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解離性同一性障害の光と闇


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 第1節.

主人格と交代人格


主人格とは、日常生活をそつなくこなし、傷つきやすく、外傷関連の記憶や感情などが恐怖で条件付けられており、他の交代人格と比べて、心的エネルギーの最大量や効率性が高いのが特徴です。交代人格は、主人格をサポートしていて、主人格が苦手としている生活全般の困難を代わりにこなしてくれます。一般的に、解離性同一性障害や特性不能の解離性障害の人の交代人格(解離した人格部分)たちは、寝ているか、主人格(日常を過ごす人格部分)の背後や身体内部にいて、主人格のことを見ており、声をかけたり、感覚を交わしたりすることができる特異な存在です。主人格は、交代人格の存在をうすうすと感じていることがあります。

 

例を挙げますと、

①真後ろから誰かに見つめられている、または、監視されている、もしくは、自分の身体の中に誰かがいるように感じるという恐怖を抱えていることがあります。

②自分の考えていることが誰かに伝わるかもしれないと考えることもあり、どこにいても落ち着くことができません。

③交代人格の意志の方が強くなり、自分の意志に反して違うことをしているといったさせられ体験も起こります。

④鏡に自分以外の何かが映っていそうで怖いと感じて鏡を嫌がります。

 

これらの症状は、統合失調症の症状と類似しているため、以前は、周りの人には聞こえない声が聞こえる幻聴があると、解離性同一性障害ではなく、統合失調症として扱っていました。現在でも統合失調症と誤診された解離性同一性障害、特定不能の解離性障害の患者さんはたくさんいると思われます。

 第2節.

鏡を使っての会話とドッペルゲンガー


解離性同一性障害の人は、鏡の中の自分を見たとしても、自分のことについて多くを語ることができません。鏡を見ると、鏡の中に吸い込まれそうになり、別の自分がいるような気がして、違和感から鏡をいつまでも見てしまいます。その一方で、鏡に自分以外の何かが映っていそうで怖いと感じて、鏡を見ることができなくなります。主人格が大きな鏡で自分を見ているとき、交代人格たちは鏡に映る主人格と向き合う形になります。交代人格たちは永い沈黙の中からついに鏡を使って会話を始めてしまうことがあります。

 

仕事や学校から自宅に帰ったあと、大きな鏡に向かうたびに、主人格は自分の分身たちが色々なことを話しているのを傍観しているなんてことがあります。自分の分身たちは、極端に違ういろんな性格をしており、一方的に別の自分が話したり、分身同士が会話したりします。そこにもう一人の自分がいるように錯覚を起こすのは、ドッペルゲンガー現象と呼ばれています。ドッペルゲンガーとは、二重に出歩く者の意味を持ち、ある日突然現れるもう一人の自分の姿を見た者は近いうちに死ぬと言われています。江戸時代の日本では、影の病いと呼んでいました。もう一人の自分は、生きている人間の霊的な生き写しであり、肉体から魂が抜けだした生き霊の一種と考えられます。

 第3節.

交代人格の不安と役割


解離性同一性障害の交代人格たちは、増えては減って、死んでの繰り返しなので、各々が自分を守ろうとし、生き残ることに必死になっています。そのため、交代人格にも人間らしい不安があり、それはいつか自分が消えてなくなるかもしれないという不安とか、自分がいつから存在しているという疑問を持ちながら過ごしています。また、自分の存在が主人格が作り上げた想像上の人格ではないかと自己存在の根源的不安を抱くことがあります。さらに、異性の人格であれば、自分の身体に悩みや嫌悪感があるので、自分のことを傷つけがちです。

 

各々の人格部分(学校、職場、子育てを代わりにしてくれる人格部分、生き残るために強さを求める攻撃的な人格部分、外の世界や内部世界を監視し支配的に振る舞う人格部分、子どもの人格部分を世話する保護者の人格部分、内側で慰め守られている子どもの人格部分、外傷記憶に固着したままの子どもの人格部分、痛みや苦しみの全てを負っている人格部分、感情も色もない無色透明な人格部分など)がお互いに役割分担をして生きています。彼らは、絶体絶命の境地からの生か死か、孤立無援状態の世界で生きており、誰が一番最後まで生きていられるかの命懸けの戦いをしています。そして、絶望的な状況のなか希望を見出そうとする驚異的頭脳を持つ人格部分や悪魔的思考を持つ人格部分に支えられ、協力しあい、そんな仲間がいるからこそ自分もここに存在していられると感じています。しかし、人格間の上下関係とか力関係が問題を引き起こすことがあります。例えば、弱い性格の人格部分や、知能の劣っている子どもの人格部分は、他の人格と比べて対等ではなく、実社会と同じように痛みや恐怖、怒り、恨みを押し付けられます。

 

各々の人格部分が頑張っていますが、特に、一番幼くて無垢な子どものような人格部分を大事に守っていると言われます。ただし、日常生活の中で主人格が何か失敗したり、誰かを傷つけたりすると、監視する人格部分が意地悪したり、怒ったり、罰として自傷に走ることもあります。さらに、悲しみや怒りでいっぱいになると、この人生に絶望して自殺を図ることもあります。

 第4節.

