トップページ > トラウマ・PTSD研究 > 現実世界と空想世界
発達の早期にトラウマを経験した人は、物心がついた頃から常に怯え、周囲に警戒を強いられる生活を送ってきました。家庭や社会の中で、自分の居場所がないと感じることが多く、胸が締めつけられるような苦しさの中で生きています。その結果、現実の辛さから逃れるために、まるで夢の中にいるかのような内なる世界に閉じこもることが多くなります。
トラウマを負った人々の中には、他者と親しくなることが極めて困難な人もいます。他人が自分に敵意を持っているかのように感じてしまい、心のどこかで常に警戒を解くことができません。無意識のうちに、今ここにいる自分を感じることができなくなり、現実から切り離されていくのです。
さらに、彼らは過去に経験したトラウマティックな状況に再び直面することを恐れ、心の中で逃げ場を見つけられずに身動きが取れなくなります。恐怖で凍りついた状態が続き、過去に縛られたまま生き続けることが、日々の生活に影を落としています。
日常生活の中で、脅威を感じるようなストレスに直面すると、多くの人は心と身体が落ち着かなくなります。じっとしていられず、動悸が激しくなり、息苦しさや喉の詰まり、胸のモヤモヤ感、そしてイライラといった不快な感覚が生じやすくなります。一方で、解離や離人傾向が強い人は、ストレスを感じると異なる反応を示します。足がすくんで動けなくなり、その場で固まってしまうことが多く、意識がぼんやりして現実感が薄れ、思考がまとまらない状態に陥ることがしばしばです。
このような状況では、心と身体がまるで別々に機能しているように感じられます。恐怖、怒り、痛みといった強烈な感情に身体が凍りつく一方で、心はより楽な方へと逃避し、現実から目を背けてしまいます。物質世界では、体がカチカチに固まってしまい、ぼんやりした意識の中で時間だけが過ぎ去っていくような状態が日常化します。まるで半分眠ったような感覚で日々を過ごし、自他の境界が曖昧になる中で、白昼夢のような幻想の世界へと逃げ込みます。
その空想世界では、現実とは違った自由な領域が広がり、そこに新たな物語やイメージを自由に作り出すことができるのです。しかし、この逃避は一時的な安心感を与えるものの、現実の問題からは決して逃れられないこともまた事実です。
解離や離人傾向が強い人は、強いショックや苦痛に直面しても、その苦痛を感じる身体から自分を切り離すことができるため、驚くほど冷静な態度を取ることがあります。たとえ悲惨な状況にあっても、自分が被害者であるという感覚を持たず、「何が起こっても構わない」という超然とした態度を見せることが少なくありません。彼らの心は、苦痛を伴う現実から離れ、別の領域へと逃避します。この別の領域は、夢のような世界であり、そこで彼らは自己陶酔に浸り、現実の苦しみから一時的に解放されるのです。
このような人々にとって、現実世界は次第に霧の中のように曖昧でぼんやりしたものとなり、逆に夢の世界がまるで現実のように感じられるようになります。夢の中では、「心の内なる世界」や「向こう側の世界」とも呼ばれる広がりがあり、彼らはその世界に深く没頭します。幼少期にトラウマを負った多くの人は、子どもの頃からこの内なる世界と現実世界を行き来するようになり、大人になったときには、過去の記憶が曖昧でほとんど覚えていないということもあります。
この内なる世界は、幼少期のトラウマを抱えた人々が、苦痛から逃れるために作り出した空想に満ちた領域です。ここでは、現実では決して感じることのできない安心感や自由を得ることができ、彼らにとって唯一の避難所となるのです。このように、幼い頃から心の中で築かれてきた世界が、どのように彼らの心を支え、そして現実との繋がりを曖昧にしていくのかを探っていきたいと思います。
幼い頃から「心の内なる世界」つまり「向こう側の世界」に生きる人々は、自分の頭の中で考えやイメージを膨らませ、広大な空想の繭の中で成長していきます。現実の世界で人と関わりながら生活していくことは、彼らにとって非常に辛く、特に親から虐待を受けたり、学校でいじめられたりすることで、自分の思うように振る舞うことができませんでした。こうしたフラストレーションが一定の限界を超えると、心の防衛が破られ、現実世界において心身ともに疲弊してしまいます。
しかし、これ以上自分に負担をかけたくないという無意識の防衛本能が働き、彼らは現実逃避の道を選びます。心を守るために、空想の繭の中に自分を包み込み、外界との境界線をしっかりと引きます。このバリアは、外敵が一切入ってこないように彼らを守り、精神的な負担を軽減させる役割を果たします。その結果、現実の世界で直面する困難にも対処できるようになります。
彼らの身体は現実世界に存在しながらも、心は常に「向こう側の世界」を思い描いています。その世界は、美しくも儚く、そして孤立した空想の世界であり、彼らの心の中で広がり続けます。この内なる世界こそが、彼らが現実の苦しみから逃れるための唯一の場所であり、そこにいる限りは安全で自由な存在でいられるのです。
傷つきやすく、感受性が強い子どもにとって、日々の辛さに対処する術がないとき、現実から逃れるために「向こう側の世界」が必要になります。耐えがたい苦痛や感情にさらされた彼らは、自分を守るために感覚を麻痺させ、心を安定させるための避難場所を作り上げます。この空想の繭の中は、内的な聖域であり、守護天使が創造した神秘的な培養液のようなもので、彼らの心を包み込みます。
