自分自身の存在を確立できず、この現実に耐えられないと感じる人々は、しばしば過去に受けたトラウマが原因で、脳や身体の神経が環境の変化に対して過敏に反応してしまいます。こうした人々にとって、日常生活がトラウマの引き金となり、無意識のうちに外部からの攻撃を受けているように感じ、身体と精神に脆弱さを抱え込んでしまいます。この脆弱性は、生まれつきの発達障害や、幼少期に受けた痛ましいトラウマによる可能性があります。
1.過酷な環境がもたらすエネルギー消耗
家では繰り返し脅かされ、学校や社会の集団の中で適応に苦しむことで、症状はさらに複雑化していきます。特に神経発達に問題がある場合、外界からの感覚刺激に対する抵抗力が低下し、身体が緊張して凍りついたような状態になることがあります。家庭や学校、そして社会の権力やストレスがかかる場面では、顔の筋肉や身体全体が神経によって引っ張られるような感覚が生じ、身体がフリーズしたり、捻じれたり、さらには虚脱状態に陥ることがあります。その結果、自分自身の形を保つことが難しくなり、常に身体に力を入れ続けて自分を守ろうとするため、エネルギーを大量に消耗してしまいます。
このような過酷な状況下では、周囲の状況を常に先回りして予測し、自分を守る必要が出てきます。しかし、一方で常に逃げ道を確保しなければならず、相手に合わせて生きる感覚にも囚われることが少なくありません。環境からのストレスが予測不能な状況を引き起こすと、神経が過剰に反応し、痛みや委縮、さらには身体の捻じれやバラバラ感が生じるなど、心身ともに多くの不具合を抱えるリスクが高まります。
2.恐怖に敏感な人々が抱える日常の苦悩
神経が非常に繊細で、生物学的な脆弱さを抱える人々は、他者の視線や悪意を感じるだけで強い恐怖感に襲われることがあります。胸が締め付けられるような痛みを感じ、息苦しさや吐き気に加え、時にはパニック発作に陥り、逃げ出したい衝動に駆られることも頻繁です。誰かが近づいてくるだけで、その動きが予測できず、どう対応すべきか分からなくなり、恐怖が増幅してしまいます。さらに、執拗な攻撃を受けたり、怒鳴り声や言い争いに直面すると、心臓が鷲づかみされたような感覚に襲われ、圧倒的な恐怖が心の奥底から湧き上がってくることさえあります。
学校の集団場面や人混み、バスや電車のような人が密集する状況は、まさに彼らにとって地獄のように感じられます。人々の動きや音、存在そのものが神経を刺激し、心臓は激しく反応し、逃げ場のない状況で心身がぐったりと崩れ落ちてしまうことも少なくありません。このような状態が続くと、現実そのものが恐怖の対象となり、日常の中で感じるべき感情や出来事に圧倒されてしまいます。恐怖から逃れるため、身体は自らを麻痺させ、傷つかないように偽りの姿を装って適応しようとするのです。
恐怖に対する防衛として、彼らは「偽りの自分」を演じ始めることがあります。これは、日常の傷つきを避けるための無意識の適応反応です。しかし、この偽りの適応は、実際には心と身体をさらに追い詰める結果となります。現実を感じないようにすることで、心が冷え込み、感情を麻痺させている間も、内なる恐怖は消えることなく存在し続けます。長期間この状態が続くと、真の自分を感じることができなくなり、ただ耐えるだけの日々が続いてしまうのです。
3.脆弱な心と体の苦悩
あまりにも脆弱なため、現実を直視することができない人々は、日常生活全般が非常に困難になります。彼らは、身体の痛みや心の苦しみから逃れるために、思考や感覚からも遠ざかり、苦痛な現実から逃げ続けた結果、内面が空っぽになっていきます。何も感じることができず、何も考えられなくなる状態に陥り、自分を「無」にすることで、誰の目にも留まらないように息を潜め、まるで存在しないかのように生きることを選んでしまうのです。
こうした人々は、常に一人で過ごし、心を閉ざしながら暗闇の中で生き続けます。意識はぼんやりとして、頭の中は悩みでいっぱいですが、無気力に包まれ、何かをする気力さえ湧いてきません。日常の現実から逃れるため、妄想や空想の世界に閉じこもり、ますます現実との距離が開いていくのです。外の世界は恐怖に満ちており、他人の存在が脅威となるため、自分を小さくし、うずくまって狭い場所に身を潜めることで、かろうじて安心感を得ようとします。
このような逃避は、実際には心と体を守るための自己防衛です。しかし、長く続けば続くほど、彼らは現実から切り離され、社会的なつながりを失い、ますます孤独と無力感に囚われていきます。こうして、現実世界での存在感を薄めることでしか自分を守れなくなり、結果的に内面的にも孤立し、心と体が疲れ果ててしまうのです。
4.凍りついた身体と消えゆく感覚:現実感の喪失
外に出たり、人目にさらされるだけで、身体が恐怖に怯え、凍りついてしまう人がいます。彼らは、過去に深く刻まれたトラウマの影響で、解離、苛立ち、無力感のどれかに陥ることがあり、時にはボディイメージの崩壊や虚脱状態にまで至ります。身体が凍りつき、虚脱状態に陥ると、自分自身の感覚が急速に失われ、皮膚の感覚は鈍くなり、輪郭がぼやけていきます。まるで自分が他者や周囲の環境に溶け込んでしまうかのような錯覚に襲われ、自己と他者の境界が曖昧になり、存在が透明になってしまったかのように感じるのです。これによって、現実感が一気に失われます。
