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悪魔に成り果てた存在


 第1節.

悪魔はどのように生まれるのか


幼少期の降り積もった痛みは、身体と精神に埋め込まれているけど、どんな形で埋め込まれているかというと、痛みの身体としてネガティブに満ちた状態になります。(トル1999)はこのように述べています。

 

『この痛みの身体(ペインボディ)は、生き延びたいのだが、他の地球上に存在するものと同じようにその何かあなたの中で無意識的に自己同一化したときのみ生き残る。そのように成長して、あなたに取って代わったなら、だんだんあなたになっていく。だんだんあなたを通じて生きていく。あなたを通じて食べ物を入手する。自分と同じようなエネルギーを感じる経験を入手しようとする。もし、どんな形にせよ、さらなる痛み、それは怒り、悲しみ、暴力、病気とかに至って、それを全部吸収しようとする。痛みの身体があなたに取って代わったときには、あなたの人生において、悪魔(病的な心の産物)が生きようとするエネルギーを反映できるような形で、そのような状況を作り出す。どのような状況かというと、悪魔(病的な心の産物)が成長するには、食べ物とかエネルギーを提供しつづけている自分を通じて、それを反映させるような状況を作り出す。痛みは痛みの上でしか成長することができない。一度、痛みの身体に取って代わったならば、あなたはもっと痛みを欲するようになる。あなたは痛みの犠牲者になりたがる。あなたは痛みを人に負わさせたくなる。あなた自身が痛みで悩ましくなることを欲するようになる。』

 第2節.

悪魔が憑りつく過程


悪魔が憑りつく過程でよく見られるのは、様々な暴力の被害を受けながらも、そのときの記憶が抜け落ちていて、身代わりになる部分に痛みを負わせてきたことが原因となっていることです。心の中に悪魔がいる人は、虐待や性暴力被害、いじめなどを受けて、恐ろしい目に遭ってきました。加害者に攻撃されると、怖くて動けなくなり、感情も無くなって、複雑にトラウマを負ってきました。その後、親や友人、周りの知人、職場の人、学校の同級生に相談するけども、理解されず、辛い状況を誰も助けてくれませんでした。そして、症状も酷くなる頃に、専門の医療機関に罹ることになりますが、そこでも根本な治療をなされず、投薬や、酷いケースには、入院で身体拘束される経験があって、さらに、トラウマが複雑になります。

 

心の中に悪魔がいる人は、人間の手により、人生を台無しにされて、もう元には戻れなくなりました。長い間、怖いことがある度に怯え、身体をビクビクさせて、丸まったまま、身動きが取れなくなり、心の中に逃げ込んでいました。やがて戦うエネルギーが尽きてしまい、背側迷走神経の支配下に陥ると、自分のことがよく分からなくなり、目はかすみ、耳が聞こえにくく、心臓は弱って、手足の筋肉は衰弱します。酷い時には、発作が起きて、頭痛や嘔吐、下痢、意識が低下して、身体を起こすのも大変になります。そのため、心の苦痛から目を背けないと、身体がきつくて、立つことができなくて、日常生活が送れなくなります。

 

本来の私は、家庭や学校生活が悲惨で、絶え間ない苦しみの中にいて、闇にまみれながらも、それでも何かを繋ぎとめようとしてきました。身も心も擦り減らして、エネルギーが低下すると、身体が鉛のように重くなり、もたついて動けなくなります。もの凄く不快な場面では、意識が朦朧としていく私に取って代わって、痛みの感情をもう一人の自分に背負わせてきました。そして、その限界を超えていくと、今まで自分の中に抑え込んできた自分の中にある自分でないものが段々と成長して、その部分がなめらかに身体を動かすようになります。それは、自分の中に寄生していて、いつしか自分の存在よりも大きくなって、自分よりも生き生きとしていくようになり、最終的に自分を覆いつくし呑み込んでいきます。このようにして、心の中の悪魔は育ち、 別人格化して、身体を支配するようになります。悪魔に乗っ取られた人は、その間の記憶を失くすか、体から自分から離れて浮いているか、自分の中で今の自分の状態をただ見るだけになります。

 

一般的に、悪魔は悩ましい状況を作り出すので、誰とも幸せになれません。親しくなればなるほど、相手を傷つけてしまいます。また、好きな人ほど、たくさん傷つけて、離婚や自殺、金銭トラブル、暴力・傷害、ギャンブル、アルコール依存、薬物依存などで裁判を起こしたりします。このようにして、本来の私は、傷つけられたり、傷ついたりを繰り返すことで、生きることに絶望し、攻撃的な人格が身体を支配しようとしてきます。そして、身体の主導権を巡って、敵対する人格同士が戦争になることもあります。

 第3節.

