心的外傷体験とトラウマによる人格分裂


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 第1節.

外傷体験と知覚の断片化:命の危険に対する防衛反応


外傷体験(トラウマ)を経験した人間は、命の危険に直面した際に特有の反応を示します。命を失いかねない危険にさらされたとき、人は自分を守るために、その瞬間から意識を切り離し、観察者として自分自身や周囲の状況を外から見ているかのような感覚に陥ります。この防衛反応は、過剰なストレスや恐怖に対する心の自然な対処法です。

 

心が身体から離れることで、知覚が断片化され、自分が二つ以上に分かれたような感覚を持つことがあります。具体的には、一方の自分が目の前の破壊的な出来事を観察し、もう一方がその恐ろしい出来事を体験しているように感じるのです。これにより、心は現実から逃れ、圧倒される感情や痛みに耐えられるようになります。

 

1.外傷体験による精神と身体の分裂

 

外傷体験による分裂状態を精神システムと身体システムに分けて説明すると、心と体がそれぞれ異なる役割を果たしながら、危機に対処しようとすることが理解できます。

 

まず、精神システムにおいて、外傷的な体験を受けた心は、意識を保ちながらも、命の危険から距離を取ろうとします。この結果、精神は二つの人格部分に分かれることがあります。一つは、激しい感情や痛みを遮断し、トラウマの衝撃を受け止めないようにする人格部分です。もう一つは、遠くから自分自身を冷静に観察する人格部分です。後者は、まるで自分が自分の身体を上空から見下ろしているような感覚を持ち、現実から切り離されることで、過剰なストレスから心を守ります。

 

一方、身体システムは、危機に対して本能的な反応を示します。外傷体験に直面したとき、交感神経が活性化し、生命を守るために身体は自動的に反応します。この過程では、大脳辺縁系や脳幹といった本能的な部分が主導し、意識が遠のきそうな中でも、生き延びようとする力が働き続けます。身体は硬直し、逃げるか戦う準備を整えようとしますが、その一方で、心は現実から乖離し、身体の反応に追いつけなくなることがあります。

 

このように、外傷体験を受けた際、精神と身体がそれぞれ異なるシステムで働き、心を守ろうとする一方で、身体は生存本能に従って行動するのです。

 

2.フェレンツィの視点から見る解体プロセス

 

トラウマの研究者シャーンドル・フェレンツィは、「心的外傷は、死という完全な解体に向かう解体プロセスである。身体という人格の野蛮な部分は、破壊に抵抗し続けられるが、無意識性と精神の分断は、人格の洗練された部分が死につつある兆候である」と述べています。

 

この言葉が示すように、トラウマによって人間は、心と身体が分離するという独特の防衛反応を示します。生命が脅かされたとき、人は身体の内部に閉じこもり、外部の危険から自分を守ろうとする一方で、もう一つの自己が現実の状況を冷静に観察します。この観察者のような視点を持つことで、心は恐怖や混乱に飲み込まれずに対処しようとするのです。フェレンツィが言及するように、心と身体のこの分断は、人格が徐々に解体されつつあるプロセスを示し、精神の高度な部分が死に向かっているサインであると考えられます。

 

トラウマを受けた人間が、あたかも外から自分自身を見ているかのように感じるのは、この防衛メカニズムの一環です。これは、生存本能が心と身体を切り離し、破壊的な影響を軽減しようとする無意識の試みでもあります。

 第2節.

基本人格の深い眠り(本来の私)


幼い子どもが命の危険に直面したとき、冷たく厳しい現実に耐えられず、身体は凍りつき、機能が停止し、解離や離人、虚脱といった状態に陥ります。恐怖があまりにも大きいため、子どもは生きることを諦め、身体の内側に閉じこもったり、宙に浮いているかのように心を遠ざけてしまいます。心の中に引きこもり、自分を守ろうとするこの状態は、まさに自己保存のための最後の手段といえるでしょう。

 

精神分析家シャーンドル・フェレンツィは、この現象を「人生についてもう何も知ることも望まない存在」と表現し、「覚醒時の自我がそれについてまったく何も知らない、本来の子どもである」と述べています。さらに、フェレンツィはこの深い断片的な存在を、無意識の中で苦悩する純粋な存在と捉え、極度に疲れ果てた神経症的な爆発の後、深い眠りやトランス状態にしか触れることができないとも説明しています。その存在は、まるで気を失った子どものように、自分自身に対する認識を欠き、わずかにうめき声をあげるほどの力しか残されていません。精神的にも身体的にも、この断片化された存在を揺り起こす必要があるのです。

 

このように、現実と断絶した子どもは、自分以外の誰も存在しない孤独な世界で生き続けます。現実世界との接触を失ったまま、心の奥深くで孤立し、恐怖と無力感の中で生存を続けるために、この分断は不可欠な防衛反応として作用するのです。

 

1.基本人格とインナーチャイルドの葛藤

 

