トップページ > トラウマ・PTSD研究 > 凍りつく人の特徴
第1節.
発達早期にトラウマや虐待、ネグレクトを経験した人、身体が弱い人、またはADHDやASDの傾向を持つ神経発達に問題のある人々は、過去の被害に敏感になりすぎて、潜在的な脅威に常に備えた生き方をしています。その結果、交感神経が過剰に働き、同時に背側迷走神経が拮抗するため、すぐに凍りつくか、常に凍りついた状態にあります。
この状態では、本来危険でない情報でさえも、身体が凍りついて震え、外界のあらゆるものが自分を脅かす対象として認識されてしまいます。このため、社会生活に深刻な支障が生じます。こうした人々は、呼吸が浅く、冷え性で、口が渇き、身体はガチガチに固まり、脳が絶えず危険を察知して落ち着かなくなることが特徴です。彼らの日常生活は、無意識のうちに常に緊張状態にあり、安心感を得ることが難しいため、その影響は心身に大きな負担をかけています。
ピーター・ラヴィーンの『身体に閉じ込められたトラウマ』によると、外傷体験のときに「高いレベルまで活性化されていながらも闘争か逃走といったような一連の行為が妨げられると、システムは凍りつくか虚脱状態に陥る。それだけでなく、エネルギーが充填されていた緊張は筋肉に閉じ込められたままになってしまう。この代償としてこうした未使用の、または部分的に使用された筋緊張は、脊髄から視床(感覚の中心的継点の一つ)へ、それから脳の他の部位(特に扁桃体)へと神経電位の流れを生成し、危険や脅威が引き続き存在しているという信号を送るのだ。単純に言えば、筋肉や内臓が危険に反応するために構えると、自分は何か恐怖を感じているとこころが教えてくれるということだ。そしてその苦痛の原因が特定できないと、それを探し続けることになる。」と述べています。
1. 極限の外傷体験がもたらす身体と感情の凍結
凍りつくトラウマを抱えている人は、過去に強烈な外傷体験を受け、その衝撃で身体の筋肉や血管が極限まで縮まり、固まって動けなくなってしまいました。この状態は、その瞬間だけでなく、以降も身体に深く刻まれ、繰り返される過酷な体験や脅威にさらされるたびに、足がすくんで抵抗できなくなるという反応を引き起こします。
こうして、身体が凍りつき、動くことができない状態に陥ると、次第に自分の意思が失われ、されるがままになってしまいます。その結果、身体はさらに固まり、締め付けられるような痛みを感じながら、動けなくなり、感情も徐々に消えていくのです。
この凍りついた状態は、過去のトラウマが身体と心に与える深刻な影響を物語っています。身体が固まり、感情が凍結することで、外部の世界と切り離され、生きる活力が失われていくのです。このような状態からの回復は、時間と適切なケアが必要です。
2. 家庭内の脅威がもたらす深刻な影響
痛みに凍りつく身体を持つに至る過程には、激しい両親の喧嘩や虐待などがあり、親子関係が次第にこじれていくことがあります。家の中では、息を潜め、足音を立てず、自分の存在を消しながら、他の家族の様子を伺う生活が続きます。脅威から少しでも離れようと、自分の部屋にこもり、勉強や読書、スマホ、ゲーム、音楽に没頭して自分を守ろうとします。
しかし、脅威が自分に近づいてくると、筋肉が硬直し、心拍数が上がり、息が止まり、感覚が過敏になります。過剰警戒の状態に陥り、脅威の対象から怒鳴られたり、叩かれたりすると、強烈な恐怖に襲われ、身体が完全に固まってしまい、抵抗することができなくなります。
さらに、脅威が不意に襲いかかってくると、痛みが全身を駆け巡り、心臓が縮みあがるような驚愕反応が起きます。このような経験が繰り返されると、心と身体は次第に凍りついていき、日常生活においても常に脅威に対する過剰な警戒心を抱えるようになります。
3. 動けなくなる恐怖と過緊張の罠
凍りつく防衛スタイルを身につけると、危険を察知しても、戦うことも逃げ出すこともできず、恐怖に身がすくんで動けなくなります。それ以降、嫌悪刺激や絶え間ない環境の変化が恐ろしく感じられ、また同じことが起こるのではないかと常に身構えるようになります。この過剰な警戒心が、脅威に備えることを習慣化させ、過緊張状態が続くことになります。
過緊張が慢性化すると、無意識のうちに身体が縮こまった状態でロックされ、変化が止まってしまいます。その結果、すぐに凍りつくか、凍りついたままで日常生活を送ることが常態化してしまいます。恐怖や漠然とした不安を感じるたびに、「どうしよう、怖い」という思いが胸をよぎり、ドキッとしたり、息を止めてしまったりします。さらに、身体が痛みを感じたり、固まって感覚を失ったり、動けなくなったり、離人感に襲われることもあります。
このような凍りつく防衛スタイルは、身体と心に深刻な影響を与え続け、日常生活を脅かす要因となります。
第2節.