性暴力被害者の中に棲みつく悪魔


性暴力被害者は、心の内なる世界に悪魔のような存在が棲みつくことがあります。性暴力被害者は、外傷体験のショックが凄まじすぎる場合は、その前後の出来事がすっかり抜け落ちます。一方、身代わりになった部分は、死に瀕しながらも、目の前の攻撃者の感情を一手に引き受けました。この部分は、恐ろしい目に遭わされて、忌まわしい記憶を持つようになり、受け止められない現実に拒絶し、発狂や暴力、唸り声をあげるようになるので、頑丈に鍵のかかった牢屋に隔離された哀れな存在になります。悪魔的人物は、暗闇の中で閉じ込められてしまい、恨みつらみを募らせるようになります。そして、日常生活を正常にこなしていくために、見て見ぬふりをしてきた傷は、段々と腐り、本当の苦しみが始まり、悪魔的人物は、復讐を開始します。例えば、幻聴として現れたり、ノートにメッセージを残したり、SNSを使って様々な悪企みをします。身体の主導権を奪った時には、自分を死なない程度に残虐に痛めつけるか、加害者に似た人物に接近していき、レイプのお膳立てをして、もっと酷い目に遭わせようとします。悪魔的人物は、再び被害に遭うように、周りを巻き込んで外傷を再演させます。また、人間(自分に危害を加えた人物)への復讐を果たすために、綿密に殺害計画を立てて、残酷にじわじわと痛めつけることを望んでいます。

 

このように、日常生活を過ごす私と身代わりになった部分(犠牲になった者)との間に深い分裂が生じています。身代わりになった部分は、様々な人間に傷つけられて、もの凄い痛みを味わってきました。そして、日常を過ごす私に対して、なぜあのとき逃げなかったんだ、私はこれほどまでに苦しんできたんだから、お前に倍返しにしてやると言います。彼らの怒りはもの凄く、醜い感情を抱えており、サディスティックに攻撃し、日常を過ごす私はマゾヒスティックに躾られます。そして、人を傷つけるのは当たり前で、痛みも感じずに、慈悲や思いやりの気持ちは無く、強い威力を持ち、悪魔に成り果てた存在になります。本来の私の部分は、悪魔(加害者の念のようなもの、別の言い方では、加害者との関係で憑りついたもの)をコントロールできないので、周りの人間に誤解されて、居場所を失い、絶望します。

 第4節.

悪魔に成り果てた存在の特徴


自分の中にいる悪魔は、過去に受けた苦しみが続くかぎり、死ぬまで同じ苦しみを味わえばいいと思っています。彼らは、この世界を憎しみ、自分自身が人を信じようすることや、幸せになろうとすることを許しません。そして、死なない程度に自分の肉体に苦痛を与えます。

 

1、悪魔は、いつ殺されるか分からないような状況を生き抜いてきているために、強い生命力を持つ。

2、悪魔は、自分が最後まで苦しみ続けることを望んでいる。

3、自分が身代わりをさせられて、傷つけた分を倍返しにし、全ての罪を認めて謝罪させる。

4、どんな拷問を受けても自ら死ぬことは許さない。もっと苦しみ、痛めつけて、生き地獄を望む。

5、死ぬことは一番楽で、安楽すぎる刑であり、幸せを求めるのは愚かな願望である。

6、過去に犯した大量の罪は許されるものではなく、こうして罰せられるのが己の生き方。

7、これからも人間と関り続けて、傷つけ、裏切り、憎しみを与えろ。

8、この世界は歪んでいるために、そこに産み落とされたことに対して恨んでいる。人間は醜くどす黒い肉片である。

 

Donald Kalsched.(2013):『Trauma and the Soul:A psycho-spiritual approach to human development and its interruption』

 

トラウマケア専門こころのえ相談室

論考 井上陽平

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