虐待の後遺症

虐待を受けている子どもは、親の足音や気配に怯えて、警戒しています。親の態度により、恐怖を感じると、本来の自分はブルブルと体が震えて、凍りついて身動きが取れなくなります。一方、体のほうに闘争スイッチが入るので、怒りの人格に切り替わり、闘います。しかし、親には敵わないので、何度も傷つくことになります。

理不尽に怒ってくる親に似たような人が嫌いになります。横柄な態度をとる人を見ると、イライラします。

 

子どもは、家の中の日常で不条理な目に遭うから、自分がなぜそういう目に遭うのか、なぜこんな親を持ってしまったかなど、なんでなんだろうと考え続けます。どうしようもなさに途方に暮れ、変えられない親に対して、自分なりの答えを見出そうともがき続けます。

 

片付けができない、忘れ物が多いなどADHDと似た症状が出て

ADHDと診断された人の中には実が大きなトラウマ、PTSDを抱えている

 

虐待を受けた子どもは、親の圧力がかかっていて元気が無く、心が萎れた状態で日常を過ごすことになります。そして、社会に出ても人と対話したり交流したりする元気を持ち合わせていません。

 

耐えらないような経験をして、壊れてしまいます。

逃げ場のない子ども

子供の頃のトラウマは消えません。

暴力された恐怖を忘れない

食事を与えられず、殴られて、外に出される

生きているか死んでいるかも分からなくなり

 

自分以外の人間をどうしても信用できない

 

児童虐待のサバイバー 後遺症として、身体と心に深い影響を与えます。

虐待を受けて育った人の多くに、トラウマの症状が複雑化します。

コミュニケーション、対人相互作用、うつ、解離、PTSD、強迫観念、摂食障害の症状に悩まされます。

とても辛い、とても苦しい毎日になると身体の感覚を切り離して、何も感じないことで自分を守ります。

匂いや痛み触感を感じなくなって、自分の存在が希薄になります。

透明になるほどの世界、そうでもないと生きられない壮絶な世界

記憶が抜けていく

 

気圧の変化に左右されたり、家に引きこもりになったり、何もできなくなり、泣くだけになります。

 

虐待を受けることで脳の前頭葉の萎縮

胸腺が委縮し、免疫力が低下

 

自己肯定感がない

 

解離

とてもつらく、くるしい状況にいるために、痛みを切り離していく

 

怒りの感情が沸き起こって、憎い、許せないという状態があります。一方、恐怖状態になって、感情を殺し、動けなくなります。

体の力が入らなくなったり、感覚が分からなくなります。

生き地獄で、親のことを軽蔑の目でしか見れません。

 

体調不良

強迫観念

ヒステリーな母親や暴力を振るう父親など虐待は、

押し入れに閉じ込められる、柱に縛り付けられる、外に掘り出される、食事が与えられない、

 

機能不全家庭で、親の望んだ通りに生きていました。子どもは自分のしたいことが許されない環境で育ちます。

 

頭の上には重しをのせられているような感覚があります。

心臓がぐっと締めつけられる

息苦しく、眉間にしわがよる

聞き耳を立て、息を殺し

じっとして、危険を伺いながら、身体は硬直状態にあります。

先読みするような癖がついたり、相手の顔色を伺うようになります。

 

親に言いたいことがあっても余計酷いことになるので、本音を出せませんでした。自分の気持ちを押し殺し、親ににきちいられよう頑張ってきました。

その結果、みぞおち、胸、喉がつっかえて、体が硬直し、

 

親に虐待を受けた怒りや恨み、愛情を貰えなかった悲しみ、

絶望や混乱

 

普通の人とは、物事の捉え方が違うようになります。

 

自分に自信がないのは、親に駄目だと言われ続けてでそうなります。

 

虐待を受けた子どもは、虐待を受けながらも自分に問題があると思い、申し訳なくなります。親が酷い仕打ちをするのも、自分がそうさせているとか、親が悪くても自分に責任があるように思います。また、自分が頑張った成果も、親のおかげでそうなったと思います