この「向こう側の世界」では、現実の両親は存在せず、彼らを傷つけるものは何もありません。代わりに、そこにいるのは上位の存在、すなわち神のような存在です。現実の両親の代わりに、神に愛されて育まれた子どもたちは、感受性が豊かで、無垢な存在としてその世界で生き続けます。彼らは善悪を見抜く力を持たず、純粋な心を持ち続けます。
この神聖な存在に選ばれた子どもたちは、もはや人間の形を超えた存在となり、永遠の命を与えられます。その結果、年を取らずに、永遠に純粋で無垢なまま、神の愛の中で生き続けます。こうした空想の世界は、現実の辛さを忘れさせ、心に深い癒しと安らぎをもたらすのです。
「向こう側の世界」は、一見すると自分しか存在しない、何もない空虚な場所のように感じられます。しかし、その内側には、詩的で神話的、そして原始的な心理の世界が次第に湧き上がってきます。この世界には多くの登場人物が存在し、彼らと心を通わせることで、その存在は次第に生き生きとしたものとなっていきます。
これらの登場人物は、患者がこれまでの人生で触れてきた神話、詩、映画、芸術、文学、アニメなどに登場する人物や動物を内なる世界の一部として重ね合わせたものです。美しいものに触れると、その世界に引き込まれ、自分の好きなものに囲まれることで現実の苦痛から一時的に逃れ、心の安心感を確保しようとします。この空想の世界は、外界からのストレスに対する強力な防衛機制として機能します。
また、現実世界で困難な状況に直面したとき、内なる世界の登場人物が心の支えとなり、助けられる経験をすることもあります。このようにして、内側の存在は次第にその人自身の一部となり、アイデンティティとしての存在感を増していきます。やがてそれは、心の守護者や神聖な存在のような役割を果たすようになり、人生の困難を乗り越えるための強力な支えとなるのです。
彼らが大人になる過程で、向こう側の世界から現実世界に戻ろうとすると、さまざまな恐れが押し寄せてきます。長い間、空想の世界で生きてきた彼らにとって、現実世界は非常に不安定で未知の領域です。そのため、現実世界に戻っても、物事の多くが理解できず、何をどうすればよいのか戸惑うばかりです。向こう側の世界に多くの時間を費やした結果、現実世界での人間関係や過去の記憶が曖昧になり、現在の状況を正確に把握できなくなります。
例えば、外に出歩いていると、見知らぬ人(同級生や同僚)が親しげに話しかけてきますが、彼らはどう振る舞うべきか分からなくなります。これまで現実だと信じていたことが、実は空想の世界であり、現実と空想の間に大きなギャップがあることに混乱します。向こう側の世界で抱いていた空想が、現実とは全く違っていることに気づいたとき、彼らは深い苦しみを感じるのです。
さらに、現実世界では感覚や感情が乏しく、世間一般で言われる「普通の感覚」が理解できません。普通に振る舞おうとしても、それが難しく、外の世界に出ること自体が恐怖の対象となってしまいます。その結果、彼らは自分を守るために家に引きこもり、再び向こう側の世界に逃げ込みたいという強い欲求に駆られるのです。
たとえ現実世界に戻れたとしても、彼らにとってそれは茨の道に他なりません。現実の不確実さや、自分では対処できない出来事に直面する恐れから、彼らは常に潜在的な脅威に備えなければならないと感じています。肩が上がり、目には緊張の色が浮かび、全身が張り詰めた状態で生活を送っています。体は常にトラウマの影響下にあり、背中は固まり、痛みを感じる部分が増えているかもしれません。また、不安や恐怖を感じる場面では、すぐに足がすくんで動けなくなり、さまざまな身体症状が表れます。
彼らは、平穏な日常を送りたいと強く願っています。お互いに理解し合え、何でも共有できる関係を求めているのです。しかし、現実世界では思うようにいかないことが多く、その結果、完全に秩序だった理想的な世界を心の中で描き続けます。このような理想を追い求める一方で、現実がその期待に応えてくれないことに直面すると、彼らは深い絶望感に襲われます。
理想と現実のギャップに苦しみ、やがて気力を失い、再び「向こう側の世界」に戻ろうとする傾向が強まっていきます。現実が思い通りにならないことで傷つき、空想の世界に逃避することでしか安らぎを得られなくなるのです。この現実との折り合いの難しさが、彼らの心をさらに追い詰めていきます。
幼い頃から現実世界に関心を持てず、心地よい空想の世界へと逃げ込んできた人々。しかし、トラウマを負った彼らも最終的には、この現実の世界で小さな幸せや大きな喜びを見つけたいと願っています。人との関わりを通じて、ワクワクする感覚や高揚感が生まれ、それによって少しずつ元気を取り戻すことができるのです。
一方で、向こう側の世界もまた、彼らにとって特別な場所であり続けます。現実世界に戻った今でも、時折、一人で引きこもりたいという強い衝動に駆られ、その世界の存在を感じる瞬間があります。ふとした時に向こう側の世界を思い出すと、柔らかな風が心に吹き込んできて、夢心地のその世界がまるで故郷のように温かく感じられるのです。
現実の中で生きながらも、空想の世界が心の一部として残り続け、二つの世界の間を揺れ動く彼ら。現実の喜びを求めつつも、空想の世界が心の安らぎであることに変わりはなく、その狭間でバランスを取ろうとする姿が、彼らの旅を続けさせます。