人格の断片化


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 第1節.

外傷体験による人格の断片化


外傷体験(トラウマ)に曝された人間は、危険に対してどのような反応をしてしまうかを述べています。人は命を失いかねない危険に直面すると、その対応策として、目の前の出来事の観察者になり、自分を危険から切り離します。人は命を失いかねない危険に曝されると、心は身体から離れて、知覚の断片化が起こり、二つ以上の自分(破壊的なトラウマを見ている部分/見られている部分など)が存在する状態になることがあります。

 

この分裂した状態を精神システムと身体システムに分けて説明すると、生々しい外傷体験に曝された精神は、意識が遠のきそうななか、命の危険のある場所から少し離れて、激熱な感覚や感情をシャットアウトしている人格部分と、自分の身体から遠く離れた上空から冷静に観察している人格部分とに分かれます。その一方で、身体の方は、交感神経が活性化して、外傷体験に曝されながらも生きようとする、大脳辺縁系や脳幹を中心とした本能に動かされている人格部分が存在します。

 

トラウマの研究者シャーンドル・フェレンツィは、「心的外傷は、死という完全な解体に向けての解体プロセスである。人格の野蛮な部分である身体は、破壊プロセスになお抵抗しつづけることができるが、無意識性と精神の分断は、すでに人格の洗練された部分が死につつある兆候である。」と述べています。人は生命が脅かされるとき、身体の内部の空間に閉じこもることで対処したり、この起きている状況を少し離れた位置から観察して、冷静に対処しようとします。

 第1-1節.

基本人格の深い眠り(本来の私)


幼い子どもが命を失いかねない危険に直面した場合は、あまりに冷たく厳しい現実に対して、身体の中に固まり閉ざされて、凍りつきや機能停止、解離、離人、虚脱に陥ります。そして、小さい自分は、いろんなことが怖くなりすぎて、生きようとすることを諦めたり、身体の中に隠れたり、宙に浮いていたり、心の中に住んでいたりします。フェレンツィは、この諦めを「その下には人生についてもう何も知ることも望まない存在がある。……覚醒時の自我がそれについてまったくなにも知らないもともとの子供である。」と述べ、さらに「無意識内の純粋に心的に苦悩している存在。覚醒時の自我がそれについてまったくなにも知らないもともとの子供である。この断片には、極端に疲労し消耗した状態、つまり神経症的(ヒステリー的)爆発のあとにおとずれる深い眠りかあるは深いトランス状態においてしか触れることができない。それは気を失った子供のように振る舞い、自分自身についての認識をまったく欠いており、うめき声をあげるくらいしかできないので、精神的に、ときには身体的にも揺り起こしてやらねばならない。」と述べています。

現実とは接していなくて、自分以外の人がいない世界の中で生きていきます。

 

基本人格(本来の私)や子ども人格(インナーチャイルド)は、脅かされる日々のなか、されるがままの痛みに固まって、身体が動かなくなり、感情が消えて、心を失います。現実と繋がることができなくなって、無力化されると、身体の中心(お腹や胸)付近で小さくなり、閉じ込められてしまって、眠りについたり、自分以外の人がいない夢のような世界の中で生きていきます。それ以後、代わりに生活を行うのは、日常生活を過ごすために適した人格部分や、外傷体験に適した人格部分になりますが、生活全般が平和になると、基本人格はこの世界を眺められるようになります。ただ、小さい子どものままなので生活していくスキルが足りなく、誰かに近づいてもいかなくて、生活全般(学校、職場、子育て、家事)の困難なことは、日常生活を過ごす人格システムが引き続き行います。

 第1-2節.

観察者の人格部分(精神性・霊性)


命を失いかねない危険に直面した精神機能のある部分は、危険から離れて宙に浮き、上空からこの状況を把握したり、自分を冷静に眺めています。これは、体験する人格部分と観察する人格部分の分離であると言えます。観察者の人格部分は、本来の私の魂の半声割れのようであり、客観的かつ理性的な思考を持っており、頼りになる存在です。また、宙に浮いていて、驚異的な頭脳を持ち合わせている場合、他の人格部分たちからは、天上の精神世界に住んでいる神々しい存在として尊ばれることがあります。例えば、ソクラテスに取り憑いていた善きダイモーンとは、この観察者の人格部分を言い表していると考えられます。観察者の人格部分は、本来の私の理想化された良い対象になり、スピリチュアル(精神性、霊性)へと繋がります。アメリカのユング派では、この現象をダイモン(神霊)の恋人として研究しています。この観察者の人格部分は、本来の私の守り神として存在し、ピンチに陥ったときに、声として話かけてきます。

 

