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病的解離の自己感覚


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▶解離性症状とは

 

解離性障害や解離性同一性障害の人のなかには、自己を認識する部分が働かなくなって、自分が経験したという感覚がなくなり、人生の経験が積み重なっていかなくなります。人は何度も脅かされる体験をすると、動けなくなり、自己感覚や身体感覚が麻痺していくようになり、意識がぼんやりして、自分がどう感じているか分からずに、夢の中で生きているかのように感じます。どんなに痛めつけられて、人格が崩壊しても、身体は生き延びているので、偽りの自己が出てきます。身体はカチコチに固まるか、薄いヴェールのようなものに覆われていき、自分と外の世界が分かれて、鏡の中の自分を見たとしても、自分のことについて多くを語ることができません。鏡を見ると、鏡の中に吸い込まれそうになり、別の自分がいるような気がして、違和感から鏡をいつまでも見てしまいます。そして、鏡に別の自分の姿が映り、自分の声で話かけてくることがあります。

 

解離性症状に罹る人は、過酷な体験をしており、家に居場所が無く、家族といるのが辛くて、どこにも居場所がありませんでした。誰の目にも止まらず、誰にも関心を持ってもらえず、自分は世界に一人ぼっちでいるように感じ、この世界を擦りガラス越しに見ていました。何をしてても嘘みたいで、何をしても自分がありません。足元がフワフワしていて、自分が誰かも、自分が何を考えているかも分かりません。子どもの頃から、生活全般のストレスや緊張のなかで生きており、最初のうちは、とても辛い状況に対して、過敏に反応していましたが、神経が繊細すぎると、周りとうまくいかなくなったり、生活が回らなかったりするので、身体の中の不快感や痛みの感覚、恐怖や怒り、悲しみ、苦しさの感情を自分から切り分けて過ごしてきました。その結果、体のある部分は凍りつき、またある部分は虚脱してしまって、集中力が途切れ、ぼーっとした状態になり、注意散漫になります。体が凍りついたり、虚脱したりすると、、自分の身体の感覚が分からなくなり、感情も鈍麻し、時間の感覚が止まって、思考が混乱します。そして、心も体も空っぽな状態になり、自己感覚の確立が出来ずに、自分のことがよく分からないなかで生活していて、生きている実感が分からなくなります。

 

トラウマを受けた人は、痛みで身体が凍りつき、意識が変容し、時間、思考、身体、情動等に支障をきたします。何度も外傷体験の再演を繰り返すことで、原始的な神経の働きが優位になり、心身の機能を一部停止させるため、解離性症状は重たくなります。主な解離性症状は、フラッシュバック、幻聴、離人症、非現実感、解離性健忘、解離性昏迷、感覚過敏(人の視線、気配、音、匂い、光、振動、体内過敏)、硬直、凍りつき、脱力、衰弱化、アレキシサイミア、パニック、過呼吸等になります。解離性症状の重篤な人の脳の中は、何も起こっていなくて、視床の部分で感覚刺激が断片化されています。そのような状況にある人は、子どもの頃からのトラウマにより、体が麻痺していて、外の世界を生き生きとして感じることができず、自分が自分で無くなっており、自己の感覚(嗅覚以外)が分からなくなっています。そして、外の世界で目に見えるものが見えにくくなり、人と直接関わっている感じが薄く、実感がわきません。まるで夢の中で生きているような感じや、夢から覚めて現実だと思っていた世界がまた夢の中にいるように感じています。

 

解離性症状に陥りやすい人は、 家庭、学校、子どもを取り巻く生活空間の全体がストレス過多にある人です。また、虐待やネグレクト、事件、事故、医療トラウマなどの圧倒するような外傷体なり、達早期のトラウマ体験、親の不在、体の病気、有害物質の暴露を受けてきた人です。さらに、感覚過敏があり、身体の不安にとらわれている人がなりやすいと言われています。解離性障害の人は、ストレスが高まると、解離モードに自然にシフトしていきます。

 

▶解離性症状の自己感覚

 

幼少期に外傷体験を受けると、その状況に自分自身を麻痺させて、日常生活をこなすようになります。過去の外傷体験に固着(やや制限されている)した体で生活していると、実感が伴わなくなり、感情が鈍磨して、自分が何ものか分からなくなっていきます。時間の流れも障害されて、心は子どものままでなかなか成長できませんが、体は大人になっていくので、大人のふりを演じながら生きています。心と体は合致せず、時間感覚は歪んでおり、過去と現在の時間感覚が断絶していたり、過去の時間が断片化していたり、現在の時間がゆっくり流れていたり、未来の時間が認識出来なかったりします。どうしてこのような状態になるのかというと、外傷体験が繰り返される状況のなかで、この世界がとても怖くなっていき、恐怖や痛みを感じないように自分が捻じれていくと、本来の自分の感覚を失ってしまって、私は私でいることが出来なくなります。そして、実感が失われて、過去から現在、未来の時間感覚が無くなります。今ここにいる感じがなく、時間が止まったように感じていて、でも現実の時間だけは過ぎていき、現実についていけなくなります。

 

日常生活を過ごしているのは、過去から繋がっている自分でありません。過去の自分と今の自分が繋がらなくなっており、物事を感じているのは私ではなくて、過去の外傷体験の時に生まれた私がこの世界にいます。過去から繋がっている本来の私は、体の中心にいて、小さく縮こまり、じっとしており、まるで夢の中にいるような感じで生きている感覚を失います。過去の外傷体験の時に生まれた私の部分は、体の中心から少し外れた位置で日常生活を眺めています。そして、感情が無く、体の感覚もなく、視野が狭く、この世界が立体ではなく、二次元のパステルカラーのようです。何をしても現実感を感じることが難しく、夢の中にいて、過去と繋がっている本来の私のことが分かりません。そして、身体に対する自己の感覚は、まるで自分が自分自身のすぐそばに立っているかのように感じたり、自分の体の外から物事を眺めているような感じで、観察者として過ごしています。本来の私は、この世界に怯えていて、誰とも喋らず、誰にも近づかず、無反応で、固まったまま、身体の中に閉じ込められていることがあります。

 

▶解離性症状の幻聴

 

健康的な人は、自分がその考えを持っていますが、外傷体験を受けている人は、おまえが悪いという声とか、助けようする声が二人称の視点からの声が聴こえるようになることがあります。解離性症状の重い人は、自分の生きてきた体験を自分で語るのではなく、別の声が頭の中で話すようになります。トラウマを負っている人の自己は断片化していき、それぞれの自己部分が精緻化され、凝集化し、解放化されることで、自律性を有していきます。自律性を有している自己の部分は、身体と精神の間を行ったり来たりしながら、日常を過ごす私に関与してきます。そして、しっくりこない異なる部分が自分の中にあると感じたり、二つ以上のアイデンティティがあるように感じます。 

 

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論考 井上陽平