トラウマを抱える人々は、現実の苦痛を避けるため、空想世界に没入し、感覚や感情を解離させます。空想の中で理想の世界や人物と共に過ごすことで安心感を得ますが、現実との境界が曖昧になり、次第に現実感を失います。これにより、対人関係や社会生活に困難を感じ、時間感覚や感情表現が鈍くなることもあります。解離症状が進行すると、自分が何をしているのかを忘れるため、人間関係のトラブルが増え、長い年月が経った後に後悔を抱えることも少なくありません。
複雑なトラウマや神経発達の阻害、慢性的な病気を抱える人々にとって、現実世界の絶え間ない変化に対応するのは非常に困難です。日々の辛さや痛みが強まるにつれ、生きること自体が大きな負担となり、心身が苦痛に蝕まれます。こうした人たちは無意識のうちに防御姿勢を取り、脅威を遠ざけようとする防衛反応が働くようになります。
特に、家庭や学校の中で、自分を脅かす存在から逃げ場がない環境にいる子どもは、自我が二極化していく傾向があります。一方では、自分を脅かす人物に同調してしまう部分が生まれ、他方では、その人物への嫌悪感や苦痛を抱える部分が分離されていきます。この二極化した心の状態は、自己のバランスを崩し、内面の葛藤を強めていきます。
さらに、恐怖心が強まると、身動きが取れなくなり、脅威を受け入れるしかない状況に追い込まれます。この結果、体の中には解放されない莫大なエネルギーが蓄積され、それがトラウマをさらに複雑化させます。こうしたエネルギーの滞留は、心身に深刻な影響を与え、トラウマ症状の悪化や慢性的な不安、恐怖感につながります。
自分を脅かしてくる人物(虐待する親、モラハラ夫や妻、いじめの加害者、性暴力の加害者など)に対して、内心では強い敵意を感じていても、怒りよりも恐怖が勝ると、その人物に従うしかなくなります。このような状況下では、自分の心や身体、思考が硬直し、無意識に捻じれていく感覚に襲われます。表面的には日常生活をこなし、あたかも普通に振る舞っているように見せることができても、内面ではその人物に対する恐怖心が募り、常に怯えて過ごし、近づいてほしくないという強い感情が渦巻いています。
不快でどうしようもない状況において、自分の力では逃げることができない場合、心は自然とその痛ましい現実から離れ、無意識に痛みが届かない安全な空間を作り出します。現実の苦痛に耐えるしかない状況でも、自分の身体感覚や現実感覚を切り離し、頭の中では考え事や白昼夢、ファンタジーな空想の世界に飛び込むことで、そこを唯一の避難場所とします。
このような状況が続くと、現実世界でストレスを受けるたびに、身体は慢性的に収縮し、喉が締めつけられるように苦しくなり、胸が痛むような感覚が広がります。手足の筋肉は緊張と弛緩を繰り返し、次第に動かなくなっていきます。この状態では、身体は自分のものではないかのように感じられ、まるで未分化な存在となって、現実から切り離されたような感覚に逃げ込むのです。頭の中では終わりのない思考がぐるぐると巡り、最終的には空想の世界に没入し、そこで心の平安を得ることしかできなくなっていきます。
苦痛を解離させ、ファンタジーな空想の世界に没入することは、まるで一般の人が早朝に見る夢の世界に似ています。そこは目に見えないものが見え、現実世界とは違う、広大で何もない空間です。この幻想的な世界では、壮大な空間と自分が一体となり、自分だけの原初的な空間が広がります。特に、夢見がちで感受性が強い子どもたちは、美しいものを見つけると、その世界に入りたいという強い願望を抱くことがあります。彼らは、自分の好きなものを集め、それに囲まれるようなファンタジーを思い描きます。
さらに、想像上の人物を創り出し、その人物と会話を始めることもあります。この想像上の人物は、自分の理想の投影であり、その存在に守られ、慕い、心の支えとしていきます。彼らはこの想像上の存在に愛され、可愛がられ、この世には存在しない他者とのつながりを感じることで、幸せを感じます。現実と空想の境界が曖昧になるほど、純粋で透明なものを求めて没入していき、現実世界からますます離れていくのです。
この内的な空想の世界は、彼らにとって唯一の逃げ場であり、苦痛や現実から逃れるための避難場所として機能します。しかし、現実世界に戻ることが困難になると、ますます空想に閉じこもり、現実感を失ってしまうこともあります。
ファンタジーな空想の世界に没入する人々は、複雑なトラウマを抱えながら、人から感情を向けられることに強い苦手意識を持っています。彼らは常に周囲に気を使い、自分の感情を抑えて生きてきました。幼い頃から、自分の居場所がなく、いつもひとりぼっちで孤独を感じ、生きることが辛くて仕方がありません。現実の世界が重く、煩わしく、自分の体は怠く、重く感じられ、その苦しい身体から逃げ出すようにして、宙に浮かんでいるかのような感覚を味わいます。現実との境界線がぼやけ、まるで夢の中で生きているかのように、空想の世界に浸ることで心地良さを感じてきました。