危険や脅威を察知して凍りつく防衛スタイルの人は、身体が凍りつく反応に強い恐怖を感じ、その結果、凍りつきが慢性化してしまうことがあります。迷走神経反射により、さまざまな症状が現れ、自分の身体から切り離されているような感覚に陥ることもあります。
以下は、凍りつき反応によって引き起こされる具体的な症状です:
このような症状が日常生活に与える影響は非常に大きく、社会での生きづらさや心身の健康に深刻な影響を及ぼします。
第3節.
幼い頃から身体を凍りつかせてきた人は、自分が今も常にその状態にあることに気づいていないかもしれません。凍りつきが慢性化すると、身体はさまざまな形でその影響を受けます。心拍数や血圧が低下し、筋肉量が減少して、呼吸は浅くなり、身体全体がガチガチに固まってしまいます。この状態が続くと、関節や筋肉に痛みが生じ、まるで「死んだふり」をしているかのように、身体が生命活動を最小限に抑え込んでしまうのです。
慢性的な凍りつき反応は、身体と心の機能を著しく低下させ、日常生活に大きな負担をかけることになります。これに気づかないままでいると、徐々に身体が硬直し、活力が失われ、深刻な健康問題に繋がることもあります。
トラウマの影響で、すぐに身体が凍りつく人は、神経が非常に繊細で、環境の変化に対して常に緊張しています。このため、予期せぬストレスに対して特に弱く、身体は疲れやすく、心も非常に傷つきやすい傾向があります。その結果、体調を崩しやすいことが特徴です。
日常生活では、人の気配、言葉、態度、感情、音、匂い、光など、さまざまな刺激に過敏に反応します。ちょっとしたことでビクビクし、胸の圧迫感や頭痛、気持ち悪さ、咽頭炎、耳鳴り、蕁麻疹、生理痛の悪化など、身体が重くしんどく感じることが多くなります。このような過敏さから、集団場面や都市型生活において極端な反応を示しやすく、他者との関係にも悩むことが増えます。
特に、人が集まる場所では身体が硬直し、居心地が悪くなるため、その場を楽しむことができず、心が現実から離れてしまうことがあります。これらの反応は、トラウマがもたらす神経過敏さからくるものであり、日常生活に大きな影響を与え続けます。
ストレスを感じると、筋肉がギュッと縮こまり、固くなり、血液の流れが滞って身体が凍りついたようになり、痛みを感じやすくなります。また、人から否定的な感情を向けられると、頭がフリーズしてぼーっとし、機能が停止したかのように自分の意見や言葉を発することができなくなることもあります。
慢性的な不動状態に陥ると、息を殺し、自分の状態と周囲の気配を常に確認しながら、逃げ込める場所を探し、どう生き延びるかに全神経を集中させて考えるようになります。ほとんどの時間、意識は外部に向けられ、頭の中では過剰な情報処理が行われ、身体の感覚は麻痺しています。この状態が続くと、めまいやふらつき、胃の痛み、身体の重さ、エネルギーの低下といった症状が日常的に現れます。
日常生活をなんとか乗り切るために、感覚や感情を麻痺させた方が楽に感じられるため、心と体が次第に分離していきます。この結果、トラウマから発生した離人症や解離症状、うつ状態、強迫観念、さらには原因不明の身体症状などが複雑化し、日常生活に深刻な影響を及ぼすことになります。
脳と体の神経が危険や脅威に敏感であるため、「しなければならない」や「すべきだ」という思考に囚われやすくなります。その結果、行動もそれに縛られ、思い込みが強くなってしまいます。常に失敗を恐れて、頭の中はネガティブな考えや「こうしなければならない」という思いでいっぱいになり、身体はガチガチに緊張し、歯を食いしばって頑張ってきました。
思春期を迎える頃から、トラウマの影響がさらに強まり、過去に囚われ続け、強迫観念や強迫行為に悩まされるようになります。これにより、日常生活がますます困難になり、心身への負担が増していくのです。このような状態では、自由に考えたり行動することが難しくなり、心の安らぎを見つけることがますます困難になります。
身体が凍りついている人は、足がすくみ、全身がギュッと縮まった状態で、交感神経と背側迷走神経が過剰に拮抗しています。このため、脅威を感じたり、身動きが取れない状況に陥ると、感情が爆発しやすく、気分のアップダウンが激しくなります。
