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快楽主義的性格


快楽主義的な人格とは、人生を生きる上で重要なことが、ほとんどすべて自身の欲求を満たすことに向いているような状態のことを指します。快楽主義者は、目標や目的をもって長期的な計画をもって努力して人生を進めていくのではなく、その時の瞬間の自身の欲求を満たすことに関心が向きます。快楽を得る方法は、食を満たす、お酒を飲む、お金を手に入れる、異性との身体的な関りをもつ、ギャンブルをして勝負に勝つ、買い物などの物質的な満足を得るなど様々なものがあげられます。 それらへの欲求が強く、それらを手に入れることが、自分の楽しみを感じる感覚と直結します。

 

快楽主義に走る人の特徴としては、親との真の関係が破綻していて、頼りになるはずの大人に裏切られ、わだかまりを抱えたまま、人間不信が強いのが特徴です。人が大勢いる場所では、体が凍りついて、感覚が麻痺し、消極的な判断ばかりになって、心がズタズタに壊れているような状態にあります。もともと愛想が良い子でしたが、人に不当に利用されて、巻き込まれていき、疲れてしまって、何も感じなくなっていきます。そして、人生がうまくいかなくて、誰のこともどうでもよくなっていき、親といて安心したかったとか、愛情をほしかったというのも諦めて、人生の目標を見失い、方向性が変わった経験があることが多いです。自分なりの生き延びる術が、もう全てがどうでもいいと開き直って、人生はただの退屈しのぎになります。人間関係において、投げやりな態度を取ってしまうこともあれば、人から注目を集めて、自分の価値を感じたり、興奮する刺激を求めて、自分を元気にするためになんでもします。

 

小さい時から辛いことが多すぎて、周りを警戒する人生で、空想や妄想、物思いにふけり、現実の辛いことを忘れようとしてきました。そのために、 何かに縛られたり、監視されたりすることを嫌い、同じことの繰り返しや意味のないことをすることを嫌がります。加えて、善悪の判断が出来なくて、慈悲や思いやりがなく、抜け殻のようなところがあります。そのような状態にあると、自分が気持ち良いと感じることをすると落ち着きますが、不快な状況では、トラウマ反応が出て、落ち着かなくなり、不安や恐怖、怒り、恥に苛まれます。そのままじっとしていると、体が固まって、解離・離人感が出て、自分が自分でなくなるとか、生きながらに死んだような感覚が付き纏うとか、気が狂ってしまいそうになるため、自分がやりたいことをしようとします。

 

快楽主義者は、落ち着かなくなり、イライラしてしまう状況に耐えられず、気持ちよくなるためならなんでもします。そのために、心地良くなることだけをやって、心地悪くなることは一切しないので、他人からはわがままと言われます。自分が、好きなことをしている時はいいですが、苦手なことをするのはつまらくて長続きしません。言いたいことが言えない、やりたいことができない環境はストレスが非常に高まります。今までが辛いことばかりだったので、苦しい辛い思いにこれ以上耐えることができず、今を楽しくしたいだけという思いを貫きます。

 

不快なことに直面すると、不安、焦り、苛立ちで気が狂いそうになり、場合によっては、頭痛、下痢、嘔吐、発作などが出ます。それを避けるために、男(女)だったら誰でも身体の関係をもつことができたり、チヤホヤされて 簡単にお金を稼げればそれでいいというような考え方になります。性的な快楽を求めて複数の異性と関係をもったり、経済的な利益を得るために親や友人、恋人を利用したりします。他人に物を買ってもらったり、ご馳走をしてもらうことが当たり前で、男(女)なんて利用すればいいと考えています。女性の場合は、派手で見た目がいい、男の人が集まって、突き抜ければ突き抜けるほど、自分の周りに男の人が集まってチヤホヤされることが快感だと思います。

 

快楽主義者は、自分が優位に立って、自分の好きなことをして、この世界を支配しているときは人間らしく過ごせますが、そうでない時には、イライラするか、落ち込んで身体が重たく気持ちも塞ぎ込んでしまいます。自分の思うようにしたい、人を不幸にさせてしまうことは自分に関係なく、自分がよかったらいいという身勝手な考えに支配されていきます。そのため、人から嫌なことを押し付けられて、身体が収縮すると、動悸や息苦しさ、胸の痛み、気持ち悪さなどを感じるために、常に快を求めて自分を楽な状態にしようとします。

 

快楽主義者は、相手を思いやるとか愛するよりも、自分の好きなことを求める人生になり、相手に期待して、それが叶わないと苦しくなります。普段から、何かに追い立てられるような感覚や、何かが差し迫ってくるような感覚のなかにいて、自分で自分をコントロールできなくなることを恐れて、何でも自分の思う通りにしたいという感覚に支配されます。一定のところで落ち着いて過ごすことができず、家の中でじっとしていることが難しく、イライラします。外で遊んでいるほうが楽しく、自分を良く見せて、人からチヤホヤされたり、特別扱いを受けることで、自分の存在価値を見出します。

 

彼らは、漠然とした不安を抱えながら、生きるか死ぬかのモードで生活しており、ちょっとしたことでも体がすぐに反応して、脅かされているように感じて、古傷が疼きます。この体の中にあるトラウマのせいで、安心することができません。そして、一つの場所でじっとすることが苦手で、すぐ落ち着かなくなり、しんどくなってくるので、何か夢中になれるものを探し続けます。複雑なトラウマがある人は、穏やかに安心して暮らすことが難しく、人によっては、安易に快楽を求める人生になります。そして、一人でいると空っぽの自分に向き合うことになるので、虚しくて、寂しいです。

 

楽しいことがあると元気になり、嫌なことがあると、イライラするか、身体が鉛のように重くなって、落ち込みます。他者との関係よりも、興味や関心、好奇心に突き動かされた人生になります。人生は暇つぶしで気分を紛らわすものを求めます。体の中のモヤモヤや心の寂しさを埋めるための人生になります。本当の自分は痛みだらけで、しんどくて、自然体でいると何もできなくなりますが、自分自身を遮断させて、自分で自分をごまかしています。自分の心身に安心がなく、静止していると、何かが差し迫ってくる感覚とともに、自分が自分で無くなる不安が出てきます。その場で自分を元気にする手段があれば、飛びつきます。

 

快楽主義的な性格の根底には、この人生にうんざりしている部分があり、本来自分が望んでいた人生を歩むことなく、中身が空っぽになっています。世の中への不信感が強く、警戒しており、自分に全く安心がないので、本当の意味で、他者を愛することができません。相手に求めるものは、空っぽの自分を埋めてくれる何かであり、自分に元気をくれることを期待します。自分の元気を取り戻すことばかりに気を取られるために、相手の気持ちなどを考える余裕はありません。自分の欲求や感情で人を振り回すことも平気で、自分中心で人と関わるために、最終的には、本当に自分のことを大切にしてくれる人が周りに誰もいないという状況になっていきます。

 

トラウマケア専門こころのえ相談室

更新:2020-06-19

論考 井上陽平

 

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