奥さんが離婚して、前の夫との子どもがいる状態で、新しい夫と結婚して、数年後、新しい夫との子どもができた場合。

前の夫との子どもは、その子どもが悪いわけではないのに、夫はその子を虐待するようになります。その子は全く悪くないのに、僕が悪いのかなと言って、家族の誰とも遊ばずに、ずっと一人で遊んでいます。その状況や環境を考えると、家族が悪いのに、僕が悪いんだというようになります。他の子よりも、いつも悲しいから、群衆を見る目も悲しみが宿ります。自分の家族がクソだから、他の家族が羨ましくなります。どんな場所に行っても、自分は楽しんでいけないとか、幸せになってはいけないと思っています。そして、楽しんでいる時こそ、ここにいてはいけないと思います。

 

自分が責め続けられていたら、自分が悪いとか、できないんだとか、望まれていないとか、植え付けられていきます。親がそういうふうに仕向けています。

 

虐待を受けた子どもは、常に危機を感じながら生活してきたので、認知の仕方が歪んでいきます。

自己イメージが良い部分と悪い部分のバランスが取れず、悪い部分のほうへ目が行ってしまって、良い部分が除外されます。

マイナス化では上手くいったら親のおかげだと思い、上手くいかなかったら自分のせいだと考えます。良いことあっても、自分を褒めることができず、いつも自分が悪いと考えています。

 

虐待されていた記憶が残っていない

親の顔色を伺いながら生きてきた。自分の事よりも、両親の気持ちを察することが優先されて、レールに外れないような生き方をしてきた。自分の中身が空っぽで、鎧みたいなものを纏って、周りの人と仲良くするけど、表面的な関係しか持てない。

  

相手を行動や非言語的コミュニケーションを先読みすぎて、ネガティブな可能性を考えます。予想外のことや最悪の事態が起きないように予防線を張ります。自分の失敗や弱みを過度に気にする一方で、自分の成功や強みは過少に評価します。また、潜在的な脅威を過大に受け取ります。

 

物事を客観的に見れず、自分のことを全く駄目な人間だとネガティブなレッテルを貼ります。

 

過食嘔吐

よい子でいすぎることと、親子関係のストレスから、食べることでストレスを紛らわします。

強迫観念

 

親の喧嘩しているのを見たくなくて、嫌だから机の下に隠れて三角座りをします。

 

幼少期に劣悪な家庭環境で育った人は 大人になるにつれて 友人や恋人の家族の家を訪れ、 時間を過ごし食事をする経験を通じて 自分が育ってきた親の態度や言動とは 全く違うことに気づく。 そこで初めてその異常さに気づき 家庭がより安全で居心地良いという現実を 突き立てられそのギャップに驚く。

 

 

 

 

 親子関係のトラウマは、嫌なことがあって怒りもあるけど、一方、長い付き合いから、良い思い出もあり完全な悪とは思えない。関わり方によって、人の性質は多様に変化するので、たとえ自分にとってトラウマを植え付けられた相手でも、完全な悪ではなく、加害者のもつ表裏一体の性質に被害者は最も悩む。

 

 

危険が迫ると、警戒心から視野が狭くなります。全身が中心に向かって縮こまり、息苦しく、頭がぼーっとしてきます。 

 

親の厳しい躾から、緊張が強くなって、食べ物が喉を通らなくなります。

 

物事を荒立てなくない

 

 母親の期待に応えようとしているだけだと、自分のしたいことが分からず、ただ他人に合わせるだけの自分しかいません。

 

結婚して自分が子どもを授かるときに、手放しで喜べません。

自分が苦労してきた分、子どもに習い事をさせて選択肢を増やしてあげようとか

子育てに気負いすぎて、責任を重く感じます。

子どもの無邪気な姿や攻撃性を受け止められずに、感情的になってしまって、子どものときの自分は虐待の被害者であるけども、大人の自分は加害者になることがあります。また、子どもに対して、自他の区別がつかなくて、過干渉や躾の厳しい親になる可能性があります。