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警戒、闘争・逃走、凍りつき


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 第1節.

トラウマの恐怖に曝された体


トラウマという恐怖・戦慄に曝された人の体には、3つのFのストレス反応が現れます。3Fとは、闘争、逃走、凍りつきの3つの状態で生存を高めるための反応です。原始時代から、人間の祖先たちは、凶暴な動物に襲われて、危険な場面に遭遇したときに、この3Fが起きるように脳の中にインプットされています。また、この3F以外にも、トラウマ時に、死んだふり(擬死)や服従、機能停止、虚脱などの反応が起きることが知られています。

 

ピーター・ラヴィーンの『身体に閉じ込められたトラウマ』によると、「自分が危険な状態であると(意識的または無意識的に)察知すると、自らを守るために必要なある特別の防衛姿勢をからだは起動する。本能的に、かがんで、さっと身をそらし、からだを縮めて緊張させ、闘争か逃走の準備をするのだ。逃走が不可能な場合には、凍りつくか、無力な脱力状態に陥る。これらすべてが特別な、生来の身体反応であり、異常事態に適応するために強力なエネルギーが付与されているのである。」と述べています。

 第2節.

過剰警戒モード


トラウマのある人は、常に不安、警戒、焦り、緊張した状態で生活しています。自分の身に危険が迫ってこないか、交感神経を高ぶらせ、感覚器官(五感)を鋭くし、自分の周りの現象に気を配って警戒しています。その現象が自分に及ぼす負の影響の可能性を常に意識して、周囲を観察しています。その警戒心の前提には、自分を取り巻く環境のほぼ全ての要因が自分にとって、何か悪い影響を及ぼすのではなかという恐怖があります。だから、安心して世界が広がっているのではなくて、全神経を外に向けて、不安とか強迫観念でこの世界を見ています。

 

潜在的な脅威に対して、頭の中はアラームが鳴り、警告が表示され、周りに注意深くなり、全方位に意識が向きます。体は攻撃に備えて身構えており、何かあったら、戦うか逃げれるように準備し始めます。頭の中では、今後自分に起こりうる最悪の状況を想定して、それらを回避するために自分が取れる行動のあらゆるパターンを考えています。複雑にトラウマがある人は、何か悪い事があるだろうという見方でしか世界を見れなくて、これ以上、傷つきたくないとか、痛いを思いをしたくないと思っています。

 

脅威となる人物から逃れるために、その人の微細なレベルでの行動や表情までを観察して、その人のその時の機嫌や気分を知ろうと努力します。嫌なことが起こりそうな気配を感じたら、いち早く回避するために、常に神経を張り詰めて、警戒し続けます。その人が機嫌が悪かったり、怒っているときは、距離を置きます。自分を守る術がなく、傷つくことになるという思いが強いので、特に加害者の表情とか言葉、行動に敏感になります。複雑なトラウマを負っている人は、人の気配だけでなく、音、匂い、光、振動にも過敏になり、無防備でいることが怖く、油断していると、実際に最悪なことが起きるので、気を抜くことができません。自分を守るために、予防線を張っていると、最悪なことが起きづらくなるので、体は警戒し、緊張した状態がずっと続きます。

 第3節.

闘争/逃走モード


トラウマのある人は、これ以上脅かされないようにするため、脅威が差し迫ってくると、体は生き延びるために反応します。毛は逆立ち、目が大きく開き、瞳孔が拡張し、呼吸は浅く早く、心臓の拍動は高まって、闘争/逃走モードのスイッチが入ります。逃走する場合は、筋肉を硬直させて、血圧を上げて、一目散に逃げます。闘争する場合は、相手の攻撃に対して、牙を剥き出しにして、反撃します。暴力を振るわれているときでも、口は相手を罵り、手足は勝手に動き、興奮した状態になります。一方、反撃できない場合は、体が固まり、相手に向かう攻撃性が自分に向いて、自傷や自暴自棄な行動、狂った行動、自分が自分でない状態になります。