普段から、ぼんやりとしていることが多く、現実の自分の体を切り離し、空想の中に逃げ込むことが日常になっています。彼らにとって、現実世界は過酷で重たく、だからこそ本や音楽、絵の世界、そして魔法のある幻想的な世界に自分を投影し、没頭していきます。空想世界は、自分が安心できる唯一の場所であり、そこでだけ自分らしくいられると感じています。現実の苦しみから逃れ、心の中に創り上げた世界で自分を癒し続けることで、彼らはかろうじて心の安定を保っているのです。
複雑なトラウマを抱えた人は、常に神経が張り詰め、身体が凍りついたような感覚に囚われています。特に、苦手な場面に直面すると、身体が捻じれるような不快感に襲われ、過去の記憶と現在の出来事が混ざり合い、まるで体全体が別の世界に引きずり込まれるかのような感覚に陥ります。現実の自分を置き去りにし、意識は「現実とは異なるあちら側の世界」へと飛んでいくのです。
解離傾向が強い人は、現実と空想の世界を行き来することが日常化しています。彼らにとって、自分が現実だと思っていたことが、実は夢や空想の世界での出来事であったと感じることがあり、次第に夢と現実の境界が曖昧になっていきます。当初は、夢の世界での体験が現実と錯覚されることが多いものの、次第にその違いに気づき始め、現実と空想の世界の隔たりを理解するようになります。
しかし、夢の世界が現実と異なることを理解すればするほど、その空想世界は次第にネガティブなものとして認識されるようになります。現実の苦しさから逃れたいという気持ちがある一方で、空想の世界もまた現実とは異なる非現実感や孤独感を抱える場所となり、苦痛が二重に押し寄せてくるのです。このように、解離によって生み出される空想世界が、やがて自分を苦しめるもう一つの牢獄になってしまうことがあります。
空想世界に没入する人々は、幼少期から内的な空想を安心できる逃避場所として頼りにしてきました。彼らは、社会や対人関係に不安を感じ、コミュニケーションを避けるようになり、仕事や授業中でもしばしば空想に浸り込むことがあります。現実の世界から逃避しているため、何事にも実感が伴わず、学びや体験が身につきにくくなります。
さらに、身体感覚を麻痺させることで対人関係の苦痛を避け、頭の中の空想世界に閉じこもって生きるようになると、身体の輪郭やボディイメージがぼやけ、現実感さえも失われていきます。外を歩いていても、まるで別の世界にいるかのように感じ、人と話していても遠くで声が響いているだけのように思えます。このような感覚は、彼らが自分の身体を持ちながらも現実に適応できず、時間の感覚を失い、「いつの間にか時間が過ぎていた」という経験を繰り返します。
空想世界に没入する人々は、ストレスや嫌悪感に対する耐性が低く、今この瞬間を感じることが難しい状態に陥っています。感情が動かず、感情を表現することも困難で、次第に人や社会への関心を失ってしまいます。現実とのつながりが断たれ、頭の中の孤独な世界に閉じこもることで、切なさや寂しさを感じながらも時間を無駄にしていきます。最終的には、何十年も経った後に、自分が失った時間に対して深い後悔を抱えることになるのです。
解離症状が重篤で、神経が過敏に反応する人は、嫌なことがあるたびに自分の身体から離れ、空想世界に陶酔する傾向があります。その空想の中で過ごしている間、解離しているもう一人の自分が現実世界で生活を続けており、本来の自分はその期間の記憶を失ってしまいます。このため、現実の場面で何が起こったのか、自分がどんな行動を取ったのかを認識できないことが多いのです。特に、嫌なことがあった瞬間にその出来事を忘れられるため、自分がどう対処していたかを思い出すことすらできません。
場合によっては、解離した状態の自分が感情的な行動を取ってしまい、周囲の人に迷惑をかけていることもあります。このようなことが原因で、人間関係のトラブルを引き起こすことが少なくありません。他者から見ると、その人の表情や仕草、話し方が急に変わり、たとえば、突然怒り出したかと思えば、すぐに機嫌が良くなったりと、感情がコロコロ変わる様子に戸惑うことがあります。これにより、周囲の人々にとっては、どう接していいのか分からず、扱いづらい存在として見られることもあるのです。
このような解離症状を持つ人は、現実と空想の間を行き来しながら、現実での自分の行動を把握できないという不安を抱えつつ、空想世界の中で一時的な安らぎを得ようとしていますが、それが人間関係にさらなる困難をもたらすこともあります。
トラウマケア専門こころのえ相談室
更新:2020-05-28
論考 井上陽平