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大人とインナーチャイルドの葛藤


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 第1節.

偽りの自己と本当の自己―ウイニコット


まず最初に、ドナルド・カルシェッドの著書「トラウマの内なる世界」から、カルシェッドがウイニコットを引用して、素晴らしく描いている箇所があるので紹介します。ここでの「偽りの自己」は、傷つかなさ/あたかも正常かのように過ごす人格部分であり、「本当の自己」は、身体の中に閉じ込められた子どもの部分であり、そのペアについて書いています。

 

トラウマは常に、内的・外的現実のあいだの活発で創造的な関係を支えるのに「ほどよい」世話を環境/母親が提供できないことに関連している。もし母親の世話が常軌を逸した刺激の多すぎるものであったり、はなはだしく養育放棄的であったりすると、幼児の心身の「本当の」自己と「偽りの」自己の分裂が始まる。「偽りの」自己とは、本当の自己を更なるトラウマが保護し、耐えられなくなっている環境に対して身代わりとして機能するために、早くも構成されたものである。

 

ウイニコットにとって全心身的自己の分裂とは、早期トラウマに結びついた「想像を絶する苦悩」の体験を避けるために計画された原始的防衛が働いた結果起こるものである。このような「原始的防衛」は、セルフケア・システムの二重性に匹敵する。つまり人格のある部分は「亢進した」偽りの自己として精神のなかに場所を占め、その「サービスを受ける者」としての退行した本当の自己をともなって存在する。

 

ウイニコットの本当の自己は、それはまさに生の始まりにおいて「内的対象」が組織されるまえに現れ、当初は「感覚運動活動性の総計くらいのもの」である。その「全能性」が、ヌミノースで元型的な基盤が認められるものとは違った仕方で、母子二重性のなかでゆっくりと「人間化」されなければならない。もしこれが最適な手順で起きなかった場合、ウイニコットによれば、本当の自己は身体に具体化することをやめ、偽りの自己が、外的な要求に服従して未だ全能的ではあるがトラウマ化された本当の自己を恥ずべき秘密として隠しながら、個人の人生を乗っ取る。

 

ウイニコットは偽りの自己の支配のスペクトラムを見ている。一番端では本当の自己は完全に、偽りの自己からすら、隠されている。もう少し健康なところでは、本当の自己は「可能性として認められ、秘密の生活が許されている」。さらにもっと健康なところでは、偽りの自己が、本当の自己が存在することができる最適な状態を探している。このレベルでは、偽りの自己は世話する自己であり、本当の自己の面倒をみている。

 第2節.

人格の分裂的現象: 偽りの自分が生み出す防衛機制


人格が分裂する現象は、発達早期のトラウマによって引き起こされ、原因不明の身体症状やPTSD、解離や離人症状が現れることがあります。これは、幼少期から逆境体験が繰り返される子どもたちによく見られる現象です。家の中では、波長を合わせてくれる親が不在で、落ち着いて過ごせる場所がないため、都市型の慌ただしい生活に無理に適応しようとし、その結果、疲労が蓄積されていきます。

 

幼少期からの親の態度、受験戦争、就職活動など、人生の様々な局面で挫折感を味わい、大人になることに絶望を感じるようになります。本来は一つだった人格が、大人になる過程で次々と辛い出来事に直面することで、子どもの部分が動けなくなり、周りから取り残されていきます。この結果、人格は二つに分かれ、成長していく部分は、痛みや恐怖を麻痺させ、あたかも正常であるかのように日常生活をこなします。しかし、自分の内面を見つめると、虚しさや苦しさが湧き上がり、その表面上の「正常さ」が崩れる瞬間が訪れることもあります。

 

1.幼少期のトラウマと偽りの自分: 凍りついた心が生み出す防衛のメカニズム

 

幼少期に激しいトラウマを経験すると、子どもは体と心に大きなショックを受け、血の気が引いて意識が遠のいたり、恐怖のあまり体から心が離れたり、極限まで体が縮こまって動けなくなることがあります。強い力で体の中に閉じ込められたように感じるか、心が宙に浮いて別の領域へと飛んでいくような感覚を覚えることもあります。それ以降、何か恐ろしい出来事があるたびに、心と体が過剰に反応し、心臓が痛み、息が詰まり、体が固まって動けなくなり、意識が遠のく、あるいは体から離れるような体験が繰り返されるのです。

 

