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家族・学校という名の強制収容所


 第1節.

家族という名の強制収容所


子供にとって、経済的基盤は親に頼るしか方法がなく、食べることも、寝ることも、日常の全てを親が担うしかないため、自分が生きていく術は全て親が握っています。親が食事を作ってくれないと、子供は栄養状態を維持できず、生存の手段は全て親にかかっています。家庭環境が悪く、親の接し方が悪いと、子供の健康・精神状態に鏡のように100%反映されます。

 

そのような状況からもわかるように、親は子が成長していく過程において、絶対的な力を持っています。それは、意識的にではないにしろ、親がその過程における規律を決定していることにつながり、子供は、家庭のルールを押し付けられて、子供の身体はそのルールに沿って動かすことを強いられます。食べる、寝る、話すなどの日常生活における体の動かし方や動作をはじめ、身体の機能に至るまでを規律化されて、身体や生を拘束、統治されることになります。

 

すなわち、それぞれの家庭には、家庭ごとの規範のようなものが存在し、親は子供の成長になくてはならない存在であり、その助けとなる一方で、良くない家庭環境で育った子供にとっては、家庭は、親の定めた規律やルールを強いられる場となります。そして、それらは子供の身体を作っている規範とか常識となり、生に対する価値観などは、家庭のなかで植え付けられていくようになります。

 

その場合には、子供は、家族という強制収容所の中で虐待を受けると、心も体も滅茶苦茶にダメージを負って、不安や緊張、恐怖すら感じられなくなっていきます。逃げ場なく、強制をしいられることにより、体は麻痺していき、死んだふりの防衛行動を取り、自分の思うような手足の使い方が出来なくなります。次第に手足が無くなっていって、全身や自分の存在が消えてなくなっていくような経験をすることになります。家の中では、戦うことも、逃げることもできないので、息を潜めて、布団の中にくるまっています。また、親の行動を注意深く観察し、聞き耳を立てて警戒するようにもなります。親が近づいてくると、どうしようもなくなって、その場にうずくまり、頭が真っ白になったり、耳が聞こえなくなったり、息がしづらくなります。

 

家族という牢獄で、親の身勝手で無神経な言動や、子育てを放棄するような態度が、子供の生を形作る規範とか常識となり、生に対する価値観などは、家庭のなかで植え付けられていくようになります。子供は、良いこと悪い事の区別も分からなくなり、親の言動に怯えて、体は縮こまり痺れて、思うように動かすことが出来ないようになります。家の中のギクシャクが、自分の体のギクシャクになり、脳と目や耳、表情、喉、気管支、心臓、身体の各器官の繋がりが絶たれて、自分では動かせなくなり、社会的な人間関係が形成することが出来なくなります。

 第2節.

学校という社会化を強制する場所


子供は、学校という社会化を強制する場所でいじめを受けると、集団が怖くなり、その場に合わせようとして、自分の気持ちを押し殺し、クラスメイトの顔色を伺いながら嫌われないようにしてきました。同級生たちには、仲の良い友達がいるのに対して、自分は友達と呼べる友達がいなくて、そんな自分のことが情けなく、恥ずかしくて、大嫌いです。いじめられてもやり返さなかった自分のことが嫌いで、酷い自己批判に陥ることもあります。

 

いじめを受けていると、いつも自分に自信が持てなくて、自分のことを良く見せようと思ってもそれが失敗に終わります。失敗した自分を責めたり、皆と同じようにしたくてもできないことに焦りを感じて、苛立ちます。そして、ひとりぼっちになると気分が落ち込んでしまって、周りに嫌われないように自分を作り込んで、しんどくなると周りの子と接触を避けて孤立します。

 

人間の手により、傷つけられたトラウマを抱えている子供にとっては、学校という場所が集団行動を強いてくるため、過去に受けた傷が賦活して、痛みの身体になります。そして、古傷が疼かないように、周りに合わせるしかできない子は、どんどんときつくなり、一生懸命踏ん張ろうとしても、どこかで限界が来て、空っぽの身体や心になります。

 