闇の人格部分


子どもの頃から生活全般が非常に困難な状況に置かれて、高い度合いの解離症状が生じると、善と罪悪、従順と暴君、成熟と未熟が同時にある状態になります。精神分析のフロイトの言葉を借りれば、エロスと呼ばれる生きようとする欲動とタナトスと呼ばれる死のうとする欲動が1つの身体の中に同時に存在します。フロイトの直弟子の一人、フェレンツィの言葉を借りれば、亢進した子どもと退行した子どもが1つの身体の中に同時に存在し、その間を行ったり来たりします。生きるか死ぬかといった外傷体験は、その人に激しいダメージを与えるために、エネルギーを最小限に留めて死んだように見せる部分と、生き残るために激しい攻撃性を見せる部分に引き裂かれます。ここでは、高い度合いの解離によって引き裂かれた闇と光が同時に存在するようになり、それぞれが各々自律性を有し、生と死がせめぎ合い、言い争う様子について述べています。

 

交代人格のなかには、「苦しい、もう死にたい、死なせて」と願い、最も大きな罪悪を背負わされ、過去の悲惨な記憶を抱えている人格部分が存在します。この人格部分は、主人格とは遠く離れた場所にいて、主人格が切り離した恐怖や痛み、怒り、恨み、怯えの感情を抱えており、パンドラの箱のようなものを持って、たまには僕のことを見てほしいと夢の中に現れますが、決して箱の中身までは見せません。たとえ分かり合えそうなところまで来ても、「もうお終い」と言って箱をぐちゃぐちゃにしてしまいます。彼は、主人格が絶望、無力、罪悪、羨望、苦痛に支配されて、自死を選ばないようにするため、自分が犠牲となることで助けています。彼は闇そのものであり、闇が深ければ深いほど、光は強く輝くことを知っているので、みんなを耀かせるために真っ黒な闇を引き受けています。しかし、他の人格部分からしたら、闇の部分は、病状にとじ込められた無力で汚らしい存在か、または激しい攻撃性を抱えているため、消えて無くなればいいのにと思われたりします。その一方で、彼は、自分が消えてしまったら、すぐに他の人格も泡となって消えてしまうことを案じています。そして、自分が罪悪や苦痛、激しい攻撃性、無力さを一手に引き受けていることで、他の人格は存在していけるし、存在意義が出てくるのではないかと考えています。

 第5節.

闇と光の人格部分の抗争


主人格が精神的にショックを受けたとき、絶望や苦痛、激しい攻撃性、罪悪を背負わされ、無力感に打ちひしがれた人格部分も、「ああ、おしまいだ!」と言って、この現実世界から逃避的になり、死のうとすることがあります。一つの身体のなかに、いくつもの人格部分が存在して、みんなで頑張ろうしているのに、恐怖に狂って、死にたいという人格部分が表の主人格と混ざることで周りは非常に迷惑することになります。周囲や内部世界を監視する人格部分が、「死にたいなら、さっさと死んでくれよ」とか、「お前さえいなければ…もっとうまくいくのに」と思い、そうだ、あいつを消そうと行動する場合があります。そして、消すには殺すしかないので、「いつまでグズグズしているんだ。とっと死んでしまえ」とか、「何度も殺そうと傷つけたけど死んでくれない」となって、身体が自分の身体を攻撃するという、高い度合の解離によってもたらされる自己免疫疾患に陥ることがあります。

 第6節.

内部抗争に巻き込まれ、迫害不安に怯える主人格


死と隣り合わせの状況や、不合理な衝動から暴力行動が予期される状況では、その人を非常に不安定にさせ、本当につらい、息の抜けない状態に追い込みます。内部世界には大きな脅威があり、弱弱しくなっていきますが、誰かに助けを求めようにも、外の世界も怖くて仕方がありません。そして、いつ何時、外の世界から心ない言葉を浴びせられるかわからないため、気配過敏や対人過敏から被害妄想が膨らんでいきます。さらに、体内の気配にも過敏であるため、自分の内部世界を外部に投影させ、外的現実と迫害的な内的対象との境が無くなり、現実検討力が失われます。その行き着くさきは、外からも内からも攻撃されているように感じる迫害的な世界であり、どこにも逃げ場がないので、自分の部屋に鍵をかけて、内部世界(解離した世界)に閉じこもるしかなくなります。

 第7節.

