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トラウマの再演

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▶トラウマによる外傷の再演について

 

トラウマによる外傷の再演について述べていきますが、この現象は、小児トラウマの存在と過剰な覚醒、高い度合の解離によって、本人が自覚できないか、行動を制御できない間に、身体が自動化されてしまって、特定の行動パターンを引き起こしてしまうと考えています。問題行動を繰り返す人は、二つの意識状態を持っていることが多く、過剰な覚醒によって、本当の自分は凍りついて解離し、もう一つの意識状態に突然切り替わります。

 

心的外傷(トラウマ)というのは、自分が体験することそのものができない苦痛を起こします。体験しえなかった外傷の中核部分は、意識に上ることなく、瞬間冷凍されて生々しく保存されており、それは消えることがなく、長期に渡って心身のどこかに蓄積されています。そして、外からの刺激によっては、凍りついた感覚、情動、光景、臭い、音、声がフラッシュバックとして目の前に現れて、恐怖により麻痺し、自分で自分を統制できないうちにトラウマを再演をする場合があります。

 

複雑なトラウマがある人は、恐怖を感じると、身体は凍りつき、息が出来なくなり、叫び声を上げてしまいそうで、顔面蒼白、頭の中は真っ白、意識が喪失するかどうかの危機的状況に陥り、無意識の身体表現として自動的にさまざまな反応をします。また、外傷体験に固着した部分は無意識化にトラウマ記憶として根を張り、身体と精神の間のどこかで留まり続けています。そして、過去の外傷体験が思い出されると、外傷体験に固着した部分が眠りから目を覚まして、身体を支配します。外傷体験に固着した部分が、主人格の身代わりになる状況が続くと、日常生活に表立ってくるようになります。主人格が自分のトラウマに気づかず、トラウマのトリガーを踏んでいくと、外傷体験に固着した部分は泣き、苦しんで、強い意志を持っていくようになれば、勝手に行動し始め、外傷を再演させることがあります。

 

ユング派でトラウマを扱う臨床家カルシェッドによると、心理的トラウマの犠牲者は繰り返し再外傷を受ける状況に陥るということである。変化を望めば望むほど、生活や人間関係を改善しようと一生懸命やればやるほど、なにか自我よりも強力なものが繰り返し進歩を阻み、希望をくじくのである。それはあたかも迫害的内界が、繰り返される自滅的な再現において外界の鏡に映し出されているかのようであり、その個人は、ほとんど悪魔的力といったものに乗っとられ、悪運につきまとわれているかのようであると述べています。複雑なトラウマがある人は、自分では嫌なことがなくても、ストレスにならなくても、相手に悪意が無くても、人といれば同じような出来事の繰り返しで、対人関係がうまくいかなくなるかもしれません。

 

ジュディスハーマンの「心的外傷と回復」から、児童期虐待に被害を受けた者は大人になった今も、外傷体験を記憶の中だけでなく現実の生活において再体験するという悲しい運命にある。ある被害経験者はその小止みなく暴力を受けつづけた半生をふり返ってこう述べている。 すなわち「まるで自己実現性予言でした。暴力を予期しつつ人生をスタートさせ、幼い時に暴力と愛とをイクォールとみなすとしましょう。私はレイプを六回受けました。私は家出をしたり、ヒッチハイクをしたり、したたかに酒をあおったりしました。そういうこと全部が組み合わさって、私は目につきやすく射止めやすい標的になったのです。まったくひどいものでした。おかしいのは、私ははじめ(レイピストたちは)私を殺すにちがいないと思ったのですが、それは私を生かしておいたら、奴らはどうして罪を逃れられるだろうかと思ったからです。とうとうわかりました。奴らにはぜんぜん心配することがなかったのです。私のほうから“してくれ”とたのんだということになって全くお咎めなしなんですよね。」

 

ここでは、病的な解離があり、被害者女性は周りを巻き込んでトラウマを再演させています。被害者女性は、『私のほうから“してくれ”とたのんだ』という記憶がないこと、一方で、被害者女性の中には、病的な産物(黒幕人格)いて、『私のほうから“してくれ”とたのんだ』とレイピストとの間で同意があったことが分かります。

 

