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病的解離と自己感覚の分裂:トラウマがもたらす多重自己の形成


解離性障害や解離性同一性障害を抱える人々の中には、自分が経験したという感覚が失われ、まるで人生の出来事が積み重ならず、停滞しているように感じることがあります。これは、自己を認識する部分が機能しなくなるためです。何度も脅かされる体験を繰り返すと、心身が次第に動けなくなり、自己感覚や身体感覚が麻痺し、意識がぼんやりとして、自分がどのように感じているのかすら分からなくなってしまうのです。まるで夢の中に生きているかのように感じることも珍しくありません。

 

身体や精神がどれだけ傷つけられ、人格が崩壊しても、身体自体は生き延びようとします。その結果、「偽りの自己」が生まれ、本人にとって現実との接触が薄れた状態が続きます。この状態では、身体はカチコチに固まり、あるいは自分を薄いヴェールが包み込むかのように感じられ、自分と外の世界が完全に切り離されてしまいます。

 

鏡を見たとしても、その中に映る自分は違和感のある存在であり、まるで自分ではない別の人物がそこにいるように感じます。時にはその違和感から、鏡を見つめ続けてしまうこともあるでしょう。そして、まるで鏡の中の自分が話しかけてくるかのような、異様な感覚にとらわれることもあります。この現象は、自分のアイデンティティが分裂し、現実との結びつきが弱まった状態を象徴しています。

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居場所を失った心と身体:解離性症状の内側


解離性症状に苦しむ人々の多くは、過酷な体験を重ね、家の中にも居場所がなく、家族と一緒にいることさえ苦痛に感じてしまいます。結果として、どこにも心の安らぎを見出せず、自分がこの世界にひとりぼっちで取り残されているかのように感じます。まるで世界を擦りガラス越しに見ているかのような感覚に支配され、何をしていてもそれが現実とは思えず、自分という存在が希薄になっていきます。

 

この感覚は、足元がふわふわと浮いているような不安定さに似ており、自分が誰であるか、何を考えているのかすら分からなくなってしまうのです。幼少期から日々のストレスや緊張にさらされ、最初は環境に過敏に反応していました。しかし、神経が敏感すぎると周囲とうまくやっていけなくなり、生活もままならなくなるため、身体や心が発する不快感や痛み、恐怖や怒り、悲しみなどの感情を自ら切り離して生きることを選んできました。

 

その結果、身体の一部が凍りつき、別の部分は虚脱してしまい、集中力が途切れてぼんやりした状態に陥ります。こうした凍結や虚脱が繰り返されると、自分の身体感覚が失われ、感情も鈍麻してしまい、時間の感覚すら止まったかのように感じます。思考は混乱し、心も身体も空っぽな状態に陥ると、自分自身を感じることができず、生きている実感さえも薄れてしまうのです。

トラウマが引き起こす解離:現実から切り離された心


トラウマを受けた人は、その痛みによって身体が凍りつき、意識が変容します。時間、思考、身体感覚、そして情動に深刻な支障をきたし、日常生活が崩壊することがあります。外傷体験が繰り返される中で、原始的な神経の働きが優位になり、心身の機能の一部が停止することで、解離性症状はますます重くなります。

 

主な解離性症状には、フラッシュバック、幻聴、離人症、非現実感、解離性健忘、解離性昏迷、感覚過敏(人の視線や気配、音、匂い、光、振動、体内の過敏感)、硬直、凍りつき、脱力、衰弱化、アレキシサイミア(感情の欠如)、パニック、過呼吸などが挙げられます。これらの症状が重篤な場合、脳の視床部分で感覚刺激が断片化され、感覚や認識が正しく処理されなくなります。

 

このような状況に陥る人々は、幼少期からトラウマを抱えてきたことが多く、身体が麻痺し、外の世界を鮮明に感じ取れなくなります。嗅覚を除く自己の感覚が失われ、自分が誰であるのか、どこにいるのかすら分からなくなるのです。目に見えるものがぼやけ、人と直接関わっている感覚が希薄になり、現実感が失われていきます。

 

その結果、まるで夢の中で生きているような感覚や、目覚めても再び夢の中に戻ってしまうかのような錯覚に陥るのです。こうした解離の状態は、現実と非現実の境界を曖昧にし、トラウマに苦しむ人々をさらに孤立させてしまいます。

ストレスとトラウマが引き起こす解離性症状のリスク


解離性症状に陥りやすい人々は、家庭や学校、生活空間全体が過剰なストレスにさらされていることが多いです。虐待やネグレクト、事件や事故、医療トラウマなどの圧倒的な外傷体験や、幼少期のトラウマ、親の不在、身体の病気、有害物質への暴露といった厳しい経験が背景にあります。こうした要因に加え、感覚過敏があり、常に身体的な不安にとらわれている人も、解離性障害に陥りやすいと言われています。

