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トラウマの正体

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▶トラウマというのは

 

トラウマというのは、瞬間的な事件がトラウマになる人もいれば、幼少期から虐待や病気がちの生活が続き、長年に蓄積されたものがトラウマになる人もいます。トラウマは心的外傷とも呼ばれており、心が壊れて、その傷がその人の人格や生活に影響を及ぼしている状態と言えます。一般的に、トラウマは得体の知れないもので、心の抱えている問題とか心の傷という抽象的なものとして捉えられており、身体のどこに潜んでいるかわからない不可視なものでした。しかし、最近では、トラウマというのは、身体の中に閉じ込めた爆発的なエネルギーのことであり、過去の経験が自分の身体のどこかにあると言われるようになりました。そして、日常生活の何気ないことまでトラウマのトリガーになり、恐怖に関連したことが蘇ると、心臓がバクバクし、神経が高ぶり、筋肉がギュッと縮まって、過覚醒から凍りついていく現象です。長期間にわたって、身体は警戒態勢が続き、脳の扁桃体は危険を察知して、自分を脅かしてくる対象から自分を守ろうとします。人は凍りついていく過程で、怒りや恐怖、心臓がバクバク、戦慄、無力感、絶望の感情、動けなくなる身体、何もかも握りつぶされる痛み、喉のつっかえ、息苦しさ、首と肩の張り、胸の痛み、胃のムカつきなどでトラウマは表現されます。また、身体の中に潜んでいるトラウマの経験は、その人が抱えている体の疼き、鉛のように重くて黒い塊、凍りつき、虚脱、闘争・逃走反応、感覚麻痺、遮断、捻じれ、バラバラ感、焦燥感、じっとしていられない苛立ち、うずくまる姿勢、筋肉崩壊、血の気が引く、パニック、悪夢、強迫観念、感情の爆発、記憶喪失、全身の震えなど可視化できるようになっています。複雑性PTSDの人は、胸に刺さったナイフを抜くことが出来ず、過去の傷と毎晩戦い続けています。

 

▶トラウマはどのような場面で起こるのか

 

トラウマというのは、戦うこともできないくらいの戦力差があり、逃げようとしても、捕まえられて、力づくで押さえつけられて、死にかけるような環境下で起こります。過酷な環境の下、自分を脅かす存在を目の前にしても、その状況を適切に把握し、本来の自分が戦うか逃げるかを成功させれば、トラウマの度合いも低くなります。しかし、脅威の対象に襲われて、決死の覚悟で戦いを挑むものの、感情に圧倒されたときは、退避できるかどうかが生死に関わります。退避できない場合は、身体が凍りついて、胸が痛み、息が吸えず、全ての望みは失われて、一瞬にしてブレーカーが落ちたような状態になり、頭の中が真っ白になります。このときは、身体が凍りついて、動けなくなっているので、闘争・逃走反応が中断されてしまい、行き場のない莫大なエネルギーが滞ります。このような恐ろしい体験中に、感情に圧倒されて、自分の身に何が起きているのかも把握できず、適切に処理できなくて、自分なりの意味を見出せなくなると、トラウマを負うことになります。トラウマを負うときは、自分では対処しきれずに動けなくなり、じっとして固まっているか、死んだふりをしてやり過ごすか、身体を明け渡して離人症のようになっているか、全身が崩れ落ちているかもしれません。

 

自分の身体を闘争人格に明け渡したときは、別の自分が脅威の対象との間で、闘争状態になり、激しい攻撃性を表出して、戦ったり叫んだりします。さらに、虚脱状態に陥るときは、脅威の対象に圧倒されて、身体がバンと破裂したかのような状態になり、心臓の働きが弱まり、足がワナワナガクガ震えて、体全体が無力な状態に陥ります。あと、攻撃者から狙われないように、死んだふりをして危険をやり過ごしたり、敵が背を向けた瞬間に、息を吹き返して、見境なく攻撃しようとする力が湧き起こる人もいます。このように身体を凍りつかせて自分を守ろうとしたのに、執拗に攻撃されると、されるがままの痛みでバラバラに千切れるか、全身が冷たく重くなり、崩れ落ちます。また、崩れ落ちる前に、機能を停止させて、最小限のエネルギーでその場に留まろうとします。

 

