自己愛性人格障害の末路
▶自己愛性パーソナリティ障害の特徴

 

自己愛パーソナリティ障害の人は、どのような末路が待ち受けているのか、その流れを記述していきます。自己愛性パーソナリティ障害の人は、生まれ持った資質の弱さや発達のアンバランスさを持っていることがあります。一般的には、子どもの頃の親子関係の様々なトラウマから生じた「私は人間であるという体験」の欠如した人や、不条理な学校社会の有り様への不平、不満、恨みがある人は、自分の存在の虚しさを晴らそうとしています。そして、自分が重要であるという誇大な感覚を持ち、自分だけが特別であり、過剰な賞賛を求めるという幻想の中で生きています。例えば、この私は人間であるという体験を身体的な快楽に耽ることでしか安心感を得られないと、性的な誘惑者となって、思わせぶりな態度をとり、人の心を意のままに操り、病的に嘘をついてまで人を騙し、舌のよく回る巧みな人物となります。また、人間以下の犬畜生にも劣る扱いを受けて育つと、無節操で、道理に無関心であり、傲慢で、人をモノのように扱い、軽蔑し、支配することにより快楽を感じる人物となります。

 

上記のような特徴を備えた自己愛性パーソナリティ障害の人は、外見や性的魅力に重大な関心を持っています。例えば、男性の場合、外見的魅力、金、物、見せかけの優しさ、作り話、整形で、第一印象は良く、人が寄ってくるので、たくさんの女性と交流を持ち、もてることに執着していきます。そして、自分の空虚感を埋めてくれたり、安心させてくれる相手を探しては、優しさと攻撃性の両面を使い分け、幼児的な万能感(征服感、支配感)に浸ることで自分を保ちます。彼らのこころの内的世界には、美しく若いお嬢さんを略奪し地下へと連れて行くハデスのような悪魔的人物像が棲みついているようです。

 

▶劣等性と誇大性が入り混じった性格傾向

 

自己愛性パーソナリティ障害の人は、もともと子どもの頃に暗い家庭環境(死別、離婚、虐待、DV、見捨てられ体験、頻繁な転居、貧困ゆえに学業断念、身体が虚弱、親の精神病理、兄弟葛藤など)で育ってきており、非常に抑圧されてきたことが特徴で、学校社会からも迫害されてきたような人たちです。だから、仲の良い家族、育ちが良い人に憧れますが、と同時に、妬みや羨ましさを抱えています。彼らの根本にあるのは、人間であることの存在の希薄さ、居場所のなさ、寂しさ、悔しさ、やりきれなさ、苛立ち、怒り、傷つきやすさ、自分を見捨て支配する親への猜疑心です。本当の自分は無力でバラバラで弱弱しいままです。ただし、子ども時代に誇大化された自己意識(躁的防衛)と同一化しており、無能的自己の間で分裂があります。自分の弱さを見せれず、誇大化された自己意識を保つために、常に周囲の目を過剰に気にしながら、本人は努力をしているので、魅力的で才能や能力を有しています。また、幼児的万能感を保つために、自分と自分を取り巻く環境をコントロールします。自分自身の目的を達成するためなら、他者を不当に利用しますが、罪悪感や思いやりの気持ちは希薄です。

 

▶自己愛性パーソナリティ障害の恋愛

 

彼らは親との真の関係を生きておらず条件付きの愛情だったので(いつまでも変わらない安心できる関係が育っていない)、恋人関係も外面だけを見ており、愛情では無く、金・物・威嚇・脅し・説得で相手をコントロールします。最初のうちは、恋人の言うことを聞き、不平不満も聞きますが、次第に、逐一連絡を取らせたり、他の人間関係を遮断したり、恋人を奴隷のように扱ったりしていきます。もともと猜疑心や加虐性が強いので、恋人が不平不満を言えば、どんどん締め付けを激しくして、圧力をかけていくこともあります。また、恋人が自立しようとすると、中傷や罵倒などの精神的暴力を振るうようなことがあります。恋人がうつ状態でボロボロになると捨てたり、最悪の場合は、自殺まで追い込むこともありますが、恋人の方がしんどくなって離れていくと、次に新しいターゲットを見つけて同じことを繰り返します。結婚などの真に結びつく場面では、相手の家族が反対すると、敵にしか見えなくなり、怒鳴るなどして関係が終わります。また、自己愛性パーソナリティ障害の男性は、美しく若い女性が好きなので、年が離れすぎており、恋人の両親への挨拶が行きにくい場合もあります。自己愛性パーソナリティ障害の人は、若いうちは他者をコントロールして自分が有利な構造を作り出せますが、高齢になり肉体が衰えていくとコントロールすることが難しくなり、家庭内での離婚問題や職場の人間関係で問題を起こしがちです。そして、周りから人がどんどん離れていきます。最終的には、哀れな老人になり、孤独になることが多いと言われています。

 

▶自己愛性パーソナリティ障害のまとめ

 

自己愛性パーソナリティ障害の人は、世の中の不条理な有り様のなかで育ってきており、誇大感と劣等感の間を行き来しています。また、子どもの頃から、プライドが高く、極度に傷つきやすいので、自分を防衛するために、攻撃性を身につけていきます。ストレスから覚醒度が高いときは、悪魔のようなものに取り憑かれた状態になり、敵か味方かを本能的に判断して、行動が極端で自己中心的で、共感性に乏しく、思いやりが欠如しています。その一方で、ストレスが低いときや、抑制を効かせないと社会的に不利になる場合には、良い子で落ち着いて過ごすことも出来ます。本当の自己は、未発達な状態(不安、不全感、空虚感、心が育っていない、愛ー憎しみ、思いやりー罪悪感など両眼を持ちにくい)にあり、物事を損得勘定でしか見れず、快楽原則に支配されていて、見せかけの完全性や合理性で自分の境界性を守ります。その一方で、エイリアンのように誰かから奪うことを欲しており、他者の境界線を侵害して、無意識のうちに自分が有利な構造を作り出しています。そして、自分の生きている感じや存在自体が希薄さから、快原則(セックス依存、買い物依存、恋愛依存、薬物依存、アルコール依存、ギャンブル依存など)で生きることに幸せを感じています。

 

▶人が生きるということ、人間であること

 

富樫公一(2016)「不確かさの精神分析」から、人が生きるというのは、世界の予測不可能性、生きることの不確かさ、人間存在の有限性のなかで生きていかなければなりません。

①予測不可能性:単純で短期的なことは予測できるが、複雑で長期的なことの予測はできない。

②生きることの不確かさ:確実に操作できるもの、理解できるもの、定義できるものはない。

③有限性:人が死に向かっている存在で、永遠に生き続けられない。人間存在によって唯一確かなことですが、通常直視しない。