このような幼児期にPTSDを負った子どもは、過酷な環境に怯え、自分の痛みや感情をコントロールできなくなり、衝動的な行動で親に迷惑をかけてしまうことを「申し訳ない」と感じ、次第に自分の人生を諦めてしまうことがあります。痛みに凍りついた子どもの心は、壊れそうな不安から内的世界に閉じこもり、隠れたり、暗闇の中でただじっと考え込む日々を過ごします。

 

日常生活では「偽りの自分」が表に出て、明るく振る舞ったり、強いふりをしたりしながら、本来の子どもである自分がそれをただ見ている状態です。虐待や事件に巻き込まれることで、本来の心は死んでしまい、全ての感情が凍りついてしまうこともあります。こうして、まるで別人が日常生活を送っているかのように感じることさえあるのです。

 

また、子どもが命の危機に直面し、恐怖で体が固まり、何も感じなくなると、自分の人生を外側から眺めるような感覚を抱き、自分の痛みを切り離してしまうこともあります。この防衛反応は、トラウマから自分を守るために無意識に働き続け、長く深い影響を及ぼすことが少なくありません。

 第3節.

大人の人格と分裂する内なる世界


日常生活の中で人格交代を繰り返す人は、幼少期から虐待や家庭内暴力、性暴力を受けていることが多いです。彼らは、大人から逃げようと必死に試みても、追いかけられたり、無理やり押さえつけられるなど、避けられない恐怖にさらされてきました。また、家庭内で暴言や暴力が行われる現場を目撃し、身体を固め、泣き崩れるような経験を繰り返してきたのです。

 

解離性同一性障害(DID)の人々は、日常的に人格交代が起こりますが、その「主人格」は、特に不安が強く、傷つきやすい傾向があります。多くの場合、主人格は優しくてお人好しで、非常に繊細で弱々しい性格を持つことが多いです。彼らは静かで一人を好み、頭の中では何者かが話しかけてくるような感覚を抱くことがあります。時間が経つにつれ、人格交代が繰り返される中で、性格や行動が変化していくこともあります。

 

1.心の傷を隠して生きる主人格―見えない苦しみと身体の反応

 

主人格は、痛みや悲しみを感じないように自分の感情を抑え込み、何事もなかったかのように振る舞いながら、日常生活に適応することを重視します。内心では多くの傷を抱えていますが、それらが表に出ないように意識的に蓋をしており、結果として自分の状態に気づかず、病識が乏しくなってしまうことが多いです。周囲からは「できる人」と評価されることもありますが、本人はその評価と自分の実感との間にギャップを感じ、「自分は出来ていない」と思い込んでしまいます。

 

「大丈夫」と自分に言い聞かせながらも、身体にはさまざまな異常な反応が現れます。例えば、誰かが自分の後ろに立つだけで汗が出たり、息苦しくなったり、体が硬直してしまったり、気分が悪くなったり、震えが止まらなくなることがあります。また、誰かに触れられると、同様の反応が起きてしまい、自分ではその原因がわからず、ますます困惑します。

 

2.多重な人格の共存―解離性同一性障害が抱える複雑な日常

 

解離性同一性障害とは、さまざまな人格部分を持つ障害で、それぞれが異なる役割を担っています。外出用の人格、仕事用の人格、パートナーとの時間を過ごす人格、家事や子どもの世話をする人格、一人きりの時に現れる人格、そして子どもの人格など、対人場面や状況に応じて人格が交代します。このため、当事者は「自分が何者なのか」わからなくなり、頭の中が混乱しやすく、緊張性の頭痛を引き起こすこともあります。

 

例えば、主人格は一人でいることを好み、内向的な性格である一方、社交的な人格も存在し、外の世界で人と関わる役割を果たします。この社交的な人格は、感じよく話し、誰とでもすぐに打ち解けることができます。また、大人の人格が活動しているときには、子どもの人格は「お腹の中にいる」感覚があり、表には出てこないことが多いのです。

 

3.日常に潜む人格の分裂―大人の顔と子どもの心の共存

 

解離性同一性障害の典型的な症状が見られなくても、大人と子どもの人格が分裂している人がいます。大人の人格は、感情を抑え込んで自分を空っぽにし、表面的には正常に見えるよう日常生活を過ごします。しかし、解離が進行すると、自分自身が少しずつ変わっていく感覚が強まり、次第に別の自分が前面に現れてくることがあります。

 

大人の人格は、仕事や家事などのさまざまな役割をこなす一方で、ふと自分が誰であるか分からなくなり、生活の中での経験が記憶として残らないこともあります。このような状態では、目の前の出来事を処理することに集中しているため、日常の中で感情や感覚が希薄になり、いつの間にか別の自分がその場を引き継いでいることもあります。

 

人格の分裂は、自覚しづらい形で進行し、外から見ても普通に見えることが多いため、本人は日常生活を続けながらも、内面では深い苦悩と混乱を抱えています。

 第4節.

