慢性的に外傷を受けてきた方へ
早期に著しいトラウマを受けてきた人は、自分の身体内部と外的世界の気配に怯え、恐怖し、過剰に警戒していて、暗闇と戦い続けています。トラウマを負ってきた人の敵は恐怖になりますが、その恐怖は自分自身が作り出したものなので、戦う相手も自らの内にいる私であり、もう一人の私になります。つまり、恐怖との戦いは、自らの内にいる私との戦いであり、そのため、どうしても誰かのガイドが必要になります。そこでセラピー(心理療法)の出番になります。セラピーでは、セラピストをガイド役に付けて、自分自身の深層世界への旅に出ることになります。そして、包み隠さずにあんなことやこんなこともあったと話していきます。セラピストは、あなたの話を包み込むように聞きながらそれはこういうことですねとか応答していきます。セラピーでのやりとりを通して恐怖を克服できれば、本来の穏やかで優しい自分に戻ることができます。

 

セラピーのなかでセラピストと何年もかけて、自分の魂を探求することで、私の戦う相手は、他の誰でもない自らの内にある私自身であることを悟ります。私の中にある恐怖を解体することであると…悟りますが、人は恐怖に目を向け続けることが出来ません。まずは、セラピーのなかで、一番信頼おける対象が自分の中にあるかどうかが大事になります。自分を支えてくれて、安心して落ち着いていられる対象と共に、深い森の中の泉で安らぎ、地中深くに埋もれている真実を探していきます。この内なる魅惑的なイメージと恐怖のイメージの間を行ったり来たりしながら、自分の怒りや憎しみといった感情と格闘し、恐怖に近づいては離れてを繰り返します。そして、あがくのではなく、その恐怖を引き受ける覚悟を持ち、すべての恐怖すらも乗り越えたさきに、深い悲しみ、誰とも分かち合えない孤独があり、死、消滅へと至ります。最終的には、自分を無とし、自分の内にある大いなる存在の働きを信じ、それに身を任せる…この自発的な自己犠牲により、新しい自分に生まれ変わるとされます。

構造的解離-慢性外傷の理解と治療-上巻
慢性的に外傷に受けた人たちは、過酷なジレンマに陥っている。彼らは、自分たちの身の毛もよだつ体験や記憶を十分に現実化するための、適切な統合能力と心的スキルが欠落している。しかし、彼らはしばしば、自分たちを虐待しネグレクトしたまさにその張本人とともに日常生活を送りつづけなければならない。彼らにとってもっとも手っ取り早い選択肢は、未解決で痛ましい過去と現在を心のなかで回避し、正常さという見せかけを可能な限り維持することである。それでも、彼らの見かけ上の正常さ、彼らの意識の表層における生活は、もろい。強いきっかけによって呼び起こされた恐ろしい記憶がサバイバーにとりつくのは、とくに感情的にも肉体的にも力を消耗してしまったときである。そして不運にも、多くのサバイバーは消耗すれすれの状態でなんとか生きているため、外傷記憶の侵入をより受けやすいのである。サバイバーたちは、彼らの人生における苦痛を伴う現実を受け入れることなど自分には無理だと感じ、憂慮と絶望と恐怖にはまり込んで身動きがとれない。彼らは、内的および対人関係上の圧倒的な体験を調整するスキルが不足しているために苦労することが多いが、それは彼らの保護者がそれを伸ばしてあげられなかったからであり、その結果としてサバイバーたちの心的水準(統合能力)はひどく制限されているのである。