自分が生きる死ぬかのような状況ではないですが、対象に見捨てられて、全ての望みを失う場面とか、対象を助けられないことで、取り返しのつかない恐怖を感じてトラウマになることがあります。例えば、親の愛情を失うかどうか、親が死んでしまうかどうか、親が離婚してしまうかどうかで、子どもの心と身体は、虚脱に至るか、崩れ落ちるか、固まり凍りつくことがあります。また、自己愛の強い親やボーダー的な親、怯えの強い親に、酷い仕打ちをうけて、振り回されながらも、逃げずに、無理している子どもは、疲労困憊で、頭の中が真っ白になり、身体は固まり閉ざされていくことがあります。

 

▶トラウマの重症度のレベル

 

様々なレベルのトラウマがあります。トラウマがある人は、脅威に備えた人生になり、不安、焦り、緊張、警戒モードで過ごしていて、無意識のうちに苦手な相手に対して、バリアを張ります。そして、ありとあらゆるパターンを想定して、相手の顔色を伺いながら過ごし、機嫌が悪ければ避けています。中度のトラウマ反応は、敵に対して闘争・逃走反応を示します。闘争・逃走のトラウマ体験は、生きるか死ぬか、戦うか逃げるかの戦闘状態であり、怒りや恐怖の感情があって、身体は行動する準備をしており、相手を威嚇します。闘争状態は、交感神経系が興奮し、心臓がバクバクし、呼吸は浅く早く、胸がざわついて、毛は逆立ち、顎は下に引っ張られ、肩は上がり、歯を食いしばり、こめかみがドキドキし、瞳孔は開き、顔は赤くなり、発汗が見られ、四肢が勝手に動いたりします。重度のトラウマ反応は、切迫した状況や切迫した選択肢に迫られ、全ての望みが断たれて、凍りつく反応を示します。凍りつくようなトラウマ体験を受けると、より原始的な神経が働くため、胸が痛くて、息が止まったようになり、声も出なくて、叫ぶことも出来なくて、動けなくなります。最重度のトラウマ反応は、筋肉が極度に伸び切ってしまって、ノックアウト状態になり、体全体が崩れ落ちていきます。このときは、交感神経系がシャットダウンして、筋肉が崩壊していくので、心臓の鼓動が弱くなり、血の気が引いて、全身が鉛のように冷たく重く、動けなくなります。あまりの恐ろしい衝撃で、身体がバラバラになるか、捻じれるような感覚があるかもしれません。原始的な神経の働きが過剰になると、手足は動かせなくなり、心臓の働きと息をする部分だけ残して、生命を維持するための最小限のエネルギーが使われますが、胃腸の消化活動だけは活発に動き、気持ち悪く、嘔吐や下痢を引き起こします。この最重度のトラウマのときは、頭は混乱し、凍りついた身体の中で、窒息しそうになるとか、心臓がもぎとられるような痛みが走るとか、恐ろしいことが起きますが、自分の意識が朦朧としていくか、意識を飛ばして、あちら側の世界に飛んでいって、神秘体験をしている人がいます。その一方で、ブラックホールに吸い込まれて、自分が跡形もなく消えるような体験をしているかもしれません。身体反応は、顔は白っぽくなって、指先は青白くなります。また、全身が冷たくて、重くなり、胸が痛み、お腹は気持ち悪く、痛みで体が身悶えて、身体を動かせません。

 

▶トラウマ後の身体への影響

 

トラウマを負った人は、相手との力関係を見ながら、理性をフルに使って、圧倒されるような感情や、過覚醒などの落ち着かなさ、爆発的な攻撃性を抑制しています。また、人間は、社会化した動物のため、身体を震わせて、自然終息させる場所が無かったりします。さらに、現代人は、頭ばかりで生きるように習慣化されているため、身体に注意を向けることをしていなくて、身体の中のトラウマの反応に慣れることができません。身体の中にトラウマがある人は、脅威に備えて、五感(知覚)が鋭くなり、一人で安心して過ごすことが出来なくなります。また、嫌な刺激に曝されたときに、内臓は危険を感じ、筋肉がこわばり、動悸や焦燥感、イライラ、モヤモヤ、ザワザワなどの不快感が出てきて、落ち着かなくなります。そして、頭痛や吐き気、腹痛、耳鳴りなどの身体症状が現れて、その痛みで苦しくなり、潜在的な脅威を遠ざけるために、動き出したくなります。不快な状況なのに、問題解決に向かって、行動ができないと、気が狂いそうになり、叫ぶ、走り回る、外に出る、自傷行為、罵倒するなど、捨て身の自暴自棄な行動を取ります。さらに、しばらく時間が経ってしまうと、身体が麻痺していって、何をしたいか、どうしてここにいるのかなど分からなくなることがあります。

 

