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自己感覚の喪失:トラウマと離人感のメカニズム


なぜ自己感覚を喪失するのか、その原因をまず探ってみましょう。幼少期に親や兄弟からの虐待、学校や職場でのいじめ、事件や事故といった外傷体験、身体の虚弱や神経発達の問題がある人が、過酷な環境で脅かされ続けると、自己感覚が次第に麻痺していくことがあります。彼らは、幼い頃から毎日のように辛い状況に置かれ、体調を崩し、心身ともに疲弊していきます。この過程で、離人感や身体的な痛み、感情の切り離しが起こり、自己の存在を感じることが難しくなるのです。

 

日常的にストレスがかかると、心が解離状態に入り、感情が麻痺し、現実感を失ったままぼーっと天井の一点を見つめることがあります。これらの症状は、心身が過度の負荷に耐えきれず、現実から逃避するための防衛メカニズムとして機能していますが、長期にわたって続くと、彼らは自分が何者なのかを見失い、自己感覚の喪失に苦しむことになります。

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自己感覚の喪失:心と身体が分断される過程


自己感覚の喪失とは、トラウマやストレスによって自分自身の感覚が切り離され、身体感覚の麻痺や感情の鈍麻を引き起こす状態を指します。この現象は一度の経験ではなく、虐待やいじめ、過酷な状況が繰り返されることで複雑なトラウマとなり、徐々に自己感覚が失われていくのです。

 

自己感覚を喪失すると、何も感じなくなり、何を考えていたのかすら忘れてしまい、自分自身が何者であるかが分からなくなります。心の中が空っぽになり、想像力や思考が働かなくなり、世の中の出来事を自らの経験として感じ取ることができません。結果として、外部の出来事を心身に取り込み、自己の成長や学びとして蓄積する能力が失われてしまうのです。

 

この状態が続くと、自分自身が空虚であると感じ、人生に意味を見出すことが難しくなります。自己感覚の喪失は、心身に深刻な影響を及ぼし、現実感の喪失や感情の枯渇、そして人間関係や社会的なつながりへの影響を与える深刻な問題です。

解離症状の深刻化:心身の分断がもたらす影響


自己感覚が喪失すると、身体や感情、時間の感覚、そして思考の仕方に大きな影響が現れます。これらの症状は、深刻なトラウマやストレスの結果として起こり、後に詳しく説明するように、様々な側面で日常生活に支障をきたすことになります。精神疾患としては、解離性障害や離人症・現実感喪失症、さらに複雑性PTSD、最も重度のものでは解離性同一性障害が含まれます。これらの疾患を抱える人々は、自分が「自分でない」という感覚に悩まされ、現実感が薄れたり、感情や思考が切り離されたりするのです。

 

解離症状が重くなると、いくつかの特徴的な変化が現れます。まず一つ目は、感情や感覚が消え、過去の自分と現在の自分が繋がらなくなることです。自分が身体から切り離され、身体の外側(首や肩の痛みなど)は感じ取れても、内臓や筋肉、皮膚といった身体内部の感覚が麻痺し、生理的な反応に気づけなくなります。

 

二つ目に、感情が鈍麻して失感情症に陥ることです。怒り、悲しみ、喜びといった感情が湧かなくなり、過去に何が自分を感情的にさせたかを思い出そうとしても何も感じられません。

 

三つ目は、時間感覚の喪失です。出来事の連続性が感じられなくなり、過去や未来を俯瞰的に見ることができません。未来に対して肯定的なイメージを持てず、日々の自分が過去の自分と繋がっている感覚も失われます。

 

四つ目は、思考の混乱です。直接関係のある事象だけでなく、過去の出来事や起こっていない現実が次々に浮かび、思考が堂々巡りを始めます。同じ悩みや仮定の想像がグルグルと頭の中を回り、過去の後悔や未来への不安に囚われていきます。これがさらに酷くなると、思考が分かれ、頭の中で二人称視点の対話が始まり、自分自身に向けた考えとは別に、まるで他人が話しかけているかのような感覚に襲われることもあります。

自己感覚の喪失と刹那的な生き方


解離症状が現れ、自分が自分でなくなると、感情が鈍麻し、時間感覚が失われます。心の時間が止まり、過去が断片化され、未来を感じることができなくなります。現在の自分すらも認識できなくなり、思考が勝手に浮かんできて混乱し、行動パターンも変わってしまいます。その場その場を生きる刹那的な生き方に陥り、自己の一貫性が崩れていくのです。