トラウマを抱えている子供は、学校の集団場面において、視線を動かして、情報を集めたり、周りの物音や気配が気になり、脳が危機を感じやすい状態にあります。学校の先生やクラスメイト、授業、教科書など不快感が強くなると、体の中のトラウマが賦活して、その場面に留まっていたら怖いと思うようになります。そして、その場から逃げたいという反応が出るため、体を動かしたくなり、授業中に椅子に座っていることが大変になります。学校の授業中は、気分が悪いから移動したいと思っても、なかなか離席できないので、体が凍りついて解離したり、死んだふりの状態で過ごす人もいます。トラウマを抱えている子供は、視線を動かした先に、好奇心を見出したいと思っており、生きている実感を味わったり、創造的に生きたいと思っています。彼らは、身体の中にトラウマを抱えているために、一歩間違えると、生き生きとした世界が吹き飛んだり、凍りついて固まってしまうくらい繊細です。

 

また、トラウマを抱えている子供は、身体にストレス性の不快な症状(喘息、アトピー、アレルギー体質、過敏性腸症候群、パニック発作、解離症、離人症、めまい、ふらつき、片頭痛、吐き気)を抱えている場合が多く、体調が悪くなることがあります。それでも、学校の生活では、皆と同じように行動し、授業中も椅子に座ってじっとしていなくてはいけません。そのように辛抱しなくてはならないことが、さらにストレスを感じさせて、体調をより悪くして、トラウマの症状を複雑化します。

 第3節.

虐待やいじめの犠牲者のその後


虐待やいじめの犠牲者は、生まれてきたことへの暴力、変えようのない親を持つことの暴力、学校に行くことの暴力により、小さい頃から、たくさん傷ついており、限界を超えていることがあります。家族や学校という名の強制収容所に拘束されて、やり返すことがなく、八方塞がりの状態になっています。日常生活のなかで耐えがたい苦痛が毎日何度も繰り返されると、それに抗うことは諦めて、何も考えないようになり、何も感じないようになっていき、自分の心の世界に閉じこもるようになります。

 

正当な怒りを表現できず、自分に降りかかる痛みから逃れなくなると、離人症のようになり、恐怖や怒りを感じないようにして、あたかも観察者の立場にたって物事を冷静に眺めています。また、一人でもの思いに耽る空想や、夢の中だけが自分で自分を慰めることができる唯一の場所になります。このように苦痛な出来事をまるで無かったかのように忘れることで、日常生活を営みやすくさせます。

 

しかし、それには代償を伴います。例えば、環境が改善した後に、自分のことを変えようと思っても、既に自分が自分で無くなっているため、何も考えられない、何も感じられないままで、過去の楽しかったときの自分との間でジレンマになります。本を読んで勉強しようとしても頭の中に残らなくて、何をしていても楽しいという感情が沸いてきません。そして、外の世界で目に見えるものが見えにくく、見え方がおかしくなって、感覚が狂います。さらには、生きている実感が湧いてこなくて、この世界に積極的に関われなくなり、現実感が消え、まるで夢の中で生きているように感じます。本人はこの状態を非常に苦痛に感じており、元の自分に戻りたいと思うことがあります。

 

他者からはあたかも正常かのように見えますが、実際は、体はいつも怯えていて、恐れと不安で、凍りつき状態が続きます。自分が自分で無くなってしまうことが怖くて、感情を出すこともなく、周りのパターンに合わせるだけの人生になります。そして、生活全般の困難が大きくなると、人生の出来事を意味あるものとして積み上げることができなくなります。出生直後から連続体を形成していた「自分が自分である」という身体感覚や時間感覚、感情、思考がバラバラになります。

 

長年に渡るトラウマの犠牲者の中には、記憶なく、魂なく、抜け殻のように生きている人や、生きながら死んでいるような苦しい感覚が付きまとう人がいます。こうした人々は、牢獄の中を生きていて、自分の体の中を覗くと、痛みや不快感が強く、筋肉は崩壊して、解離や離人が過剰に働くことで、精神的ストレスに対して、心も体もほとんど反応しなくなり、生き生きとした世界が枯渇して、歩く屍のようになります。

 

長期に渡って、生活全般のストレスと緊張があまりに大きくなると、フラストレーションを超えてしまい、自分の身体感覚が麻痺して、心が壊れていきます。体はみぞおちや胸辺りに大きな塊が出来て、背中は猫背でバキバキに固く、頭と首、肩は力が入り、腕と足は垂れ下がり、脱力した状態で生きるようになります。体はトラウマにまみれた異常な状態にあり、脳に緊急事態として受け取るため、神経系、免疫系、ホルモン系に異常が出ます。最悪の状態になると、人間に備わっている自然治癒力が発揮されなくなり、全身は衰弱して、冷たく固まり痛みの体になります。

 

トラウマケア専門こころのえ相談室

更新:2020-05-28 

論考 井上陽平