トラウマがある人は、心で大丈夫と思っていても、生活場面や人と関わるときにトラウマのトリガーが引かれます。例えば、自分の手足とか身体に意識を向けると、過去の嫌なことが蘇ってくることがあります。また、何もないような状況でも、身体の方が勝手に不快だと判断して、闘争・逃走スイッチが入り、心臓がバクバクして、息苦しくなり、過覚醒になります。つまり、トラウマがある人は、脳と身体の方が不快や危険、嫌だ、来ないでと感じることがあり、自分を守ろうとして戦うか逃げるか反応が出ます。そして、脳と身体は危険から逃れたいと訴えているのに、その身体反応に抗って、抑制しようとすると、身体が麻痺して、ガチガチに凍りつき、不動状態に陥ります。一方で、この凍りつく反応というのは、神経が痛み、血の気が引いたり、息が出来なくなる恐怖があるため、この反応を怖がってしまうと、凍りつきが慢性化します。このように脳と身体の反応を無視したり、抗ったりして、その場にじっと動かないでいると、身体は凍りつきます。さらに、この凍りつき反応を怖がると、凍りつきがさらなる凍りつきや死んだふり、虚脱に至るため、トラウマの症状を悪化させます。

 

トラウマがある人は、自分でもよく分からないうちに、不快な感覚にのまれていって、落ち着きが無くなり、視野が狭くなり、居ても立っても居られなくなります。不快な感覚のせいで、その代償行動として、質の低い不適応な行動に走ることがよくあります。例えば、好きでもない相手とのセックス依存、過食行動、アルコール依存、薬物乱用、ギャンブル依存、買い物依存、攻撃行動、自傷行為、動きたいなどです。不適応な行動を取っている時は、過覚醒から凍りつくまでの間の不快な感覚に支配されているので、自分に言葉をかけて何とかしようとしたり、他のことに注意を向けようとしてもうまくいかず、理性的な判断が難しくなっています。

 

トラウマの衝撃により、神経が繊細で、全身に力が入るようになり、生活全般のストレスと戦って、張りつめた状態で過ごしていくうちに、様々な身体症状が現れて、胃や腸、皮膚などに炎症を起こすことがあります。そして、身体が危険を感じるたびに、気管支が細くなり、喉がつっかえたようになって、扁桃腺やリンパが腫れやすく、神経を圧迫する痛みが出てくるかもしれません。また、脳が危険かどうかを瞬時に判断しようとしているので、情報処理能力が過剰に働いています。身体の中は、通常の人よりも、ストレスホルモンが減っていく速度が遅く、いつまでも脅威、不安、イライラ、怒り、不快感が染みついた状態でいます。凍りつくようなトラウマを負っている人は、人に悪意を向けられることを恐れるようになり、本当は臆病な性格をしていて、身体は固まりやすく、すぐに不安や動揺を感じて、体が痛み、うつや被害妄想、解離症状、身体症状に苦しむことになります。また、長年に渡り、降り積もったストレスや緊張は、身体を慢性的に凍りつかせて、過去のトラウマの世界に引きずり込み、自分のことをよくわからない状態に置きます。そして、慢性疲労や慢性疼痛から、不眠が続くと、全身が衰弱していって、生きる屍になります。

 

▶恥というトラウマ

 