フランク・W・パトナムの「多重性人格障害」から、性的に虐待された多重人格者の大部分のなかには性的放縦(乱交者)人格がいて、患者に性的な外傷体験をするようにお膳立てする。ふつうの筋書きは、性的放縦人格が虐待的なセックス・パートナーを引っ掛けた後、性的墜落の絶頂で、恐怖にふるえる、しばしば冷感症の主人格に身体をあけわたす。なぜそのようなことをするのかとある交代人格に尋ねたところ、「あの子『主人格』がまだ小さかったときには、私はあの子の代わりをしなくちゃいけなかったー。今度はあれがどんなもんだかあの子に味わわせてやりたい」と私に告げた。と述べています。

 

フラッシュバックと再体験と再演について

 

過去に危うく死ぬまたは重症を負いかねない出来事を体験した人は、その時、圧倒的な力に拘束された恐怖が脳や身体にインプットされています。その人が過去のトラウマ体験と似たような場面に遭遇すると、過去と現在とが折り重なるとか、捻じれていく感覚になり一つになります。身体ごと過去に移されたかのように感じたり、凍りついた光景が蘇ったり、妙な身体感覚に見舞われたり、脳が制御しきれない不快な情動に襲われたかのように感じます。そして、生々しい自己保存本能に支配されて、現実にはまったく当たり障りのないようなことでも、全身すっかり汚染されて、憎しみ、恐怖の対象となり、可能なら破壊するべき対象か、回避すべき対象と化します。例えば、目の前の人が全く関係のない人だと分かっていても、緊張は高まり、被害感や恐怖を感じるようになります。そして、内部からの底知れぬ不安に襲われ、身体の具合が悪くなったり、怒りが込み上げてきたり、頭が真っ白になったり、何を話しているのかも分からなくなったりします。また、目の前の人を叩きのめしたいという不合理な衝動に襲われるようになり、ちょっとしたことでも激怒したくなり、そこから回避することに精一杯になります。

 

▶身体感覚レベルのトラウマの再演について

 

態度が豹変する親や虐待する親の元で育ち、複雑なトラウマを抱えるようになった人は、瞬時に身体が硬直や凍りつくようになり、不意を突かれると、驚愕反応が起きて、痛みがダイレクトに突き刺さります。生存を高めるために、過剰防衛になっていき、親の気配や足音に神経を研ぎ澄ませて、いつ攻撃されてもいいように身構えます。このような環境で育った人は、身体が慢性的に収縮するようになり、じっとしていたら、身体の内側から嫌な感覚に襲われます。その場にじっとしていられず、身体が警戒態勢を取って、危険を感じると硬直し、闘争・逃走反応や凍りつき反応が出て、交感神経系に乗っ取られてしまうと、激怒して、感情を抑えられず、後先の人間関係を考えず、自分の行動を制御できないままトラウマを再演することがあります。

 

▶警戒心と過度の緊張からくる攻撃性や過覚醒の接近・回避について

 

トラウマティックな脳が働き、生存モードで生きている人は、集団場面や人混みのなかでは、過剰に警戒心が高まり、不安や怯えから、危険がないかどうか周囲を見てしまうようになります。危険なものに対しては、体がすごく反応し、怖くて視線を逸らして、回避してしまうか、逆に興味からじっと見てしまい、接近したくなり、目のやり場に困ります。頭の中は、危険があるかどうか、興味があるかどうかをアセスメントします。体は危険を感じると、過緊張から過覚醒に移行して、落ち着かなくなり、時には居ても立っても居られなくなり、四肢が勝手に動き出そうとします。そのため、自分の身体の中から沸き起こる激しい怒りや攻撃性、過剰な行動を抑制させることに疲れています。

 

自分の力やスキルを試し、その空間を支配しようしてトラウマを再演させる現象について

 

性暴力被害を受けた人が直後に複数の人と肉体関係を持ったり、身体的虐待を受けてきた人が同級生に対して粗暴に振る舞い、さらに、先生に対して反抗的な態度をとることがあります。この行動の意味は、過去に悲惨な目に遭わされた無力な自分から、自分の主体性を取り戻そうとする試みとも言えます。自分を被害に遭ったきっかけのものに近づき、被害に遭った当時と同じような行動を取り、自分の力とスキルを使い、その場をコントロールしようとする衝動に駆られます。そして、外傷体験を再演させることにより、トラウマの出来事に対する理解を深めて、その状況を乗り越えようとしています。戦おうとしている人の脳はアドレナリンに溢れて、身体は身軽になり、思考は活発になって、無力な自分から解放されます。

 

▶凍りつきや無気力な人は、やり返すことが困難なので、頻繁に被害に遭う現象について

 