トラウマによって両極に引き裂かれた魂


トラウマの内なる世界では、サンドナーとビービが述べたように「優勢な残酷さと脆弱な傷つき」の特質のなかで、自己が分裂しており、また、他者に投影されています。人は大きなトラウマを負うと、自己の内部システムが崩壊し、自己を構成する各部分がスペクトルの両極(例えば、残酷で恐ろしい攻撃を受ける部分は、身体的であり、そこで生じるトラウマ、情動、怒り、恐怖、痛み、無力と、理想化された対象に関係する部分は、精神的であり、静寂、理性、調和、心地良さ、優越など)に引き裂かされます。またトラウマによるカタストロフ体験は、心理学的意味の自己イメージの多重化も引き起こすので、善と罪悪を同時に持つ状態になることがあります。また、霊性か肉体か、成熟か未熟か、潔癖さか不潔さか、宿命か錯覚か、勇敢か妄想か、恥か誉れか、などその間を行ったり来たりしながら、受け入れがたいものは抑圧されて無意識の領域に閉じ込められます。

 

日常生活では、理想化された良い対象と誇大化された自己イメージの関係が内的に維持されていますが、恐ろしい攻撃を受けたことにより生じた恐怖や怒り、痛み、怯え、恨み、無力さは身体に残されており、日常を過ごす部分と身体の中に閉じ込めらたトラウマの間で激しく対立することがあります。また、身体内部でも、怒りや暴力性に対して、怯えや無力感といった相反する力と力がぶつかり合っています。外傷関連の記憶や感情が蘇ると、原始的神経の働きにより、身体内部の混乱が激しくなり、優勢な残酷さが脆弱な傷つきに自殺を強要するなどの危険を顧みない行動は起こり得ます。解離には非常に多くの攻撃性が含まれていて、それは統合することに対して、力づくで妨害しなければならない理由があるようです。統合を妨害する理由としては、トラウマの部分が激しい痛みや攻撃性があるために、自死や他害のリスクがあるからです。また、解離した人格部分(交代人格)たちは家族を構成しているため、仲間意識から裏切りものには罰を与えたり、主人格をおとしめるような行動をするやつを許せなかったり、他者との関係で承認されることのないトラウマの部分は無視されたりと理由は様々あると思われます。

 第8節.

交代人格と内的象徴空間


幼少期の頃から、虐待やネグレクトが繰り返される逆境体験は、子どもにとって生きるか死ぬかの過酷な環境です。容赦のない虐待や、不幸にも痛ましい外傷体験を受けた子どもは、戦うことも逃げることからも失敗し、恐怖と眠りのなかで無力化します。そして、どんなに酷い目に遭わされても親への愛着を求めていく部分や、親の取っている言動を冷めた目で見ている部分、危害を加えられることから防衛しようとする部分など、生き残りをかけて自己が組織化されます。トラウマを負った人の内なる世界では、様々な分裂が起こり、人格化した魂たちが内的な象徴空間で生活するためにイマジネーションを膨らましています。心とは本来、形のないものですが、人格化した魂(交代人格)たちが沢山の時間を要して内部世界を知覚、認識して、感情や記憶を制御することに成功します。

 

内部世界は、体感的には夢の中にいるような感じで、心の形を具現化したような世界です。解離研究者の柴山は、この内部世界を「「膜の向こう側の世界」とは外部の暗闇の世界であるが、この世界とは異なる「別のもう一つの場所」であり、それは「どこにもない/ある場所」でもある。現実のこの世界のどこかにあるというわけではないが、覚醒世界の地層に常に横たわる夢の世界のようにどこにもある世界でもある。そのような世界体験は解離の意識変容と密接な関連性を有する原初的意識へと通じている。」と述べています。

 

解離性同一性障害の人(人格部分が心の中に複数ある)の内部世界には様々な構造があり、ロビーと部屋しかない白い世界の人もいれば、公園や広場もあって屋敷の外まできちんと規定されている複雑な人までいます。さらに、人格の分かれた部分は、この内部世界を気ままに歩いて、子どもたちと他愛のない話をして暮らしています。内部世界でも五感はしっかりしていて、現実世界の状態と大して変わりません。また、迫害者人格にも内部世界があって、そこは人間への憎しみや恨みが集まっており、一面にバラバラの死体(憎悪に心を奪われた迫害者が、無抵抗だった子どもの頃の自分をいたぶった加害者を生け捕りにして、毎晩のように痛めつけて殺す)が転がるあまりに残酷でおぞましい光景が広がります。さらに、病状の中に閉じ込められた人格部分は、痛みや激しい攻撃性を抱えているために、地下世界にある頑丈に鍵のかかった牢屋のなかで過ごしています。

 

トラウマケア専門こころのえ相談室 

論考 井上陽平

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