第1節.
命の危険に晒されると、人間の神経は鋭敏になり、瞳孔が開き、毛が逆立つような感覚が生じます。意識は外界に向けられ、肩やお腹に力が入り、戦うか逃げるかの選択を迫られます。しかし、不意を突かれたり、相手が圧倒的に強いと感じた場合、その場にうずくまり、身動きが取れなくなることもあります。
また、命を失う可能性が高い状況では、身体は防衛反応として、何も感じないようにし、その場を冷静に切り抜けようとすることがあります。しかし、虐待などの機能不全家庭で育つ場合、こうした危険な状況が常態化し、脳と身体は常に危険が続いていると認識するようになります。このため、脳は絶えず警戒状態を保ち、身体は無意識のうちに過緊張や凍りついた状態が持続してしまうのです。
トラウマティックな場面では、嫌なものを目の前にして全神経が対象に集中し、過剰に警戒します。もし、身体が加害者と戦っているときは、手は相手を振り払おうとし、足は必死にバタバタさせて逃げようとします。しかし、恐怖があまりにも強いと、交感神経と背側迷走神経が過剰に反応し、身体は極限まで緊張し、最終的に凍りついてしまいます。
凍りつくとき、胸やお腹のあたりが重く硬い塊のように感じられ、背中全体がバキバキに固まっていくのがわかります。肩は内に入り込み、喉から気管支にかけて締めつけられるような感覚が生じ、呼吸は浅く弱々しくなり、ゼーゼーという音が聞こえることもあります。さらに、息が吸えなくなり、限界を超えると、筋肉が力を失い、心臓が沈み込むような感覚が訪れ、血の気が引いていきます。その結果、意識が朦朧とし、場合によっては意識を失うこともあるでしょう。
このように、脳と身体が過度なストレスや恐怖に晒されると、身体の防御機能が極限まで働き、最終的には凍りつきや虚脱状態に陥ることがあります。この反応は、命を守るための生物学的な仕組みですが、長期的には心身の健康に深刻な影響を与えることがあります。
第2節.
家庭内で脅威を与える人物と共に生活し、戦ったり逃げたりできない弱い立場にある人々は、強い怒りや憤りを抱えることがよくあります。しかし、そのような感情は、かえって自分を苦しめ、生活をより一層辛くするため、徐々に自分の中で麻痺させるようになります。不要な感覚や感情を抑え込むことで、人間らしい感覚や感情までもが消えていき、次第に恐怖や危険を感じにくくなり、その場しのぎの思考に頼るような、問題解決だけに焦点を当てた人生を送るようになります。
家庭内にトラウマのトリガーが数多く存在すると、脅威や危険がいつ襲いかかってくるかという不安が常に心に付きまとい、恐怖に怯える日々が続きます。脅威を与える人物が目の前にいない時でも、その人物の気配や足音、話し声に耳を澄ませ、警戒を怠りません。その人物が攻撃を仕掛けてくると、足がすくんで動けなくなり、胸がえぐられるような感覚に襲われ、強い動揺を感じます。
このような環境では、常に脅威に備えた状態が続き、心身に深刻な影響を与えます。目は乾き、唾液が出なくなり、呼吸は浅くなりがちで、息を止めてしまうことも少なくありません。肩の力は抜けず、手足は冷たくなり、お腹に力が入り続け、身体全体がギュッと縮んだまま、ロックされたような状態になってしまうのです。このような持続的な緊張状態は、心身の健康を蝕み、長期的なダメージを与える可能性があります。
長期間にわたって不快な状況に身を置き続けると、身体のエネルギーが徐々に枯渇し、ついには危険に対してさえ反応しなくなります。身体が麻痺してくると、自己感覚が失われ、生きる喜びや目標が消え、生気のない目つきになりがちです。呼吸は浅くなり、血液の循環が悪化し、皮膚の色も不健康な色に変わってしまいます。手足には力が入らず、常にこわばった状態で日々を過ごすようになります。
身体がガチガチに固まり、興奮が持続する状態では、眠りたくても眠れず、思考が止まらなくなり、極度の疲労が蓄積します。生活全般が苦痛となり、呼吸は浅く早くなり、動悸が激しくなって胸に痛みを感じ、身体全体がまるでコンクリートのように固まってしまいます。足元はふらつき、手が震え、思うように動かなくなり、動作がぎこちなくなり、手足が痺れ、最悪の場合、意識を失ってしまうこともあるかもしれません。
身体が限界を迎えると、自分の身体に触れても自分のものと感じられなくなったり、まるで自分の身体から切り離されているような感覚に陥ったりします。現実感が薄れ、遠近感が狂い、鏡に映る自分の顔さえ、自分の顔とは思えなくなることがあります。このような状態に陥ると、身体と心が完全に分離し、現実の感覚を失ってしまう危険性が高まります。
第3節.