その状態にあると、息苦しさが押し寄せ、身体を動かそうとしても手足に力が入らず、まるで引きずるようにして歩くことになります。身体は重く怠く、支えることすら困難で、時には自分の身体が液体のように飛び散ってしまう感覚に見舞われることさえあります。手足がバラバラになってしまったように感じ、全身がまとまらず、崩れてしまうかのような感覚の中で、現実との接触をさらに失っていくのです。
5.透明な存在へと消えていく:他者の視線に耐えられない
他者の視線に耐えられず、人目につかないように生きる人々は、次第に自分の存在が薄れていくように感じることがあります。目立たないように静かに生活する中で、自己の存在感が希薄になり、匂いや痛み、触覚といった感覚さえ鈍くなり、身体の輪郭が曖昧になっていきます。ついには、首から下の身体の感覚が消え、自分を包んでいたすべてのものが剥がれ落ち、まるで透明な存在へと変わっていくように感じるのです。この状態では、自分自身がどこにいるのか、どのような身体を持っているのかが分からなくなり、まるで存在そのものが透明になったかのような感覚に襲われます。
このようにして透明な存在となることで、彼らは他者からの視線や攻撃から自分を守ろうとしています。しかし、その代償として、自分の中に冷たく空虚な空洞が広がり、その空虚さはすべてを引きずり込んでしまうかのような感覚をもたらします。心の中の大きな穴を見つめると、漠然とした不安が押し寄せ、耐え難い恐怖や虚しさに包まれてしまい、身動きが取れなくなることもあります。この恐ろしい感覚の中で、彼らはただ静かに存在を消し去るように日々を過ごしているのです。
6.存在の危機と反社会的傾向への危険
社会や学校での自己を巡る闘争が続くと、恐怖や迫害不安、そして憎しみが増大し、反社会的な傾向が強まる危険性が生じます。このような人々は、トラウマによる緊急事態が絶え間なく押し寄せる過酷な現実の中で生きています。彼らの心と体は、絶えず脅威に晒されており、自分を守るための防衛が限界に達してしまいます。
透明な存在に固着している人々は、現実世界で自分の身体を持って存在することに耐えられない深い苦しみを抱えています。彼らは、自分がこの世に縛りつけられている感覚から逃れることができず、そこから生まれる絶望感に苛まれているのです。身体と心の神経が常に過敏に脅威を感じ、自己の存在を保とうとするたびに、周囲の視線や人々の感情に圧倒され、すくみ上がってしまいます。
彼らの自己感覚はあまりに脆弱で、まるで自分が消えてしまいそうな恐怖に囚われています。その恐怖の中で、世界は彼らにとって敵でしかなく、逃げ場のない恐怖と絶望の中に閉じ込められてしまいます。自分の存在が揺らぐその感覚は、外部からの圧力が強まるほど耐えがたくなり、時には反社会的な行動に繋がることさえあるのです。
7.自己消失感に至る無力感の蓄積
このような状態では、自分自身の存在感が揺らぎ、現実の中でやるべきことが思うようにこなせず、焦りや苛立ちが募ります。やり遂げられない自分に対する自己批判が激化し、自信を失うと、現実がただの苦痛にしか感じられなくなります。身体は重く、怠く、動かそうとしても思うように動かず、視界がぼやけ、音も遠のき、気力が湧かずに、内側から枯れていくような感覚に襲われます。何を試みても無駄だという諦めが根を張り、生きる意欲そのものを失ってしまいます。
人間関係においても、最初は相手に期待を抱いて接するものの、すぐに裏切られたように感じ、関係が上手くいかなくなります。人との関わりが情緒の不安定さを招き、その結果、誰とも関わらないようにし、何も期待しないことで自己を閉じ込めてしまいます。この無力感や絶望のサイクルは繰り返され、孤立が深まり、やがて自己消失感にまで至ります。
こうした過程の中で、次第に自分という存在が消えていく感覚が強まり、周囲との断絶を深めていきます。この自己消失感が続く限り、現実への対処は難しくなり、孤立が深まっていくのです。
8.まとめ
自己の核が欠如している人々は、非常に繊細な神経を持っているため、日常生活のあらゆることがトラウマの引き金となりやすく、常に緊急事態に直面しているかのような感覚に陥ります。彼らはしばしば過覚醒状態にあり、身体が凍りついたり虚脱状態に陥ったりします。環境の変化に適応することが困難で、外の世界では自己の存在を保つことができず、孤立感や無力感に苛まれるのです。ボディイメージが崩壊し、まるで宇宙に取り残されたような感覚に襲われることもあり、外の世界が不気味で恐ろしい場所に映り、自分の存在が脅かされていると感じます。
このような状況にある人々は、深い孤独感を抱えながらも、自分を守る手段を見つけられずに苦しんでいます。もし自分を守ってくれる存在に出会うことができたとしても、その存在に過度に依存し、必死に助けを求めることになるでしょう。一時的に安心感を得たとしても、その依存関係は自己の存在感をますます希薄にし、依存対象への過剰な期待から、さらに新たな不安や恐怖を引き起こす可能性があります。このように、救いを求めながらも、依存と孤独の狭間で揺れ動く心がさらなる苦しみを生み出していくのです。
トラウマケア専門こころのえ相談室
更新:2019-10-20
論考 井上陽平