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芸術・学問への傾倒:トラウマ、解離が生む感性の深化


幼い頃にトラウマを経験した人々は、恐怖によって身体が硬直し、頭や喉、胸に圧迫感を覚え、痛みによって感覚が分断されることがあります。身体はバラバラに崩れるように感じたり、捻じれたりするような感覚が伴い、知覚が断片化されていくこともあります。このようなトラウマを負うと、その後の人生でも、神経はその恐怖を記憶し続け、身体は過剰に反応し、過緊張状態に置かれます。頭の中は、危険や脅威を見極めようとし、外界のあらゆる刺激に敏感に反応するのです。

 

脳は外部の脅威を認識しようと、フィルターが常に全開状態となり、絶え間ない現実の脅威を遠ざけるため、神経が鋭く研ぎ澄まされます。意識は外側に向けられ、頭の中ではあらゆる情報が飛び交い、周囲の気配を注意深く観察しながら過剰に情報処理を行います。そのため、わずかな刺激にも敏感に反応し、身体は急激に生理的な変化を起こし、全身が固まり凍りつくように感じられます。

 

このとき、心は身体から切り離されたような感覚に陥り、現実の世界との接触を避けるように、外界の気配を遮断します。代わりに、絵、音楽、詩、本、自然、宇宙などの世界に入り込み、想像力や空想の中で自分を守るようになります。他者の世界に夢中になり、自分自身の感覚や現実から距離を置こうとするのです。

 

このように、トラウマは身体と心を引き裂き、その影響は長期間にわたって続きます。現実との接触が困難になり、自分を守るために外部の世界へと意識を逃がすことで、心と身体は一体感を失い、苦しみ続けることになるのです。

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トラウマがもたらす解離と離人症のプロセス


解離や離人症が起こる過程では、外傷体験による激しい衝撃や恐怖に心と身体が曝され、それ以後、トラウマの影響に固定されてしまうことがあります。特に、劣悪な養育環境にいるトラウマを抱えた人は、身体が恐怖に怯え、脳が危険を察知するたびに症状が複雑化していきます。この状態では、嫌なことが起きたり、思い通りにいかないことが続いたりすると、身体は即座に防衛態勢を取るようになります。

 

不快な状況が長引くと、身体は次第に凍りつき、強い眠気やめまいとともに心が身体から切り離されていきます。その結果、意識が朦朧とし、時には意識が飛んでしまったり、真っ暗な世界に吸い込まれたり、自分の身体から抜け出しているような感覚に陥ります。一方で、身体が自分のものでなくなると、時間や空間の感覚が失われ、感情も鈍化していきます。この状態では、現実感が徐々に遠のき、自分が今どこにいるのか、何をしているのかすらわからなくなります。

 

このように、トラウマによって心と身体が解離し、現実感が失われていく過程は、極めて深刻な影響を与えます。トラウマが固定化されることで、心身が分断され、現実世界との接触が難しくなり、本人にとって日常生活がますます困難になるのです。

心と身体の分離がもたらす影響と自己喪失


心と身体が分離した状態が長く続くと、心は嫌な感覚や感情を切り離し、あたかも重力を失ったように現実から遠ざかり、別の場所に存在しているような感覚に陥ります。この状態では、身体の感覚がわからないため、無理をしても気づかず、回復の過程を見失ってしまいます。頭は外の世界を観察し続ける一方で、身体は半ば死んだようになり、痛みや疲労が蓄積されていきます。それでも心は、その痛みを感じ取れず、身体を所有しきれなくなるのです。

 

こうなると、自分の身体の感覚や感情がまるで他人のもののように感じられ、やがて身体自体が自分のものであるという感覚を失ってしまいます。同時に、周囲の環境や他者の評価が頭に直接入ってくるようになり、自他の境界線が曖昧になっていきます。心が自分の身体から離れることで、意識的に自分を無にし、目の前の対象と一体化してしまう現象が起こるのです。

 

このように、心と身体が分離した生活を続けると、自己感覚が薄れ、現実との接触が困難になるばかりか、周囲に対する過度な敏感さに苦しむようになります。

身体の透明化と感性の深化:痛みを超えて広がる世界


身体や自己が透明化するという現象には、悪影響だけでなく、特別なメリットもあります。身体や自己が薄く、透明になっていくことで、現実の枠を超えたさまざまな世界に入り込むことが可能になります。例えば、芸術、想像、空想の世界や、他者との深い共感の領域です。現実世界で次々と辛いことが起こると、身体の痛みを切り離し、その痛みに耐えきれないほどの状況では、自己統制が利かなくなる一方で、自己陶酔や夢中になる世界に没頭することができます。