子どもの人格(インナーチャイルド)について


子どもの人格は、幼少期から心と身体に深い傷を負い、恐怖体験によって形成された存在です。各人格はそれぞれ、何らかのトラウマを抱え、傷ついています。一方、大人の人格は、日常生活をあたかも正常に過ごしているかのように振る舞いますが、痛みを感じる場面では、無意識のうちに子どもの人格へと交代し、適応しようとします。

 

このように、大人の人格と子どもの人格は痛みを境にして分かれており、大人の人格が困難に直面すると、子どもの人格が表に出て対応するのです。大人の人格は辛い出来事を否認し、過去のトラウマやその記憶、感情が意識から切り離されていることが多く、表面的には平然と日常を送っています。

 

しかし、子どもの人格は内なる世界で孤立し、周りから取り残されてしまい、トラウマの影響で動けず、怯え続けています。その子どもは暗闇の中で、一人助けを求めて泣いているかもしれません。

 

1.大人の顔に隠れた子どもの心―人格分裂と内なる葛藤

 

大人の人格は、外の世界で幼児返りを恥ずかしく思い、子どもの人格の存在を隠そうとしています。子どもの人格は、幼い振る舞いや未発達な生活スキルを持つため、日常生活から遠ざかりがちです。周囲に誰もいなくなったときや、安全だと感じる場所、あるいは自分の存在を理解し、甘えられる相手の前でだけ現れます。

 

しかし、子どもの人格が大人にコントロールされていると、自由を求めて「ここから出せ」と暴れることがあります。その瞬間、大人の人格の手足は勝手に動き、じっとしていられなくなることもあるのです。大人の人格が外の世界で活動している間、子どもの人格はお腹の中や背後から世界を見守っていますが、その葛藤は常に内側で続いています。

 

2.対立する人格たち―大人と子どもの心と共存

 

大人の人格は、子どもの人格を社会適応の障害と見なし、恥ずかしい存在だと感じています。大人としての自分にそぐわない行動を取る子どもの人格のせいで、自己嫌悪に陥ることも多く、大人の人格は子どもの面を嫌い、冷たく、排除したいと思っています。

 

一方で、大人の人格は仕事や友人関係、家事をこなすために、身体を麻痺させ無理やり活動していることが多く、その過程で子どもの人格は長期のストレスにさらされ、疲れ果てています。子どもの人格は、ただ静かに一人きりでいたいと思っているのに、大人の人格はそれを許さない。

 

さらに、複数の人格が異なる活動や役割を持つため、内側で衝突が生じます。仕事用の人格は何事もテキパキとこなし、社交的な人格はお洒落をして外に出ようとし、世話役の人格は子育てに専念します。対して、子どもの人格は自分の居場所を見つけられず、孤独に過ごしたいと願っています。このように、それぞれの人格の活動や考え方が異なるため、時に互いが足を引っ張り合い、内面的な葛藤が絶えません。

 

3.心が子どものまま―大人の体に囚われた幼い人格の苦悩

 

子どもの人格は、身体が大人になっても心は幼いままで、過去に縛られた存在です。自分を「子ども」と認識しているため、大人の体を持つ自分を見ても、それが自分の体だと感じられず、まるで他人の体のパーツが勝手にくっついているように思えることがあります。身体感覚は全く感じられないこともあれば、逆に敏感で、無邪気さを強く表現することもあります。

 

また、子どもの人格は現実と夢の境目で生きていることが多く、過去の時間の中で動いているため、現実を正しく判断する能力が低下し、行動が制限されています。特に、トラウマの中心にいる子どもの部分は、思い出すだけで体が震えるほど辛い経験に苛まれており、日々を暗闇の中で過ごしています。

 

過去の痛みに囚われた子どもの人格は、大人たちに振り回された結果、現実から逃げ、都合の良い空想の中に閉じこもるか、無表情で凍りついたまま、何も感じず、何も話さず、ただ存在しているだけの状態に陥ってしまいます。このように、心が凍りついてしまった子どもの人格は、常に過去の恐怖と苦しみに囚われているのです。