フェレンツィは、この宙に浮いている存在について、「生命維持を「何物にも勝り」優先する固有の存在(オルファ)。この断片は守護天使の役割を演じて願望充足的な幻覚、慰撫的ファンタジーを生成し、外的感覚が耐えがたくなったときには、意識と感受性を無感覚化してそれに対抗する…。自己破壊過程における驚くべき、しかし一般的に妥当するように見える事実は、不可能になった対象関係の自己愛的なものへの突然の変換である。すべての神に見捨てられた人間は、現実をすっかりすり抜け、地上の重力に妨げられずしたいことは何でも達成できる別世界を自ら創造する。愛されてこず、痛めつけられさえしてきたため、彼は、自身から一片を切り離し、その部分が、頼りになり情愛のあるたいていは母のような世話人の形で、人格の苦しめられた残部の哀れみ、それを世話し、それについて決断してくれる。このすべてが、もっとも大きな英知、もっとも透徹した知性にとってなされる。それは知性と善意そのものであり、いわゆる守護天使である。この天使は、苦しんでいるあるいは殺害された子どもを外から見て(ということは、彼は「破裂」の過程でその人物から外にいわば孵化した)、助けを求めて全宇宙をさまよったり、他の何も救ってくれない子どものために空想を作り出したりする。」と述べています。

 第1-3節.

あたかも正常にみえる人格部分(日常生活)


命を失いかねない危険に直面したとき、本来の私の代わりになる部分は、危険な状況にいるはずなのに、身体から離れて、この状況を眺めており、激しい感情をシャットアウトして、現実離れした感覚や、まるで夢の中の出来事のように、周りがぼやけています。この人格部分は、時間感覚がゆっくりで、感情・身体感覚が分断され、注意や集中に問題があり、忘れっぽく、外傷体験の前後が極度に非現実化されて制限を受けています。オノ・ヴァンデアハートは、「あたかも正常にみえる人格部分としてのサバイバーは、正常な生活を続けようと努力することに固着しており、日常生活のための活動システム(たとえば、探索、世話、愛着、など)に導かれている。」と述べています。また、フェレンツィは、「最上層には、正確に―やや正確すぎると言ってもよかろうー調整されたメカニズムを有する、活動可能な生きた存在がある。」と述べています。

 

あたかも正常にみえる人格部分(子どもなら愛着・探索システムに駆動されている)は、外傷関連の記憶や感情への恐怖が条件付けられています。彼らは、辛いとか悲しい、楽しい、嬉しいなどの感情がなくて、身体の感覚もなくて、恐怖やストレスをあまり感じないように構成されています。過去の外傷体験の記憶は抜けており、その記憶が蘇ると、身体が固まって、鉛のように重くなるか、解離するか、離人するか、虚脱します。彼らは、日常生活をそつなくこなすために存在しており、みせかけの正常さを維持して、普通に暮らしているように見えますが、心のない人形に見えます。また、様々な人格たちに分裂して、裏では複雑な感情を抱え、内なる葛藤があり、いくつもの仮面を被って自己を作り上げています。

 

彼らは、ジャネの言う結合不全と精神力の減弱による心理学的貧困状態にあり、意識の覚醒水準が低下して、忘れっぽさによる解離性健忘が生じたり、ちょっとしたことでもビクビクしたり、想定外のストレスがかかると自分をコントロールできなかったりします。さらに、まとまりのある自己感覚が持てなくて、過覚醒と低覚醒の間を行き来しているので、自己感が変動しやすく、一貫した行動様式を持つことが難しいです。昼と夜ではこの世界の見え方が変わるので、夕暮れどきに不安定になり、性格ががらりと変わるようなことが起こります。例えば、昼は明るいので、周囲の気配が気にならなく、元気に過ごせますが、夜になると、暗闇で気配に過敏になり、些細な事でも恐怖し、感情に圧倒されてしまって、被害妄想が膨らんでいきます。また、通常の覚醒状態のときは、精神性の高い観察者の影響を受けながら、他者にやさしく思いやりを持ち、精神性の高い生活を送ろうとします。一方、過覚醒のときは、過去のトラウマと現在の時間軸が二重に折り重なり、些細なことで苛立ち始めて破壊衝動を持ちます。また、低覚醒のときは、ストレスを避けるために頭を空っぽにして、ぼーっとしてやり過ごします。

 第1-4節.

外傷体験に焦点づけられた人格部分(身体的・情動)


命を失いかねない危険に直面したとき、外傷体験に焦点づけられた人格部分は、残酷で恐ろしい攻撃を受けるなど危険な状況にあり、生々しいエネルギー(恐怖や激しい怒りのような情動、破壊の衝動)のなかで、我を失いながらも身体は生き残ろうとして、戦うか逃げるか怯えるか警戒しています。それぞれの人格部分がある目的を持って活動しています。こうしたトラウマに焦点づけられた人格部分は、交感神経が活性化した過覚醒の闘争・逃走か、背側迷走神経が働く低覚醒の凍りつき・死んだふり、虚脱状態にあり、外傷を負った瞬間から時間が止まったままで、現実感や身体感覚に乏しく、今を生きることが難しい状態にあります。

 

