観察者は、息を潜めて、足音を忍ばせて、耳を澄まし、視野を広げて、苦手な人がどこにいるかどうかに注意を向け、周囲を警戒する生活になります。苦手な人を目の前にすると、自分の恐怖や不安、緊張などの自分の身体感覚を置き去りにして、恐ろしい場面でも冷静さを装い、素早い行動が取れます。普段から、物事がどうなっていくか不安になるため、物事の本質をつきとめようとします。周囲を観察して、様々なことを学びながら、頭の中は過剰な情報処理努力を行い、好奇心のあるものと嫌悪するものをアセスメントしていくため、分析して考えや意味を掘り下げることが得意です。また、危険なことから潜り抜けようとして、記憶力が高かったりします。一方、素早く問題を解決するためには、恐れや恐怖、痛みなどの感覚や感情があると動けなくなるので、その感覚を閉じ込めていくようになり、自分という主体が弱くなります。観察者の弱点は、他者の気持ちを勝手に読み込んだり、情報どんどん頭の中に勝手に入ってくるため、すぐ疲れてしまい、生活全般が困難になります。また、ちょっとしたことで、体が硬直して、心臓に負担がかかっていて、自分の体に安心感がなく、固まるとか、フリーズするとか、パニックになるとか、立ちつくしてしまうことがあります。さらに、体が慢性的に収縮か伸び切った状態になっていて、自然回復できなくなっているので、体が弱くて、病気がちで、中年期以降に慢性疾患に罹るかもしれません。
外に出掛けているときは、交感神経が活性化し、人の気配をすぐに感じ取り、頭の中に勝手に情報が入ってきて、好奇心あることか、嫌悪するもので溢れていきます。頭の中では、良いものと悪いものを評価して、自分にとって良いか悪いかを見極めます。人によっては、頭と体を繋げている状態から、自分の体を切り離すことが自然に出来るようになり、場面に応じて、観察者になることができます。自分の体から離れると、自分の体の感覚を切り離すことなるので、対象のことを緻密に分析したり、感情移入することが出来ます。
観察者として生活している人は、子供の頃から、環境の変化に敏感に反応するため、周りの人に振り回されて、体調が悪くなるばかりでした。体の中には致命傷となるトラウマを抱えているため、どう生きていいか分からずに、周りを観察して、頭で考えたことを喋り、なんとか生き延びてきました。体はガチガチに固まっていて、ある部分は詰まったり、捻じれていたり、バラバラだったりします。人との関りのなかで批判や拒絶に遭うと、体(気持ち)が壊れていきました。頭(心)と体を分離させるのは、過去の外傷体験のショックで顔面蒼白、冷汗、動悸、うろたえ、憤激、パニック、虚脱感など身体的・精神的反応が生じるために、この現実世界の絶え間ない変化についていけなくなり、この世に縛り付けられた当事者の私として生きていけなかったからです。そのため、幼いうちから無垢な体を手放して生きるしかなく、自分を作り上げてきましたが、体がないから自分の感覚が分からなくなり、皮膚感覚が独特で、警戒心が強く、目に見える情報を分析し、眼差しの視点で生きるようになります。一方、自分の体から離れると、自分の主体が体の中心(心臓や腹、筋肉)でなくなるので、実感に乏しく、虚無感が漂い、他者軸で生きる機械人間化します。
あとは、体の中にトラウマがある人は、自律神経系や覚醒度の調整不全に陥るために、たくさんの人前では、緊張しすぎてうまくいかなくなり、体調を崩しやすくなります。また、想定外のことが起きると、体がビクッと反応して、対処しきれないことを恐れています。そのため、高いパフォーマンスを発揮するために、トラウマが刻まれた体を切り離して、冷静になり、自分の表情や感情、手汗、震え、赤面をコントロールします。そして、周りを警戒しながら、二手三手先まで相手の気持ち読んで、相手の都合に合わせるばかりで、自分がしんどくなることが多いです。観察者として、感覚が鋭く、環境に合わせようと過剰に同調してしまう傾向があるのに対して、体の中は、解放されずに、怒りや怯え、甘えの気持ちを抑え込んでいます。
トラウマケア専門こころのえ相談室
論考 井上陽平