になると、消費するために毎日働き、快楽を満たすことが生きる意味になり、欲求を満たしたいという欲望のまま、自己中心的で浅ましい人間になるかもしれません。

 

次に、生活全般の困難さが増して、恐怖や怒り、苦痛、恥辱に圧倒されていくと、身体は固まり凍りついて、心はその痛みを感じないようにトリックをかけて、私は人間であるという体験(自己感覚・身体感覚)が麻痺していきます。自分が自分でいられなくなりそうになると、自己、身体、感情、時間感覚に障害が出て、他者の視点に立つよりも、自分の感覚を取り戻そうとして、強迫的にある特定の対象や行為、過程を求めようとします。また、自分で自分を満たすことができなくなると、自分を満たすために他者を自分の一部のように見たり、他者を巻き込んでいくようになります。さらに、自己感覚が麻痺すると、自分のことがよく分からなくなり、自他の区別がつきにくく、当然他者の気持ちも理解できなくなって、世間一般の常識と自分の認識のズレが生じます。

 

発達早期に無力化されるようなトラウマに曝された人は、その戦慄や恐怖により、動けなくなり、自分が自分でいられなくなって、もともとの自己の部分は、心の奥に隠れてしまうことがあります。そして、もう二度とこのような破局体験(カタストロフ)が起きないようにと、用心深くなりながらも、完璧な対象を理想化し、その対象に自分の存在感をアピールして、人に承認されたいと努力します。また、自己の崩壊を防ぐためには、人はなんでもしようとして、他者を不当に利用したり、人のせいにしたり、周りによく思われようと努力したり、家に引きこもったりして自分を守ろうとします。警戒が解けなくて、身体の神経は、交感神経と背側迷走神経が過剰で、負荷がかかり、思考で埋め尽くされて、その閾値を超えると、体調を崩してしまうために、自分の好き嫌いをはっきりさせて、自分のしたいようにすることで自分を楽にさせます。自己愛性パーソナリティ障害の人は、自分のやりたいようにやっているときが人間らしい呼吸ができる唯一の時になりますが、やりたいようにやっていると周りとうまくいかなくなるので、相手に合わせることもできます。しかし、相手が自分の価値観と違っていると、それに合わせる意味が感じられないので、関係は続きません。

 

人は、生理的欲求が欠乏していくと、その充足を求めて行動しますが、病的な自己愛の人は、過去に尊厳が踏みにじられたり、安全・安心が脅かされたりしてきたために、全身が縮まっていて、容易に神経系の働きが闘争・逃走反応の状態に切り替わります。そして、常に警戒し、神経が尖り、自己の防衛的な部分が強く働くため、他者の感情を読み取って、受け取ることが難しくなり、社会の人々との繋がりを難しくさせます。彼らは、トラウマの影響から、些細なことでも脅かされているように感じて、ストレスホルモン(コルチゾール)のレベルが常に高く、怒りのスイッチが入っているときは、肩がワナワナ震えて、感情のコントロールが難しくなります。生活全般において、緊張とストレスが続き、交感神経の働きが活発で、身体は縮まり、胸は圧迫されて、呼吸はしづらく、心臓に負担がかかるので、無意識のうちに発散を求める言動を取るようになり、自分より弱い立場のものに怒りが向きます。また、人間関係に躓きやすく、人から必要とされないことや、人に嫌われることを恐れています。自分が大切に扱われないと腹を立て、後先を考えずに、感情のままに怒りをぶつけることも多いです。不快な場面で、激怒しているときは、身体は活発になり、身体の中にある莫大なエネルギーをリリーズして、自分を保ちます。

 

以上のことが折り重なり合い、外の世界に注意が向き、視覚や聴覚、身体感覚などの過敏さと鈍麻の間を行き来していて、普通の人の何倍も傷つきやすいメンタルを持っています。彼らの心は、ガラスのハートで出来ていて、痛みや傷つくことを恐れて、実際の自分よりも、凄い自分を誇張して、自分の弱さを隠します。また、誇大化した自己像を保つために、自分が失敗しても、全部を相手のせいにして、自分を正当化することを繰り返してきました。急な出来事や予測できない事態が起きると、すぐに身体が反応してしまうことが不快で、それを処理できない自分を恥じて、そのような出来事が起きないように注意深くなり、身体の感覚を麻痺させるようになります。他方、興奮する場面では、周りが見えなくなるほど熱くなって自己中心性が増します。特に、快感を求めるようになり、その時は身体感覚が異常に増します。そして、環境により、自分の状態が変わり、親の機嫌の悪さを察知して、過剰に同調的な良い子の部分と、親に必要とされたくて、明るく元気に振る舞ったり、おどけて悪ふざけが過ぎたりする部分と、危険を感じて覚醒し、自分の技能を高めるために、スリルを楽しんだり、周りが見えなくなるほど自己中心的に振る舞ったりする部分など、極端な行動をとる自己を持つようになります。

 

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論考 井上陽平