子どもの頃から、虐待など受けて脅かされてきた人は、恐怖に凍りついて、抵抗できなくなります。何度も脅かされることで、被害体験が心身に染みついて、無感覚や無気力な状態になっていきます。すぐ凍りついてしまう人や、無気力な人は、自分が嫌なことをされてもやり返すことが困難なので、頻繁に被害に遭いやすくなり、トラウマを再演させてしまいます。

 

▶汚れた自分を、さらに大胆になり傷つけたり、言いなりになってトラウマを再演させる現象について

 

性暴力被害を受けた人が次々と複数の人と肉体関係を持つことがあります。この行動の意味としては、性暴力被害により、自分は汚れてしまって、性に対しての認識が歪んだものになります。自分を傷つけるために、大胆になり、次々と性交を繰り返したり、性風俗で働いたり、相手の言いなりになって、全く断ることが出来なくなったりします。

 

▶被害者が加害者に似た人物に近づき、分析しようとしてトラウマを再演させる現象について

 

トラウマ被害者の一部には、危険な場所に近づきたいという衝動に駆られて、加害者に似ている人物をわざわざ探して、その人を分析したいと思います。加害者に似ている人物を見つけると、嫌なのに一緒にいようとするため、加害者に似ている人物は自分に好意があると勘違いをして接近します。トラウマ被害者は、加害者への興味・好奇心/恐怖の間で分断されていて、恐怖の部分は、怯えて萎縮するだけなので、嫌なことをされても断れず、トラウマを再演させてしまいます。

 

▶加害者の欲望に服従したり、戦おうとして自動機械のようにトラウマを再演させる現象について

 

解離した身体のある部分が、話し相手に対して、外傷体験をフラッシュバックさせ、過去の外傷体験そのままに行動することがあります。過去の虐待した人物に取っていた行動を、心ない操り人形のように自動的にあらわして、何度もトラウマを再演させることがあります。一方で、虐待した人物の欲望のままにされていることで泣いているという、一つの身体の中で同時並行的な解離現象が起きたりします。つまり、その人のなかでは、相手の欲望にいいなりになっている部分や戦っていく部分に対して、恐怖に怯えている部分の間に分断されています。トラウマの再演中は、本人は解離した人格部分による憑依や誰かに操られているかのように感じていたり、または、意識が消えて気づいていなかったりします。

 

高い度合の解離によってもたらせるトラウマの再演について

 

被虐待児は、親の悪さをそのまま取り入れることができません。子どもはあたかも正常かのように見せるために、苦しみの体験を忘れていき、虐待を感じないように麻痺させて、変性意識状態のなかで、親への愛着を形成しようとします。そのため、たとえ親に酷い目に遭わされても、愛されなかった自分が悪いと自分を憎むようなことが起きたり、あまりにも強い虐待を受けた場合は、虐待者の存在そのものに現実性が与えられず、理想化されてしまうことがあります。しかし、現実は、残酷で恐ろしい攻撃を受けているので、親を崇めたて理想化している私と、親を憎むもう一人の私との間では深い分裂が存在します。解離したもう一人の私からすると、私(自分)が愛する親は憎くて殺してやりたい存在なので、憎しみの対象を信じようとする私のことが許せません。そのため、もう一人の私の手によって、私は迫害されるべき対象となり、最も傷つくやり方でトラウマを再演させることがあります。

 

解離した人格間の矛盾ゆえに生じるトラウマの再演について

 

解離している人においては、同じ活動が互いに矛盾する目標をもつことがあります。例えば、愛着システムに作動された日常を過ごす私は、親を愛しており、一緒に食事することが幸せだと感じていますが、外傷を負ったもう一人の私は、親を憎んでおり、吐くまで無理やり食べさせられたとしか経験していないことがあります。愛着システムに作動された日常を過ごす私は、セックスを親密で快楽的なものとして感じていますが、外傷を負ったもう一人の私は、無理強いされた恐ろしいものとしか経験していないことがあります。つまり、一方の自分がこの環境は安全であると知っていても、もう一方の自分を納得させることができません。そして、このことが解離したトラウマを持ち歩く人のこの後の人生において如何に不適応になりやすいかを示しています。私が日常生活を楽しむ親密な人とのスポーツやセックス、あるいは、恋人とのデートが、解離した人格部分(外傷を負ったもう一人の私)にとっては、当時の恐ろしい体験(脅威から逃れること、殴られないためのセックス、捨てられた記憶)として蘇ります。そのため、彼らの内的世界では、今も未解決な苦しみが続いており、トラウマを再演させています。