 

4.迷惑をかける子ども人格―大人の期待に応えられず、過去に囚われた心

 

子どもの人格は、幼い頃から大人の期待に応えられないことで、常に「迷惑をかけてごめんなさい」と謝る存在です。いつも悲しみと戸惑いの中にあり、何をすればよいのか分からず、ただ許しを請うことしかできません。大人たちが怖くて、引っ込み思案になり、顔を下に向けて身体を縮ませ、無表情で過ごしたり、作り笑顔を浮かべてしまうことが多いのです。たとえ他人と接する機会があっても、ストレスを感じるとすぐに引きこもり、再び孤立してしまいます。

 

子どもの人格は、常に怯えており、周囲の声や言葉、気配、足音に敏感に反応し、特に親の動向に神経をとがらせて、夜も眠れずに過ごしています。暗闇に刻まれたトラウマが蘇ると、過去の加害者に凌辱された記憶がよみがえり、心と身体が痛みで満ち、胸の痛みに耐えながら、か細い声ですすり泣きます。

 

彼らは、過去に囚われ、現実を認識することができないまま、痛みという地獄の中で絶望しています。もし現実の中で脅威を感じると、子どもの人格は瞬時に姿を消し、代わりに攻撃的な人格が現れ、臨戦態勢に入るのです。この交代は、痛みに対処するための唯一の方法であり、彼らの内側で繰り返される苦しみの一端なのです。

 

5.愛着を求める子ども人格が抱える葛藤と痛み

 

大人の姿をしていながら、心は子どものままの人格は、常に安心できる愛着対象が自分の元に戻ってくるのを待ち続けています。子ども人格の無邪気な部分は、誰かに手を繋いでもらったり、頭を撫でてもらったり、優しく抱きしめてもらうことで安心感を得たいと強く願っています。常に甘えたいという気持ちがあり、思いやりや愛情を求めているのですが、それを異性の男性に向けると、しばしば性的な意図と誤解され、再びトラウマとなる体験をしてしまうことが多くあります。その結果、望まない状況に巻き込まれ、断ると怒られるため、仕方なく従うしかない場面もあります。

 

さらに、世話をしてくれる大人に対しては、甘えたい気持ちが強く、泣いたりわがままを言ったりして、どうにか自分の存在を認めてもらおうとします。しかし、ストレスが積み重なるとその要求が過剰になり、ついには手に負えない状態に陥ってしまうこともあります。怒りや欲求不満が膨れ上がり、周囲に対して攻撃的になり、王様のように横柄に振る舞うことも少なくありません。こうした行動の裏には、満たされない愛着の欲求と、深く刻まれた葛藤と痛みが隠されています。

 

6.大人の自我と奇跡の子ども ー 内なる子どもとの対話がもたらす癒しの力

 

大人の人格は、内なる子どもの存在を受け入れることに対して、時として強い抵抗や嫌悪感を抱くことがあります。大人としての自我が安定していると考えるほど、子どものような脆弱さや無邪気さを嫌う傾向が強まるのです。しかし、スピリチュアルな観点から見れば、子どもの人格はただの未成熟な部分ではなく、実は「奇跡の子ども」として非常に重要な役割を果たしているのです。

 

この「奇跡の子ども」は、天からのメッセージを受け取り、神と人間の世界をつなぐ仲介者のような存在です。子どもの人格は、ヌミノースな(神秘的な、超自然的な)エネルギーを纏い、大人の視点では理解し難い異なる次元の力を内包しています。特に、大人の人格が深いショックやストレスで機能を失いかけた時、この子どもの人格が代わりに現れて、心身を守り回復させることさえあります。

 

そのため、大人の自我が気づかないうちに、この子どもの人格は私たちの内側で重要な役割を果たしており、無意識の領域で心身のバランスを整えているのです。大人の人格が子どもの人格を認識し、受け入れ、優しく大切に扱うことができるならば、私たちはより健全で統合された自己を築くことができるでしょう。

 

子どもの部分を拒絶することなく、その声に耳を傾け、共に歩むことが、真の癒しと成長への第一歩なのです。

 

参考文献

D・カルシェッド:(豊田園子,千野美和子,高田夏子 訳)『トラウマの内なる世界』新曜社 2005年

 

トラウマケア専門こころのえ相談室

論考 井上陽平

 

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