①敵の接近に反応して、警戒している人格部分

②敵を感知し、逃走を図ろうとする人格部分

③敵と戦うための戦士になり、闘争する人格部分

④敵に捕まって動けなくなり、抜け殻のようになった人格部分

⑤敵をなだめようとして、服従した行動をとる人格部分

⑥敵に攻撃に耐えつつ、隙を見せた時に背後を突く攻撃性の人格部分

⑦それらの体験に怯え泣いている子どもの人格部分

 

オノ・ヴァンデアハートは、「情動的人格部分としてのサバイバーは、外傷を受けたときに活性化された活動システム(過覚醒、逃走、闘争など)に固着している。…通常は、「子どもの」情動的人格部分は外傷を受けた時点に固着されていて、あたかも正常にみえる人格部分よりも数が多い。非現実化が重篤で広範囲であるために、彼らは自分自身を文字通り実際の子どもとして経験するのである。」と述べています。また、フェレンツィは、この情動的人格部分のことを、目前の攻撃者の感情体験に同一化していく部分と言っています。また、トラウマを負った人の下層を「この殺害された自我の下には初期の精神的苦悩の灰がある。これに苦悩の炎が夜ごとに灯る。」と述べ、さらに、トラウマの最下層を「内容も意識もない切り離された感情の塊としてのその苦悩そのもの。元来の人間の残滓」と述べています。

 第2節.

人格の断片化から人工的な心の創造


ここからは、虐待や性暴力被害などの外傷体験のショックにより、解離状態(バラバラになった身体)になった人が人工的な心が創られる過程について、フェレンツィの考察を載せています。 トラウマの上層部分を、フェレンツィは、「正確にーやや正確すぎると言ってもよかろうー調整されたメカニズムを有する」と述べています。この部分は、日常生活をこなすことに焦点づけられて、あたかも正常にみえる人格部分のことです。外の世界で社交的に振る舞って、美しさを求めて、光り輝きたいと思っていたり、病気への自覚がない状態のなかで、仕事や家事、学業を淡々とこなしていきます。

 

トラウマの最上層を、フェレンツィは、「生命維持を何者にも勝り優先する固有の存在(オルファ)。この断片は守護天使の役割を演じて願望充足的な幻覚、慰撫的ファンタジーを生成し、外的感覚が耐えなくなったときには、意識と感受性を無感覚化してそれに対抗する」と述べています。この部分は、守護天使の役割を担いつつ、様々な人格部分にスポットライトを当て、管理する立場にあります。

 

日常生活をこなすことが出来なくなった存在のことを、フェレンツィは「その下には人生についてもう何を知ることも望まない存在がある。」と述べています。この部分は、もともとの自分と思われる人格部分で、とても苦しく、とても辛い毎日を繰り返してきました。生きていくことがピンチになると、本来の自分が受けた痛みや苦しみを、小さい子どもの人格部分に背負わせたり、保護者人格(守護天使)の声を支えにしてきました。ただ、それでも日常生活の耐えがたいことが続くと、身体が固まり凍りついて、胸が痛み、息をするのも大変で、どこにか消えてしまいます。

 

トラウマの下層を、フェレンツィは、「この殺害された自我の下には初期の精神的苦悩の灰がある。これに苦悩の炎が夜ごとに灯る。」と述べています。この部分は、小さい子どもでありながら、全部の痛みや苦しみを背負わされてきました。夜になると、自分に危害を加える人物の足音に怯えるようになり、外傷記憶がフラッシュバックします。小さい子どもは、痛みですすり泣き、来ないでと叫んで、怒っています。痛みを負っている小さな子どもの周りには、保護者人格(守護天使)と迫害者人格(悪魔)がいて、どちらも命を守るために活動しています。さらに、トラウマの中心には、小さい頃の自分がいて、固まった状態で、閉じ込められています。誰とも喋らず、誰にも近づかず、悲しいも嬉しいも分からない状態で、何にも反応しません。

 

トラウマの最下層を、フェレンツィは、「内容も意識もない切り離された感情の塊としてのその苦悩そのもの。元来の人間の残滓」と述べています。この部分は、小さい子どもにさえ預けられない、激しい攻撃性やぐちゃぐちゃな感情を持っています。トラウマの内なる世界では、鬼のような存在として恐れられており、人格が崩壊していて、手がつけられない状態のために、頑丈に鍵のかかった牢屋の中に閉じ込めています。爬虫類のような目つきで、周りを警戒しながら、邪魔をしてくるものには、飛び掛かるような激しい攻撃性を持っています。性格は、臆病で冷たく残忍で、自暴自棄になると、自傷や他害に至る危険性があります。

 

トラウマケア専門こころのえ相談室

更新:2020-05-27 

論考 井上陽平

 

参考文献

オノ・ヴァンデアハート:『構造的解離』(訳 野間俊一、岡野憲一朗)星和書店

シャーンドル・フェレンツィ:『臨床日記』(訳 森茂起)みすず書房