 

さらに、心身が「凍りつき」や「擬死(死んだふり)」の状態にあり、背側迷走神経が過剰に働くことで、半分眠ったような感覚で生活を送ります。この状態では、現実と夢の境目が曖昧になり、現実の状況がぼんやりとしか認識できなくなります。視界はぼやけ、現実世界がまるで遠くに感じられ、現実感が薄れます。

 

身体の内部でも変化が起こり、特に胸の辺りに鉛のような重い塊を感じることがあります。その塊に意識を向けると、不思議と強い眠気に襲われ、意識がぼんやりとすることがあります。これは心と身体の繋がりが分断され、自己感覚が喪失している結果です。

悲しい適応:過酷な環境がもたらすシャットダウン


過酷な「生きるか死ぬか」の環境では、脳は防衛的なモードに入り、恐怖や痛みといった感情を麻痺させることで冷静な対処を可能にします。こうすることで、極限状況において生き延びるための適応が図られます。しかし、長期間にわたる痛みや苦しみを経験してきた結果、心と体は「これ以上耐えられない」と判断し、身体の感覚や感情をシャットダウンすることで自己を守ろうとします。この反応は「悲しい適応」と呼ばれるもので、自己防衛としては機能しますが、同時に世界を自分の身体や五感を通じて感じることを拒否しているのです。

 

この「悲しい適応」は、心と体が危機的状況から生き延びるために作り出した保護機構ですが、その代償として、感情や身体感覚が麻痺し、現実とのつながりが失われます。恐怖や苦しみを感じないことで一時的に平穏が保たれるものの、それによって人間らしい感情や感覚が抑え込まれ、心と体は次第に分断されていきます。この状態が長引くと、世界とのつながりが希薄になり、孤立感や疎外感が強まることも少なくありません。

 

適応とは、本来であれば生き延びるための手段であるべきですが、この「悲しい適応」は、心身が本来の機能を発揮できなくなる悲劇的な結果をもたらします。感情や感覚を麻痺させることで、痛みや苦しみから逃れることはできても、その代わりに、世界とのつながりを失い、自己の感覚を見失うことになるのです。

痛みからの逃避:感じない選択がもたらす影響


日常生活において、恐怖に怯えたり、痛みに苦しみながら生きるのは耐え難いものです。そのため、「何も感じないほうが良い」と思うのは自然な防衛反応かもしれません。辛さや苦しみを感じないことで、一時的に心の平穏を保つことができるかもしれません。しかし、感覚を遮断し、身体を切り離したり、凍りついた状態で生活していると、身体は次第に節々が痛み、重く、怠くなり、動けなくなってしまいます。

 

さらに、身体の痛みや感覚を切り離し、思考だけで現実を捉えようとする生活が続くと、身体は慢性的に疲労し、心身のバランスが崩れます。この状態が長期間続くと、神経の働きは原始的なレベルに退行し、やがて自分が人間であるという感覚さえも揺らぎ始めるのです。心は現実を受け入れることができず、身体は疲弊し、感覚を切り離した結果、心身ともに機能が低下し、人間らしい生き方が失われていきます。

 

感覚を麻痺させることで一時的に辛さから逃れることはできても、その代償は大きく、心身の分断が深まることで、自己の存在感や生命力が奪われていくのです。感じない選択が、最終的には身体の機能を衰えさせ、自分が人間であることさえも実感できなくなるほどの影響を及ぼします。

自己感覚の喪失がもたらす「歩く屍」状態


最悪の状況では、自分の身体が完全に動かなくなり、何とか無理やり命令して動かそうとしても、手足は極限の疲労状態に達し、身体は麻痺し、まるで瀕死のような感覚に陥ります。自己感覚の喪失によって、身体の感覚は消え去り、現実感や生きている実感もなくなります。喜びや感動などの感情も消え失せ、ただ生きているだけの「歩く屍」となってしまうのです。

 

この状態では、心と体が完全に分断されており、外部からの刺激に対する反応も鈍くなります。何を感じても空虚で、生きる目的や意義を見失ったかのような虚無感に囚われます。身体はただ動作を繰り返すものの、心の中では何も感じず、無意識のうちに生き延びるための行動を取っているだけです。こうして、生きている実感や自分が存在している感覚が次第に消えていくと、心身は危機的な状態に陥ります。

トラウマケア専門こころのえ相談室

論考 井上陽平 

 

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