落ち着ける環境では、過集中で生産的な活動に取り組むことができますが、疲れがたまると突然動けなくなってしまうという極端な状態を繰り返します。普段から気分の振れ幅が大きく、感情が一度動き出すと自分でコントロールするのが難しくなります。特に身内に対して感情をぶつけてしまった後には、強い罪悪感や嫌な気持ちが残ることがあります。
また、感情の激しさを理性で強力に抑え込もうとすると、交感神経の働きを無理に抑制することになり、体調が悪化するリスクが高まります。このように、神経系の過剰反応によって、心身が常に緊張状態にあり、その結果として体調不良や感情のコントロールの難しさが生じることがあるのです。
身体が凍りついている人は、危険や脅威を敏感に察知する神経が過剰に働いているため、意識が外部に向き、人の顔色が非常に気になることが多くなります。相手が心地良く過ごしていると、自分も安心して居心地が良くなりますが、相手の表情が無表情だと、怒っているのではないかと感じるかもしれません。
特に、相手からネガティブな感情を向けられると、交感神経が優位になり、感情のコントロールが効かなくなったり、背側迷走神経が活性化して身体が固まり、頭の中がフリーズしてしまったり、離人感を感じることもあります。彼らは、最悪の事態に備えて物事をネガティブに捉え、心配性であり、先を読みすぎることで行動を決めがちです。
この過剰な警戒心と対人不安は、身体が常に凍りついた状態にあることから生じており、その影響で、他者との関係を築くことが難しくなります。また、身体と心が常に緊張しているため、自己防衛に徹してしまい、安心感を得ることが非常に難しくなります。
身体を凍りつかせていると、内側に莫大なトラウマのエネルギーが滞り、不快感として感じられることがあります。筋肉がこわばり、固く収縮してしまうため、首や肩、背中が疼き、痛みが生じます。身体全体が限界に近づいている感覚が強まり、自分の身体を感じること自体が恐怖に変わります。
このため、心で何も感じなくて済むように、目の前のことに没頭したり、頭の中で考え続けたり、食べることに逃げることがあります。また、身体をギュッと縮ませ、身体感覚を麻痺させることで、何も感じないように自分を守ろうとします。しかし、長年にわたって身体を凍りつかせていると、自分の身体がまるで自分のものではないように感じられ、身体そのものが重く、やっかいな存在に思えてくることがあります。
凍りついた身体は、精神的な影響だけでなく、解離性障害やうつなどの精神疾患のリスクを高めるだけでなく、線維筋痛症や慢性疲労症候群、過敏性腸症候群、顎関節症、さらには原因不明の身体症状を引き起こすこともあります。こうした症状は、身体と心が凍りついた状態のまま長期間放置された結果として現れるものです。
身体が凍りついている人は、生存本能を支える脳領域が発達している一方で、人間らしい社会と関わるための神経の働きが弱いため、人間関係を楽しむことが難しくなります。不快な状況が続くと、次第に自分が自分でなくなっていくように感じ、身体も限界に達してしまいます。どこにいても心からくつろぐことができず、好きな相手と一緒にいるときでさえ、身体が凍りついてしまい、苦しく感じることがあるのです。そのため、長時間一緒にいることが辛くなり、一人でいたいと強く感じるようになります。
人生が思うようにいかないと、勉強への意欲が低下し、失敗体験に囚われてしまいがちです。こうした状況が続くと、自己肯定感がますます低くなり、自分を責める悪循環に陥ることがあります。身体と心が凍りついてしまうことで、人間関係や日常生活の多くが困難になり、自己否定の連鎖が深まっていくのです。
人間社会が生きづらくなり、日常生活が困難になると、身体が怠く感じられ、まるで夢の中にいるようなフワフワした感覚や、突然の強い眠気に襲われることがあります。人との関わりが続き、緊張する場面が続くと、喉が詰まるような感覚が生じ、呼吸がしにくくなることもあります。その結果、物事を考える力が弱まり、声が出にくくなったり、相手の話を理解するのが難しくなったりすることがあるのです。
さらに、身体が固まり、体調が悪化して思うように動かせないときには、焦りを感じ、どう対処すればいいのか分からなくなります。こうした状態が続くと、日常生活をうまくこなせない自分を責め、半ば諦めてしまうことも少なくありません。このような心身の反応は、生きづらさに対する自然な防衛反応であり、理解とケアが必要です。
