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トラウマの石化:メドゥーサと心身の凍りつき


痛ましいトラウマのショックは、激烈な感情を一瞬にして人に与え、まるでブレーカーが落ちたかのように心と身体を麻痺させます。身体は凍りつき、まるで石のように冷たく硬直し、表情はうつろになり、言葉も心も失い、何も手につかず、その場でただ立ち尽くすしかなくなります。「嫌だ」「やめて」と叫ぶことすらできず、胸の奥に固まりがせり上がり、息が詰まりそうになり、血の気が引いていきます。やがて、解離や機能停止に至り、身体が崩れ落ち、虚脱状態に陥ることさえあります。

 

幼少期に恐怖や痛みに晒されて育った子どもは、次第に自分の感情や欲求から切り離され、抑うつ的になり、身体も麻痺した状態に陥ります。目の前に嫌なものが現れると、反射的にそれを凝視し、身体は縮こまり、硬直してしまいます。彼らは、不快なものを避けたいと願いながらも、筋肉が固まって動けなくなり、その結果、自分の反応を抑え込み、我慢し続けるしかない状況に追い込まれているのかもしれません。

 

幼少期にトラウマを受けた子どもの一部は、身体の中に閉じ込められたまま、暗い井戸の底で石にされてしまったかのように感じています。その姿はまるでメドゥーサに睨まれたかのようで、抜け出そうとするたびに、鬼の手によって体を掴まれ、自由を奪われています。頭の中はヘドロのような重く粘りついた感覚に支配され、自分の意志で体を動かすことすらできず、無力感に囚われた状態が続いているのです。

ピーター・ラヴィーン「身体に閉じ込められたトラウマ」からメドゥーサ


ゴルゴン・メドゥーサについてのギリシャ神話はトラウマの本質そのものを描き、変容への道筋を描写している。

 

ギリシャ神話では、メドゥーサの目を直視したものは即座に石に変えられてしまう・・・その場で凍りつくのだ。このヘビの髪の毛を持つ悪魔を征伐に行く前、ベルセウスは知識と戦略の女神アテネに助言を求めた。アテナの助言は、何があってもゴルゴン(メドゥーサ)を直視してはならない、という単純なものだった。アテナの助言通り、ペルセウスはメドゥーサの姿を反射させるため、腕に防御楯を縛り付けた。こうして彼はメドゥーサを直接見ることなくその頭を切り落とすことができ、石に変えられることもなかったのだ。

 

もしトラウマを変容したければ、それと直接的に対面しないことを学ばなければならない。トラウマと面と向かって対決するという間違いを犯せば、メドゥーサがその本質に忠実に、私たちを石にしてしまうだろう。子どもの頃によく遊んだ指ハブ(かみつきヘビ)のように、トラウマと戦えば戦うほど、トラウマが私たちを捕らえようとする力も強くなる。トラウマについてベルセウスの反射楯と「同等な」ものは、私たちのからだがいかにトラウマに反応するかということ、そして「生身のからだ」がレジリエンスと生来の善良さの感覚をいかに具体化するかということであると信じている。

 

メドゥーサの傷から出現した二つの神秘的存在があった。翼を持つ馬ペガサスと、黄金の剣を持つ戦士、片目の巨人クリューサーオールである。黄金の剣は真実と透明性を象徴している。馬はからだと本能的知識の象徴であり、翼は超越性を象徴する。全体として、彼らは「生身のからだ」を通じた変容を示唆している。同時に、このような側面は、人間がトラウマというメドゥーサ(恐怖による麻痺)から治癒するために気道しなければならない、元型的な性質や資源を形成するものである。メドゥーサの姿を知覚し反応する能力は、私たちの本能的性質に反映されているのである。

 

参考文献

ピーター・A・ラヴィーン『身体に閉じ込められたトラウマ』(池島良子、西村もゆ子、福井義一、牧野有可里 訳 )星和書店

 

トラウマケア専門こころのえ相談室

論考 井上陽平

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