 

例えば、性暴力被害者の一部は、加害者に同一化せざるを得くなり、苦しみ続けている部分と、性被害の痛みを避けて、解離した本来の私に分裂することがあります。苦しみ続ける部分は、本来の私に痛みを負わせようと、異性を誘惑して、不特定多数の人に近づいて、同意の元でセックスしますが、本来の私は全く同意していないので、トラウマを再演しつづけます。この絶望的な状況を回避することできず、その人の人生は蝕まれていき、自殺へのリスクが非常に高まります。

 

内部世界の人格間の抗争により引き起こされるトラウマの再演について

 

虐待や性暴力被害など、痛ましい外傷体験ほど、自分の身に起きた体験として構成することが出来なくなります。未解決なトラウマの部分は、自分の中にいて自分ではない部分を精緻化させます。未解決なトラウマとは、過去のトラウマの犠牲者であり、残酷で恐ろしい攻撃を受けてきた部分であり、有害でもあります。すなわち、あたかも正常かのように日常を過ごす私と、残酷で恐ろしい攻撃を受けてきたもう一人の私の間では深い分裂が存在します。この犠牲者かつ有害者は、外界の刺激によって暴れて怒り、ときには悲しんで死にたがり、人格崩壊や内部のバランスを崩す危険な存在であることが多いです。そのため、トラウマの内部世界の管理者にとっては、犠牲者かつ有害者は、大変迷惑な存在です。そして、この危険な存在をどのような手段を使ってでも、身体内部の牢屋に閉じ込めなければなりません。そのやり方の一つが、トラウマの犠牲者が表に出てこないように、なりふり構わずに、攻撃し殺そうとします。日常生活を過ごす私は、内部の人格部分たちの抗争に影響されて、トラウマ犠牲者が傷つくやり方でトラウマを再演させることがあります。

 

▶凍りつきと過剰な覚醒によるトラウマの再演について

 

境界性パーソナリティ障害の中核には見捨てられ恐怖があります。彼らは、見捨てられることが混乱と苛立ちと焦燥感と無力感と孤立感が入り混じったように体験されているかもしれません。そして、見捨てられたと感じると、心臓がバクバクし、胸が痛くなり、恐怖から身体が固まり閉ざされて、意識がぼーっとして無反応になるか、身体から切り離されて遠くにはじかれていくように体験しているかもしれません。リストカットや多量服薬の行為は、身体が凍りついてしまったときに、酷い錯乱状態にならずに済む、生き残るための行為とも言えるかもしれません。心と体が凍りつく前後は、恐怖による硬直があり、エネルギーの急速な高まりと抑制と放出によるパニックや震え、電撃、激しい攻撃性、解離状態、離人感のなかで、常軌を逸した行動をとることがあります。こうした行動を取ってしまうのは、子どもの頃から大人の身勝手さに散々傷つけられてきており、慢性的なストレスに耐えて、疲労困憊したのち、頭が真っ白になって、全身が凍りつき、意識が朦朧していました。そして、もはや自分で全く統制が出来ないほど過剰に覚醒させられた体験があります。そのため、過去の強烈な感覚や情動が呼び覚まされそうになると、それを掻き消そうとしますが、コントロールできなくなる場面では、なりふり構わず加害者や被害者の役割になってトラウマを再演させることがあります。

 

日本トラウマティック・ストレス学会(2012)のホームページによると「人が一度トラウマを受けると、その後も被害を受けやすくなることが報告されている。レイプの被害者は再びレイプされやすい。虐待を小児期にうけた女性は成人になって暴力被害を受けやすい。ほとんどの人が平穏無事に過ごしていると思われている日常のなかで、どうして、このようなことがあるのだろう。何度も被害にあうその人自身に問題があるのだろうか?いや、そうではない。問題の根は深く、その鍵になるのが再演という現象と、小児期トラウマの存在である。子どもにトラウマとなるような単発の出来事が起きたとき、養育者との愛着の絆の質が良質で、傷つきを表現し守られる体験になれば予後は意外に良好である。しかし、そうならなかった場合、トラウマは強迫的反復行動につながり、「再演」を引き起こす。トラウマの再演において、人は被害者や加害者、時には両方の役をとりながら「出来事」を繰り返し、これが再被害につながっていく。」と述べています。

 

参考文献

D・カルシェッド:(豊田園子,千野美和子,高田夏子 訳)トラウマの内なる世界』新曜社 2005年

 

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論考 井上陽平