極限状態の中で、身体にトラウマを抱えながら生活を続けていると、目に見えない音や匂い、光の眩しさ、さらには周囲の気配さえも、まるで痛みとして突き刺さるかのように感じられます。こうした痛みを抱えたまま、感覚を麻痺させて、何とか日常をやり過ごそうとすることも少なくありません。麻痺した身体に意識を向けると、深く呼吸ができなかったり、首が絞められているような感覚に襲われたりします。奥歯を強く噛み締め、首や肩の凝りが酷くなり、めまいや手足の冷えを感じることもあります。さらに、猫背になりがちで、胸に固まりを抱えたような圧迫感を覚え、その固まりが外に出たがっていると感じるかもしれません。
胸の固まりに注意を向けると、苦しみの感覚や感情が一気に渦巻き、過去のトラウマが鮮明に蘇ってくることがあります。その結果、心拍数が急激に上がり、心臓がドキドキと激しく鼓動し、呼吸が苦しくなり、気分が悪くなるかもしれません。全身が固まり、鳥肌が立った後、身体に意識を集中させると、ビリビリと電気が走るような感覚や、ピクピクとした痙攣、ブルブルと震えが生じ、さらには火照りを感じることもあります。
トラウマを抱えた身体が凍りつき、機能停止に近い状態から再び生気を取り戻すとき、身体は凄まじい反応を示します。しかし、その反応に恐れを抱いてしまうと、自然に回復するチャンスを逃してしまう可能性があります。身体は基本的に回復を目指しており、最初のうちは内側から溜まっていた悪いものが排出される過程で、体調が一時的に悪化することもあるかもしれません。しかし、身体に注意を向け、それを受け入れていくことで、本来の自分に近づいていくことが可能になります。恐れることなく、自分の身体と向き合うことで、徐々に心身のバランスが回復し、再び健康を取り戻すことができるでしょう。
第4節.
日常生活の中で、あらゆることがトラウマの引き金となり、現実が耐え難いものに感じられると、心と身体は次第にガチガチにこわばり、頭痛や腹痛、吐き気、痒みといった症状が現れ、心で何かを感じることすら苦痛に感じるようになります。このような状況下で、身体の感覚を閉ざし、傷つかないように偽りの姿で適応しようとすると、心と身体は次第に人形のように無機質になり、あるいは感情を失ったサイボーグのように変わっていきます。その結果、心の中は空虚になり、表情はうつろとなり、身体に意識を向けても、何も感じられなくなります。
身体が何も感じなくなり、無理な生活を続けていると、身体の反応が鈍くなり、エネルギーが尽き果て、全身が凝り固まり、手足が棒のように動かなくなることがあります。そのような状態でも、頭の中で命令を下して身体を無理やり動かすことで、かろうじて生活を続けている人もいます。身体にトラウマが深く刻み込まれている人がその身体を感じようとすると、注意力や集中力が続かなくなり、突然眠気に襲われ、安全な場所に避難しようとする反応が出ることもあります。
一方で、身体の感覚に意識を向けた途端、抑え込んでいた感情や記憶、光景が一気に蘇り、気分が悪くなったり、本音が噴出したり、場合によっては「死にたい」という強い思いが湧き上がり、精神的な調子を崩してしまうこともあります。身体が限界に達しているときには、身体に意識を向けることで、逆に痛みや苦しさ、気持ち悪さに圧倒され、状態がさらに悪化することもあるのです。
このように、トラウマが深く根付いている身体は、その状態を無視して無理に動かそうとすると、ますます状態が悪化するリスクがあります。身体の声に耳を傾けながら、慎重に自分をケアすることが必要です。
第5節.
自分の身体の感覚がわからなくなっている人が、改めて自分の身体に注意を向けると、少しずつ自分の身体という「容器」を意識できるようになります。しかし、その瞬間、自分が「今ここにいる」という実感が湧いてくると、居心地の悪さや吐き気を感じるかもしれません。長い間、苦しみを抱えてきた人が身体の声に耳を傾けると、心身の感覚が徐々に戻り、それによって具合が悪くなったり、「死にたい」「消えたい」「殺したい」「ムカつく」といった感情が突然溢れ出すことがあります。時には、精神病の患者のように突然叫んだり、震えや悪寒が止まらなくなることもあるでしょう。さらに、手足が自分の意志に反して勝手に動き出すこともあります。
トラウマを抱える人が自分の身体を取り戻そうとする過程で、心の奥深くに隠れていた怯えた子どもの部分や傷ついた部分、戦うことを選んだ自分自身の本心に気づくことになります。この過程は決して簡単ではなく、時には非常に辛い体験を伴うかもしれません。しかし、それを通じて自分自身をより深く理解し、真の回復へと繋がっていくのです。
トラウマケア専門こころのえ相談室
論考 井上陽平