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親子関係がうまくいかない子


 第1節.

親の性格が子に及ぼす影響


毒親とか虐待は、食事を与えない、暴力を振るうなど、酷い場合が想定されていますが、ごく一般的な家庭においても、目に見えない暴力という形が存在します。親は子どもに対して、愛情と思って、習い事や塾に通わせますが、お金をつぎ込んで、親がなりたかった夢や理想を子どもにそうなってほしいとぶつけます。親は子どもに愛情を注いでいると思っても、子どもは理想や愛情を押しつけられて、余計な重しを背負うことになります。

 

プライドが高くて、完璧主義の母親のもとで育つと、子どもは、理想をおしつけられて、良い子で完璧に育たないといけません。いつの日か自分の本音を話せなくなっていきます。良い子のふりをしながら、心の中では、別のことを考えていることも多くなります。親の言いなりになって、自分の意志が存在しなくなることもあります。

 

母親が、自分の思う通りに子どもを動かそうとすると、子どもは、親の顔色、声、生活音、気配に聞き耳を立て、様子を伺うようになります。親と暮らしている間は、神経を研ぎ澄ませて、怯えながら、息を潜めて生きます。よく分からないうちに、親の機嫌を損ねて、理不尽な目に遭えば、どうして?なぜ?という問いを自問自答し続ける世界に生きています。

 

また、過干渉な親に育てられると、子供は引きこもりやすくなります。子どもの言動に対して、親は評価を下し、干渉して、介入していくことで、子どもの自由に物事に挑戦したり、楽しんだりする意欲を奪っていきます。親は、子どもの人生を、自分のものの延長として位置づけ、客観的に境界を設けることができなくなっています。子どもを、自分の所有物のように扱います。母親が溜め込んだストレスを子どもにぶつけてきます。子どもは居場所が無く、怖い、もう嫌、うんざりという気持ちを押し込めて、その場に適応します。

 

一方、無関心な親に育てられると、子どもに悪影響を及ぼします。親が宗教や社会活動、ギャンブル、車、アウトドアなど自分の趣味に没頭する場合は、自分のことだけ忙しくして、子どものことを一切気にしないことが多くなります。子どものことなんて気にせず、関心や愛情がないために、子どもの健康にも関心が及ばず、子どもが痩せてようが、太ってようが、歯がボロボロだろうが関心がありません。子どもは、何か大きな欠陥を抱えたまま大人に成長します。

 

そのような、親の悪い側面に耐えることが、子どもにとっては辛い経験となります。しかし、それに加えて、子どもが思い悩むのは、子どもが、自分の親を、悪い親として決めつけることで、自分を育ててきてくれたことさえも無視をしているのではないかといった気持ちも持つ可能性があるということです。そのため、悪いことをして迷惑をかける親であっても、子供にしたら、それに対する恨みや疲れた気持ちと、今まで育ててきてくれた感謝の気持ちが入り混じり、複雑な気持ちになることで、悩まされるということが多いです。

 第2節.

虐待のある親のもとで育った子ども


虐待がある家では、子どもは、緊張や興奮した状態が続いて、落ち着きがなくなる過活動や、過覚醒の闘争・逃走モードで過ごすか、目立たないように息を潜めて、我慢に我慢を重ねて、身体を凍りつかせるか、死んだふりをするモードで過ごします。親に出くわすかどうか、神経を張りつめながら、心臓をバクバクさせて、親の足音や話す内容に耳を澄ましながらの生活になります。過覚醒や凍りつきの間を生きることで、自律神経系の調整不全に陥り、呼吸数や心拍数に問題が出ます。

 

虐待を受けて育つと、親の様子を伺っていますが、その親が近づいてくると、緊張が強くなり、すごく焦って、何かに追い詰められていきます。呼吸が浅く早くなり、酸素が吸えなくなって、息が止まります。背後に親がいると思うと、手が震えてきます。

 