基本人格(本来の私)や子ども人格(インナーチャイルド)は、日々の脅威にさらされる中で、痛みによって心も身体も固まってしまいます。感情は消え、身体が動かなくなり、心の繋がりが断たれてしまうと、現実との接触が途絶え、無力感に押しつぶされます。そうなると、身体の中心であるお腹や胸のあたりで心が小さくなり、閉じ込められてしまい、眠りに落ちるように、外の世界から切り離された夢の中で生きるようになるのです。

 

このような状態が続くと、生活を支えるために別の人格が現れます。これらの人格は、日常生活をこなすために適した部分や、外傷に対応するために生まれた部分であり、基本人格に代わって現実の世界を引き受けます。しかし、もし生活が平穏になると、基本人格は再びこの世界を眺めることができるようになります。とはいえ、基本人格は小さな子どものままであり、生活を送るスキルが足りないため、学校や職場、子育て、家事といった困難な日常を乗り越える力はまだありません。

 

そのため、基本人格は誰かに近づきたいと思っても、その一歩が踏み出せず、日常生活の難しさに対して無力です。生活全般は引き続き、日常を過ごすための人格システムに委ねられ、基本人格はその背後から世界を眺めるだけの存在として留まり続けることになります。

 第3節.

観察者の人格部分(精神性・霊性)


命の危機に直面したとき、精神のある部分が自分を守るために危険から距離を置き、宙に浮いて状況を冷静に把握するようになります。これは、体験する人格部分と観察する人格部分が分離することで起こる現象です。観察者の人格部分は、まるで本来の私の魂の一部が分かれて存在するかのようで、理性的かつ客観的な思考を持ち、冷静に物事を判断できる頼りになる存在です。

 

さらに、この観察者人格は、他の人格部分から神聖視されることがあります。宙に浮かび、卓越した知性を持っているとされ、天上の精神世界に住んでいるような存在として、まるで神々のように尊ばれるのです。古代哲学者ソクラテスに取り憑いていたと言われる「善きダイモーン」も、この観察者人格を象徴していると考えられます。

 

観察者人格は、本来の私にとって理想的な存在であり、精神性や霊性と深く結びついています。特に、ユング派の心理学では、この現象を「ダイモンの恋人」として研究し、観察者人格が本来の私を守る霊的な存在として重要な役割を果たすとしています。ピンチに陥ったとき、この守り神のような観察者人格が声となって私に語りかけ、道を示してくれるのです。

 

1.守護天使としての心の一片

 

フェレンツィは、命の危機に直面したときに人間が作り出す「オルファ」という存在について述べています。彼によると、この存在は、生命を維持するために最優先される心の一部であり、守護天使の役割を果たします。外界からの耐えがたい感覚や痛みに対抗するために、無感覚状態を作り出し、心を守る役割を担います。自己愛的な防衛として、現実をすり抜け、地上の重力に縛られない幻想的な世界を構築します。愛されず、傷つけられてきた人間は、自分の一部を切り離し、情愛に満ちた守護天使のような存在に変え、その天使が自分を世話し、苦しむ自分を救おうとします。この天使は、あらゆる知恵と善意の象徴であり、苦しむ自分を外部から観察しながら助けを求めて彷徨うのです。

 

このように、人は極限状況で自らを守るため、心の一部を切り離し、自己愛的な防衛メカニズムとして、幻想的な守護天使を生み出して現実から逃避します。

 第4節.

あたかも正常にみえる人格部分(日常生活)


命を失う危険に直面したとき、人は「本来の私」を守るために、意識を身体から切り離すことがあります。この部分の人格は、危険な状況にいながらも、まるでその場を遠くから眺めているかのように現実感を失い、感情を遮断します。周囲がぼやけ、出来事は夢の中で起こっているように感じられます。この人格は時間感覚が遅れ、感情や身体感覚が断絶され、注意力や集中力が散漫になることが特徴です。外傷体験の前後の記憶が曖昧になり、現実感が大幅に希薄化します。

 

オノ・ヴァンデアハートは、この状態について、「表面的には正常に見える人格部分は、日常生活を続けようとし、探索や世話、愛着などの活動システムに導かれている」と述べています。また、フェレンツィも「最上層には正確に調整されたメカニズムを持つ生きた存在がいる」とし、この状態でも適応的に機能しようとする人間の心理的防衛機制を指摘しています。

 

このように、極限状態において、人間は現実から切り離された感覚を生み出しながらも、日常生活を維持しようとする一種の防衛システムを持っています。

 

1.表面的な正常さを保つ人格:隠された葛藤と感情の欠如

 

一見すると正常に見える人格部分(子どもであれば愛着や探索システムによって駆動される)は、外傷関連の記憶や感情に対する強い恐怖を抱えています。彼らは、苦しさや悲しさ、楽しさ、喜びなどの感情をほとんど感じず、身体感覚も麻痺しています。恐怖やストレスもあまり感じないように構成されており、過去の外傷体験に関する記憶は欠落しています。もしその記憶が蘇ると、身体が鉛のように重くなり、固まって動けなくなったり、解離や離人、虚脱といった反応が起こります。

