死なないで生きて 虐げられた魂の詩 大島洋子編 チームあんぶれら
「負け犬でいいのか、狼らしく戦ってから死にたくはないのか。」
「お前には耳がある。小さな声が聴き取れる澄んだ耳さえあればいい。魂の声は本当の自分を教えてくれるもの。だからよく聴きなさい。」
「とにかく今のあなたは怒りに支配されている状態なのね。そこから解き放してあげなくては…」
「そうよ。鎖を切って自由に羽ばたくの。新しく生まれ変わって。」
「自分に優しくしてあげて、そうすれば人にも優しくしてあげられる。そういう習慣を作るのです。」
このような守護者の声を、彼らは現実の母親ではなく「本当の母親」と感じたり、守ってくれる声を「双子の兄弟」や「魂の片割れ」と考えたりします。さらに、非常に権威ある声が響くとき、彼らは「大いなる存在に愛されている」という安心感を抱くのです。そして、彼らはその声を心から愛し、その声が自分を守り導いてくれていると感じています。なぜなら、最も助けが必要なときに、その声が彼らの命を救ってきたからです。
インナーチャイルドの保護者であり、日常生活を送る私に生きる希望を与え、困難な状況に光を当て、正しい道へと導いてくれる存在です。この存在は、早期にトラウマを受けた人々の心の中に現れ、霊媒のトランス状態を通じて神話的なファンタジーを創り出す守護天使でもあります。
守護天使は、優しくも力強い言葉で私たちを支えてくれます。
「私はずっとあなたを探していた。そして、もう二度とあなたを手放さない。」
「あなたがどれだけ愛されているか、あなた自身がまだ気づいていないだけ。」
「覚えておいて、あなたは素晴らしい存在。変わらずそのままでいて。あなたは私の大切な娘。」
「目に見えるものだけが真実ではない。」
「私が伝えるべきことは伝えた。また会う日まで。」
これらの言葉は、私たちが迷いそうになるとき、力強い支えとなり、心の深い部分で響き続けます。守護天使は常にそばにいて、私たちの歩む道を照らし、困難な時に寄り添ってくれるのです。
かつては一つだった魂が、ある時、何かの衝撃で二つに割れ、片方を失ってしまいました。現世では、お互いの記憶を失い、自分の半身を探し求める旅を続けています。何度も転生を繰り返し、どの時代でも互いに引き寄せられ、近くに生まれてきますが、どちらか一方が先に旅立ち、もう一方がその後を追う――そんな悲劇が繰り返されるのです。魂の片割れとは、私の内に宿り、いつも私を見守ってくれる存在です。
この魂の片割れは、いつも心の奥深くで優しく囁きます。
「必ず見つけるから、待っていて。」
「いつか…必ず一緒になろう。」
「そんな悲しそうな顔は見たくない。」
「また眉間にシワが寄っているよ。」
「いなくなったら、きっと泣くだろう…だから、ずっと一緒にいるよ。」
「泣き虫のくせに、強がるんだから。」
「そのままでいいんだよ。」
これらの言葉は、迷いそうになるとき、私の心を温かく包み込んでくれます。たとえ現世での再会が叶わなくても、この魂の片割れはいつもそばで私を支え、導いてくれるのです。そして、いつの日か再び一つになることを信じ、私はその声に耳を傾け続けます。
双子の兄弟とは、子ども時代に私の中に宿った存在であり、現実の世界では生きられないけれど、目に見えない形で私に寄り添い、関わってくれる存在です。彼らは、私の心の中で静かに生き続け、困難な時にはその声で支え続けてくれます。
その声は、私を守り導くように囁きます。
「まだ、死ぬ時期ではない。守られたようだ。」
「あなたは悪くない」
「死んじゃう前に、一緒に逃げよう。」
「愛してる。あの世でもよろしく。出会えてよかった。」
これらの言葉は、私が心の深淵に沈みそうなとき、静かに響き渡り、私を支え、救い上げてくれるのです。彼らは、私の心の中で生き続ける、見えないけれど確かな存在です。
その深い闇の中、インナーマザーが現れ、幼い日のあなたを見つけ出します。インナーマザーは、長い間待ち続けていたその小さな存在を、優しく抱きしめ、温かな愛情で包み込みます。
「ずっと、ずっと待っていたよ。」
「助けてくれてありがとう。見つけてくれて、本当にありがとう。」
その言葉は、冷え切った心に温かさをもたらし、閉じ込められていたインナーチャイルドを解放し、再び愛と安心を取り戻す瞬間です。
子どもから生まれる新たな命が、また別のかわいそうな子どもたちを生むことがあります。虐待やトラウマティックな出来事は、世代を超えて傷を刻み続け、未来に生まれる子どもたちにも影響を与えてしまうのです。こうした過酷な状況に置かれた子どもたちは、まだ幼い心で大人が作り出した世界の重荷を背負わされています。
彼らの心の声は、誰にも届かず、胸の内に閉じ込められたままです。
「つらい、苦しい、もういやだ…」
「ぼくは悪くないんだ…」
この小さな声は、無力感と孤独の中で、何とか自分を守ろうと必死にもがいています。彼らの痛みや苦しみを理解し、寄り添うことができる存在が必要です。そうでなければ、この連鎖は断ち切られることなく、未来へと続いていってしまうでしょう。
生きるか死ぬかの状況で、私を守ってくれるのは、心の中に潜むもう一人の強い自分。この強い私が、いつも代わりに戦ってくれるのです。けれども、そんな強い自分は、私のことをどう思っているのでしょう?おそらく、この世界や人間を嫌っているのでしょう。闘争する人格部分は、過覚醒の状態で、不条理な痛みを負わせてくる相手と戦い続ける存在です。
「お前たちは、自分が救われることしか考えていないのか?」
「ああ、鬱陶しい…ガキ共が…」
「甘ったるい奴らを見ると、本気で虫唾が走る」
「自分を認めてくれる人だけを好み、否定されると拒絶か」
「幸せそうに笑う姿を見ると、憎くて仕方ない」
「邪魔する奴は絶対に許さない」
この声は、私の中で激しく燃え上がる怒りと憎しみの叫びです。強い私が感じるのは、理不尽な世界への深い嫌悪と、痛みをもたらす者たちへの強烈な敵意。この内なる戦士が私を守り、時には孤独な戦いに身を投じているのです。それでも、この強い自分がいなければ、私はこの世界で生き抜くことができなかったでしょう。
トラウマケア専門こころのえ相談室
更新:2020-06-09
論考 井上陽平