 

この障害を抱える人々は、ストレスが高まると無意識のうちに解離モードへシフトしていきます。これは、心と身体が過去のトラウマから身を守るために作り上げた防衛反応であり、一種のサバイバルメカニズムといえます。しかし、その結果、現実感が失われ、感情や身体感覚とのつながりが断たれてしまうのです。この解離モードに入ることで、一時的に苦痛から逃れられるものの、長期的には心身の健康にさらなる影響を及ぼします。

幼少期の外傷体験が生む時間と自己の断絶


幼少期に外傷体験を受けると、その辛い状況に適応するために自分を麻痺させ、なんとか日常生活をこなすようになります。しかし、その過去に固着した状態で生きると、感情は鈍磨し、自分が何者であるのか分からなくなり、日々の生活に実感が伴わなくなります。この状態では、時間の流れさえも歪んでしまい、心は子どものままで成長できないのに、体だけが大人になっていくという矛盾に苦しむことになります。こうして、大人のふりをしながら生き続けるのです。

 

心と体が一致しないため、時間の感覚も歪みます。過去と現在の時間感覚が断絶していたり、過去の時間が断片化していたり、現在の時間が異常にゆっくり流れているように感じたり、未来を認識できなかったりするのです。

 

このような状態になる背景には、外傷体験が繰り返されることで、この世界が非常に恐ろしい場所として感じられるようになり、恐怖や痛みから自分を守るために、心がねじれていく過程があります。その結果、本来の自分を失い、「私」が「私である」という感覚が消え去ります。そして、過去から現在、未来へと流れる時間感覚も失われ、「今ここ」にいる実感が持てなくなり、時間が止まったように感じてしまうのです。しかし、現実の時間だけは無情にも進んでいき、その流れについていけなくなる感覚に陥ります。

 

このような感覚は、外傷を受けた人がどれほどの苦しみを抱えながら生きているかを示すものです。時間や自己の感覚が歪む中で、外の世界とのつながりを失い、ただ現実に取り残されてしまうのです。

外傷が生んだもう一人の私:現実感を失った心の分裂


日常生活を送っている「私」は、過去から続く自分ではありません。過去の自分と今の自分が断絶し、物事を感じているのは本来の私ではなく、外傷体験の時に生まれた別の「私」です。本来の私は、体の中心に小さく縮こまり、じっとしていて、まるで夢の中にいるような感覚で、生きている実感を失っています。

 

その一方で、外傷体験から生まれた「私」は、体の中心から少しずれた位置で、日常生活を無感覚に眺めています。感情もなく、身体の感覚もないため、視野が狭くなり、世界は立体ではなく、二次元のパステルカラーのように感じられます。何をしても現実感がわかず、まるで夢の中にいるかのようです。本来の自分と繋がることができず、自分が誰なのかも分からなくなっていきます。

 

身体に対する自己感覚も曖昧で、まるで自分が自分自身のすぐそばに立っているかのように感じたり、体の外から世界を眺めているような感覚に襲われます。こうして、私は観察者として日常を過ごし、本来の私は恐怖に怯えたまま誰とも話さず、誰にも近づかず、無反応のまま体の中に閉じ込められているのです。

 

このような状態では、外傷が生んだもう一人の「私」が現実を生き、私自身は現実から遠ざかり、世界とのつながりを見失っています。

外傷が生む分裂事象:頭の中の声と多重自己


健康な人は、自分の考えを自分のものとして認識していますが、トラウマを経験した人は、まるで二人称の視点から「お前が悪い」と責める声や、助けようとする声が聞こえてくることがあります。特に解離性症状が重い場合、自分の人生の体験を自分の声で語ることができず、別の声が頭の中で代わりに話し始めることもあります。

 

複雑なトラウマを負った人の自己は断片化し、複数の自己の部分が生まれます。これらの部分は、個々に精緻化され、独自の自律性を持つようになります。こうした自己の断片は、身体と精神の間を行き来しながら、日常生活に関与してきます。その結果、自分の中に「しっくりこない」異なる部分が存在していると感じたり、複数のアイデンティティがあるかのように思えることがあります。

 

これらの異なる自己の部分は、時に自律的に動き、トラウマ体験によって生まれた感情や思考を表現しようとします。これにより、個人は自分の内部に複数の声や視点を抱え込み、自分自身が誰なのか、どの部分が本当の自分なのか、混乱することも少なくありません。このような感覚は、外傷体験が自己の統一性を崩し、複数の自己を生み出す過程を物語っています。

 

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論考 井上陽平