家の中では、子どもはサバイバルモードで、脳や身体の神経は危険を察知しようとして、親の声、叫んでいる内容、気配、足音、匂いなどあらゆるものに意識を集中させています。親が今どこで何をしているのかずっと目をこらして、耳をすませて、次に何をしてくるか予測しています。子どもは、些細な音でも見逃したら致命傷になります。

 

とくに統合失調症の母親とは、会話が通じず、ウロウロしたり、叫んだり姿を見ることになります。ヒステリーの母親は、気分の浮き沈みが激しく、不機嫌なときは、大きな音をたてたり、金切り声を上げるので、子どもはどうしていいか分かりません。

 

また、アルコール依存症などの親を持った子どもは、逃げられなくなります。依存症の親を持った場合は、子どもは耐え続けなければなりません。大人になれば、親とは距離が置けますが、子どものうちは、自分を育ててくれる人や環境が必要なため、親から離れられない状況にあります。虐待のある家で育った子供にとって、一番辛いのは、親から逃げられないということです。

 

子どもは、親が何をしてくるか分からないから、全く安心できません。とくに、母親の不安、心配、不機嫌の振れ幅が大きい場合、子供はそれをなだめるために動いています。母親の不機嫌に振り回されて、疲れて、動けなくなりますが、それでも動かないといけないので、疲れすぎている体に制限がかかります。自分が望んだ成熟した母親ではなく、未成熟な親であったことに落胆します。子どものような親で、子どもを犠牲にすることで、自分で自分を保たせているような側面があり、親の犠牲になった子どもは、操り人形のように動き、大人になった頃には、怒りが蓄積されている状態になります。

 

親は子どもの期待に応える存在で、子どもは、親の期待に応えようと、顔色を伺って育つものという考えは健全ではありません。人が生きていくうえで、子どもは、親から無条件の愛情を受けることがとても重要になります。無条件の愛情を受けた子どもは、安心感を得て、人格を形成していく土台になります。

 

親の思い通りに生きてきた子どもは、親の期待に応える自分でいることを強いられます。親からの理不尽な要求に我慢することを強いられます。そのように、物心ついた頃から、親にずっと振り回されて育ちます。母親を喜ばそうと思って、良い子で頑張ってきました。母親も生きづらかったんだと無理やり理解しようとしたり、母親を可哀そうと思ったりして悩むことに時間を費やします。

 

そして、幼少期より親の理不尽な要求に従っていたら、次第に誰かと話しをするという場においても、自分の本心を話して楽しい時間を過ごすことができなくなり、決められたセリフを話すようになっていきます。そして、八方塞がりで身動きが取れなくなっていきます。次第に感情を失くしてしまい、何も考えないようになっていきます。

 第3節.

まとめ


このように、虐待をする親の元で育った子供は、逃げる場所もなく、闘争モードになるか、恐怖で身体を凍りつかせながら生きています。親の言動を先読みして、怒られないように、気に触れないように、身を潜めて生活します。身体的な暴力を振るう親や、依存症の親、統合失調症などの精神疾患を抱えた親の場合には、問題も見えやすいですが、親の子どもに対する虐待はもっと身近な例にも見られます。

 

例えば、教育熱心な親は、子どもの塾や受験について調べ、子供に教育を受けさせますが、それも行き過ぎると、親が過干渉になり、子どもは家での自分の居場所を失います。親が、不安や心配を避けるために、子供のことを先回りしてなんでも決めてしまいます。 親の期待に沿った子どもであることが求められ、子どもの自由な選択の余地がなくなります。

 

子どもは、悪いことをしていないのに、親に怒られて、なんで怒られているかも分かりません。そのような理不尽な目に遭わされてきた子供は、次第に、誰の言い分にも矛盾を感じて、歪んで物事を取ってしまうようになります。相手の態度が横柄だと、イライラしてしまいます。親に怒られないようにと、頭の中で瞬時に状況を判断して、正しいことをしようとします。

 

先にも書いたように、子供のうちは親子関係から距離を置くことは難しく、親に依存しなければ生きていけないため、親子関係のトラウマは、子供にとって深刻な問題です。

 

トラウマケア専門こころのえ相談室

論考 井上陽平

 

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