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スピリチュアルと霊性


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 第1節.

スピリチュアルとは


スピリチュアルとは、霊魂や神などの超自然的存在との見えないつながりを信じる、または感じることに基づく、思想や実践の総称であります。スピリチュアルには、もともと内的に霊性に目覚めている人のスピリチュアルと、癒しや幸福を求めてスピリチュアルな物語に夢を膨らませる人の2種類あります。

物語の中のスピリチュアル


1つ目は、物語の中で、夢を膨らませるスピリチュアルです。これはスピリチュアルの物語に触れていくことにより、自分の人生の物語を書き換えていきます。例えば、私は親に望まれて生まれてきたわけではないとか、私の存在を喜んでくれる人は一人も居ないなどの信念のお持ちの方がスピリチュアルに出会うことにより、ある種の衝撃を受けることになります。今までの自己否定的な物語から、私という存在は愛情で出来ているとか、悦びであることに気づくことで、私はこの世に生まれてよかったんだと思えるようになります。しかし、自分の意識は変われても、現実世界を変えていくことはなかなか難しいものです。そのため、この世界は美しくないけれども、苦しいことも辛いことも修行のうち、現世で魂を磨いて、精神的な豊かさを目指すといったオルタナティブなところに魅力があります。

霊的体験からくるスピリチュアル


2つ目は、霊的な体験が本当に内的に生じている人のスピリチュアルです。子ども時代から、霊的な体験をしてきている人の内的世界は、秘密の場所で(秘密を漏らすと霊性を失うとか、周りの人に信じてもらえないなどなど…)、空想に溢れていて、驚くような美しさがあります。そして、霊的存在が肉体や自然、物体を支配するという精神観で生きており、目に見えない存在と感覚を交わすことできます。

 

早い段階からトラウマがある人や危険な環境のなかで生き延びてきた人は、防衛のために個人的なものを超えて、トランスパーソナルなものが位置を占め、一般の人には目に見えないことまで見えたり、感じたりすることがあります。また、トラウマによって無数に解体・分裂した霊性のひとかけらが永く厚い沈黙を破って問いかけてくることがあります。ここでは、この後者のスピリチュアルについて述べていきます。

 第2節.

神は人々の苦しみのなかで姿を現す


人間は、苦しみが限界に達したときに、神の愛の中で目覚めて、神と人間の中間に位置する守護者がその個人の魂の救済に乗り出します。例えば、小さな子どもが不条理な環境の変化についていくだけの力が残されていないとき、身代わり天使がその子の役割を果たしたり、トラウマが回復不能な傷をつけるまえに、天使が現れ、そのようなトラウマがなかったかのように外の世界を遮断するようなことが起きます。このような防衛操作を、ユング派のドナルド・カルシェッドは、元型的セルフケア・システムと呼んでいます。これは、こころにある普遍的な内なるシステムであり、その役割は、個人の本当の自分の中心にあって冒すことのできないパーソナルスピリット(個人の精神)の保護と保存にあるとしています。

 

カルシェッドの著書「トラウマの内なる世界」で次のような話を紹介しています。『ある朝、母親が大事な言伝てを届けるために六・七歳の小さな娘を、父親の書斎に行かせた。まもなく娘は戻ってきて言った、「ごめんなさい、お母さん。天使が中に入れてくれないの」。母親はもう一度、娘を送り出したが、同じことだった。ここで母親は娘の度の過ぎた想像にいらだって、母親自身が父親のところへ言伝てを持って出かけていった。中に入って目にしたのは、書斎で死んでいる夫であった』

 

カルシェッドは、この話について、耐え難い情動をこころがいかに扱うものであるのかを、しみじみと訴えかけてくると述べており、以下のように説明しています。『ある情動は自我の使用できる通常の切り抜け方では処理できず、「より深い」戦略が結集される必要がある。これらのより深い機略は、セルフの救急防衛なのであり、トラウマが生じるときに自我の進路を遮断する。トラウマ時のこの防衛は、分別があれば明らかに「見えて」しまうので、いわば点灯によって家中の回路が焼けきれないように、心のブレーカー回路が落とされる必要があるのだ。』

 第3節.

トラウマによる解離(非現実感・離人感)


子ども時代から、慢性的な外傷体験に曝されると、解離傾向が高まり、外的世界と内的世界とを結ぶ心の機能が低下します。慢性的なトラウマの犠牲者が心身のバランスを崩す原因のほとんどは、現実世界の他者からの精神的干渉によるものです。この他者からの精神的干渉により、情緒が不安定になると、外界の情報を処理する能力が低下して、自己意識や体内の気配についての意識が過剰に高まります。さらに、身体の中の不快な感覚や感情が高まると、身体は固まり凍りついて、心は身体から離れて、頭の中が生活の中心になります。そして、不快な状況のなかで、勝手に浮かんでくる思考の渦に巻き込まれて、ぐるぐると自問自答を繰り返します。無力な状態に陥り、自責感が酷くなるほど、更に覚醒水準は低下して、精神医学の言葉を使えば、うつ病や精神病的(妄想、幻覚、造語)な世界がみえてくることがあります。

 

このような自分が自分で無くなる恐怖や、何も感じられなくなる虚無感から逃れるために、自傷行為、過食嘔吐、過剰服薬、買い物、アルコール、セックス、電話、家出に走る人がいます。さらには、現実世界の苦痛や疲弊した自分の身体を切り離し、何も感じたり、何も考えたりしなくてもいい夢の世界や空想の世界に飛んで、現実の世界と夢の世界の境目がなくなります。そして、突然身体の重力を失って、自分の身体から抜け出た状態になり、宙を形なく漂い、外から自分を眺めていたり、スピリチュアルな世界(宇宙)と一体となれたり、自分の身体がぼやけて何をしても現実感が無かったりします。このような現象を、精神医学で分類すると、解離性障害や離人症になります。耐え難い現実から離れて、内的な世界を発展させ、時間や空間に縛られなくなり、自他の境界が曖昧になっていく人は、スピリチュアリティに目覚めて、特定不能の解離性障害となり、解離性トランス、解離性昏迷、憑依トランス状態による魂、力、神などの影響を受けることがあります。

 第4節.