子どもの頃から身体が弱かったため、何事も穏便に済ませることを優先し、物静かで大人しい性格を身につけ、息を潜めるようにしてそっと生きてきました。しかし、仲良くなるクラスメイトは、なぜか気が強い子ばかりで、その関係を維持するために嫌われないよう努め、相手の言いなりになることが多くなりました。気を使いすぎることで人付き合いに疲れ果て、最終的には体調を崩してしまうことも少なくありません。
相手に合わせる「良い子」として振る舞っているうちに、自分自身がどこかに消えてしまったように感じ、長時間誰かと一緒にいることが苦痛になります。こうした状況では、相手に合わせすぎることで自分の意見や感情が抑圧され、次第に自分らしさを失ってしまうことがあるのです。
幼少期から身体が凍りついた状態で生きてきた人は、足がすくみ、血の通った生き生きとした感覚が薄れ、無表情や無感情で過ごすことが多くなります。こうした状態では、自分の気持ちをうまく表現できず、有効な自己主張ができないため、場面緘黙に陥ることもあります。その結果、本心から笑うことがほとんどなく、周囲からは不思議な印象を持たれ、「普通の人」とは異なる感性を持つように見られることが多いのです。
また、頭の中にはネガティブな思考が浮かびやすく、嫌なことばかりが頭を占めてしまうため、ますます動けなくなるという悪循環に陥ります。このような状態が続くと、自分の感情や感覚がさらに凍りついてしまい、ますます外界とのつながりを失っていくことになります。
身体を凍りつかせたままでいることには、現実の苦痛を感じにくくなるという一種の防衛的なメリットがあります。ネガティブな刺激を受けると、すぐに気持ち悪くなったり、心が乱れたりするため、あえて自分を悪い環境に置き続けることで、身体を麻痺させ、感覚を鈍らせていることがあります。これにより、痛みや不快感から一時的に逃れることができるのです。
しかし、良い環境や安心できる場所に身を置くと、逆に身体の不快感や痛みが鮮明に感じられるようになり、それに向き合うことが必要になります。そのため、心の奥底でそれを避けたいと感じ、結果的に良い環境から逃げ出したくなることがあります。このような反応は、心と身体が長期間にわたって凍りついた状態に適応してしまった結果であり、安心感に対する抵抗感が生じる一因となっています。
脳と身体の神経系に起因する問題から、嫌悪刺激や不快な状況、自分の価値観や考え方と異なるものに直面すると、瞬間的に身体が固まり凍りついてしまいます。さらに、予期しない出来事や急なストレスに対して非常に脆弱であり、疲労が蓄積すると、パニックや頭痛、嘔吐といった身体的な反応が引き起こされることもあります。
このような状況に対応するため、失敗を避けようと常に細かい台本を頭の中で作り、事前に準備を完璧に整えることが習慣となります。そして、計画通りに物事を進めることで、リスクを最小限に抑えようと努めます。しかし、こうした完璧主義的なアプローチは、かえってストレスを増幅させ、身体と心にさらなる負担をかけることにもつながります。
幼い頃から自分の気配を消すことが得意だったため、他者と一緒にいると、無意識に自分の意見が薄れ、相手と同一化していくことがあります。自分が自然と相手の懐に入り込むと、相手の意見だけが耳に入り、相手の気持ちしか感じられなくなります。その結果、自分の感覚や存在感が徐々に消えていき、相手に同調することで、自分自身を守ろうとするのです。
この同調行動によって、相手に良い印象を与えることで自分を守ることができる反面、同調傾向を利用されてしまうこともあります。相手に断りづらい状況を作られ、そのまま従ってしまった後に、後悔や嫌悪感に苛まれることも少なくありません。自分を守るための同調が、結果的に自分を傷つけてしまうこともあるのです。
対人場面や人が多く集まる場所では、人の気配を敏感に察知し、頭の中に次々と情報が流れ込んできます。この無意識のうちに入ってくる情報を基に、好奇心を引かれるものや不快なものを瞬時にアセスメントし始めます。人を観察することが習慣化しており、頭の中では常に分析が行われています。その結果、自分にとって安全な人かどうか、またその場に危険がないかを見極めるために、過剰に情報処理にエネルギーを注ぐことになります。