トラウマによる闘争や逃走、凍りつきの反応は、恐怖だけでなく、恥の感情などでも起こります。特に、子どもの頃から、様々なトラウマにより自律神経系の調整不全がある人は、恥の感情に弱く、大勢の人の前で、自分が発表する場面などでは、緊張が高まりすぎて、フリーズや赤面、手の震え、声が出ないなど自分自身をコントロール出来なくなります。人前で恥をかく場面は、恥をかかす相手との力関係から太刀打ちできないことが多く、トラウマ化します。また、恥をかかされて赤面したり、震えたり、怒鳴ってしまうことは、自分を取り乱して、自分をコントロールできないことを周りに伝えることになり、社会的に不利な立場に立たされてしまうため、自分で抑えるしかありません。さらに、恥をかかされたからといって、その場から逃げ出すことは、社会通念上、不適切な行動と取られてしまいます。一般的に、恥をかかされた人は、その場に立ち尽くすことで、動悸や焦燥感、イライラ、胸の痛み、冷や汗、息を止める、手足の震え、赤面、血の気が引く、思考フリーズ、足や内臓が捻じれるような感覚に陥ることもあります。そして、恥をかくことが、身体反応や感情のコントロールを失い、過覚醒や凍りつき、崩れ落ちるトラウマになると、恥をかくことに恐怖し、恥をかくことにより自分をコントロールできなくなることを恐れます。そして、恥の体験や感情の高ぶり、生理的混乱、自分で自分をコントロールきないという恥が二重、三重の恐怖サイクルを作り出します。このサイクルにはまり込むと、恥をかくようなことを避けるようになり、恥をかくような自分は最も最悪な事態を引き起こすので、失敗できない完璧主義者になります。また、人の顔色を伺いながら、人が自分のことをどう思っているかを気にして、学校や組織などの集団場面を恐れたり、敵視するようになるかもしれません。学校というのは、教育理念の枠組みから外れると、人前で吊し上げられたり、クラスの中で公開処刑のような恐怖や恥を味わうことがあります。ですから、恥のトラウマがある人は、世間体を気にして、周囲の反応ばかりに注意が向き、自分を良く見せることで自分の安全を確保します。そして、高められた自己像と低められた自己像の間でスプリットを起こして、自分は正しくて、それ以外の意見は間違っているとか、不快なものを避けるとか、予測外の出来事を恐れるようになります。さらに、危険かあるかどうかを細かいところまで見ていって、疑い深く、心配性で、神経質な性格傾向になります。その結果、自己イメージの歪みや他者に求める質が極端になるなど、パーソナリティ障害になることがあります。

 

▶自律神経系の働きと身体症状

 

人は大きなトラウマを負うと、恐怖に筋肉が硬直し、心拍変動が起き、神経系が改変されるため、自律神経系の調整不全に陥ります。外傷体験の時は、身体が過度に緊張して、交感神経が過剰(アクセルを踏むと)に興奮しても、恐怖が強い場合には、原始的な背側迷走神経(ブレーキがかかり)が働くようになるので、凍りつきや激しい攻撃性、体調不良が生じます。トラウマを負い、交感神経や原始的な神経の間を行き来している人は、人から傷つけられるかもしれないとか、悪意を向けられているに違いないと思うと、胸が締めつけられるような痛みが出ます。トラウマを負うことで、ちょっとした刺激にも、筋肉が硬直し、心臓に影響が出て、脳の方にも影響を与えるので、様々な症状が現れます。人はこのような原因不明の身体症状を、自分の神経の働きとは考えられず、外側の世界に原因に求めるようになります。その結果、トラウマによる外傷体験だけではなく、原因不明の身体症状を引き起こす、外の気配にも怯えるようになります。この悪循環にはまることにより、身体症状や外の気配に怯えて、恐怖するようになり、トラウマによる原始的な神経の働くメカニズムに閉じ込められていきます。そして、年齢を重ねるごとに、その傾向は強くなり、身体は切り離され、心の成長がアンバランスになり、外の世界を生き生きと感じることが難しくなって、解離傾向は高まります。また、慢性的な疼痛、疲労感に悩まされるようになり、社会交流は難しくなって、活動性は低下していきます。

 

▶様々な場面で引き起こされるトラウマ

 

たとえば、家庭場面でしたら、親から子どもへの虐待はさまざまなトラウマを負う可能性があります。特に、養育者から性的虐待を受けた子どもは、恥や凍りつき、崩れ落ちる、バラバラになるようなトラウマを負うことがあります。身体的虐待を受けた子どもでは、闘争や凍りつき、崩れ落ちるようなトラウマを負うことがあります。心理的虐待やネグレクトを受けた子どもは、感情・自己調整機能に障害が出やすく、凍りつきや崩れ落ちるようなトラウマを負いやすくなります。また、夫婦が激しい喧嘩を見ていた子どもは、警戒心過剰や闘争、凍りつきなどのトラウマを受けることがあります。その他、母子関係のこじれや兄弟葛藤、親側に怯え、ヒステリー、トラウマがあり、母親の顔色を伺いながら育った子どもは、何度も振り回されてしまうことで、疲れ切って、うつや凍りつくトラウマになることがあります。

 

次に、学校や子どもが施設で育つ場合は、大人から問題児へのホールディングという名の押さえつけがあると、闘争や凍りつき、崩れ落ちるようなトラウマを負うことがあります。また、学校でいじめにあうとか、学校の先生に不条理な目にあわされると、恥や闘争、凍りつき、崩れ落ちるようなトラウマを負いやすくなります。医療場面でしたら、医療関係者から患者への身体拘束で、凍りつきや崩れ落ちるようなトラウマを負うことがあります。手術ミスなどを受けた場合は、凍りつきや崩れ落ちる、バラバラになるようなトラウマを負うことがあります。ぞっとするような事件に巻き込まれ、加害者の言いなりになって過ごすような場合は、闘争、凍りつき、崩れ落ちるトラウマになることがあります。自然災害や交通事故に遭うことで、凍りつきや崩れ落ちるようなトラウマを負うことがあります。仮死状態で生まれてきた子どもは、生まれながらにして凍りつくようなトラウマを負っています。