寂しさと空想上の友人

この世に存在しない他者を慕う心性


深刻なネグレクト状態にある子どもは、愛情の中で育つことが出来ません。過保護や過干渉な家庭とは対照的に日陰の中で育ちます。親から見捨てられた子どもは、自分の親を変えようとしても変えられない悲しみのなかにいて、現実の両親とは別に向こうの世界にいる両親を探し求めることがあります。そして、現実に嫌なことがある度に、想像上の家族に会いに行き、可愛がってもらって、頭を撫でてもらって、守ってもらいます。この世に存在しない他者との会話を楽しみ、背後にいる強い存在や向こうの世界にいる家族、目に見えない存在たちが生きる支えとなります。彼らは、この世に存在しない他者を慕うことで幸せを感じ、現実世界をシャットアウトします。

空想上の家族と魂の両親


ネグレクトや虐待、いじめなどが深刻になると、子どもは逃げる場所がなくなり、心が麻痺していって、現実世界との距離を置くようになります。そして、寂しさを紛らわすために、無意識のうちに自分自身に向かって話しかけ、もう一人の私を作り出し、想像力のみで自分自身や自分を取り巻く環境を作り変えていくことがあります。子どもは夢の中や空想の世界に夢中になりますが、それは儚げで切なく、現実世界から孤立したものになります。彼らは、現実世界の中で手に入らないもの(幸せな家族、幸せな食卓)を埋めるように、頭の中で生活するようになり、スピリチュアルな空想や小説、図鑑、漫画、アニメ、音楽、アイドル、絵の世界に耽溺します。空想の世界の中で本当の家族を探して、無数のファンタジーにのめりこむようになります。彼らにとって現実の世界は、不条理で残酷でいつまで生きていられるか分からない世界ですが、空想の世界は力強く守られた場所です。空想の世界では、全てが自分の思い通りにいって、気持ちはすっきりします。彼らは、魂の両親から、たくさんのことを教わり、可愛がってもらい、頭を撫でてもらい、無垢な子どもでいることができます。

 第5節.

内なる守護天使と精霊

内なる他者の声と共に


早期トラウマに苦しんでいる子どもは、心が今ここになくて、現実逃避の空想世界に膨大な時間を費やします。ただし、この空想は、自分で自分を慰める永遠の妥協の産物として、本人も自分が作り上げた妄想であると気づいたり、またはそう思わさせる教育を受けたり、あるいは学業や部活、仕事が忙しくなるので、ほとんどの子ども達は大人になる過程において空想の友人は消えていきます。また、子どもの頃のいつ死ぬか分からない状況から抜け出すことにより、内なる存在が眠りについたり、統合されたりして声が聞こえなくなる人もいます。一方で、大人になっても子どもの頃のイマジナリーフレンドの世界観をそのまま持っている人がいます。その半分の人々は、子どもの頃の破壊的なトラウマ体験(破壊を少し離れた場所から見ている部分/見られている部分の分離)により、精神が身体内部の深淵に落ちてそこで何かを発見した人であり、また、解離によって人格化した魂の声に励まされてきた人です。別の言葉で言えば、自分の中にいて、愛情を注いでくれる内なる声とともに生きてきた人です。この内なる他者は、トラウマ防衛が組織化され、こころのなかに住んでいる超自然現象の存在であり、肉体はありませんが、自分の中に確実に生きている存在になります。

精霊が生きている世界


もう半分の人々は、内なる他者ではなく、自然のなかに精霊が生きていることを信じており、感覚や意識を通して交わすことができます。人と関わって疲弊した人は、人への関心が無くなり、自然だけが友達になり、外の世界の木や花、動物、鉱物、雨、風、無機質なもの、目に見えないものまで霊魂が宿っていると考えています。分かりやすく言えば、宮崎駿の「風の谷のナウシカ」「もののけ姫」「となりのトトロ」等のアニミズムの世界で生きています。この自然崇拝の考え方は、アマゾンの未開社会では今でも残っていますが、その多くは宗教に取って代わられました。

目に見えない他者に身を任せて回復させる


この守護者たちは、ただの空想上の人物とは異なり、目に見えないけど、現実にそこに存在し、ありありと意識を交わせることができます。つまり、目にすることはできないけど、感覚を通してその存在を実感できるので、彼らはトランスパーソナルな領域(不可視の世界)に入るわけです。そして、内なる他者との対話は創造性を育むので、彼らの内的世界は博物館のような無垢な聖域が広がります。こうした内なる他者の声は、古代では、ソクラテスの取り憑いていたダイモン(心の内から呼びかける守護者)であり、そして、現代では、小説家や画家、科学者などの創造性に影響を与えたりしています。

 

トラウマ(生々しい潜在的な自己保存エネルギー)の変容には、スピリチュアル(精神性、霊性)の経験が密接に関係しています。これは、トラウマの影響により、現実の脅威や想像上の脅威に対して、防御する姿勢を取り続ける人が、想像上の友人や内なる他者に守ってもらい、大いなるものに身を任せてしまうことが心身の回復に役立ちます。そして、自分の内の神秘的で創造に溢れたエネルギーを社会生活のなかで役立てることが出来れば、外の世界の人々とも繋がり、喜びに変容していきます。

 

トラウマケア専門こころのえ相談室

更新:2020-06-03

論考 井上陽平

 

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