この過剰な情報処理は、無意識に行われるため、自分でも気づかないうちに心身に負担がかかっていることがあります。常に安全を確認しようとするあまり、心が休まることなく、疲労が蓄積してしまうことも少なくありません。安全を確保しようとするこの行動は、無意識の防衛反応であり、心が抱える不安や恐怖から来ているのです。
凍りついた状態にある人は、頭の中であらゆるパターンを想定し、リスクを考え抜いて思考がフル回転します。苦手な人が身近にいるのに家から逃げられない、または職場を辞めることができない場合、不快な状況に身を置き続けることになります。自由を切に望んでいるのに、世間の目を気にして自分を縛り付けてしまうため、行動が矛盾しがちです。
その結果、自由を求める自分と、社会的な期待やプレッシャーに従ってしまう自分との間で葛藤が生じます。そして、そうした矛盾した行動を取る自分に対して、常に反省ばかりしてしまい、自己評価が下がっていくのです。このような悪循環に陥ることで、心身がますます疲弊してしまいますが、少しずつでも自分に対して優しく、理解を深めることが、この状況を乗り越えるための第一歩です。
周りから足を引っ張られ、逃げ場のない状況に追い詰められると、心と体がガチガチに凍りつき、全ての人が危険な存在に見えてしまいます。周囲の人々が敵のように感じられ、誰も信用できなくなるのです。そして、次第に周りから見放され、孤立感が深まる中で、心の中に憎悪や復讐心が募っていきます。
人が怖くて仕方がなく、再び傷つけられることへの恐怖が強くなり、自分の傷を掠める可能性のあるものは全て排除しようとします。このような状態では、他者との関係を築くことがますます難しくなり、孤独がさらに深まっていきます。しかし、恐怖や憎しみに囚われ続けることで、最終的には自分自身が最も傷ついてしまうのです。この悪循環から抜け出すためには、少しずつでも信頼できる相手を見つけ、心の扉を開く勇気を持つことが重要です。
最も酷い状態に陥ると、日常の基本的なことが何一つできなくなります。食事を作ることができず、風呂に入ることや歯を磨くことさえもできなくなり、外出するのはもちろんのこと、布団から起き上がることすら困難になります。家の中に引きこもり、周囲に迷惑をかけている自分や、何もできない自分を責めてしまい、その結果、希死念慮にとらわれることもあります。
無力感や絶望感が心を覆い尽くし、泣きながらその重圧に押し潰されそうになることもあるでしょう。このような状況では、自己否定がさらに深まり、希望を見出すことがますます難しくなります。それでも、この苦しみの中にいる自分を責めず、少しずつでも何かに向き合おうとすることが大切です。この状態は、決して一人で抱え込まないで、周りの助けを借りながら少しずつ乗り越えていくことが必要です。
急に態度を豹変する親の元で育った経験から、自分の本音や感情を抑え込み、我慢に我慢を重ねて生きてきました。このような家庭環境がトラウマとなり、自分が親になり子どもを持つことに対して、強い不安や消極的な気持ちを抱くことがあります。心配性で責任感が強いため、家族関係に縛られてしまい、その重圧が原因で体調を崩し、自由を切望するようになります。
また、学校や職場に苦手な人がいると、無意識に親の姿を投影してしまい、再び傷つけられるのではないかという不安に苛まれます。その結果、逃げ出したくなり、一つの場所で長く続けることが難しくなります。家庭内で感じていた居心地の悪さを、他の場面でも繰り返し体験するため、学業でつまずき不登校になることや、人間関係のトラブルから職場を転々とすることもあるかもしれません。
無防備な状態で不意を突かれると、その痛みがダイレクトに胸に突き刺さり、心が大きく傷ついてしまいます。そのため、いつも身体をガチガチに固め、凍りついた状態でいる方が安心だと感じてしまうのです。これは、子どもの頃から相手に期待し、安心していたにもかかわらず、繰り返し裏切られてきた経験が原因です。
このような経験から、無意識に過剰な防衛を敷き、自分を守るために周囲との距離を保つようになります。危険な状況や信頼できない相手が近づかないよう、自らを硬く防御し、心の傷を避けるための鎧を身につけているのです。こうした防衛反応は、過去の裏切りや傷つけられた経験に対する自然な反応ですが、その反面、他者との深い関係を築くことが難しくなり、孤立感を強めてしまうこともあります。
