特定不能の解離性障害は、解離性障害と解離性同一性障害の両方の特徴を持ちつつ、明確にどちらかには分類されない中間的な状態です。解離性障害の特徴として、凍りつき反応や迷走神経の作用によって身体に様々な不調が現れ、これが強い不安を引き起こします。特に身体的な症状が表れると、それが外界からの刺激や人間関係に関連していると感じることがあり、「傷つけられるかもしれない」という恐怖に苛まれるのです。この結果、周囲の世界が非常に危険で恐ろしい場所であると認識し、常に危険が迫っているかのような感覚を抱きながら生きるようになります。
その恐怖から身体は過剰に反応し、緊張が高まり、筋肉が硬直します。しかし、次第にその緊張が限界に達すると、恐怖に圧倒され、身体感覚が麻痺し、無感覚や思考の停止、記憶の欠落が起こります。これが解離性障害の特徴的な反応です。
一方、解離性同一性障害では、日常生活を送ることが困難になるほど恐怖やストレスが重くのしかかり、幻覚や人格交代といった現象が起こります。異なる人格が生活を支えたり、危機に対処するために表れますが、当人はその人格交代に気づかないことが多く、記憶の断片化や自分が何をしていたのかがわからないという状態が続きます。
特定不能の解離性障害は、解離性同一性障害に似ているものの、明確な複数の人格が存在せず、重要な個人的な記憶が失われることもありません。この障害を抱える人々は、恐怖や生活全般の困難によって無力感に陥り、過去の自分と今の自分が断絶しているように感じます。まるで本当の自分が身体の奥深くに隠れてしまい、外の世界を遠くから観察しているような感覚です。自分自身が殻の中に閉じこもり、外で起こることにただ目を向けているだけという状況に陥ります。
本当の自分が動きたくないと感じても、脳が指令を出し、体が勝手に動いてしまうことがあり、まるで偽りの自分に操られているかのような体験をします。こうして、本当の自分と偽りの自分が同時に存在しながらも入り混じり、どちらが主導権を握っているのかが曖昧になります。その結果、常に周囲の反応に合わせなければならないと感じ、頭の中で思考がぐるぐると回り続けることがあります。
この状態では、現実感が希薄になり、今を感じられなくなり、自分が何をすべきか分からなくなります。世界に一人取り残されたように感じ、地に足がついていない不安定さを常に抱え、どんな行動も虚しく、自分が誰とも深く関われていないという孤独感に襲われます。
本当の自分がしたいことや本来の性格は次第に無視され、偽りの自分が勝手に返事をし、行動を取っていきます。このような状態が続くうちに、気づいたときには、自分の人生の大部分が本当の自分ではない誰かに支配されていたことを知るのです。こうした症状が奇妙であるため、統合失調症と誤診されることも少なくありません。その結果、当事者は自分でもどう対処すればよいか分からず、誰にも相談できない孤独な状況に追い込まれてしまいます。
本当の自分に戻れたとしても、体の痛みや体調不良、不安感、思考の鈍化などが現れ、日常生活を送ること自体が非常に困難になります。特に人間関係においては、常に偽りの自分が引き出されるのではないかという不安を抱えながら生活しなければならず、心が休まることがありません。
集団の中に入ると、他人と関わることができず、まるで自分がその場にいないかのような感覚に陥ります。自分の体を外から眺めているような dissociation (解離) の状態に入り込み、自分の体を所有している感覚が失われてしまいます。そのため、人生を思う存分楽しむことができず、心身ともに疲弊し、生きることそのものが苦しくなっていくのです。
次第に元気がなくなり、人と会いたくなくなり、環境との接触を避けるようになります。孤独な生活を求めるようになり、他人との関わりから逃れるために、シゾイド(スキゾイド)パーソナリティ障害や回避性パーソナリティ障害に発展してしまうこともあります。この状態では、家族を含めた親密な関係を持つことを避け、孤立を求める一方で、自分の独立性を失うことへの恐怖に苦しむようになります。人との関わりが自分を侵食するように感じるため、他者との接触を極力避けようとする日々が続きます。
トラウマを受けたあの日から、時間感覚はまるで止まっているかのように感じられます。過去、現在、未来が曖昧になり、明確に区別がつかなくなることがよくあります。外見からは健常者のように見えても、心の中では傷つきやすい子どもや純粋な自分が残っており、それに対して社会に臆病になった自分、無関心になった自分、あるいは批判的になった自分といった、複数の自己が分裂している状態です。
幼少期から、人や集団の場面が怖く、周囲の人々のように普通の生活を送ることができず、そのことにずっと苦しんでいます。発達の早期に外傷体験をすると、身体は生命の危機を感じたその経験を深く刻み込みます。その結果、特に集団の中に入ると圧倒され、無意識のうちに体が反応してしまいます。緊張で声が出にくくなったり、耳が聞こえなくなったり、歩きづらくなったり、体が固まって動けなくなったりと、身体にさまざまな制限がかかるのです。
これを繰り返すうちに、「自分は他人とどこか違う」と感じるようになります。そして、自分を出さないように抑え込み、周囲に過度に合わせようと努力したり、他人の期待に応えようと必死になります。しかし、学校生活では周囲に合わせることがますます難しくなり、気持ちがどんどん沈んでいきます。やがて、自分の世界に深く閉じこもり、自分が偉大な存在になるという幻想に浸るようになり、妄想が膨らんでいくこともあります。
そして、大人になった今では、社会や他人と接することが非常に怖くなり、否定されることへの強い恐怖から、相手の顔色を伺いながらビクビクと過ごす日々が続いています。
トラウマケア専門こころのえ相談室
論考 井上陽平