参考文献

ヴァンデアハート・オノ:(野間敏一 訳、岡野憲一朗 訳)『構造的解離』星和書店 2011年

トラウマの内なる世界-セルフケア防衛のはたらきと臨床
過去二十五年以上の臨床で、私は最初の成長と進歩の後にある種のプラトーに達する患者にたくさん出会った。彼らは、治療の結果よくなるのではなく、治療が停滞し、早期の行動の「反復強迫」に陥り、そのことで打ちひしがれ、希望をなくしているように見えた。彼らは、しばしば並ならぬ感受性を圧倒し内側へと押しやってしまうことになった子ども時代の外傷的な体験に苦しんでいるという意味で、「シゾイド」と言われそうな人々だった。彼らが退却しているところの内的な世界は、しばしば子どもっぽく、空想にあふれ、しかし非常に切なく憂うつな様相を呈していた。この博物館のような「無垢の聖域」で、この患者たちは自身の子ども時代の体験の遺物に執着しており、それは魔術的であると同時に時代に生き残ったものであったが、彼らの他の部分に合わせて成長することはなかった。彼らは必要を感じて治療にやってきたのだが、本当にその欲求を満たすように成長したり変化したりすることは、実際には望んでいなかった。より正確にいうなら、彼らのある部分は変化を望んでいたが、より強い部分は変化に抵抗していた。彼らは自分自身のなかで分断されていたのである。ほとんどの場合これらの患者は非常に聡明で感受性に富んだ人々で、まさにその感受性のために、早期の激しいあるいは積み重なった感情的トラウマに苦しんできていた。彼らはみな幼少期に早熟にも自足できており、成長過程を通じて両親との真の関係を切り離し、そのかわりに空想の繭のなかで自分自身の面倒を見るようになっていた。彼らは、自分を他者の攻撃性の犠牲者と見なしがちで、自分を守るためにあるいは個として育つために必要なときにも、有効な自己主張をできなかった。その外面のタフさや尊大さがしばしば、自ら恥じている秘密の依存性を覆い隠しているため、彼らは心理療法において、セルフケアself-care的な守りを手放して現実の人に依存するのが難しいのである。このような患者の夢の分析を通して次第に明らかになってきたのは、彼らは内的な人物像の虜になっていて、その人物が患者を取られまいと外界から切り離し、同時に一方では、無慈悲な自己批判と虐待で彼らを攻撃している、ということだった…。

参考文献

D・カルシェッド:(豊田園子,千野美和子,高田夏子 訳)トラウマの内なる世界』新曜社 2005年

身体に閉じ込められたトラウマ

トラウマに苦しむ人は、その癒しの旅路で、自らの固い防衛を解き放つことを学ぶ。このようにすべての身を委ねる中で、凍りついた不動からおだやかな融解へ、そして最後は自由な流れへと変化していく。習慣化した解離状態でバラバラになった自己を癒していく中で、断片化から全体性へと変化していく。からだの中に存在できるようになり、長い流浪の旅から戻ってくるのである。彼らはからだに帰ってきて、それがまるで初めであるかのように、体現化した人生を味わうのである。トラウマはこの世の地獄であるけれども、その回復は神様からの贈り物であるかもしれない。

参考文献

ピーター・A・ラヴィーン『身体に閉じ込められたトラウマ』(池島良子、西村もゆ子、福井義一、牧野有可里 訳 )星和書店

心的外傷の回復

▶ルース・レニアによる4D-モデルと自己の感覚:トラウマから回復

心理療法のゴールは、外傷かされた個人が、思考、身体、情動が統合され、それゆえに、自分自身の中に、そして対人関係の中に、主体的に喜びや快感を追求することが出来るような自己の感覚を確立することを援助することである。

1)時間ー私は現在に存在している。

2)身体ー私は自分の身体の中にいて、身体は私のものだ。

3)思考ー自分の思考は自分のもので、コントロールもできる。

4)情動ー自分が感じていることを感じ、知ることができる。

 

▶ジュディス・ハーマンによる回復の3段階

1)安全・安心の確保

2)再体験(安心できる関係の中で、語ったり書いたりして過去を再体験する)

3)社会的再結合(社会的なつながりを作る)

 

▶メアリー・ハーヴェイによる回復の7段階

1)記憶想起の過程の主体者になる

2)記憶と感情の統合

3)感情耐性

4)症状統御

5)自己尊重感とまとまりのある自己感

6)安全な愛着

7)意味を見出す

 

▶構造的解離理論の治療モデル

1)症状の軽減、安定化とスキルの構築

2)外傷記憶の治療

3)人格の(再)統合と回復