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存在の耐えられない透明さ


自己をめぐる闘争

自分が自分であるという自己の核がなく、この現実に存在することに耐えられない人は、何らかのトラウマティックなことが原因になり、環境の変化に対して、脳と身体の神経が繊細に反応します。そして、自分を取り巻く日常生活がトラウマのトリガーだらけになり、無意識のうちに攻撃を受けているように感じて、壊れやすい身体を持ち、精神生物学的な脆弱さを抱えています。この脆弱性は、生まれ落ちた頃からの発達障害か、発達早期に痛ましいトラウマのショックを受けている可能性があります。家の中では脅かされることが繰り返され、学校の集団場面では不適応に陥り、症状が複雑化していきます。

 

神経発達に問題がある人の場合は、外界の感覚刺激に弱く、身体が凍りついていき、ロックされた状態になります。さらに、家庭や学校、社会の権力のストレス下では、顔のパーツや身体の筋肉が神経に引っ張られるために、身体がフリーズする、捻じれる、バラバラになる、解離する、虚脱状態に固着するなど、自分の形を保つことが難しい状態にあります。そのため、常に力を入れていないといけない状態にあり、出来るだけ先回りをして、周りを予測し、自分の身を守ることに多くのエネルギーが使われます。そして、自分の思い通りにするとか、逃げる場所を確保しとくとか、相手に合わせていかないと生きていけません。環境側のストレスにより、予測できない事態が起きてしまうと、神経が痛む、委縮する、捻じれる、バラバラになるなど様々な不具合が出ます。

 

神経が繊細すぎて、生物学的な脆弱さを抱えると、人の視線や他者の悪意を感じるだけで、怖くなり、胸が痛む、息が止まる、吐き気がする、パニックになる、逃げ出したくなるなどが起きます。人に近寄って来られると、人がどう動いてくるか分からないので怖くなり、どうさばいていいか分からなくなります。そして、他者から執拗に攻撃されたり、怒鳴り声を聞いたり、言い争いを見ると、心臓を鷲づかみされたかのような感覚に襲われて、もの凄い恐怖が出るかもしれません。学校の集団場面や人混み、バスや電車のなかは地獄の状態かもしれず、心臓が物凄く反応して、うまく対処できなくなり、ぐったりと崩れ落ちていきます。このような状態が続くと、今を感じるだけで感情に圧倒されてしまって、恐怖に怯えるだけになるので、今を感じないように身体を麻痺させて、傷つかなさと偽りの姿で適応させます。

 

あまりに脆弱なために、今の現実を見ても良いことがなく、生活全般が非常に困難になり、身体の痛みから逃げて、思考からも逃げて、苦痛すぎる現実からも逃げ続けた結果、空っぽになり、何も感じなくなり、何も考えなくなります。そして、自分を空っぽにして、誰の目にもつかないように、息を潜めながら、いないふりをします。いつも一人きりで過ごして、暗闇の中で心を閉ざすか、意識がぼーっとしているか、頭の中で考えを巡らして、悩み続けるか、無気力で何もしたくなくなり、妄想や空想に耽り、現実逃避していきます。彼らは、外の世界に怯えて、人や気配が怖いので、自分から小さくなってうずくまり、狭い所に隠れてしまうほうが安心です。

 

このように、外に出たり、人目につくという今を感じるだけで、身体が怯えてしまって、凍りついていき、解離するか、苛立つか、無力さを感じるか、ボディイメージが崩壊するか、虚脱状態に至るほどのトラウマが刻み込まれている人がいます。身体が凍りつきや虚脱状態に陥ると、自分の形を持てなくなり、皮膚感覚が溶けて、輪郭が曖昧になり、対象に取り込まれてしまいます。そして、自他の境界がなく、透明な存在になって、意識が遠のき、現実感が無くなります。そのときは、息が吸いづらくて、身体を動かそうとしても、手に力が入らなく、足の方も力が入らなくて、足を引きずりながら歩き、身体は怠く重くて、支えるのも大変です。また、身体はバッシャーと液体みたいに飛び散り、手のパーツや足のパーツがバラバラになっているかもしれません。

 

人の視線に耐えられなくて、人目につかないように過ごす人は、皆と交わることができず、皆に忘れられるような存在です。目立たないように生きているうちに、自分の存在が希薄になり、匂いや痛み、触感など感覚を感じなくなり、身体の輪郭が消えていくと、首から下の身体のパーツが消えてしまいます。そして、自分を覆っていた全てものが剥がれていき、透明な存在になる人もいて、自分の状態や自分の身体がよく分からなくなります。存在が透明になるほどの世界にいて、そうでもしないと生きられない壮絶な世界にいる人は、トラウマティックな緊急事態が絶え間なく続きます。透明な自分の身体の中を見ると、身体は空洞であり、その穴は寒々しくて、空虚な感覚が広がり、何もかも引きずり込もうとしています。その大きな穴を覗き込むと、漠然とした不安が襲い、耐え難い恐怖や虚しさが渦巻くため、動けません。一方、社会や学校の環境側と自己をめぐる闘争が悪化の一途を辿っていくと、恐怖や迫害不安、憎しみを募らせ、反社会性を帯びてくるかもしれません。

 

透明な存在に固着している人は、この現実世界に自分の身体を持って存在することに耐えられません。つまり、この世に縛りつけられた身体を持ち、逃避することができないという状況に耐えることができなくて、脳や身体の神経が常に脅威を感じています。そのため、自分という存在を成り立たせようとしても、人の視線や気配、感情、大勢の存在を感じてしまうと、恐怖で固まり、すぐに引っ込んでしまいます。自己存在があまりに小さく、消滅させられるような恐怖がある場合には、この世界が敵にしか見えなくなり、耐えられない恐怖の中にいることになります。

 

自己存在が成り立たず、現実にしなければならないことが出来なくて、焦りや苛立ちが強くなり、上手くやれない自分を責めて、自信が無くなります。現実はただただ苦痛でしかなく、身体が重く怠くて、動かそうとしても動いてくれません。目はかすみ、耳は聞こえづらく、気力が沸かず、身体はヘドロにまみれて、身体の中から枯れていき、何をしても無理という諦めがあります。また、人間関係も最初は期待しますが、すぐに相手に裏切られたと感じて、うまくいかなくなります。人と関わっても、情緒不安定になるだけなので、誰とも関わらないように、何も期待しないようになり、無力感や絶望のサイクルを繰り返します。

 

まとめると、自己の核がなく、その存在の耐えられなさとは、非常に繊細な神経を持つために、生活のあらゆることがトラウマのトリガーになっていて、常に緊急事態になり、過覚醒、凍りつき、虚脱状態に至ります。環境の変化に対処できず、外の世界では自分でいられなくて、ボディイメージが崩壊したり、宇宙に取り残されたような感覚になります。外の世界は、不気味で恐ろしい世界のように目に映るかもしれません。どうしようもない寂しさを抱えていますが、もし自分を守ってくれる存在に出会えれば、過度に依存して、助けを求めることになるかもしれません。

 

トラウマケア専門こころのえ相談室

更新:2019-10-20

論考 井上陽平

 

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