 

▶トラウマ性の根本は、

 

トラウマのストレスを受けた人は、3つのFが生じると言われています。身体と情動を司る大脳辺縁系で生じる現象で3Fと呼ばれており、闘争、逃走、凍りつきの3つの状態で生存を高めるための反応です。原始時代から、人間の祖先たちは、凶暴な動物に襲われて、危険な場面に遭遇したときに、この3Fが起きるように脳の中にインプットされています。また、3F以外にも、凍りついた状態で、さらに追いつめられると、手足に力が入らなくなり、全身が捻じれたりバラバラになったりして崩れ落ちるか、トラウマのブラックホールに吸い込まれて死の恐怖に襲われるか、激しい攻撃性を見せるかなど最も深刻なトラウマがあります。このようなトラウマを負って、原始的な神経の働きが優位になり、トラウマティックな脳(野生の動物~爬虫類~魚類)になると、頭の中が過剰に警戒していき、危険があるかどうかを立ち止まって、視覚や聴覚を働かしながら、細かいところまで調べています。そして、危険を感じると、その対象を凝視してしまい、身体のほうは戦うか逃げるかの反応をして、緊張が高まります。

 

▶トラウマのメカニズム

 

トラウマというのは、不意を突かれた人が戦うことも逃げることもできない場面で、恐怖に凍りつく反応です。そして、その時に合理的な脳が働かなくなり、激しい怒りや恐怖のなかで、その衝撃に耐えられない場合は、筋肉が崩壊し、心臓が弱り、息が出来なくて、頭の中が真っ白になり、黒い渦(ブラックホール)のなかに吸い込まれて、機能停止や崩れ落ちる体験と言えます。トラウマのある人が何か危険を感じると、焦燥感が高まり、ソワソワし、心臓がバクバクし、呼吸が速くなります。不安が的中すると、胸は締めつけられるように苦しくなり、息はしづらく、恐怖に体が震えて、興奮していって、パニックになります。パニックになると、頭の中が真っ白になり、自分の声が聞こえなくなり、自分を後ろから見ているようになるかもしれません。または、そのまま動けなくなり、黒い渦に吸い込まれて、無になって、周りが消えていくように体験されているかもしれません。ピーター・ラヴィーンは、トラウマの恐怖・不動のサイクルについて、逃走の失敗があり、恐怖と無力感の体験をして、身体が不動化(凍りつき)し、そして、覚醒する。これは恐怖と不動(凍りつき)が互いに燃料を供給し合う悪循環を示している。これが私たちを飲み込み、トラウマの「ブラックホール」に閉じ込めるメカニズムであると述べています。

 

▶加害者と被害者の支配服従

 

トラウマを負わせてくる自己愛的な加害者は、被害者に有無を言わさず力づくで服従を強います。加害者の理不尽ないいつけにより、被害者は自発的な選択が奪われ、自分の意志を押し殺します。さらに、被害者が身動きが取れない状況に追い詰められると、焦燥感が高まっていき、どうしようもできない場合には、思考力が低下して、判断能力が落ちます。過酷な期間が続くと、苦痛に耐えられくなり、精神的に参ってしまい、知らず知らずのうちに、自分の感情や感覚も無くなっていって、失感情症、離人症、うつ病になります。身体の方も、不眠、めまい、頭痛、腹痛、吐き気など様々な症状が表れます。

 

過酷な環境にいると、被害者は加害者に対して境界を張って、自分を守ろうとします。しかし、加害者に追いつめられていくと、被害者は自分自身に過酷になって、自分にプレッシャーを与えながら、自然なありのままの自分の状態を拒んだりします。その一方、加害者が境界を破ってくる場合は、自分の境界を下げて対応するしかなくなります。被害者は、みじめな自分になって、自分を貶めるような行動を取ったり、服従したり、加害者の感情が収まるまで待ったり、加害者の言い分を受け入れなければならない状況になることもあります。また、長期に渡ると、被害者は、加害者のテリトリーのなかでじっとするようになり、凍りつくような痛みを感じながら、抜け出すことが困難になります。

  

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論考 井上陽平