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自己感覚の喪失


なぜ、自己感覚を喪失するのかという原因をまずは述べたいと思います。幼少期の頃や過去に親や兄弟に虐待された経験や学校や職場でのいじめ、事件や事故に巻き込まれるような外傷体験、身体が弱くて不安、神経発達の問題などある人が、過酷な環境にて、脅かされ続けると、自分が自分であるという感覚が麻痺していくことが挙げられます。彼らは、子どもの頃から、とても辛い毎日の繰り返しで、体調が悪くなり、元気を失くし、酷い離人感に襲われ、身体の痛みを飛ばして、感情を切り離してきました。日常生活のストレスが掛かると、解離して心ない状態になり、ぼーっと天井の1点を見つめたりしてきました。

 

自己感覚の喪失とは、そのような経験をきっかけに、自分の感覚が切り離されて、身体の感覚の麻痺や感情の鈍麻のことを言いますが、そのような経験を1回のみではなくて、繰り返していくことで、複雑なトラウマになり、次第に自己感覚を喪失していくことになります。自己感覚を喪失すると、何も思わなくなり、何を考えていたことも忘れて、自分の事が自分で分からなくなって、自分には何も残りません。自分は空っぽなので、想像することが出来ず、何も考えられず、世の中の事象を自己の経験として、自らの心身に取り込むことができないために、何も自分の経験として蓄積されません。

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身体、感情、時間、思考の4つの症状


自己感覚が喪失すると、身体や感情、時間の捉え方や思考に影響が出ます。これらに関しては、のちに詳細を見ていきます。精神疾患の名称としては、解離性障害や離人症・現実感喪失症から、複雑性PTSD、最重度が解離性同一性障害になりますが、それらを患っている人々は、自分が自分で無いという感覚に襲われる病です。

 

一つ目に、解離症状が重たくなると、感情や感覚が消えて、過去の自分と今の自分が繋がらなくなり、自分が自分の身体から切り離されていくという特徴があります。自分の身体が無くなると、首や肩の痛みや身体の怠さは分かっても、身体内部の生理的反応に気づけなくなり、内臓、筋肉、皮膚などの感覚が分からなくなります。二つ目に、感情が鈍麻すると、失感情症になって、何も感情が湧きません。自分の怒りや悲しみ、喜びも感じることが出来ず、感情に繋がる出来事を思い出そうとしても何も思い出せません。三つ目に、時間感覚が無くなると、一つ一つのことが繋がっていかず、物事を俯瞰して見ることができません。自分の未来を肯定的に見ることができなくなり、未来があるという感覚が分かりません。自分というのは今日だけで生きていて、過去の自分と繋がっているという感覚を持つことができません。四つ目に、思考が混乱すると、直接的に自分と関係している事象のことを思考のみではなくて、起こっていない現実や過去の事、考え、悩みなどが勝手に浮かんでくるようになります。そして、思考が堂々巡りをして、同じことを取りとめもなく考え続けて、自分の与える影響や過去の後悔、仮定の想像などがグルグル回り、それらのことにとらわれていくようになります。さらに、酷くなると思考が分かれて、二人称の視点(話し手と聞き手に分かれて)になり、自分が考えをまとめて、心の中で唱えるのではなく、別の声が頭の中で話しかけてきます。

 

このような症状が現れるようになって、自分が自分で無くなると、感情が鈍麻し、時間感覚が分からなくなり、心の時間が止まってしまって、未来の感覚や過去が断片化されて、今の自分すら認識が出来なくなります。勝手に色んな思考が浮かんでくるなど混乱して、行動パターンが変わり、その場その場を生きる刹那的な生き方になります。また、凍りつきや擬死(死んだふり)のような状態で生活しており、背側迷走神経が過剰で、半分眠ったように生きていて、現実と夢との境目が分からなくなります。現実世界がぼやけて見えて、現実に置かれている状況が分からなくなります。身体内部は、胸の辺りに鉛のような塊があり、そこに意識を向けると眠気が出たりします。

身体と心と意識を繋げることの重要性


生きるか死ぬかの過酷な環境では、防衛的な脳を発動させ、恐怖などの感情を麻痺させるほうが、冷静に対処できて、生き延びるのに役立ちます。また、痛みや苦しみをこれまで経験してきて、もうこれ以上は受け付けることができないので、身体の感覚や感情をシャットダウンすることで、それらに適応しようとします。これらは「悲しい適応」であり、世界を自分の身体や五感で感じることを拒否していることになります。

 

日常生活で、恐怖に怯えたり、痛みの身体を引きずって歩くくらいなら、何も感じないほうが良いでしょう。また、とても苦しい、とても辛いという気持ちを感じるのは耐え難いことなので、何も感じないほうが良いかもしれません。しかし、何も感じないように、身体を切り離したり、凍りついた身体で生活していると、身体の節々は痛み、重くて怠くて動けなくなります。また、痛みの身体を切り離して、頭の中で思考することのみで現実の捉え方が偏っていくと、身体は疲労していきます。このような異常な状態が続くと、神経の働きが原始的になっていて、私が人間であること自体が崩れていくような状態になります。

 

最悪は、自分の身体が動かなくなり、命令してなんとか無理やり動かそうとします。手足は極限の状態になり、身体は瀕死状態で麻痺しています。自己感覚が喪失することで、身体の感覚はなく、現実感がなく、生きている感覚もなく、喜びを感じることなく、ただ生きているだけという歩く屍になります。

トラウマケア専門こころのえ相談室

論考 井上陽平 

 

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