 

日々の苦痛がまるでナイフのように鋭く突き刺さると、その分だけ感受性が鋭敏になり、自分の内側から言葉や思考、イメージが溢れ出すようになります。これにより、豊かな想像力が発展し、芸術的な感性が高まることもあります。人よりも繊細に感動する感性が磨かれ、他者の感情や世界観に深く入り込む能力を持つようになるケースもあるのです。

 

一方で、一般の人は自己の境界がしっかりしているため、他者や周囲の環境を自分と完全に同一化することはありません。自己と他者の間には明確な境界があり、他者の評価や感情を客観的に受け止めることができ、自己を守ることができます。このように、身体が透明になることで得られる感性や想像力の高まりには、他者との深い関係を築く可能性がある反面、自己と他者の境界が曖昧になるリスクも伴います。

芸術が心を守る:トラウマを抱えた人にとっての安息の場


トラウマを抱える人にとって、外の環境や自分の身体の中に安心できる場所を見つけることは難しいため、生きるためには常に問題意識を持ち、さまざまなことに好奇心を持ち続けることが欠かせません。興味を持つ事柄は単なる娯楽ではなく、日常生活を支える「生きる意味」としての必需品なのです。

 

辛い状況でも、心に充足感や栄養を与えるものが不可欠です。音楽、絵、詩などの芸術は、心の栄養源として機能し、周囲のストレスから一時的に心を解放してくれます。芸術を通して、逃げ場のない状況から心を解放し、圧迫されて縮こまった痛みの身体や、重く怠い身体、さらには粉々になったような感覚から心を引き離し、安心できるバリアとして機能するのです。

 

トラウマを抱えた人は、身体が常に辛い状態にあり、心が安心して宿る「器」としての身体を感じることができません。現実世界や他者も脅威に映り、心の安定を得ることが難しいため、心は空想や芸術の世界へと逃げ込みます。自らが作り出す心地よい芸術的な世界は、心にとって貴重な避難場所であり、内面を守る役割を果たすのです。

 

このように、現実で心の居場所を見つけられない人にとって、音楽や絵画、詩といった芸術の世界は、心を休める安全な場所となります。

トラウマが生み出す美意識の追求:純粋な美への憧れ


家庭環境が悪い状況で育った子どもは、親の否定的な面を目の当たりにし、「こんな親にはなりたくない」と強く感じることがよくあります。彼らは親の不完全さを「汚れたもの」として捉え、それに影響されないよう、無意識のうちに自分を純粋で完全無欠な存在として保とうとします。さらに、社会の不条理や理不尽さに失望することで、それが自分の中に侵入してくるのを恐れ、自己を汚染されないよう必死で守ろうとします。

 

この防衛的な姿勢の中で、彼らは過去の嫌な記憶を消し去り、理想的な自分や完璧さを追い求める傾向が強くなります。トラウマの影響で神経が過度に敏感になり、身体も心も外部の刺激に過剰に反応するようになり、美しさに対するこだわりが一層強化されます。美醜に対する感受性が鋭くなり、美しいものこそが理想であり、価値があると強く信じるようになるのです。

 

この結果、彼らは音楽や絵画、詩など、美しいものに強く惹かれるようになります。芸術の世界に身を委ねることで、現実の汚れや不条理から距離を取り、心の安定を保つのです。彼らにとって芸術は、ただの娯楽や趣味ではなく、自分の内面を浄化し、純粋な美を追い求めるための手段であり、理想の世界へと通じる道となります。

まとめ


解離やトラウマを抱える人は、苦しい現実に直面することで、身体の反応が過敏になり、感覚が鋭くなることがあります。過敏な感覚は、痛みや恐怖だけでなく、豊かな感性と想像力を育むこともあります。その結果、彼らは文章や詩、絵画といった創作活動に対する意欲が高まり、心の安定を求めて芸術や演劇、学問などに強く惹かれるようになるのです。好奇心は、彼らにとって新しい世界への扉を開き、自分自身を守りつつも、未知の領域へと心を向かわせる原動力となります。

 

絵や音楽、詩、本、図鑑、そして大切な人々とのつながりは、彼らの心の栄養となり、生きるための糧となります。厳しい現実から逃れる手段として、創作や学問は彼らの心を支える重要な拠り所となり、人生における安心感や意味を見出すための大切な要素なのです。

 

このように、芸術や学問を通じて培われる感性や知識は、彼らにとって癒しの道具であり、現実を生き抜くための力となります。

 

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トラウマケア専門こころのえ相談室 

更新:2020-06-21

論考 井上陽平