慢性的なトラウマを受けると、原始的な神経系が過剰に反応し、身体が固まってしまうことがあります。その結果、手足の動きや声の出し方がぎこちなくなり、日常生活での動作に支障をきたすことがあるのです。周囲の人と比べると、物をよく落としたり、転んだり、言葉がうまく出てこなかったりするため、自分を不器用だと感じるようになり、自信を失ってしまうことも少なくありません。
こうしたぎこちなさや不器用さは、物事をスムーズにこなすことが難しく、嫌なことをされても適切に反応できないため、いじめやモラルハラスメントの被害を受けやすくなる可能性があります。このような負の連鎖が続くと、さらに自己評価が下がり、自己防衛のための力を失ってしまうことがあります。トラウマがもたらす影響は、身体的な動作だけでなく、心の健康にも大きく影響を与えるのです。
脅かされる状況に直面すると、恐怖に怯え、体が動かなくなることがあります。この凍りついた状態では、体が思うように動かず、強烈な不安に襲われ、気が狂いそうなほどのパニックを感じることもあるでしょう。身体が正常に機能しなくなっていると、目の前の景色が歪んで見えたり、遠近感が狂ってしまい、思考が停止して何も考えられなくなることもあります。
さらに、自分の体に触れても、その感覚が分からず、まるで自分が自分でないような感覚に陥ることもあります。この現実感の喪失は、恐怖が極限に達したときに生じる自然な反応であり、心と体が危機的状況に対処しようとしているサインです。
身体が凍りついた状態にある人は、常に緊張が続いているため、血液の循環が悪く、手足が冷たくなりがちです。特に冬の早朝になると、体が十分に覚醒せず、ベッドから起き上がるのが非常に辛く感じられます。立ち上がることさえも大変で、朝から憂鬱感や絶望感が押し寄せ、心が重く沈んでしまいます。
このような状態が続くと、冬季うつに陥ることがあり、学校や職場に通う気力が湧かなくなることがあります。朝の時間が特に辛いのは、体と心が冷えきってしまっているためであり、その影響で日常生活に大きな支障をきたしてしまうのです。このような症状は、単なる「朝の弱さ」ではなく、身体と心の深い結びつきによるものだと理解することが大切です。
元々、胃腸の調子が悪く、食べることに苦手意識を持っていると、摂食障害のリスクが高まることがあります。特に思春期から、人の顔色を気にしすぎる自意識過剰な傾向があると、他人が自分をどう思うかを常に気にし、自分の体重や体型に対する強いこだわりが生まれがちです。このような心理状態の中で、「理想の自分」を手に入れようとする気持ちが強くなると、ダイエットが過剰にエスカレートし、最終的に摂食障害へとつながってしまうことがあります。
このようなケースでは、食事が単なる栄養摂取ではなく、自分の価値を証明する手段となり、食べることに対して強い抵抗感や罪悪感を抱くようになります。自己評価が外部の評価に大きく依存するため、他者の目を意識しすぎることが、心身に負担をかけ、摂食障害を引き起こす要因となるのです。
第4節.
地獄に下りてから天国に逃げるようなショック療法や身体に振動や音を伝える治療法は、体が抱えている凍りつき状態から解放されるきっかけとなります。これらの治療を受けると、深く呼吸できるようになり、血液の循環が改善し、体が軽く感じられ、手足が温まるなど、今までの状態から急激な変化が生まれます。
身体と心が良い方向に変化していくと、自分自身のことがより理解できるようになり、感じ方も変わっていきます。不安や恐怖が和らぎ、本来の自分が表に出てきて、他人と自然に話せるようになるのです。また、さまざまな感情を再び感じられるようになると、時にはイライラが増えたり、過去の悲しい出来事を思い出したりすることもありますが、そうした感情の起伏があっても、安定した生活を取り戻せるようになります。
健康的な状態が戻ってくると、時間感覚も回復し、以前のように時間が止まったり、動けなくなるようなことが減っていきます。さらに、他人に合わせて自分を押し殺す時間がもったいなく感じられるようになり、自分のやりたいことを素直に言えるようになり、実際に行動に移せるようになります。
日常的に身体へのセルフケアを継続することで、過度な緊張がほぐれ、外出したり、人が多い場所にいても、体調を崩しにくくなっていきます。こうした自己ケアの積み重ねが、より健康的で安定した生活を支えてくれるのです。
トラウマケア専門こころのえ相談室
更新:2020-03-08
論考 井上陽平