 

この人格部分は、日常生活を無難にこなすために存在し、外見上は普通に暮らしているように見えます。しかし、内面には深い感情が欠如しており、まるで心のない人形のように感じられます。さらに、彼らは複数の人格に分裂し、表面的には複雑な感情や内なる葛藤を抱えながら、様々な仮面をかぶって自己を維持しています。

 

2.分裂する自己感覚と覚醒の波:トラウマがもたらす心理的影響

 

彼らは、ピエール・ジャネが述べる「結合不全」と「精神力の減弱」による心理的な貧困状態にあり、意識の覚醒レベルが低下しています。その結果、解離性健忘が起こりやすく、ちょっとしたことでビクビクしたり、予期せぬストレスがかかると自分をうまくコントロールできなくなることがあります。まとまりのある自己感覚を持つことが難しく、過覚醒と低覚醒の間を行き来するため、自己感が変動しやすく、一貫した行動様式を保つことが困難です。

 

昼と夜で世界の見え方が変わり、夕暮れ時に不安定になりやすい傾向もあります。たとえば、昼間は明るいため周囲の気配をあまり気にせず、元気に過ごせる一方で、夜になると暗闇に敏感になり、些細なことにも恐怖し、感情が暴走しやすくなり、被害妄想が膨らむことがあります。

 

通常の覚醒状態では、精神的に高い意識を持ち、他者に優しく思いやりを持ちながら生活しようとします。しかし、過覚醒になると過去のトラウマと現在が重なり合い、苛立ちや破壊衝動が湧き上がります。逆に低覚醒時には、ストレスを避けるために頭を空っぽにしてぼーっとやり過ごすなど、感情の浮き沈みが激しい状態が続きます。

 第5節.

外傷体験に焦点づけられた人格部分(身体的・情動)


命の危険に直面したとき、トラウマに焦点を当てた人格部分は、恐怖や激しい怒り、破壊衝動といった生々しいエネルギーに包まれながらも、身体は生き残るために戦い、逃げ、怯え、警戒しています。これらの人格部分は、それぞれ異なる目的を持ち、特定の役割を果たすのです。交感神経が過剰に活性化した過覚醒状態では、戦うか逃げるかの「闘争・逃走」反応が見られ、逆に背側迷走神経が働く低覚醒状態では、凍りつきや虚脱が生じます。これらの状態は、外傷を負った瞬間から時間が止まってしまい、現実感や身体感覚が薄れ、今を生きることが困難になります。

人格部分の役割

  1. 警戒する人格部分:敵の接近に敏感に反応し、常に警戒しています。
  2. 逃走を図る人格部分:敵から逃れるために行動しようとします。
  3. 闘争する人格部分:戦士として敵と戦う準備を整えています。
  4. 凍りついた人格部分:動けなくなり、抜け殻のように感覚を失っています。
  5. 服従する人格部分:敵をなだめ、攻撃を避けるために服従行動を取ります。
  6. 攻撃性の人格部分:敵の隙をついて背後から反撃しようとします。
  7. 怯えて泣いている子どもの人格部分:体験に圧倒され、恐怖に泣いています。

こうした人格部分が生き延びるための様々な反応を示しながら、現実とのつながりを失い、時間が止まったままの状態にいるのです。

 

1.トラウマが生む情動的人格の固定化と深層の苦悩

 

オノ・ヴァンデアハートは、トラウマを負った「情動的人格部分」について、「彼らは外傷を受けた時に活性化された過覚醒や逃走、闘争といった活動システムに固着している」と指摘しています。特に「子どもの情動的人格部分」は、トラウマの時点に固定され、あたかも自分自身が本物の子どもであるかのように感じることが多く、その結果、現実感を失っているといいます。フェレンツィは、この情動的人格部分を「攻撃者の感情体験と同一化していく部分」と表現し、トラウマが引き起こす深い精神的影響を強調します。

 

フェレンツィはさらに、トラウマに直面した人の精神の下層に「殺害された自我の下にある初期の精神的苦悩の灰が存在し、夜ごとにその苦悩の炎が灯る」と述べています。そして、トラウマの最も深い層には「内容も意識もない、切り離された感情の塊としての苦悩そのもの」があり、それを「元来の人間の残滓」と表現しています。

 

このように、トラウマを負った人格部分は、外傷によって時間が止まり、攻撃者の感情を同一化してしまうため、深い苦悩の中で生き続けることになるのです。

 

トラウマケア専門こころのえ相談室

更新:2020-05-27 

論考 井上陽平

 

参考文献

オノ・ヴァンデアハート:『構造的解離』(訳 野間俊一、岡野憲一朗)星和書店

シャーンドル・フェレンツィ:『臨床日記』(訳 森茂起)みすず書房