 

虐待を受けている子どもは、親から逃げ出して、ベッドに隠れて、うずくまって、聞き耳を立てながら、嵐が過ぎ去るのを待ちます。トラウマがあることで、過覚醒になり、闘争モードの部分が、周りに迷惑をかけて、家や学校などの生活全般が困難になることがあります。学校の授業がつまらない場合には、長期に渡って体が拘束されて、心身に莫大なエネルギーが滞ります。不快な状況が続くと、逃走モードのスイッチが入り、家や学校から飛び出して、交通のある道路や線路の周辺を走り続けることがあります。

 第4節.

凍りつき/死んだふりの不動モード


脅威の対象が近づいてきたとき、戦おうとして、体に力が入り、どうやって反撃できるか考えます。暴力を振るわれているときは、手足が勝手に動いても、ふと気づいて、権力関係で従属していることに気づいて、実は手を出してはいけない相手だと分かると、怖くなって、首、肩、背中、手、足が硬直していって、相手の暴力を受けるだけになります。それは身体だけではなく、嫌とか辞めてなどの言葉でも返せなくなります。気持ち的にも、不条理な状況を耐え続けなければならないと思うようになり、逃げたらもっと怒られるかもしれないから、耐えるのが最も良い選択肢だと思って、体が固まり凍りつきます。

 

脅威の対象から攻撃を受けるかもと思うと、体が凍りついて固まり、身を丸め伏せて、両手で頭を守ります。また、逃げ場のない崖っぷちに追い込まれると、足はすくんで、まともに動けなくなり、ただただ時間が過ぎ去るのを待っています。そして、脅威から身を守るために、土下座したり、服従したふりをして、早く終わってほしいとそれだけを願っています。自分ではどうしようもないから、ほんとは自分が悪くなくても、謝罪してやり過ごしたり、無表情、無感情のまま黙り込んだり、死んだふりをして、相手の感情が治まるまで待ちます。ただし、それでも加害者が追い打ちをかけてくると、胸に突き刺さるような痛みが走り、息が吸えずに、泣き崩れるか、うずくまります。長年に渡り、人は脅かされることが繰り返されると、自分を小さくして、狭いところで隠れるようになり、自分を隠すことでかろうじで生き延びますが、身体が縮まった状態にロックされます。それ以後も、次の脅威に備えた人生になり、常に凍りついたまま生活している人もいて、慢性的な不動状態(凍りつき、死んだふり)になります。凍りつきは、ストレスを感じて、周りを警戒し、人から傷つけられる不安がある状態でも、身体をじっとさせているほうが楽な状態です。死んだふりは、周りの人が怖いので、目立たないように、自分の存在を消し、顔を下げたまま、その場で小さくなります。

 第5節.

虚脱状態、生きながらに死んだ人


数えきれないくらいの嫌なこと(身体的虐待・性的虐待・レイプ犯罪など)を受けて、苦しみを飲み込んでいるうちに、息の根が止められ、縮こまった身体が粉々にバラバラに崩壊し、筋肉が緩み切って、身体が伸び切る虚脱状態というのがあります。虚脱状態では、身体が開ききり、心臓が膨らんで、脈が弱くなり、血の気が引いて、虚血状態に陥り、動けなくなります。意識が低下して、頭がぼーっとなり、もぬけの殻になって、そのような出来事が無かったかのように思うかもしれません。日常では、自分の心と身体が離れていて、足が地につかず、視野が狭くて、自分の思うように身体を動かせないので、頭の中で命令して、無理やり、怠くて重い身体を動かします。一方、自己の本当の部分は魂が死んだような状態になり、このままでは生きていけないので、再び自己を作り直して、息を吹き返します。作り直された自己は、子どものような人格や、あたかも正常かのように日常を過ごす人格になり、自己の上の存在(司令塔)が宇宙のエネルギーを使って、身体を動かします。

トラウマケア専門こころのえ相談室

論考 井上陽平

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