第1節.
他人軸で生きる人は、筋肉や内臓が危機を感じて、崩壊への不安があり、体は防御する姿勢を取っています。脳は過剰警戒していて、心に余裕がなく、人の顔色を伺いなら、周りの意向を汲んだり、周りを取り込むような人生になります。日常生活では、焦りや不安が強いために、どうしてもネガティブな思考になり、人間不信が強くなって、自分の人生がなかなか上手くいきません。
自分軸で生きる人は、緊張ー警戒ベースではなくて、人間を信頼できるだけの安心感があります。人生が上手くいっていて、自分のことを受け入れられて、自分に価値があるように思い、ありのままの自分でいられます。日常生活では、周りの人に対して、過剰に意識を向けることなく、自分のしたいことに集中して取り組むことができます。
第2節.
悲惨な家庭環境で育った人や不運な事件に巻き込まれた人のなかには、脳と体の神経が自分を守るために、過剰に反応するようになり、脅威に備えて、筋肉は鎧化し、体が慢性的に収縮する方に向きます。何度も脅かされてきた人は、体がいつもビクビク怯えるようになり、ちょっとしたことでもドキッと反応して、ビビりやすく、脳に対しては危険信号を送ります。外敵から自分の身を守らないといけないために、自分の存在が小さく映り、他者の存在が大きく見えるようになります。
体の中にトラウマがある人は、ネガティブな状況になると、落ち着きがなくなり、何かが差し迫ってくるような感覚に襲われて、周りに動かされるようになります。外界のちょっとした刺激でも、体が過剰に反応してしまい、気配のする方向に視線や首、肩が動きます。体は無意識のうちに防御態勢を取り、脳は危機を感じている状態なので、ネガティブなことに注意が向くか、否定的な思考やイメージにとらわれます。また、人の気配や音が気になる状況では、じっとしていられなくなり、頭はフル回転して、自分がどう行動するべきかとか、こうしなければならないという考えが強くなります。さらに、他者から脅かされるかもしれない状況では、自分がどんな状態にあり、周りからは自分がどう映っているのかを考えさせられます。
第3節.
他人軸で生きる人は、自分が自分であるというはっきりしたものがなく、自己存在が希薄です。人の顔色を伺いながら生きて、相手の要求通りに動くため、自分の感覚に乏しく、体力や気力も持続しません。そのような人は、幼少期の頃から、躾の厳しい親の元で育ち、親の顔色を伺いながら、親の価値観に沿って生きてきました。彼らは、自分の感情を表現するとややこしいことになるから、親の希望に沿うように生きて、有効な自己主張や、本当の感情を出せなかった経験をしている場合が多いです。
親がして良い事と悪い事などの基準を決めて、子どもにその通りに振る舞わせようとする家庭では、子どもの身体を規律してしまうために、子どもの主体が奪われていき、自分の軸ができず、個性がない機械のようになっていきます。 親は、競争社会に育ち、価値観として真っ当な人間になれと子供をコントロールしてしまいます。現代社会は、機械的な人間が量産されており、彼らは、自分の感覚を麻痺させてきたために、空虚感だけが増します。
第4節.
他人軸で生きる人は、自分の軸がなく、内から湧いてくるエネルギーがあまりなく、環境に影響を強く受けやすいです。自分がどうしたいかのかという、自分の立ち位置がはっきりしていません。人の顔色を伺い、人にどう思われるかを気にして、人に良く思われることで、自分に価値があるかないかを判断します。相手の価値が自分の価値になり、自分だけが特別扱いされたいとか、周りからチヤホヤされたいと願います。
彼らは、普段から自分がどう振る舞えばいいかを考え、体が緊張して、固くなり、力が入りすぎて、柔軟性がなくなります。体がガチコチで、自分らしさがなくなって、機械のような感情や感覚が乏しい人になっていきます。長年に渡って、人の顔色や機嫌を伺うだけの人生なので、相手からみくびられやすく、他人から攻撃を受けることも多くあります。他人軸の中で生きて、がんじがらめになり、自分の意志がなく、自分の軸はいつまでたってもできず、社会の役割に埋没し、一人になると何か得たいの知れない不全感が残ります。
他人軸で生きる人は、自分の人生を自分で決めることができず、その場その場を流されるまま生きています。そのような人は、組織や集団の目的達成に集中し、自分を機械的にモードを切り替えて行動します。普段から、自分の感情を切り捨て、合理性や生産性を重視し、目的達成のためにルーティン化して、問題解決していきます。彼らは、不快で不要な体の感覚を切り離して、頭の中の思考だけで活動し、体が自動化されます。この世界の事象を、自分の胸や腹で感じることが難しく、心地よさを感じたり、自分の気持を表現することができません。
第5節.
自分というものがなく、とても辛く、とても苦しい毎日が繰り返されると、どんなことが起こっても、それ自体にいちいち感情を出すのが馬鹿らしくなり、体の感覚の麻痺が進んで、実存の中心は空虚になります。そして、生きている実感が無くなると、自分がこの世界に積極的に関わっているという感覚も感じなくなり、ただ周りがそうだからそのパターンに合わせるだけの人生になり、型通りにしか生きれなくなります。
また、自分を失くして、他人軸で生き続けていると、疲れ果ててしまい、体の中のエネルギーが切れます。燃え尽き症候群のようになって、それでも頑張ろうとすると、体が凍りついて、離人感のようになり、自分を遠くから見ているように感じたり、頭の中で考えすぎたりして、人との関係や物事の捉え方がネガティブに満ちていきます。さらに、酷くなると、歩く屍や虚脱に陥り、活気が全くない生活をして、動けない状態になります。
トラウマケア専門こころのえ相談室
更新:2020-06-04
論考 井上陽平